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2巻
2-2
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「あら、ご兄弟がいるの?」
「んぐんぐ――うん、三つ上のお兄ちゃんと、一つ下の弟がね」
アネットは「仲いいのー?」とか「ご両親はー?」等とさり気無く朔耶の家族構成を聞き出そうとする。朔耶も、世界を隔てた家族の事を知られても別段困る事は無し、と色々と家族のエピソードを話した。
「へぇー、お父様は工房主をやってるのねぇ。サクヤちゃんの道具作りって、そこから?」
「んー、どちらかと言うとあたしは弟の影響かなぁ。あと武器集めが好きだった幼馴染とか」
詳細はぼかしつつ、元の世界の人間関係を語る朔耶。
そこからアネットが得た情報を纏めるならば、父親は機械技師であり工房主。母親はただの一般民で、兄は闘士から芸術家に転身し、それでいながら地元の傭兵団に所属して稼ぎを得ているという変わり種。弟は哲学者かつ発明家でもあり、近所の幼馴染は武具コレクターという好事家、となる。なかなかに濃い生活環境で育った事が窺えた。
実際は、父親は町の鉄工所を経営する工場主。母は一般庶民で専業主婦。兄は格闘技オタから萌えオタに転身し、現在は地元の警備会社に勤務している。弟は機械弄り好きの理屈屋。幼馴染は防犯グッズや軍用品集めが趣味だった元ミリタリーオタだ。
兄弟と幼馴染の四人で遊ぶ事が多かったため、濃い生活環境というのはおおむね間違っていない。
昼食を終えて士官食堂を後にした朔耶達は、帝都城の下層階に広がる城下街に繰り出した。
「わー、公園みたいな場所はちゃんと空が見えるんだねー」
「一般民の憩いの場だからねぇ。植えてある木なんかは外から持って来てるのよ?」
城内に点在する中庭のような公園には、真ん中辺りに石で囲われた小さな池が設置されており、綺麗に均された土の地面にはわずかだが草木も生えている。
壁際の木椅子に腰掛けた老人が日光浴を楽しみ、池の周りでは子供達が葉っぱで作った舟を浮かべ、海戦ごっこをして遊んでいた。ふーっと息を吹きかけて走らせた葉舟で相手の葉舟に体当たりを仕掛け、沈めたら勝ちらしい。
「山頂の城内で海戦遊びとはこれ如何に」
どこの世界でも、子供達はそこらにある物を使って色々な遊びを考え出すモノなんだなぁと感心しつつ、朔耶は小さな池の中で繰り広げられている海戦の様子を見物する。
「へーかの葉舟はおおきくてずるいよー」
「そうか? 余の執務室にある植物の葉だが」
「ここにある木の葉っぱを使わないとだめー」
ズルッと、朔耶は足を滑らせて転びそうになった。一般民っぽい服装をした銀髪の優男が、子供達に交じって海戦遊びに興じている。
「あー、陛下はたまにああやって下々の民と交流してるのよ」
バルティアを指さしながら困惑顔をする朔耶に、アネットは苦笑しながらそう説明した。若き皇帝陛下は政務の合間にも時折りふらっといなくなる時があるが、大抵はお忍びで下街に来ているそうな。
実は下層階の住人達との交流で得られる抜け道の情報は、彼が監視者の追跡を振り切るのに役立っている。探検好きな子供達は、密偵隊員も把握していないような『塀の上に出来た抜け道』や、路地の途中の古くなった『壁に出来た抜け穴』などを見つけ出す。子供達にしか通れないような場所もままあるが。
公園の葉っぱで作り直したバルティアの葉舟は、子供連合の集中攻撃で敢え無く沈没。自軍の舟を失ったバルティアは、仕方なく執務室に戻って仕事の続きに勤しむ事にしたようだ。
子供達にお菓子を与えたバルティアは、中庭公園と城内の境目付近に立つアネットと朔耶の姿を見つけると、軽く目配せをして去って行った。
アネットは目立たない動きでそっと礼をとり、朔耶は「え? なに?」と目をぱちくりさせる。池の周りでは、子供達が先程使用不可を言い渡した『皇帝の葉舟』の所有権を巡る戦いを始めていた。
なかなか強かな帝都城の子供達であった。
憩いの場を後にした朔耶達は城内市場にやって来た。
ここで売られる工業製品の中には、城内の工房で作られた物の他に余所から仕入れた物もあり、食料もまた定期的に麓の街から城まで竜籠などを使って運び込まれている。
山岳地帯の多い帝国領内では狩猟が盛んで、野菜などの農作物は隣国キトからの輸入に頼っていた。キトと隣接する平野部では作物を育てたりもしているが、それも微々たるものだ。
「この先は繁華街さね。そこから先は春売り通りだけど、見ていく?」
「んー、遠慮しとく」
ここから先は、ちょいと狭い通路――というか路地に入れば少々怪しい商売人がたむろしているという裏通り。表の店では取引できないような商品が扱われていたりする危険地帯だ。
何故お城の中にそんな場所があるのかと問えば、ここは城内といえど多くの一般大衆が暮らす街。一定数の『善良でない人々』の存在は、健全な社会を維持していく上でむしろ欠かせない、いわゆる必要悪として黙認されているとの事だった。
怪しげな通りを見つめながらそんな話をしていた二人に、声をかけてくる者がいた。
