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王弟妃 ベリンダ
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城砦の外側には手つかずの森が広がっている。私は、どこまでも続く針葉樹の深い緑の奥に目を凝らした。
豆粒のように霞む小さな点が少しずつ大きくなり、見えてきたのは帰還するヴァントデンの獣人兵たち。その最後方にいるファルクこそ、私の待ち人だ。
ヴァントデン国は、国土の半分以上が森林地帯だとファルクが教えてくれた。森からの恵みによって川に栄養が流れ、海が豊かになるという。自然と共生する獣人の国、それがヴァントデンだ。
ただし、人に危害を与える魔物は即討伐しなければならない。放っておけば魔物は魔物同士で争い、捕食し合う。食物連鎖を繰り返すうち、体内の魔素が濃厚になり、より強い魔物に変化してしまう。
そうなる前に、小さめで弱い魔物の数を減らすのがヴァントデンという国の体制だ。だから、強い力を持つ者が尊敬される。
私とファルクは、最も魔物が多いホザ城砦に滞在していた。ファルクの『逃げ出した臆病者』の汚名を雪ぐべく、活動を続けているのだ。
「本日も魔物討伐、ご苦労様でした」
正門の前、階段上から私は声を張る。すっかりお馴染みとなり、整列する彼らのため、私は癒しの神聖力を辺り一面に広げた。目には見えない力によって傷と疲労がみるみるうちに治ると、戦闘後の興奮も冷めやらぬ彼らは雄叫びをあげる。
「ベリンダ王弟妃殿下に感謝申し上げます!」
「ありがとうございます!」
ベリンダ王弟妃殿下、なんて呼ばれるのにはまだ慣れない。けれど狼の獣人兵たちが一斉に尻尾を振るのは壮観だった。
人間より傷の治りが早い獣人の彼らは、よほど重傷でなければ自然治癒に頼ってきたという。ヴァントデン国の神官が希少というのもあるらしい。でも、生命誰だって痛みを長く感じていたくはないだろう。
獣人相手には神聖力を隠しきれないのもあり、私は開き直って神聖力の大盤振る舞いしていた。
おかげで、皆からの評判はいい。隣国の人間、しかも平民出身であっても、受け入れられてきたかなと思うこの頃だ。
兵たちの治癒を終えた私は、疲労を隠して建物の中へと身を隠した。そこには私の世話を焼いてくれる侍女のローズがいる。やはり狼の獣人で、褐色の肌に銀髪の大柄な人だ。
「ベリンダ様、大丈夫ですか?」
「ええ、問題ありません」
「お疲れでしょうから、休憩して下さい。さあこちらに」
彼女は心配そうな顔つきで、私を支えようとする。今までに何度もふらついたのを知っているせいだろう。
「大丈夫ですよ」
本当は疲れていたけれど、私は強がる。ベリンダの身体であるため、どうしても以前のようには神聖力を扱えなかった。
暇を見つけては瞑想したり、暗闇での鍛錬をしてみたけれど、まるで全身の毛穴が塞がっているみたいでもどかしい。
やはり世間で言われている通り、神聖力は幼いうちに修行しなければ上手くいかないものなのだろう。
それでも私は、限界までがんばらなければ落ち着かなかった。心から休暇を楽しめたのは、ベリンダと離れたばかりのあの数日だけだ。
あんなに嫌だった聖女の義務だけれど、結局はこの力を人々のために使っていないと、私はうまく息ができない。アストエダムで神聖力を込めたドリンクを売ろうとして聖騎士に捕まりかけたのも、きっとそのせいだ。
「あ、王弟殿下がこちらにいらっしゃいますよ」
ローズが敏感な嗅覚と聴覚で、ファルクの接近を知らせてくれる。すぐに廊下の曲がり角から、鎧を着たファルクが姿を見せた。先ほどは整列する兵士たちの最後尾にいたから遠かったけれど、駆けつけてくれたようだ。
「アルミナ、大丈夫か?」
