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しんげきの章
第五十四話:殲滅の号砲
しおりを挟むオーヴィス国の聖都を包囲するべく、駐留拠点の街に集められていた魔族軍の駐留部隊凡そ二千。その指揮を預かる総司令官は『今直ぐ総攻撃に出るか、さもなくば撤退すべきである』と進言する魔術士部隊――攻魔隊の隊長に、困惑の表情を向けていた。
熟考しているのか呆気にとられたのか、沈黙する総司令官の代わりに、副指令が一言告げる。
「失礼だが貴殿、気は確かか?」
「私は正気だ! あれはただの魔法の矢では無い。早くあの攻撃を止めるか、範囲から逃れさせるかしなければ、突剣隊の中央陣が壊滅するぞ!」
全軍の正面、横陣の最前列でやや突出した位置に居並ぶ突剣隊の中央陣は、魔族軍でも平均的な能力を持つ歩兵三百人ほどで構成された部隊だ。
兵士一人一人が人類軍の凡庸な騎士団長程度の戦闘力を有し、魔法の腕も基本以上の術を一通り扱えるだけの実力がある。
今も、人類軍の最終兵器と謳われる伝説の聖女が放った異常な飛距離を誇る魔法の矢を、兵士達が各個人で展開する魔法障壁で難なく弾き返し続けている。
街道の先に陣取る聖女の部隊は、多く見積もっても戦闘員は二十人程度の小規模部隊。
凡そ百分の一の戦力しか無い相手に、総攻撃は兎も角として撤退を進言する意味が分からないと、副司令官はかぶりを振る。
しかし、この先発部隊の中でもそれなりに功績を持つ攻魔隊の部隊長が、ここまで必死に訴える以上、単なる世迷い言と切り捨てるのは憚られる。沈黙していた総司令官は、静かに訊ねた。
「君がそう主張する、具体的な理由を述べたまえ」
「!……バラ撒き型の魔法の矢は、放たれてから目標地点に到達するまでに三段階に分かれます」
根拠を示すよう求められた攻魔隊の隊長は、もどかしそうに表情を歪めながらも、基本的な魔法の矢の特徴について説明する。
目標を定めて放つ通常の魔法の矢は、集中を続ける限り狙った対象に誘導される。その為、一本の魔法の矢に込められた魔力も多く、威力は距離や時間で減衰するが高めだ。
一方、特定の対象を狙わず、大まかな射撃地点を決めて放つ魔法の矢は飛翔中に分裂を繰り返し、三倍から五倍ほどの数に増えて降り注ぐ。増加具合は込められた魔力量に依存する。
一段階目は実際に放たれた数の魔法の矢で、残りカスのような先端部分。
二段階目は、その魔法の矢から後方に分裂して増えた短矢状の部分で、最も威力が高くなる。
三段階目は更に分裂して小さな飛礫のようになった魔力の塊で、威力は多少落ちるものの、数が一番多くなる。
「そしてあの聖女は、最初の攻撃をまだ放ち切っていない!」
「うん? どういう意味だ?」
「放っている最中の矢の先端が届いているのですよ! つまり現状、突剣隊の中央陣は、聖女の手から離れていない魔法の矢で直接攻撃を受けているようなものなのです!」
その状態であの異常な数の魔法の矢。放ち切るとそこから分裂が始まり、威力も上がる。
魔法障壁を維持するにも魔力や体力を使うので、攻撃を防ぎ続けていれば当然、消耗して動きが鈍る。そうなってからでは遅い。防ぎ切れなくなってからでは、退避も出来なくなる。
攻魔隊の隊長は懇々と訴えるが、説明された総司令官達はイマイチ意味が分からないという顔で困惑している。
「放った魔法の矢の先端が届いている云々の部分は良く分からぬが、既に弾き返されている矢がそこからいくら分裂しようと、別に危険はないのではないか?」
確かに飛距離と量は驚異的だがと返す副指令官に、攻魔隊の隊長はついに声を荒げた。
「違う! "放ち切ってない"! 届いている魔法の矢は、"未だ聖女の手を離れていない"のだ!」
要は、聖女達が陣取る位置からこの距離まで伸びた異様に長い魔法の矢の先端が突剣隊の中央陣に突き付けられ続けている状態。届いた魔法の矢は先端が障壁に弾かれていても、まだ矢柄部分が可視化されていないだけで残っているのだ。凡そ200メートル以上の魔法の矢束が。
「それが放ち切られて拡散状態に入れば――」
その時、彼等のやり取りを所在無さげに見ていた中継基地砦の指揮官と補佐官が、揃って声を漏らした。
「「あ……」」
総司令官達に呼び出されて中継基地砦を放棄した経緯の説明をした後、放置されていた彼等は、攻魔隊の隊長が訴える内容を聞いて聖女部隊の動向にも注目していたのだが、たった今、その聖女が湛えていた魔力の光が空へ昇って行くのを目撃した。魔法の矢を放ち切ったのだろう。
二人の声に反応して総司令官達も聖女部隊を振り返り、攻魔隊の隊長が呟いた。
「……ああ、遅かった」
それまで一本が長く引き伸ばされ過ぎたせいか、目視出来ていなかった魔力の塊である魔法の矢の矢柄部分が、分裂して短矢状になった事で個々に纏まった魔力が再び光を帯びて可視化される。