「ん? アネット隊員、それにサクヤ殿も、こんな所で何を?」
「あら隊長」
「こんにちは~」
通り脇の路地からぶらりと現れたのは、ガルブレック密偵隊長だった。
朔耶に街を案内していたと説明するアネットに、案内されてましたと繋げて茶目っ気を演出する朔耶。
しかし竜籠の中での術封じの枷の破壊や、謁見の間での電撃攻撃を知る者としては、そんなお茶目な態度にも引き攣った笑みしか返せない。例えば鋭い牙と爪を持つ巨大な魔獣が、子猫のようにじゃれついてきても悪夢にしか思えないように。
「今なんか失礼な事を思われた気がするっ」
「あ、いや……自分は別に」
「ところで隊長はここに何か用事でも?」
自然な流れで話を逸らしてフォローする密偵部隊の頼れる部下、アネットのウィンクに軽く肩など竦めつつ、ガルブレックはその問いに答える。
「側近周りからの依頼でな、書簡の配達さ」
「え、隊長自らですか?」
「機密指定だったからな、それだけ重要な書簡なんだろうさ。詮索はするなよ?」
何気にきな臭い任務内容を話しているが、上層部の偉い人達がこの辺りにいるような下層の脛に傷を持つ者達に汚れ仕事をさせるのはよくある事なので、アネットも「ふーん」で流していた。
朔耶も興味があるのか無いのか、はたまた分かっているのかいないのか、ガルブレック隊長の腰に装備されている帝国の紋章入りの黒いナイフを観察していたりする。
「それでは、俺は上に戻る。……あまり妙な所を案内するなよ?」
「あらぁ、将来陛下の伴侶になるかもしれない御方なのに?」
この国の暗部についても多少は知っておいた方がいいんじゃないのぉ~? と、冗談めかして言ったアネットに、ガルブレック隊長は複雑な表情だけ返して上層階へと戻って行った。
雪山の白い斜面と山頂に聳え立つ灰色の帝都城が茜色に染まる頃。
士官食堂で夕食を済ませて湯浴み場に行き、夜になれば寝るだけという、帝都城での生活サイクルを組み上げた朔耶は、アネットと別れると適当な隠し部屋を探して潜り込んだ。
与えられた上層階の部屋は、とある事情から使わない。
「さてと、今日の締めくくりにレティと交感でも繋ぎますかね」
友人に電話するような気楽さでフレグンス方面に意識の糸を伸ばす。交感の相手、レティレスティアを強く意識する事で彼女の持つ交感能力に触れるのだ。
――サクヤ? ――
『やほーレティ、あたしだよー』
相変わらず攫われた立場にある事を感じさせない明るい調子で交感を繋いできた朔耶に、レティレスティアも落ち着いた様子で応える。
――ああ、サクヤ、待っていましたわ。今日は何だか楽しそうですわね? ――
『うふふー、分かる? 今日はねぇ、お城の中をあっちこっち見て回ったんだよ』
バルティア帝に見初められ、帝都城内での行動がかなり自由になったという話は昨日の内に報告してある。レティレスティアは、どどど、どういうコトですかっ? と初めはかなりの動揺を見せたが、交感から伝わる朔耶の気持ちや思惑を感じ取り、今は落ち着いている。
『まあ当分そっちには帰れそうにないけどね』
――今後も帝国には正式に抗議を続け、サクヤの即時解放と返還を求めていきますわ――
朔耶の身の安全は図られているため、レティレスティアも幾分安心はしている。が、しかし、朔耶が帝都城で割と楽しく過ごしている事を知ったが故に、彼女は帝国への憤りを嫉妬にも似た感情へと変え、決して和らげようとはしなかった。
朔耶はそんなレティレスティアに微妙な気持ちを抱きつつ、彼女を宥めたり、王都の様子を尋ねたりして就寝までの時間を過ごすのだった。
朔耶が帝都城生活に馴染んでいた頃。
王都フレグンスでは、フエルト卿の置き土産である書類、すなわち卿の派閥に与し帝国と繋がっていたと思われる貴族達の名簿の検証が進められるかたわら、城内で行われる『選定の儀』が大詰めを迎えていた。
約四年おきに開かれる、次期宮廷魔術士長を選出する戦いの儀式。行使する魔術が全て光弾に変換される特殊な精霊の腕輪を装着し、己が持つ魔力と魔術運用技術の全てを駆使して競い合う。
この精霊の腕輪の面白いところは、行使されるその魔術がたとえ非戦闘用の術であっても光弾に変換されて飛んでいくという点にある。
放たれた光弾は相手が同規模の威力を持つ光弾を放てば相殺されてしまうので、魔術戦のセンスや経験はどうしても響いてくる。しかし非戦闘型の魔術士でも魔力の大きさと魔術運用技術の力量によって、戦闘型の魔術士に勝ててしまう場合があるのだ。
つまり純粋に魔術士として優れた者が勝ち残れる仕組みになっている。
「――炎は猛り渦巻く大蛇となりて――」
「――風よ水よ集いて凍てつく刃となり――」
本来なら渦巻く炎が大蛇のように対象に絡みつく『炎蛇』と、激突すれば対象に物理的な衝撃とともに冷気によるダメージも与える事が出来る『氷塊』という攻撃魔術が、それぞれ光弾となってぶつかり合う。
『炎蛇』の術者が放った光弾の帯を『氷塊』の光弾が突き破り、『炎蛇』の術者に直撃した。『炎蛇』の術者は、自身の放った術の真っ只中を『氷塊』の術者の光弾が突き抜けてきたためにその軌道が見えず、まともに食らってしまったのだ。この一撃で決着がついた。
