聖女ですが何も知らない狼獣人をだましています

植野あい

文字の大きさ
23 / 72
踊り子 ベリンダ

23

しおりを挟む
酔っ払いや薬物中毒者なら構わないに限るけれど、うずくまる体はまだ少年の細さがあり、寒さでブルブルと震えていた。

「ねえ、大丈夫?」
「放っといてくれ」

 思わず声をかけると、意外とすぐに反応があった。掠れた声ながら、口調は理性的でしっかりしている。危険がなさそうだったので、彼を好奇心でもってよく観察した。

 褐色の肌に黒い髪の少年の顔は殴られて腫れ上がり、ひどい有様だった。元は白かっただろう薄汚れたシャツと、黒いトラウザーズ。靴は誰かに奪われたのか、裸足だった。それでも貴族が好むようなフリルシャツの仕立てからして、ある程度裕福な層の人間と判断できた。

 あのときの私は多分、調子に乗っていた。飼われていた貴族の屋敷から金目の物を盗んで逃げ出し、家を借りて、自立した人間になれた気がしていた。彼を救ってあげられると勘違いしたのだ。

「行くとこないなら、うちに来なよ」
「……いいから、俺に構うな」

 少年らしいプライドを見せてくるところも、扱いやすそうで好印象だった。私は雨に濡れそぼる彼の尻尾を掴んで引っ張り上げた。

「いたっ……?!」
「あんた、もう取られるものなんか何もないって思ってるんでしょ?危ないよ」
「尻尾が?」
「違う違う。このテウネン通りには、若い男の尻を狙う男だっているんだから」
「は? 尻……?!」

 意味がわかった彼が嫌悪を表し、少し口を開く。歯は白くて健康そうだった。腫れ上がった目蓋の下から、煌々とした金色の瞳が覗く。若い女である私を頼るべきか迷っている目つきで、あと一押しだと感じた。

「あんた、私の死んじゃった弟に似てるんだよね……」

 嘘だった。私に弟なんかいない。もしかすると姿をくらませた母親が産んだかもしれないが、褐色肌の獣人と似てるはずもなかった。ただ、相手の気を引くためには、可哀想なふりをするのが最良と知っているだけだった。

「弟が死んだのか?」

 思惑通り、彼の狼の耳がピクンと動き、興味ありげに体を起き上がらせる。

「うん、暴漢に殴られて死んじゃった。だからあんたのこと見過ごせないの。手当してあげるからうちに来なよ」

 彼はしばらく迷いを見せたけれど、結局私に付いて来た。道すがら彼からファルクという、本当かどうかわからない名前を聞いた。訳ありなので嘘をついている可能性もあると思った。

「ファルクはきょうだいがいるの?」

 私自身の親はろくでもなかったし、周囲もそんな人ばかりだけれど、きょうだいで支え合う人は多かった。決して裏切らない存在を持つ人が羨ましくて、他人にきょうだいの有無を尋ねるのが癖になっていた。

「姉がひとり、いた」

 ただでさえ腫れ上がったファルクの顔が、くしゃりと歪む。

「ああそっか、悲しかったね」

 いきなり詳しく聞いては警戒されるかもしれない。私はそれ以上の深掘りは避けて、優しく頭を撫でた。ファルクは黙って、必死に涙を堪えているようだった。

やがて古いながらもそれなりに大きな私の家に着くと、ファルクの泥だらけの足を洗い、傷の手当をした。

 傷がひどくならないうちに消毒をして、高い治療費を払わずに済ませるのが庶民の知恵だ。踊りの練習で足を痛めることもあったので、私は怪我の手当に慣れていた。

 包帯などを巻き終えた頃、帰ってすぐに温め始めたスープが湯気を立てていた。夜食のスープは作り置きがしてあり、時間をかけた分エキスが染み出ている。
 私の唯一の財産とも言える健康を保てるよう、肉や野菜がたっぷり入っているものだ。ファルクが風邪を引かないよう、彼にも当然ながら出した。

