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第8話:砕ける乾いた音
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窓の外では、夏を告げる蝉の声が降り注ぎ、教室の空気は熱気を帯びていた。しかし、あの放課後、月山栞に疑念の目を向けられて以来、八雲と彼女の間の空気だけは、まるで張り詰めた氷のように冷え切っていた。彼女が差し伸べてくれたかもしれない和解の糸を、自ら断ち切ってしまった後悔が、じりじりと心を蝕む。隣の席で顔を合わせるたびに、息が詰まる思いだった。
追い打ちをかけるように、あれほど頻繁だった「月の雫」からのDMが、あの日を境にぷっつりと途絶えた。多忙なだけだろうと思おうとしても、一度芽生えた疑念は黒い染みのように広がる。(やはり、あの時の俺の言葉から何かを確信したのか…? シグレの身元を、今も探っているんじゃ…?)スマートフォンが通知を告げるたびに心臓が跳ね、それが無関係なものであると知るたびに、言いようのない焦燥感に駆られた。シグレとしてのか細い繋がりだけが、今の彼の唯一の支えだった。
放課後。八雲は重い足取りで帰り支度を終え、逃げるように教室を出た。むっとするような熱気がこもった廊下を歩きながら、彼は吸い寄せられるようにスマートフォンを取り出す。西日が差し込み、床の埃をきらきらと照らし出している。周囲への注意が散漫になるのも構わず、震える指で「シグレ」のアカウントを開いた。万が一、DMが来ているかもしれない。そんな淡い期待は、しかし、すぐに打ち砕かれる。通知はない。落胆のため息をつきながら、彼は画面に没頭したまま、無意識に歩を進めた。
その時、前方からひときわ明るく賑やかな話し声が近づいてきた。はっと顔を上げた瞬間、八雲の体は凍りついた。角を曲がった先に、栞が友人たち数人と楽しそうに話しながらこちらへ歩いてくるのが見えた。まずい、と思った時にはもう遅い。(このアカウントだけは…!)
「あ、柳田く…」
栞が何かを言いかけるのと、八雲がパニックでスマートフォンを隠そうとするのは、ほぼ同時だった。
だが、焦りが指先を狂わせた。彼の指から滑り落ちたスマートフォンが、宙を舞う。
パリン!
廊下に響いたのは、ガラスが砕ける乾いた音だった。床に叩きつけられた端末は、数回跳ね、画面を下にして静止する。一瞬の静寂。栞と友人たちの驚いたような視線が、床のスマートフォンと、顔を真っ赤にして固まる八雲との間を行き来するのが分かった。
「わっ! 大丈夫!?」
友人の一人が、素っ頓狂な声を上げる。羞恥とパニックで頭が真っ白になった。なぜいつもこうなのだ。なぜ彼女の前で、これほど無様な姿ばかりを晒してしまうのか。
「あ、あの、だ、大丈夫、なんで、なんでもない、です! き、気に、しないで、くださいっ!」
八雲はどもりながら、誰の目も見ずに叫んだ。敬語とタメ口が混ざった支離滅裂な言葉が、上擦った声で廊下に響く。カタカタと震える手で床のスマートフォンをひったくると、何かに追われるように、つまずきそうになりながらその場から逃げ出した。
残された栞と友人たちは、あっけにとられて顔を見合わせていた。
「今の、何…? 柳田くん、スマホ大丈夫かな」
「ていうか、態度ヤバくない? いきなり叫んで逃げ出すなんて、正直引いちゃった…」
「ね。スマホは可哀想だけど、あそこまでパニックにならなくても。こっちがびっくりするよ」
友人たちの言葉に、栞は頷きもせず、ただ静かに八雲が走り去った廊下の先を見つめていた。その表情からは先ほどの驚きは消え、まるでパズルのピースを組み合わせるように、何かを深く考え込んでいるようだった。
全てが終わった。砕けた画面のように、もう二人の関係は修復不可能だ――絶望的な確信が、八雲の心を支配した。
自室のベッドに倒れ込み、八雲はぼんやりと天井を見上げていた。机に放置したスマートフォンは、見る気にもなれない。自己嫌悪が、暗い沼のように彼を飲み込んでいく。
その時、机の上で微かな振動音と光が漏れた。着信だ。画面は蜘蛛の巣状に割れ、一部は黒く滲んでいる。それでも、通知のポップアップはかろうじて読み取れた。