「そこまで! 勝者、レイス・チル・アクレイア!」
会場にどよめきと拍手が鳴り響く。そこには「やはりアクレイア家が勝ったか」という納得と感嘆の溜め息も混じっている。
「しかし、アクレイア家の子息にもさすがに落ち着きが見えてきましたな」
「余裕の表れかもしれませんなぁ」
倒れた対戦相手に係の術士達が集まって治癒術を施している中、レイスは壇上で観戦している国王カイゼルと、王妃アルサレナに一礼して戦いの場を後にする。
相手は今回の儀で最も手強い対戦者となりそうだった魔術士系名家の嫡男。以前、朔耶が抜き打ちの魔力測定を行った際、七十四石というレイスに次いで高い魔力値を記録していた男だ。その彼を下し、レイスの優勝はこれでほぼ確実となった。
「お疲れ様でした、レイス様」
「ああ、どうにか勝てたよ」
控え室に戻って来たレイスを、世話役のフレイが労いの笑顔で出迎える。
「明日で最後ですね」
「そうだな。ようやくここまで来た」
だが家の再興はここからが本番である。レイスは選定の儀を勝利で飾り、宮廷魔術士長の座に就いて活動を始めるまでは気を緩めるつもりの無い事を無言のうちに伝える。フレイは若干身体を寂しそうにしながらも、納得したように頷きを返した。
それでも気持ちを確かめ合う事は忘れず、そっとキスを交わす二人。あまり余韻は残さぬようレイスは気持ちを切り替えるべくすぐに別の話題を振った。
「今日は姫様からサクヤの事で何か情報を?」
「はい、変わらず元気にしているそうです」
自身が警護を外れたわずかな隙に朔耶を攫われたとして、責任を感じたフレイはしばらく臥せってしまう程に落ち込んでいた。
その事を気に掛けたレティレスティアが、交感で得たという朔耶の帝国での近況を彼女に教えてくれたのだ。帝国から交感を繋いできた事には、さすがにレティレスティアも驚いているようだったが、そんな彼女から朔耶の無事と帝都でのマイペースっぷりを聞かされたフレイは、塞いでいた気持ちを何とか回復させた。
さらに落ち込んでいる自分を朔耶が心配していたと知り、「嘆いている場合ではない」と気持ちを奮い立たせ、今こうして自分の役割を果たすべくレイスのサポートに動いているのだった。
落ち込んでいる暇があれば、朔耶救出のために何か行動しなければ、と。
「しかし、まさか皇帝の懐柔に動くとは思わなかったが……」
「なんでも、サクヤ様を護る精霊の力が発揮されているとか」
今は選定の儀に集中している事もあってあまり詳しいところまでは聞き及んでいないが、朔耶は帝国で皇帝とのコネ作りに奔走しているという。
帝国領に到着して早々に謁見の間で大立ち回りをやらかし、その騒ぎで皇帝に気に入られたという話なのだが、その凄まじいバイタリティと行動力には、レイスも脱帽であった。
精霊によって異界の地へ単身召喚され、紆余曲折あってようやく生活基盤が整ったと思った矢先に今度は帝国の地へと攫われ、虜の身となっても諦める事無く生き延びるために行動する少女。
レイスは、王都までの旅の途中で朔耶から聞いた言葉を思い出す。
『あたし、この世界の人間じゃないんだ……道具作りは、とりあえず自分を表現できる事をやってないとさ、押しつぶされちゃいそうだからなんだよね』
環境や立場、譬え世界が異なろうとも、自分で在り続けようと足掻く朔耶に、レイスは己の境遇を重ね合わせた。
「一刻も早くフレグンスの情勢を建て直し、帝国からサクヤを取り戻す。そのためにも……フレイ」
「はい、レイスさま。しっかりお手伝い致します」
フレグンスの若き宮廷魔術士長とその補佐になる予定の二人はもう一度抱擁を交わすと、明日、選定の儀の最終日に向けて英気を養うのだった。
翌早朝。帝都城下層階の一角にて。
「なんだ、ここで寝ていたのか」
バルティアが隠し部屋の一つを訪れると、朔耶がベッドの上でごろごろしていた。
「何よ、ここもあんたの寝室?」
「城の隠し部屋はほとんど余の寝室にしているな。まだ見つけていない部屋もあるだろうが」
「隠し部屋だらけなのね、この城って……なんか嫌な感じのする部屋もあったけど」
朔耶は普通に歩きながら意識の糸を使って壁の向こうや天井、床下などを探る事が出来るので、隠し部屋らしき空間があればすぐに見つける事が出来る。
たまにあまり近付きたくない空気を漂わせた部屋もあったが、そういう部屋は隠し部屋というよりも、通常の部屋をわざわざ塗りこめて閉鎖したと思われる場所だった。
「余の状況を考えれば分かるとは思うが、色々表に出せないモノも多いのだ、この城は」
部屋ごと封印してしまうような陰惨な事件も珍しくなかったと説明され、朔耶は若干眉をひそめる。
(まさか精霊が騒いでるのって、そういうのの自縛霊みたいなのがいっぱいいるとかのせいじゃないでしょうね……)
朔耶は王都フレグンスの街中で白昼堂々馬車ごと攫われ、この帝都城まで連れて来られたのだが、途中竜籠の中であった一騒動のあたりから次第に自分の中の精霊がざわめき始め、さらにたくさんの精霊が朔耶のもとに寄って来ては力の使い方を教えていくという不思議な経験をした。