「信じられないくらいにおいしい」

 ひと口食べたファルクは、目を潤ませてスープの味を称賛した。

「あらそう?寒いときに温かいものを食べてそう感じてるだけじゃない?」
「それだけじゃないと思う。ベリンダは料理上手なんだな……」

 褒められて顔が熱くなるのを感じた。ファルクの純粋な反応が嬉しかったし、いいことをしたという自画自賛の気持ちもあった。

 弱りきっていたファルクに対し、勝手に自分の少女時代を重ねていたのだろう。
 下心なしで優しく保護してくれる大人は私にはいなかったけれど、自分がそうなれたことが誇らしい。つらかった思い出を消化できそうだった。

 彼にソファで寝られるよう毛布を貸し、私は自分の寝室のドアにつっかえ棒をして眠った。取られるようなものは特にないし、勝手に出ていくならそれでいいと思っていた。

 昼過ぎに起きた私は、居間で所在なさげに佇むファルクの顔を見て、複数の意味で驚いた。

「あんたまだいたの……かわいい顔してたんだね。その顔なら本気でお尻が危なかったわ。ていうか腫れが引くの早すぎない?」
「獣人だから」

 照れくさそうに答えにならない答えを返し、ファルクは俯いた。睫毛が長く、鼻筋がスッと通った美少年はキュルル、とお腹を鳴らした。

「お腹空いたの?まあ昨日のあれだけじゃ足りないよね」
「……」
「待ってて、今朝ごはん作るよ」
「ごめん、俺、お金持ってなくて」
「そんなのいいよ」

 少年ひとりに数回ご飯を食べさせるくらいの余裕は私にもあった。折角だから、と贅沢なパンケーキの用意を始めた。

「食べたら出ていってね」

 私の宣告に、ファルクは悲しそうに耳を伏せた。

「でも俺、ベリンダに恩返しがしたい」
「家に帰ればいいじゃない。両親が心配してるよ」

 少年を諭すことも大人の務めだと思っていた。それに、下心はなかったものの家に帰ってお礼を持ってきてくれるのなら、それはそれでありがたい話だ。

「……俺は帰れないんだ」
「よくわかんないけど、こんなところにいてもファルクのお姉さんは喜ばないと思うよ」
「そんなことない。ここなら安全だから。実は俺、ヴァントデンから逃げてきたんだ」
「は?厄介ごとに私を巻き込まないでよ」

 隣国から逃げてきたと言われ、私は泡だて器を持ったまま身構えた。ファルクはダッと私の前に駆け寄り、上目遣いで見つめてきた。その頃の彼はまだ私より、ほんの少し身長が低かった。

「お願いします。ここでしばらく匿ってください」
「ちょっとやめて……私は危険なことに関わりたくないの」
「それは大丈夫。俺がこの国にいる限り、危険はない」
「どういうこと?」
「聞かないほうがいい。だけど絶対に、ベリンダに迷惑をかけることはないと誓うから」

 ファルクの曇りなき眼が、嘘はないと真っすぐに私を射抜く。葛藤があった。助けを求める少年を放り出し、自分の身の安全を最優先にするべきか、自分の良心に従うべきか。

 結局、私はファルクを助けることにした。
 私はまともな良い人間になろうとあがいていたから、ファルクを放り出せはしなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

永遠の十七歳なんて、呪いに決まってる

鷹 綾
恋愛
永遠の十七歳―― それは祝福ではなく、三百年続く“呪い”だった。 公には「名門イソファガス家の孫娘」として知られる少女キクコ。 だがその正体は、歴史の裏側で幾度も国を救ってきた不老の元聖女であり、 王家すら真実を知らぬ“生きた時代遺産”。 政治も権力も、面倒ごとは大嫌い。 紅茶と読書に囲まれた静かな余生(?)を望んでいたキクコだったが―― 魔王討伐後、王位継承問題に巻き込まれたことをきっかけに、 まさかの王位継承権十七位という事実が発覚する。 「……私が女王? 冗談じゃないわ」 回避策として動いたはずが、 誕生した新国王アルフェリットから、なぜか突然の求婚。 しかも彼は、 幼少期に命を救われた“恩人”がキクコであることを覚えていた―― 年を取らぬ姿のままで。 永遠に老いない少女と、 彼女の真実を問わず選んだ自分ファーストな若き王。 王妃になどなる気はない。 けれど、逃げ続けることももうできない。 これは、 歴史の影に生きてきた少女が、 はじめて「誰かの隣」を選ぶかもしれない物語。 ざまぁも陰謀も押し付けない。 それでも―― この国で一番、誰よりも“強い”のは彼女だった。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...