ヴァントデンに戻り、王族として復帰した彼は急激に威厳を身に着けた。褐色の肌と漆黒の髪はより雄々しく、金色の双眸は鋭さを増した。18歳ともなれば普通は身長の伸びも止まり始めるけれど、さらに伸びた気さえする。
「大したことじゃないわ。妃としてこのくらい、当然の務めじゃない?」
私はファルクが近くに来てくれた嬉しさで、自然と笑顔になる。朝に出発してから半日しか離れていないのに、再会の喜びに胸がいっぱいなのもおかしかった。
ローズに代わってファルクが私の手を取る。大きくて、温かい彼の手こそ幸せの源泉という感じがした。
彼の眼差しが和らぎ、私に微笑む。
「いつもありがとう、アルミナ」
ファルクだけは私を本名で呼ぶ。愛称、ということで押し通していた。アストエダムの聖女アルミナの名前はこちらでも有名らしいが、魂の入れ替わりなんて、馬鹿らしくて誰も考えたりしない。だから全く問題はなかった。
「ううん、私とファルクは一心同体なんだから」
「そう言ってくれて嬉しいよ。俺は毎日、どの瞬間も思うんだ。アルミナに出会えてよかった」
「ファルク……!私もそう思うの」
甘い雰囲気を察したのか、ローズは静かに離れていく。よく見ると、ファルクが尻尾であっちへ行けとばかりに合図をしていたのだった。この国の人たちは、言葉以外でやり取りする情報がとても多い。
ただ、この鋭すぎる感覚のせいで私とファルクは『行き着くところまで行った仲』と見なされている。そして結婚までしてしまったのだ。
ファルクの叔父、ユルゲン閣下がテキパキと式の準備などを手配して、どうにも止めきれなかった。最初は浮かれていた私でさえ、ちょっとまずいかなと正気に返るくらい盛大な式を挙げてしまった。国内外に通達された覆せない事実だ。
半年後に迫る約束の日を思うと、実は少しお腹が痛くなる。ベリンダは、妊娠以外は何をしてもいい、と言ってくれたけれど結婚も普通に考えてダメだろう。
憂鬱を疲れのせいにして、私はファルクに寄りかかった。
「どうした?」
「こうしてたいの」
「そうか」
必要以上にいちゃつきながら、お茶の用意があるいつもの応接室へと向かった。
豆粒のように霞む小さな点が少しずつ大きくなり、見えてきたのは帰還するヴァントデンの獣人兵たち。その最後方にいるファルクこそ、私の待ち人だ。
ヴァントデン国は、国土の半分以上が森林地帯だとファルクが教えてくれた。森からの恵みによって川に栄養が流れ、海が豊かになるという。自然と共生する獣人の国、それがヴァントデンだ。
ただし、人に危害を与える魔物は即討伐しなければならない。放っておけば魔物は魔物同士で争い、捕食し合う。食物連鎖を繰り返すうち、体内の魔素が濃厚になり、より強い魔物に変化してしまう。
そうなる前に、小さめで弱い魔物の数を減らすのがヴァントデンという国の体制だ。だから、強い力を持つ者が尊敬される。
私とファルクは、最も魔物が多いホザ城砦に滞在していた。ファルクの『逃げ出した臆病者』の汚名を雪ぐべく、活動を続けているのだ。
「本日も魔物討伐、ご苦労様でした」
正門の前、階段上から私は声を張る。すっかりお馴染みとなり、整列する彼らのため、私は癒しの神聖力を辺り一面に広げた。目には見えない力によって傷と疲労がみるみるうちに治ると、戦闘後の興奮も冷めやらぬ彼らは雄叫びをあげる。
「ベリンダ王弟妃殿下に感謝申し上げます!」
「ありがとうございます!」
ベリンダ王弟妃殿下、なんて呼ばれるのにはまだ慣れない。けれど狼の獣人兵たちが一斉に尻尾を振るのは壮観だった。
人間より傷の治りが早い獣人の彼らは、よほど重傷でなければ自然治癒に頼ってきたという。ヴァントデン国の神官が希少というのもあるらしい。でも、生命誰だって痛みを長く感じていたくはないだろう。
獣人相手には神聖力を隠しきれないのもあり、私は開き直って神聖力の大盤振る舞いしていた。