あまりに多くの精霊が集まって来るため、レティレスティアに自分の無事を知らせるべく伸ばした意識の糸に精霊が引っ掛かりまくってしまい、交感を繋げられなくなる程だった。今はそんな精霊の洪水もすっかり落ち着いているが、自分の中の精霊のざわめきは続いている。
「まあ、幽霊の類の噂も多いからな、精霊術を使うなら何か感じぬか?」
「うそ! マジで?」
ぞぞぞっと肩を震わせる朔耶を見たバルティアは、ニヤリと笑みを浮かべるとおもむろに歩み寄り、さりげなく朔耶の肩に手を回す。
「精霊と通じる者が霊を恐れるのか?」
「だって全然別物でしょーが、精霊と幽霊って」
朔耶はバルティアの手をぺいっと払い落としてベッドから降りると、ジャケットを羽織って隠し部屋の出口に向かった。
「どこへ行く」
「朝ご飯食べにいくの」
「ならばちょうど良い、余の朝食に付き合うがよい」
これから朝食だと言うバルティアの誘いに、朔耶は怪訝な顔を向けた。それなら一体何をしにこの隠し部屋にやって来たのかと。
「寝座の巡回だ」
「あ、そ」
自分と隠し部屋における縄張り争いをしているかのようなバルティアを見て、ますます皇帝のイメージが崩れていく朔耶だった。
朔耶も彼同様与えられた部屋は使わず、城に点在する隠し部屋を寝床にしている。
広すぎて落ち着かないという事もあるが、昨日部屋を見た時に意識の糸で探ってみたところ、部屋の周りに幾つもの空間を感知したからだ。
そしてそこには監視する者の気配があった。
壁の向こうや天井裏、床下などの隠し通路に合計四人ほど。
しかも彼女が精霊術の使い手であることを考慮に入れ、交感による索敵対策として、比較的探りやすい場所に一人配置してそちらに気を向けさせ、本命の監視者を意識の糸を向けにくい場所に潜ませていた。
高層の階から足元への索敵は階下にいる人間をも認識してしまうため、あまり行われない。家具や机の床下なども、普通はそんな出入りの困難な場所に潜むとは考えないので、見落とされがちだ。
しかし、交感の制約が無い朔耶の索敵は全方位に意識の糸が伸ばせる。したがってそういう心理的、技術的な死角を突いても全く意味がないのだ。その事を知る人間は、帝国にはいない。
バルティアに連れられて帝都城のほぼ最上階、皇帝の部屋がある階までやって来た朔耶は、意外に落ち着いた雰囲気の内装や、壁に飾られている肖像画などを観察し始めた。
この階は全て皇帝のための施設になっていて、寝室をはじめ湯浴み場、遊戯室、修練の間など色々な設備が揃っている。
幾つか厳重に鍵の掛けられた部屋があったので何の部屋かと朔耶が尋ねると、バルティアは先代や先々代皇帝達による負の遺産だと説明した。
「余は拷問や薬女遊びに享楽は感じぬのでな。いらん部屋は全て閉じている」
「あー……」
何やら怪しい響きを持つ言葉が並んだので、朔耶はそれ以上深く聞くのを止めた。
やがて皇帝の食堂に到着すると、だだっ広いダイニングを予想していた朔耶は比較的こぢんまりした部屋を見て拍子抜けした。それでも個人が食事をとるためだけの部屋としては十分に広いのだが。
バルティアの後に付いて入って来た朔耶を見て、給仕達は一様に目を丸くしたが、バルティアから直々に后として指名を受けている話は既に聞き及んでいたのですぐに納得した。
「む……今なんか間違った納得をされた気がする」
「気にするな」
くくっと笑いながら朔耶に席を勧めたバルティアは、給仕に朔耶の分も用意するよう申し付けて席に着く。
テーブル上の籠に盛られている果実に早速手を伸ばしている朔耶を楽しそうに眺めながら、バルティアは「サクヤちゃんは食べ物で釣るのが一番効果的かと……」とアドバイスをくれた密偵部隊の女性隊員に感謝した。
(サクヤは本当に、良いな……次はキトから美味い菓子でも取り寄せるか)
食事を待つ席で、朝から朔耶のハートゲット作戦に余念がない暇人な皇帝陛下だった。
ガラガラと食事を載せた台車を押して来た若い給仕の娘が手際よくお皿を並べ、手慣れた様子でスープを注ぐ。壁際に並んでいる二人の給仕達はお皿を下げる役で、料理を運んできて卓上に並べるのはこの若い給仕の役だった。
「これ、後から後から出てきたりしない?」
「朝食だからな、せいぜい五皿程度だ」
何皿まで食うべきかと悩む朔耶に苦笑しながら、バルティアはスープを一口含む。
「……!」
強烈な違和感。
咄嗟に、同じようにスープを口に運ぼうとしていた朔耶にスプーンを投げて彼女の手を止める。
飛んできたスプーンを左手でしっかと受け止めながらびっくり顔を向けてくる朔耶の素晴らしい反射神経に感嘆しながら、バルティアは身体中の力が抜けていくのを感じた。
「バル!?」
かなり即効性のモノらしく、それら一連の動作だけで視界がボヤけて身体のバランスが取れなくなり、椅子から崩れ落ちる。今までのように身体が痺れる程度の毒では無い。
暗闇に閉ざされていく世界で最後に見た光景は、血相を変えながら椅子から立ち上がる朔耶の姿。バルティアは何だかそれだけで満足な気分だった。
(毒で来るのは久しぶりだな、しかも完全に殺す気らしい。やはりサクヤ絡みか……?)