『月の雫 (@moon_drop_915) : シグレさん、こんばんは。最新話を読み返していて、どうしても気になることができたんです。少しだけ、お時間いいですか?』
八雲はベッドから跳ね起きた。割れた画面に表示されたその名前に、彼の心臓は信じられないという思いと、新たな恐怖とで、激しく鼓動を刻み始めた。
追い打ちをかけるように、あれほど頻繁だった「月の雫」からのDMが、あの日を境にぷっつりと途絶えた。多忙なだけだろうと思おうとしても、一度芽生えた疑念は黒い染みのように広がる。(やはり、あの時の俺の言葉から何かを確信したのか…? シグレの身元を、今も探っているんじゃ…?)スマートフォンが通知を告げるたびに心臓が跳ね、それが無関係なものであると知るたびに、言いようのない焦燥感に駆られた。シグレとしてのか細い繋がりだけが、今の彼の唯一の支えだった。
放課後。八雲は重い足取りで帰り支度を終え、逃げるように教室を出た。むっとするような熱気がこもった廊下を歩きながら、彼は吸い寄せられるようにスマートフォンを取り出す。西日が差し込み、床の埃をきらきらと照らし出している。周囲への注意が散漫になるのも構わず、震える指で「シグレ」のアカウントを開いた。万が一、DMが来ているかもしれない。そんな淡い期待は、しかし、すぐに打ち砕かれる。通知はない。落胆のため息をつきながら、彼は画面に没頭したまま、無意識に歩を進めた。
その時、前方からひときわ明るく賑やかな話し声が近づいてきた。はっと顔を上げた瞬間、八雲の体は凍りついた。角を曲がった先に、栞が友人たち数人と楽しそうに話しながらこちらへ歩いてくるのが見えた。まずい、と思った時にはもう遅い。(このアカウントだけは…!)
「あ、柳田く…」
栞が何かを言いかけるのと、八雲がパニックでスマートフォンを隠そうとするのは、ほぼ同時だった。
だが、焦りが指先を狂わせた。彼の指から滑り落ちたスマートフォンが、宙を舞う。
パリン!
廊下に響いたのは、ガラスが砕ける乾いた音だった。床に叩きつけられた端末は、数回跳ね、画面を下にして静止する。一瞬の静寂。栞と友人たちの驚いたような視線が、床のスマートフォンと、顔を真っ赤にして固まる八雲との間を行き来するのが分かった。
「わっ! 大丈夫!?」
友人の一人が、素っ頓狂な声を上げる。羞恥とパニックで頭が真っ白になった。なぜいつもこうなのだ。なぜ彼女の前で、これほど無様な姿ばかりを晒してしまうのか。
「あ、あの、だ、大丈夫、なんで、なんでもない、です! き、気に、しないで、くださいっ!」
八雲はどもりながら、誰の目も見ずに叫んだ。敬語とタメ口が混ざった支離滅裂な言葉が、上擦った声で廊下に響く。カタカタと震える手で床のスマートフォンをひったくると、何かに追われるように、つまずきそうになりながらその場から逃げ出した。
残された栞と友人たちは、あっけにとられて顔を見合わせていた。
「今の、何…? 柳田くん、スマホ大丈夫かな」
「ていうか、態度ヤバくない? いきなり叫んで逃げ出すなんて、正直引いちゃった…」
「ね。スマホは可哀想だけど、あそこまでパニックにならなくても。こっちがびっくりするよ」
友人たちの言葉に、栞は頷きもせず、ただ静かに八雲が走り去った廊下の先を見つめていた。その表情からは先ほどの驚きは消え、まるでパズルのピースを組み合わせるように、何かを深く考え込んでいるようだった。
全てが終わった。砕けた画面のように、もう二人の関係は修復不可能だ――絶望的な確信が、八雲の心を支配した。
自室のベッドに倒れ込み、八雲はぼんやりと天井を見上げていた。机に放置したスマートフォンは、見る気にもなれない。自己嫌悪が、暗い沼のように彼を飲み込んでいく。
その時、机の上で微かな振動音と光が漏れた。着信だ。画面は蜘蛛の巣状に割れ、一部は黒く滲んでいる。それでも、通知のポップアップはかろうじて読み取れた。
『月の雫 (@moon_drop_915) : シグレさん、こんばんは。最新話を読み返していて、どうしても気になることができたんです。少しだけ、お時間いいですか?』
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