聖女ですが何も知らない狼獣人をだましています

植野あい

文字の大きさ
8 / 72
聖女 アルミナ

8

しおりを挟む
 ベリンダに『やめたほうがいい』と言われていた記憶喪失の設定を使うことにした。だって、これ以外にこの修羅場をくぐり抜ける方法が思いつかない。ファルクは自分の頭をガンと殴られたかのように痛ましい表情になる。

「そんな、どうして?怪我は?」
「どうしてかも思い出せないわ。怪我は聖女様が治してくれたから大丈夫」
「もしかしてそれで何日も教会に?」
「そうなのよ。それで悪いけれど、ファルクのこと、うっすらとしか覚えてないの。同居人だったとは思うけれど」
「ああそんな。ベル姉……」
「でも普通の同居人として過ごしていけば、思い出すかもしれないわ。数か月後か一年後くらいに」

 必殺、先送りの術である。ファルクとベリンダの関係は、私が手を出していいことじゃない。入れ替わりを解消したら、本人たちに何とかしてもらおう。
 私は男女のいざこざなんて関わりたくないし、どちらにしても世間知らずの私の手には負えないことだ。

「じゃあ、ちょっと早いけど私はもう休むわ。お酒を飲んだから眠くて」
「あ、ああ。お休み、ベル姉」

 呆然とするファルクから離れ、私は部屋に逃げ込んだ。さっき着たばかりの服を脱いで下着だけになり、ベッドに倒れるように横になった。

「わあ……すごくいいベッド」

 枕は弾力があって柔らかく、カバー類は滑らかで素晴らしい肌触りだ。すごくお値段の高い、最上級の綿と思われた。掛ふとんの中身だってすごく軽いから、高級な羽毛だろう。旅の途中、気の利く貴族の屋敷に泊めてもらえたときのような極楽具合に目を閉じる。

「ああ、贅沢」

 酔っ払って昼から眠れるなんて、控えめにいっても最高だ。私はうっとりとして、手足がぽかぽかしてくるに任せた。

 そうっと歩こうとしている靴音がドアの向こうから聞こえ、目蓋の裏に先ほどのファルクの困惑した顔が浮かんでくる。私はクスッと笑ってしまった。

 聖女として教育され、いつも周囲に人がいた私は、彼の存在がありがたかった。人の気配がするほうがよく眠れるタイプなのだ。

 そこはかとない安心感に包まれ、意識が眠りの沼に落ちるまで時間はかからなかった。




 何度か浅い覚醒を繰り返し、いよいよもう眠れないところまで来た私は、やっとベッドから起き上がる。

「んん~っ、よく寝た」

 両腕を宙に突き上げ、気持ちよく伸びをした。カーテンを開けると眩しい朝の光が降り注ぐ。さあ顔を洗おうと、部屋のドアに手をかける。

「えっ?」

 ドアノブは動くのに、木製のドアが、急に建付けが悪くなったかのようにちっとも動かない。寝る前はこうではなかったはずだけど、仕方ない。神聖力で壊そうかと力を溜め始める。

「ベル姉、起きた?」

 そのとき、ドアの向こう側からファルクの弾んだ声がした。

「起きたけど……?」
「おはよう!」

 ドアがさっと開き、満面の笑みを浮かべたファルクと出会う。ファルクは何でもない動作だった。けれど、足元には丸まった毛布がある。ファルクのふさふさした狼の耳には、片側に押しつぶされたような寝癖が付いていた。

「もしかして、ここで寝たの?」
「バレた?」

 ハハ、と爽やかな笑い声を上げるファルクにつられ、とりあえず笑ってみた。でも笑いごとじゃない気がする。ドアが開かないように自分の体で塞いで寝るのは、世間一般的に普通ではないのでは?

「寝てる間にベル姉がどっかに行っちゃいそうで不安だったから」
「どこにも行かないから、こんなことやめて」
「……どこに行っても俺は匂いを辿って見つけるけど、また教会に行かれたら困るよ」

 やっぱりベリンダに執着してたんだ。ファルクの金色の瞳が、何か不穏な光を宿していた。しかもベリンダと情報交換をするためのあの数日が、さらに彼を病ませてしまったのだろうか?

「きょ、教会にはもう行かないから!とにかく自分のベッドで寝てよ!健康は大事じゃない」
「ベル姉が俺の体を心配してくれるなんて、すごく嬉しいな」

 機嫌よさそうに尻尾を振り始めたファルクは、朝食の用意をすると言ってキッチンに向かった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

永遠の十七歳なんて、呪いに決まってる

鷹 綾
恋愛
永遠の十七歳―― それは祝福ではなく、三百年続く“呪い”だった。 公には「名門イソファガス家の孫娘」として知られる少女キクコ。 だがその正体は、歴史の裏側で幾度も国を救ってきた不老の元聖女であり、 王家すら真実を知らぬ“生きた時代遺産”。 政治も権力も、面倒ごとは大嫌い。 紅茶と読書に囲まれた静かな余生(?)を望んでいたキクコだったが―― 魔王討伐後、王位継承問題に巻き込まれたことをきっかけに、 まさかの王位継承権十七位という事実が発覚する。 「……私が女王? 冗談じゃないわ」 回避策として動いたはずが、 誕生した新国王アルフェリットから、なぜか突然の求婚。 しかも彼は、 幼少期に命を救われた“恩人”がキクコであることを覚えていた―― 年を取らぬ姿のままで。 永遠に老いない少女と、 彼女の真実を問わず選んだ自分ファーストな若き王。 王妃になどなる気はない。 けれど、逃げ続けることももうできない。 これは、 歴史の影に生きてきた少女が、 はじめて「誰かの隣」を選ぶかもしれない物語。 ざまぁも陰謀も押し付けない。 それでも―― この国で一番、誰よりも“強い”のは彼女だった。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

二度目の子育て~我が子を可愛がったら溺愛されました

三園 七詩
恋愛
私は一人娘の優里亜の母親だった。 優里亜は幼い頃から体が弱く病院でほとんどの時間を過ごしていた。 優里亜は本が好きでよく私にも本の話をしてくれた。 そんな優里亜の病状が悪化して幼くして亡くなってしまう。 絶望に打ちひしがれている時事件に巻き込まれ私も命を落とした。 そして気がつくと娘の優里亜が大好きだった本の世界に入り込んでいた。

処理中です...