これまではせいぜい頭痛や嘔吐をもよおすくらいで、命の危機に瀕するほどの強い毒が使われた事はなかった。いつでも消せるという意図の込められた暗殺『ごっこ』。
だが、朔耶を妻にするという宣言は、影の支配者達にとって随分都合が悪かったらしい。
考えられるのはフレグンスの王女を后に推していた一派だが、ここまでするということはやはりあの国の王族の血に何かあるのかもしれないな等と、薄れゆく意識の中でバルティアは割と冷静に思考を巡らせていた。
「これで終わりかと思うと、意外に落ち着いていられるものだな……」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!」
朔耶の怒鳴る声に、バルティアの遠退いていた意識は急速に引き戻され、鮮明になっていく。戻った視界の先では、朔耶の手が己の胸に当てられて仄かに発光している。
体内から毒が浄化されていく感覚は、清流に身をゆだねているような心地よいものだった。
「……まさかこれ程の毒を浄化できるとはな。命拾いしたようだ」
「あたしもビックリだよ……」
バルティアが倒れたのを見てすぐに毒が盛られたと気付いた朔耶は、毒も枷や鍵と同様、『物にお願いして言う事を聞いてもらう』という精霊術で何とかならないかと彼の身体に意識の糸を送り込み、体内を蝕む毒に分解を呼びかけた。次いで周りにいた精霊達に治癒を頼んで回復させたのだ。
毒の中和ではなく分解、体内の解毒ではなく浄化という、熟練した精霊術士でも二人がかりで行うような極めて高度な治癒術を朔耶は一人でやって見せた。
毒を抜かれて回復しただけでなく、身体の調子まで前よりよくなったバルティアが自然な動作で立ち上がる。
朔耶の高度な治癒を見て出入り口付近で呆けていた衛兵は、我に返ってさっと表情を引き締めると、サーベルを抜いて給仕の娘に歩み寄った。顔を青ざめさせて後ずさる給仕の娘。
「ちょっと……っ、何する気よ!」
「皇帝の暗殺を企てた者はその場で処刑される決まりだ」
只事ではない雰囲気に声を上げる朔耶に、バルティアは簡潔に説明した。
皇帝に出す食事は専用の厨房で作られ、あらかじめ毒見を済ませたモノが台車で運ばれる。
厨房から食堂までは専用の廊下が使われ、この廊下には隠し通路等の仕掛けは一切無い。つまり毒を入れるならこの廊下の移動中しかなく、そこを通るのは台車を押す給仕一人に限られる。
これは毒殺対策の一環であり、毒を盛った者が即刻明らかになるような段取りと人員配置をする事で暗殺をやりにくくしているのだ。死なば諸共といった捨て身の覚悟がなければ毒を使う事は出来ない。
「厨房で盛られてたって事は?」
「毒見は厨房の全員で同時に行なわれるからそれは無いな。全員がグルなら別だが……」
「ん~……確かにそれはーってちょっと待って待って!!」
朔耶は衛兵がサーベルを構えて給仕の胸を貫こうとするのを止めた。そして壁際でぎゅっと目を閉じて震えている給仕に近寄ると、「ちょいと失礼」と両手で頬を包み込んでオデコを合わせる。
バルティアは戸惑う衛兵に待てと合図して朔耶の行動を窺った。食堂内にいる他の給仕二人も、同僚が仕出かした暗殺未遂に信じられないといった面持ちで成り行きを見守る。
「んぐんぐ――うん、三つ上のお兄ちゃんと、一つ下の弟がね」
アネットは「仲いいのー?」とか「ご両親はー?」等とさり気無く朔耶の家族構成を聞き出そうとする。朔耶も、世界を隔てた家族の事を知られても別段困る事は無し、と色々と家族のエピソードを話した。
「へぇー、お父様は工房主をやってるのねぇ。サクヤちゃんの道具作りって、そこから?」
「んー、どちらかと言うとあたしは弟の影響かなぁ。あと武器集めが好きだった幼馴染とか」
詳細はぼかしつつ、元の世界の人間関係を語る朔耶。
そこからアネットが得た情報を纏めるならば、父親は機械技師であり工房主。母親はただの一般民で、兄は闘士から芸術家に転身し、それでいながら地元の傭兵団に所属して稼ぎを得ているという変わり種。弟は哲学者かつ発明家でもあり、近所の幼馴染は武具コレクターという好事家、となる。なかなかに濃い生活環境で育った事が窺えた。
実際は、父親は町の鉄工所を経営する工場主。母は一般庶民で専業主婦。兄は格闘技オタから萌えオタに転身し、現在は地元の警備会社に勤務している。弟は機械弄り好きの理屈屋。幼馴染は防犯グッズや軍用品集めが趣味だった元ミリタリーオタだ。
兄弟と幼馴染の四人で遊ぶ事が多かったため、濃い生活環境というのはおおむね間違っていない。
昼食を終えて士官食堂を後にした朔耶達は、帝都城の下層階に広がる城下街に繰り出した。
「わー、公園みたいな場所はちゃんと空が見えるんだねー」
「一般民の憩いの場だからねぇ。植えてある木なんかは外から持って来てるのよ?」
城内に点在する中庭のような公園には、真ん中辺りに石で囲われた小さな池が設置されており、綺麗に均された土の地面にはわずかだが草木も生えている。
壁際の木椅子に腰掛けた老人が日光浴を楽しみ、池の周りでは子供達が葉っぱで作った舟を浮かべ、海戦ごっこをして遊んでいた。ふーっと息を吹きかけて走らせた葉舟で相手の葉舟に体当たりを仕掛け、沈めたら勝ちらしい。
