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聖女 アルミナ
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彼が高そうな魔石が嵌め込まれた冷蔵庫からボウルなどを取り出し始めたので、興味を惹かれて近くまで見に行く。ボウルの中には、カスタードのような薄い黄色のものが入っていた。
「それは?」
「パンケーキだよ。夜のうちに生地を仕込んで寝かせてた」
「ファルクって、料理ができるの?すごいわ」
私は聖女として一通りの教育は施されたが、料理についてはさっぱり教えてもらっていない。食べる専門なので、手慣れた様子のファルクに対し一気に尊敬がこみ上げてしまう。
「……本当に記憶喪失なんだな。俺にパンケーキの作り方を教えてくれたのはベル姉だったのに」
「えっ?」
ファルクは少し悲しそうに狼の耳をぺそりと伏せた。一緒にパンケーキを焼いた楽しかった思い出でもあるのだろうか。
「いや、いいんだ。焼けるまで少し時間かかるから、ベル姉はゆっくりしてて」
「……うん」
私が顔を洗って髪を梳かし、身支度を整えている間に、部屋の中に甘い匂いが漂い始めた。ファルクに場所を聞き、棚からお皿やカップを取り出し、小さなテーブルにふたり分の朝食を並べていく。
何枚も焼いて重ねたパンケーキと、バター、メープルシロップ。カリカリのベーコンと目玉焼き、それから紅茶というメニューを用意するのは、思ったよりずっと大変だった。私はファルクに一から十まで聞いてばかりで、ほとんど役に立たなかった。手伝わないほうがいいのではと悄気そうになったくらいだ。
ファルクは、私の要領を得ない質問に怒ることなく、丁寧に答えてくれた。正直、年下の男子だと舐めているところもあったけれど見直したほどだ。
「邪魔してばっかりでごめんね、ファルク」
「ベル姉が謝ることは何もないよ!さあ、冷めないうちに食べよう」
「うん。お祈りをしてからね」
いつも通りに食前のお祈りをして、私はナイフとフォークを手に取る。
きつね色に焼けたパンケーキを切り分け、特にシロップがたっぷり染みた部分から口にした。甘くて、温かくて、優しい味だ。これがきっと、家庭の味なんだろう。教会の寄宿舎で出されるパンケーキとは何かが違っていた。
「おいしい。すごくおいしい」
「ベル姉に喜んでもらえてよかった。たくさん食べて」
金色の瞳で私を食い入るように見つめていたファルクは、やっと口元を綻ばせた。
「ファルクも食べて。そんなに体が大きいんだから、私より食べないと」
「ああ」
彼もナイフとフォークを手に取るが、意外と荒々しさのかけらもない優雅で美しい所作だ。
私は『聖女が汚い食べ方をしてはならない』と神官たちに厳しく躾られたけど、ベリンダも実はテーブルマナーが完璧だった。
なぜかと問えば、ベリンダは踊り子になる以前、貴族の男性の愛人をしていたという。そんなベリンダと一緒に暮らすファルクだから、これも教えられたのだろうか。
「……食べ終わったら、街を散歩しようかと思うの」
沈黙が気になり、私は適当な話題を振る。
「じゃあ俺も一緒に行くよ。ベル姉は記憶喪失なんだし、危ないから」
「そう?ありがとう」
ファルクが私の外出に同行しようとするのは、想定の範囲内だった。
それはともかく、ファルクのテーブルマナーはやっぱり驚くほどに素晴らしい。ナイフとお皿がぶつかる音すら立てないし、うっかりシロップを垂らしたりはしない。背筋はピンと伸びたままだ。聖女の護衛をしてくれていた実家が貴族の人たちと変わらないレベルだ。
彼は胸元が編み上げになっているシャツに茶色のトラウザーというワイルドな服装だけれど、私を優先してくれてるせいでまだ寝癖も直していないけれど、何だか急に上品に見えてくる。