突剣隊の中央陣に降り注いでいた魔法の矢は急激にその数を増やし、光点が空を覆わんばかりに広がって行く。それは、最前列の突剣隊どころか、布陣する駐留軍全体を範囲に捉えていた。
攻魔隊の隊長が説いた推察もまだ甘かったのだ。即座にそれを認識した総司令官は、少しでも被害を抑えるべく直ちに命令を下す。
「ぜ、全軍! 後退――いや、散開! 対空障壁を展開しつつ散開せよ! 騎獣部隊は突撃準備!」
聖女部隊の馬車の屋根の上にて、かなり入念に練り込んだ魔法の矢を放ち切った呼葉は、一息吐きながら腕を下ろす。ずっと魔弓を構えたまま上を向いていたので、肩と腰が少し疲れた。
街道の先、国境付近の街を背にずらりと陣を張る魔族軍に向けて、今し方放った魔法の矢が範囲を広げながら飛んで行く様子を、呼葉は馬車の屋根に腰を下ろしながらしばしぼぅっと見つめる。
それはまるで、夜空にパッと広がる巨大花火のようだった。
「コノハ殿、大丈夫ですか?」
「うん、まだ何ともないよ」
馬車の窓から身を乗り出して声を掛けて来るアレクトールに、呼葉は肩を竦めて見せる。戦いは始まったばかりだ。が、恐らく今の一撃で工程の四分の一くらいは終わる筈だと推測する。
やがて、前方からズアアアンッという轟音が響いて来た。
聖女の魔力と宝珠の魔弓の効果に祝福効果も重ねて数百発の魔法の矢を放ち、更に分裂拡散する量にも祝福が乗って数千発という規模に膨れ上がった魔法の矢が、一斉に降り注いだのだ。
濛々と、不規則に膨らみながら舞い上がる砂塵が、魔族軍の布陣していた一帯を覆い隠す。その向こうに聳える街の防壁すら見えなくなった。
魔法の矢を放ち切った後に、それぞれ綺麗な陣形を組んでいた魔族軍が、ぶわっと広がるような動きを見せたので、散開して回避しようとした事が推察される。
魔族軍の指揮官の判断は正しいと、呼葉は内心で評価した。ばら撒き型の魔法の矢は、分裂した第二段階が一番威力が高くなるという。
練りに練った魔力に祝福効果も付与した魔法の矢。その攻撃力は、魔族軍の一般兵が張る程度の魔法障壁など易々と貫通する。
少し晴れて来た砂煙の向こうに見え隠れする魔族軍の様子を窺えば、今の攻撃で全軍の三分の一ほどを失ったらしく、大混乱に陥っていた。
「思ったより巻き込めたかな」
そう呟いて立ち上がった呼葉は、宝珠の魔弓を構えて第二射目の準備に入りつつ、部隊に指示を出しておく。
「多分、次で向こうの騎兵が邪魔しに来るか、撤退するかもしれないから、パークスさん達は迎撃準備。敵が撤退を始めたら突撃して乱戦に持ち込んで。後の指揮は最初に決めた通りに」
「了解だ!」
「承知しました」
「了解した」
傭兵隊長のパークス、参謀クレイウッド、纏め役がほぼ確定したクラード将軍らがそれぞれ返答する。それを確認しながら、呼葉は魔弓に魔力を籠め始めた。
呼葉の第二射準備に気付いたのか、混乱を立て直し始めていた魔族軍は直ぐに動いた。魔術士隊と思しきローブ姿の集団が一塊になって、何か大きな魔術を行使しようとしている。
同時に、魔獣に騎乗した騎兵隊が突撃を開始。そして指揮部隊らしき中央の一番大きな部隊は、街の方へと後退を始めた。
魔族軍の動きを見たパークスが声を上げる。
「概ね嬢ちゃんの予想通りだな! 騎兵隊には対処出来るが、向こうのでかい魔術には防御手段がねえぞ!」
「攻撃魔術は私が引き受けるよ。相手の撤退に合わせてこっちも突撃しちゃって?」
「了解だ! 野郎共っ、気合い入れろよ!」
陣の最前列で『応!』と気勢を上げる傭兵部隊。やがて騎獣部隊の突撃にタイミングを合わせて、ローブ姿の集団から、数人が協力して放つ大掛かりな魔術が打ち上げられた。
複数の魔力の塊が絡まり合い、蠢きながら飛んで来るそれは、まるで禍々しい生き物のようにも見えた。
呼葉は、魔族軍の中央の部隊に合わせていた魔弓の照準を、その飛翔する魔力の塊に合わせる。
「……射尽くせ!」
宝珠の魔弓から放たれた緑色の光が無数の矢となって広がると、蠢きながら飛んで来る魔力の塊に殺到していった。次々に着弾しては、光の粒子となって四散する魔法の矢。
その内、魔力の塊の一つが突き刺さった魔法の矢と共に弾けて大爆発を起こした。それから連鎖するように、残りの魔力の塊も次々に爆発四散する。
塊一つ辺りの爆発の威力は相当なもので、あの攻撃魔術が近くまで飛んで来て炸裂していたら、聖女部隊は結構な被害を被っていたかもしれない。
「今のも花火みたいね」
魔族軍の強力な攻撃魔術を魔法の矢で迎撃して見せた呼葉は、改めて魔弓を構えると、ローブ姿の集団が居る辺りを狙う。
呼葉が再び遠距離攻撃の態勢に入った事を察したのか、ローブ姿の集団は陣形を乱しながら街の門へと移動し始めた。なりふり構わず速やかな撤退を選んだようだ。
(優秀だなぁ)
彼等をそう評した呼葉は、そのまま魔弓の照準を街門付近に合わせた。
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