「山頂の城内で海戦遊びとはこれ如何に」
どこの世界でも、子供達はそこらにある物を使って色々な遊びを考え出すモノなんだなぁと感心しつつ、朔耶は小さな池の中で繰り広げられている海戦の様子を見物する。
「へーかの葉舟はおおきくてずるいよー」
「そうか? 余の執務室にある植物の葉だが」
「ここにある木の葉っぱを使わないとだめー」
ズルッと、朔耶は足を滑らせて転びそうになった。一般民っぽい服装をした銀髪の優男が、子供達に交じって海戦遊びに興じている。
「あー、陛下はたまにああやって下々の民と交流してるのよ」
バルティアを指さしながら困惑顔をする朔耶に、アネットは苦笑しながらそう説明した。若き皇帝陛下は政務の合間にも時折りふらっといなくなる時があるが、大抵はお忍びで下街に来ているそうな。
実は下層階の住人達との交流で得られる抜け道の情報は、彼が監視者の追跡を振り切るのに役立っている。探検好きな子供達は、密偵隊員も把握していないような『塀の上に出来た抜け道』や、路地の途中の古くなった『壁に出来た抜け穴』などを見つけ出す。子供達にしか通れないような場所もままあるが。
公園の葉っぱで作り直したバルティアの葉舟は、子供連合の集中攻撃で敢え無く沈没。自軍の舟を失ったバルティアは、仕方なく執務室に戻って仕事の続きに勤しむ事にしたようだ。
子供達にお菓子を与えたバルティアは、中庭公園と城内の境目付近に立つアネットと朔耶の姿を見つけると、軽く目配せをして去って行った。
アネットは目立たない動きでそっと礼をとり、朔耶は「え? なに?」と目をぱちくりさせる。池の周りでは、子供達が先程使用不可を言い渡した『皇帝の葉舟』の所有権を巡る戦いを始めていた。
なかなか強かな帝都城の子供達であった。
憩いの場を後にした朔耶達は城内市場にやって来た。
ここで売られる工業製品の中には、城内の工房で作られた物の他に余所から仕入れた物もあり、食料もまた定期的に麓の街から城まで竜籠などを使って運び込まれている。
山岳地帯の多い帝国領内では狩猟が盛んで、野菜などの農作物は隣国キトからの輸入に頼っていた。キトと隣接する平野部では作物を育てたりもしているが、それも微々たるものだ。
「この先は繁華街さね。そこから先は春売り通りだけど、見ていく?」
「んー、遠慮しとく」
ここから先は、ちょいと狭い通路――というか路地に入れば少々怪しい商売人がたむろしているという裏通り。表の店では取引できないような商品が扱われていたりする危険地帯だ。
何故お城の中にそんな場所があるのかと問えば、ここは城内といえど多くの一般大衆が暮らす街。一定数の『善良でない人々』の存在は、健全な社会を維持していく上でむしろ欠かせない、いわゆる必要悪として黙認されているとの事だった。
怪しげな通りを見つめながらそんな話をしていた二人に、声をかけてくる者がいた。
「ん? アネット隊員、それにサクヤ殿も、こんな所で何を?」
「あら隊長」
「こんにちは~」
通り脇の路地からぶらりと現れたのは、ガルブレック密偵隊長だった。
朔耶に街を案内していたと説明するアネットに、案内されてましたと繋げて茶目っ気を演出する朔耶。
しかし竜籠の中での術封じの枷の破壊や、謁見の間での電撃攻撃を知る者としては、そんなお茶目な態度にも引き攣った笑みしか返せない。例えば鋭い牙と爪を持つ巨大な魔獣が、子猫のようにじゃれついてきても悪夢にしか思えないように。
「今なんか失礼な事を思われた気がするっ」
「あ、いや……自分は別に」
「ところで隊長はここに何か用事でも?」
自然な流れで話を逸らしてフォローする密偵部隊の頼れる部下、アネットのウィンクに軽く肩など竦めつつ、ガルブレックはその問いに答える。
「側近周りからの依頼でな、書簡の配達さ」
「え、隊長自らですか?」
「機密指定だったからな、それだけ重要な書簡なんだろうさ。詮索はするなよ?」
何気にきな臭い任務内容を話しているが、上層部の偉い人達がこの辺りにいるような下層の脛に傷を持つ者達に汚れ仕事をさせるのはよくある事なので、アネットも「ふーん」で流していた。
朔耶も興味があるのか無いのか、はたまた分かっているのかいないのか、ガルブレック隊長の腰に装備されている帝国の紋章入りの黒いナイフを観察していたりする。
「それでは、俺は上に戻る。……あまり妙な所を案内するなよ?」
「あらぁ、将来陛下の伴侶になるかもしれない御方なのに?」
この国の暗部についても多少は知っておいた方がいいんじゃないのぉ~? と、冗談めかして言ったアネットに、ガルブレック隊長は複雑な表情だけ返して上層階へと戻って行った。
雪山の白い斜面と山頂に聳え立つ灰色の帝都城が茜色に染まる頃。
士官食堂で夕食を済ませて湯浴み場に行き、夜になれば寝るだけという、帝都城での生活サイクルを組み上げた朔耶は、アネットと別れると適当な隠し部屋を探して潜り込んだ。
与えられた上層階の部屋は、とある事情から使わない。
「さてと、今日の締めくくりにレティと交感でも繋ぎますかね」
友人に電話するような気楽さでフレグンス方面に意識の糸を伸ばす。交感の相手、レティレスティアを強く意識する事で彼女の持つ交感能力に触れるのだ。
――サクヤ? ――
『やほーレティ、あたしだよー』