「ねえ、ファルクって隣国のヴァントデンから来たのよね?」
「……ああ。そんなことは覚えてるんだな」
外見からの推測で質問してみると、合っていたようだ。ファルクはあっさりと頷いた。
「故郷に帰らなくていいの?」
「帰らない」
少し被せ気味に彼は答えた。ナイフとフォークを静かに皿に置き、形の良い唇が意味深長な微笑みを浮かべる。
「ベル姉のいるところが俺の居場所だ。帰れと言われても帰らない」
「そう、なんだ」
この話題にはもう触れないほうが良さそう。直感に従い、私は目玉焼きがおいしい、などと別の話題に切り替える。私はどうせベリンダの偽物で、彼の人生に深く関わることはない。期間限定の入れ替わりなのだから、楽しく過ごすことに全力を傾けたかった。
食事の後片付けや身支度を済ませた私たちは、揃って家を出た。玄関のドアに鍵をかけるファルクを物珍しく見つめてしまう。
聖女の旅の途中、宿屋に泊まる際に部屋の鍵の開け閉めははもちろんしていた。けれど家そのものに鍵をかける行為は初めてだし、この行為はとてつもなく特別に意識を際立たせる。ファルクと家族であるような感覚だ。
「忘れ物でもした?」
私の視線に気づいたファルクは不思議そうに狼の耳の片方を倒す。
「ううん、大丈夫」
「まずどこに行こうか?」
「薬の材料を買いに行きたいの」
「何の薬?」
小さな家が立ち並ぶ区域から表通りの方向へと歩きつつ、私はファルクに説明をした。ベリンダの職業、踊り子はしばらく休むので特製のドリンクを作り、働いていた酒場に出してもらうことになっている、などと。
「そうらしいな。俺も酒場の女将から聞かされた。正直、本気で何かを作る気があるとは思わなかった」
ファルクは、ベリンダを追い求めて酒場にも行っていたようだ。なかなかの付きまといっぷりである。
「優しい聖女様からレシピを教わったのよ」
自分で自分を優しいなどと言う面映ゆさをこらえ、私はどうにか自然を装う。
「しばらくは安静にしたほうがいいから、特製ドリンクを作って生活費の足しにしたらいいってね」
「それは?」
「パンケーキだよ。夜のうちに生地を仕込んで寝かせてた」
「ファルクって、料理ができるの?すごいわ」
私は聖女として一通りの教育は施されたが、料理についてはさっぱり教えてもらっていない。食べる専門なので、手慣れた様子のファルクに対し一気に尊敬がこみ上げてしまう。
「……本当に記憶喪失なんだな。俺にパンケーキの作り方を教えてくれたのはベル姉だったのに」
「えっ?」
ファルクは少し悲しそうに狼の耳をぺそりと伏せた。一緒にパンケーキを焼いた楽しかった思い出でもあるのだろうか。
「いや、いいんだ。焼けるまで少し時間かかるから、ベル姉はゆっくりしてて」
「……うん」
私が顔を洗って髪を梳かし、身支度を整えている間に、部屋の中に甘い匂いが漂い始めた。ファルクに場所を聞き、棚からお皿やカップを取り出し、小さなテーブルにふたり分の朝食を並べていく。
何枚も焼いて重ねたパンケーキと、バター、メープルシロップ。カリカリのベーコンと目玉焼き、それから紅茶というメニューを用意するのは、思ったよりずっと大変だった。私はファルクに一から十まで聞いてばかりで、ほとんど役に立たなかった。手伝わないほうがいいのではと悄気そうになったくらいだ。
ファルクは、私の要領を得ない質問に怒ることなく、丁寧に答えてくれた。正直、年下の男子だと舐めているところもあったけれど見直したほどだ。
「邪魔してばっかりでごめんね、ファルク」
「ベル姉が謝ることは何もないよ!さあ、冷めないうちに食べよう」
「うん。お祈りをしてからね」
いつも通りに食前のお祈りをして、私はナイフとフォークを手に取る。
