聖女ですが何も知らない狼獣人をだましています

植野あい

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聖女 アルミナ

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「そうでしょ?実は私にも聖女の素質があるのよ」

 私はそのまま肯定をし、少し顎を上げた。ベリンダの真似は諦めて、記憶喪失の新生ベリンダとしてやるしかない。

「……そうだな。ベル姉は優しくて、聖女みたいだと思ってたよ」

 期待通りにファルクは苦笑した。

「照れるわね。さあ食べましょう。うん、このスープすごくおいしい」

 話を切り替えるべく料理を褒めると、ファルクはとても嬉しそうに尻尾を振り始めた。座っている状態の彼の尻尾は、座面と背もたれの隙間に投げ出され、元気にピコピコ動いている。

「そうか?ベル姉にはまだまだ敵わないけど」
「あら、私ったら優しくて美人で、さらに料理上手だったのね。困るわ」
「ほんと、困るよな。初めて俺に作ってくれたスープの味は忘れられないよ。あんなにおいしいものがあるんだって感動したくらい」
「今は作れないけどね」
「そうみたいだな。でも正直言って、ベル姉の記憶が戻らないほうが俺には都合がいいよ、俺に笑いかけてくれるし」
「最近はそんなことなかったの?」

 ベリンダが拾った当初、15歳だったというファルク。それから3年間の同居生活で色々あって、拗れたと思しき関係。私は聞き出そうと身を乗り出した。

「……ずっと無視されてた」
「どうして?」
「俺が弟らしくしないから、かな」
「本当の姉弟でもないのに?」
「でも、ベル姉が求めてたのは弟みたいな存在で……」

 彼の尻尾は徐々に垂れ下がり、ぶらんと力なく床についてしまう。大きな耳も悲しげに伏せられた。

 男女のいざこざに詳しくない私でも、今までの情報を組み合わせることである程度の予想がついてきた。

 つまりベリンダは、拾ったファルクに対して『弟』を強要した。けれどファルクには無理だった。ベリンダをひとりの女性として好きになり、その延長線上として性的欲求も抱いている。ベリンダはそれが気に入らなかったのだろう。話しかけられても、無視し続けるくらいに。

「俺、がんばるから。ベル姉とこんなふうに暮らせたらそれでいいよ。ほかは望まないから、傍にいさせて」

 ファルクの切実な口調は、私の心をひどく刺激した。聖女を育てたという手柄が欲しいだけの神官に、愛情を求めていたあの頃の私に似ている。

「……今のところ、私もあなたが傍にいて欲しいと思うわ」

 当事者意識のない私としては、可哀想なファルクを慰めたかった。
でも、泥沼の関係にわざわざいることはない、あなたを好きになる女性は世の中にいくらでもいる、例えば私のような、とも言ってあげたかった。

「ほんと?」

 ファルクは希望を見いだしたように、また尻尾を持ち上げる。

「でも記憶が戻ったらどうかわからない」
「ああ、うん……」

 弄んでいるつもりもないけど、また尻尾が垂れ下がる。素直すぎて、可哀想なのにもっといじめてみたいような、表現し難い気持ちになった。もちろんそこはグッと我慢した。

 しかし、問題はまだあった。入浴のあとに髪を乾かし終え、そろそろ寝ようかとあくびをしながら移動すると、寝室前にクッションが並べられていたのだ。どう見ても、ファルクが今夜もここで寝ようとする準備だ。彼を呼びつけ、厳しく命令する。

「今夜は自分のベッドで寝てよね」
「俺が熟睡してる間にベル姉がいなくならないか不安で」

 彼も私のあとに素早く入浴したので、黒い髪はまだ濡れてしっとりとしていた。より目立った頭上の耳をペタンと哀れに伏せるので、キューン、と仔犬が鼻を鳴らす幻聴すら聞こえるようだ。

「そんなことしない。私が信じられない?」

 まさに今ファルクを騙しているくせに、私は腰に手を当てて信じろと言い放つ。謎の自信だった。

「信じてるよ……」
「じゃあこんなことしないわよね?私を信じないなら、私もファルクの言うことを一切を信じないわ。事ある毎に疑うけれど、いいの?」

 ううっとファルクは言葉にならない声を漏らした。

「わかったよ、ベル姉」

 降参だとばかりに両手を胸のところに上げ、ファルクは尻尾を力なく垂らした。

「ちゃんとベッドで寝るから許して」
「いい子ね」

 私は我慢できず、背の高いファルクの頭に手を伸ばしてよしよしと撫でた。彼が振りまく弟っぽさに、吸い寄せられるような感覚だった。この体に染み付いた記憶かもしれない。ファルクは嬉しそうに目を細め、体を曲げて頭を撫でやすいようにしてくれた。

「おやすみなさい、ファルク」
「うん、ベル姉もいい夢を」

 これでいいのか。
 若干の疑問は残るけれど、姉と弟の演技を続けるのがたぶん、平和への道だ。ベリンダはファルク少年をとんでもない性癖に育てたようだ。


 翌日、私が起きるとファルクが張り切って朝食の用意をしていた。ベッドでよく眠れたのか、爽やかな笑顔を浮かべる。チラッと見える犬歯がかわいらしかった。

「おはよう、起きた?今じゃがいものガレットを焼くから」
「ありがとう……顔を洗ってくるわ」

 ファルクは尻尾を振って、機嫌よさそうにフライパンを温め始める。こんなふうに家事を何でもやってくれる彼に、改めて感謝がこみ上げた。
 よく考えたら、私に家事能力はほとんどないのだ。厳しい聖女教育をされている間、食事は勝手に出てきたし掃除も誰かがやってくれた。旅の間も同様に、誰かに世話をしてもらうばかりだった。

 もしも私がひとりでこの家にいたら、随分散らかしてしまったかもしれない。神聖力を使った浄化で、最低限の衛生は保てるとしても。


 顔を洗って席に座ると、こんがりと焼けたじゃがいものガレットが目の前に置かれる。朝から甲斐甲斐しいことこの上ない。

「おいしそう」
「食べてみないとわからないよ」

 ファルクは謙遜をしたが、祈りを捧げてから食べると、想像通りにおいしかった。外はカリッとして中はホクホクだ。

「おいしい……どうしてこんなに」

 尽くされる生活を捨て、ベリンダは聖女の旅に行けたんだろう。と喉元まで出かかった。ファルクが照れたように頬を指でかく。

「そんなに大した料理じゃないよ。ジャガイモを切って、小麦粉やチーズを入れて丸く焼いただけ」
「でも、私にはできないから」
「やってみたら意外と覚えてて、出来るんじゃないか?」

 残念ながら覚えてるなんてことはない。そもそも知らないのだから。

「ところでファルクは、お仕事はしないの?」
「ベル姉が心配だからしばらく休むよ。当面の生活費くらいはある」
「そう。ならいいわ」

 ファルクが生業にしている魔物を討伐する仕事は、たしか受注制で好きなときにできるものだ。私も無理に危険な仕事をしてもらいたくないので、それ以上は勧めなかった。

 不思議なことに、ずっとファルクに張り付かれて鬱陶しいとも思っていない。彼はとても興味深く、好感の持てる人だから。


 朝食を済ませると、私は早速酒場に卸すドリンク作りを始めた。ファルクに大鍋や秤、どこかに仕舞った材料を出してもらう。そういえば、と薬屋でおまけしてもらったローションを思い出すが、ファルクがどこかに隠したようだ。
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