相変わらず攫われた立場にある事を感じさせない明るい調子で交感を繋いできた朔耶に、レティレスティアも落ち着いた様子で応える。
――ああ、サクヤ、待っていましたわ。今日は何だか楽しそうですわね? ――
『うふふー、分かる? 今日はねぇ、お城の中をあっちこっち見て回ったんだよ』
バルティア帝に見初められ、帝都城内での行動がかなり自由になったという話は昨日の内に報告してある。レティレスティアは、どどど、どういうコトですかっ? と初めはかなりの動揺を見せたが、交感から伝わる朔耶の気持ちや思惑を感じ取り、今は落ち着いている。
『まあ当分そっちには帰れそうにないけどね』
――今後も帝国には正式に抗議を続け、サクヤの即時解放と返還を求めていきますわ――
朔耶の身の安全は図られているため、レティレスティアも幾分安心はしている。が、しかし、朔耶が帝都城で割と楽しく過ごしている事を知ったが故に、彼女は帝国への憤りを嫉妬にも似た感情へと変え、決して和らげようとはしなかった。
朔耶はそんなレティレスティアに微妙な気持ちを抱きつつ、彼女を宥めたり、王都の様子を尋ねたりして就寝までの時間を過ごすのだった。
朔耶が帝都城生活に馴染んでいた頃。
王都フレグンスでは、フエルト卿の置き土産である書類、すなわち卿の派閥に与し帝国と繋がっていたと思われる貴族達の名簿の検証が進められるかたわら、城内で行われる『選定の儀』が大詰めを迎えていた。
約四年おきに開かれる、次期宮廷魔術士長を選出する戦いの儀式。行使する魔術が全て光弾に変換される特殊な精霊の腕輪を装着し、己が持つ魔力と魔術運用技術の全てを駆使して競い合う。
この精霊の腕輪の面白いところは、行使されるその魔術がたとえ非戦闘用の術であっても光弾に変換されて飛んでいくという点にある。
放たれた光弾は相手が同規模の威力を持つ光弾を放てば相殺されてしまうので、魔術戦のセンスや経験はどうしても響いてくる。しかし非戦闘型の魔術士でも魔力の大きさと魔術運用技術の力量によって、戦闘型の魔術士に勝ててしまう場合があるのだ。
つまり純粋に魔術士として優れた者が勝ち残れる仕組みになっている。
「――炎は猛り渦巻く大蛇となりて――」
「――風よ水よ集いて凍てつく刃となり――」
本来なら渦巻く炎が大蛇のように対象に絡みつく『炎蛇』と、激突すれば対象に物理的な衝撃とともに冷気によるダメージも与える事が出来る『氷塊』という攻撃魔術が、それぞれ光弾となってぶつかり合う。
『炎蛇』の術者が放った光弾の帯を『氷塊』の光弾が突き破り、『炎蛇』の術者に直撃した。『炎蛇』の術者は、自身の放った術の真っ只中を『氷塊』の術者の光弾が突き抜けてきたためにその軌道が見えず、まともに食らってしまったのだ。この一撃で決着がついた。
「そこまで! 勝者、レイス・チル・アクレイア!」
会場にどよめきと拍手が鳴り響く。そこには「やはりアクレイア家が勝ったか」という納得と感嘆の溜め息も混じっている。
「しかし、アクレイア家の子息にもさすがに落ち着きが見えてきましたな」
「余裕の表れかもしれませんなぁ」
倒れた対戦相手に係の術士達が集まって治癒術を施している中、レイスは壇上で観戦している国王カイゼルと、王妃アルサレナに一礼して戦いの場を後にする。
相手は今回の儀で最も手強い対戦者となりそうだった魔術士系名家の嫡男。以前、朔耶が抜き打ちの魔力測定を行った際、七十四石というレイスに次いで高い魔力値を記録していた男だ。その彼を下し、レイスの優勝はこれでほぼ確実となった。
「お疲れ様でした、レイス様」
「ああ、どうにか勝てたよ」
控え室に戻って来たレイスを、世話役のフレイが労いの笑顔で出迎える。
「明日で最後ですね」
「そうだな。ようやくここまで来た」
だが家の再興はここからが本番である。レイスは選定の儀を勝利で飾り、宮廷魔術士長の座に就いて活動を始めるまでは気を緩めるつもりの無い事を無言のうちに伝える。フレイは若干身体を寂しそうにしながらも、納得したように頷きを返した。
それでも気持ちを確かめ合う事は忘れず、そっとキスを交わす二人。あまり余韻は残さぬようレイスは気持ちを切り替えるべくすぐに別の話題を振った。
「今日は姫様からサクヤの事で何か情報を?」
「はい、変わらず元気にしているそうです」
自身が警護を外れたわずかな隙に朔耶を攫われたとして、責任を感じたフレイはしばらく臥せってしまう程に落ち込んでいた。
その事を気に掛けたレティレスティアが、交感で得たという朔耶の帝国での近況を彼女に教えてくれたのだ。帝国から交感を繋いできた事には、さすがにレティレスティアも驚いているようだったが、そんな彼女から朔耶の無事と帝都でのマイペースっぷりを聞かされたフレイは、塞いでいた気持ちを何とか回復させた。
さらに落ち込んでいる自分を朔耶が心配していたと知り、「嘆いている場合ではない」と気持ちを奮い立たせ、今こうして自分の役割を果たすべくレイスのサポートに動いているのだった。
落ち込んでいる暇があれば、朔耶救出のために何か行動しなければ、と。
「しかし、まさか皇帝の懐柔に動くとは思わなかったが……」
「なんでも、サクヤ様を護る精霊の力が発揮されているとか」