きつね色に焼けたパンケーキを切り分け、特にシロップがたっぷり染みた部分から口にした。甘くて、温かくて、優しい味だ。これがきっと、家庭の味なんだろう。教会の寄宿舎で出されるパンケーキとは何かが違っていた。
「おいしい。すごくおいしい」
「ベル姉に喜んでもらえてよかった。たくさん食べて」
金色の瞳で私を食い入るように見つめていたファルクは、やっと口元を綻ばせた。
「ファルクも食べて。そんなに体が大きいんだから、私より食べないと」
「ああ」
彼もナイフとフォークを手に取るが、意外と荒々しさのかけらもない優雅で美しい所作だ。
私は『聖女が汚い食べ方をしてはならない』と神官たちに厳しく躾られたけど、ベリンダも実はテーブルマナーが完璧だった。
なぜかと問えば、ベリンダは踊り子になる以前、貴族の男性の愛人をしていたという。そんなベリンダと一緒に暮らすファルクだから、これも教えられたのだろうか。
「……食べ終わったら、街を散歩しようかと思うの」
沈黙が気になり、私は適当な話題を振る。
「じゃあ俺も一緒に行くよ。ベル姉は記憶喪失なんだし、危ないから」
「そう?ありがとう」
ファルクが私の外出に同行しようとするのは、想定の範囲内だった。
それはともかく、ファルクのテーブルマナーはやっぱり驚くほどに素晴らしい。ナイフとお皿がぶつかる音すら立てないし、うっかりシロップを垂らしたりはしない。背筋はピンと伸びたままだ。聖女の護衛をしてくれていた実家が貴族の人たちと変わらないレベルだ。
彼は胸元が編み上げになっているシャツに茶色のトラウザーというワイルドな服装だけれど、私を優先してくれてるせいでまだ寝癖も直していないけれど、何だか急に上品に見えてくる。
「ねえ、ファルクって隣国のヴァントデンから来たのよね?」
「……ああ。そんなことは覚えてるんだな」
外見からの推測で質問してみると、合っていたようだ。ファルクはあっさりと頷いた。
「故郷に帰らなくていいの?」
「帰らない」
少し被せ気味に彼は答えた。ナイフとフォークを静かに皿に置き、形の良い唇が意味深長な微笑みを浮かべる。
「ベル姉のいるところが俺の居場所だ。帰れと言われても帰らない」
「そう、なんだ」
この話題にはもう触れないほうが良さそう。直感に従い、私は目玉焼きがおいしい、などと別の話題に切り替える。私はどうせベリンダの偽物で、彼の人生に深く関わることはない。期間限定の入れ替わりなのだから、楽しく過ごすことに全力を傾けたかった。
食事の後片付けや身支度を済ませた私たちは、揃って家を出た。玄関のドアに鍵をかけるファルクを物珍しく見つめてしまう。
聖女の旅の途中、宿屋に泊まる際に部屋の鍵の開け閉めははもちろんしていた。けれど家そのものに鍵をかける行為は初めてだし、この行為はとてつもなく特別に意識を際立たせる。ファルクと家族であるような感覚だ。
「忘れ物でもした?」
私の視線に気づいたファルクは不思議そうに狼の耳の片方を倒す。
「ううん、大丈夫」
「まずどこに行こうか?」
「薬の材料を買いに行きたいの」
「何の薬?」
小さな家が立ち並ぶ区域から表通りの方向へと歩きつつ、私はファルクに説明をした。ベリンダの職業、踊り子はしばらく休むので特製のドリンクを作り、働いていた酒場に出してもらうことになっている、などと。
「そうらしいな。俺も酒場の女将から聞かされた。正直、本気で何かを作る気があるとは思わなかった」
ファルクは、ベリンダを追い求めて酒場にも行っていたようだ。なかなかの付きまといっぷりである。
「優しい聖女様からレシピを教わったのよ」
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