おかげで、皆からの評判はいい。隣国の人間、しかも平民出身であっても、受け入れられてきたかなと思うこの頃だ。
兵たちの治癒を終えた私は、疲労を隠して建物の中へと身を隠した。そこには私の世話を焼いてくれる侍女のローズがいる。やはり狼の獣人で、褐色の肌に銀髪の大柄な人だ。
「ベリンダ様、大丈夫ですか?」
「ええ、問題ありません」
「お疲れでしょうから、休憩して下さい。さあこちらに」
彼女は心配そうな顔つきで、私を支えようとする。今までに何度もふらついたのを知っているせいだろう。
「大丈夫ですよ」
本当は疲れていたけれど、私は強がる。ベリンダの身体であるため、どうしても以前のようには神聖力を扱えなかった。
暇を見つけては瞑想したり、暗闇での鍛錬をしてみたけれど、まるで全身の毛穴が塞がっているみたいでもどかしい。
やはり世間で言われている通り、神聖力は幼いうちに修行しなければ上手くいかないものなのだろう。
それでも私は、限界までがんばらなければ落ち着かなかった。心から休暇を楽しめたのは、ベリンダと離れたばかりのあの数日だけだ。
あんなに嫌だった聖女の義務だけれど、結局はこの力を人々のために使っていないと、私はうまく息ができない。アストエダムで神聖力を込めたドリンクを売ろうとして聖騎士に捕まりかけたのも、きっとそのせいだ。
「あ、王弟殿下がこちらにいらっしゃいますよ」
ローズが敏感な嗅覚と聴覚で、ファルクの接近を知らせてくれる。すぐに廊下の曲がり角から、鎧を着たファルクが姿を見せた。先ほどは整列する兵士たちの最後尾にいたから遠かったけれど、駆けつけてくれたようだ。
「アルミナ、大丈夫か?」
ヴァントデンに戻り、王族として復帰した彼は急激に威厳を身に着けた。褐色の肌と漆黒の髪はより雄々しく、金色の双眸は鋭さを増した。18歳ともなれば普通は身長の伸びも止まり始めるけれど、さらに伸びた気さえする。
「大したことじゃないわ。妃としてこのくらい、当然の務めじゃない?」
私はファルクが近くに来てくれた嬉しさで、自然と笑顔になる。朝に出発してから半日しか離れていないのに、再会の喜びに胸がいっぱいなのもおかしかった。
ローズに代わってファルクが私の手を取る。大きくて、温かい彼の手こそ幸せの源泉という感じがした。
彼の眼差しが和らぎ、私に微笑む。
「いつもありがとう、アルミナ」
ファルクだけは私を本名で呼ぶ。愛称、ということで押し通していた。アストエダムの聖女アルミナの名前はこちらでも有名らしいが、魂の入れ替わりなんて、馬鹿らしくて誰も考えたりしない。だから全く問題はなかった。
「ううん、私とファルクは一心同体なんだから」
「そう言ってくれて嬉しいよ。俺は毎日、どの瞬間も思うんだ。アルミナに出会えてよかった」
「ファルク……!私もそう思うの」
甘い雰囲気を察したのか、ローズは静かに離れていく。よく見ると、ファルクが尻尾であっちへ行けとばかりに合図をしていたのだった。この国の人たちは、言葉以外でやり取りする情報がとても多い。
ただ、この鋭すぎる感覚のせいで私とファルクは『行き着くところまで行った仲』と見なされている。そして結婚までしてしまったのだ。
ファルクの叔父、ユルゲン閣下がテキパキと式の準備などを手配して、どうにも止めきれなかった。最初は浮かれていた私でさえ、ちょっとまずいかなと正気に返るくらい盛大な式を挙げてしまった。国内外に通達された覆せない事実だ。
半年後に迫る約束の日を思うと、実は少しお腹が痛くなる。ベリンダは、妊娠以外は何をしてもいい、と言ってくれたけれど結婚も普通に考えてダメだろう。
憂鬱を疲れのせいにして、私はファルクに寄りかかった。
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