今は選定の儀に集中している事もあってあまり詳しいところまでは聞き及んでいないが、朔耶は帝国で皇帝とのコネ作りに奔走しているという。
帝国領に到着して早々に謁見の間で大立ち回りをやらかし、その騒ぎで皇帝に気に入られたという話なのだが、その凄まじいバイタリティと行動力には、レイスも脱帽であった。
精霊によって異界の地へ単身召喚され、紆余曲折あってようやく生活基盤が整ったと思った矢先に今度は帝国の地へと攫われ、虜の身となっても諦める事無く生き延びるために行動する少女。
レイスは、王都までの旅の途中で朔耶から聞いた言葉を思い出す。
『あたし、この世界の人間じゃないんだ……道具作りは、とりあえず自分を表現できる事をやってないとさ、押しつぶされちゃいそうだからなんだよね』
環境や立場、譬え世界が異なろうとも、自分で在り続けようと足掻く朔耶に、レイスは己の境遇を重ね合わせた。
「一刻も早くフレグンスの情勢を建て直し、帝国からサクヤを取り戻す。そのためにも……フレイ」
「はい、レイスさま。しっかりお手伝い致します」
フレグンスの若き宮廷魔術士長とその補佐になる予定の二人はもう一度抱擁を交わすと、明日、選定の儀の最終日に向けて英気を養うのだった。
翌早朝。帝都城下層階の一角にて。
「なんだ、ここで寝ていたのか」
バルティアが隠し部屋の一つを訪れると、朔耶がベッドの上でごろごろしていた。
「何よ、ここもあんたの寝室?」
「城の隠し部屋はほとんど余の寝室にしているな。まだ見つけていない部屋もあるだろうが」
「隠し部屋だらけなのね、この城って……なんか嫌な感じのする部屋もあったけど」
朔耶は普通に歩きながら意識の糸を使って壁の向こうや天井、床下などを探る事が出来るので、隠し部屋らしき空間があればすぐに見つける事が出来る。
たまにあまり近付きたくない空気を漂わせた部屋もあったが、そういう部屋は隠し部屋というよりも、通常の部屋をわざわざ塗りこめて閉鎖したと思われる場所だった。
「余の状況を考えれば分かるとは思うが、色々表に出せないモノも多いのだ、この城は」
部屋ごと封印してしまうような陰惨な事件も珍しくなかったと説明され、朔耶は若干眉をひそめる。
(まさか精霊が騒いでるのって、そういうのの自縛霊みたいなのがいっぱいいるとかのせいじゃないでしょうね……)
朔耶は王都フレグンスの街中で白昼堂々馬車ごと攫われ、この帝都城まで連れて来られたのだが、途中竜籠の中であった一騒動のあたりから次第に自分の中の精霊がざわめき始め、さらにたくさんの精霊が朔耶のもとに寄って来ては力の使い方を教えていくという不思議な経験をした。
あまりに多くの精霊が集まって来るため、レティレスティアに自分の無事を知らせるべく伸ばした意識の糸に精霊が引っ掛かりまくってしまい、交感を繋げられなくなる程だった。今はそんな精霊の洪水もすっかり落ち着いているが、自分の中の精霊のざわめきは続いている。
「まあ、幽霊の類の噂も多いからな、精霊術を使うなら何か感じぬか?」
「うそ! マジで?」
ぞぞぞっと肩を震わせる朔耶を見たバルティアは、ニヤリと笑みを浮かべるとおもむろに歩み寄り、さりげなく朔耶の肩に手を回す。
「精霊と通じる者が霊を恐れるのか?」
「だって全然別物でしょーが、精霊と幽霊って」
朔耶はバルティアの手をぺいっと払い落としてベッドから降りると、ジャケットを羽織って隠し部屋の出口に向かった。
「どこへ行く」
「朝ご飯食べにいくの」
「ならばちょうど良い、余の朝食に付き合うがよい」
これから朝食だと言うバルティアの誘いに、朔耶は怪訝な顔を向けた。それなら一体何をしにこの隠し部屋にやって来たのかと。
「寝座の巡回だ」
「あ、そ」
自分と隠し部屋における縄張り争いをしているかのようなバルティアを見て、ますます皇帝のイメージが崩れていく朔耶だった。
朔耶も彼同様与えられた部屋は使わず、城に点在する隠し部屋を寝床にしている。
広すぎて落ち着かないという事もあるが、昨日部屋を見た時に意識の糸で探ってみたところ、部屋の周りに幾つもの空間を感知したからだ。
そしてそこには監視する者の気配があった。
壁の向こうや天井裏、床下などの隠し通路に合計四人ほど。
しかも彼女が精霊術の使い手であることを考慮に入れ、交感による索敵対策として、比較的探りやすい場所に一人配置してそちらに気を向けさせ、本命の監視者を意識の糸を向けにくい場所に潜ませていた。
高層の階から足元への索敵は階下にいる人間をも認識してしまうため、あまり行われない。家具や机の床下なども、普通はそんな出入りの困難な場所に潜むとは考えないので、見落とされがちだ。
しかし、交感の制約が無い朔耶の索敵は全方位に意識の糸が伸ばせる。したがってそういう心理的、技術的な死角を突いても全く意味がないのだ。その事を知る人間は、帝国にはいない。
バルティアに連れられて帝都城のほぼ最上階、皇帝の部屋がある階までやって来た朔耶は、意外に落ち着いた雰囲気の内装や、壁に飾られている肖像画などを観察し始めた。
この階は全て皇帝のための施設になっていて、寝室をはじめ湯浴み場、遊戯室、修練の間など色々な設備が揃っている。
幾つか厳重に鍵の掛けられた部屋があったので何の部屋かと朔耶が尋ねると、バルティアは先代や先々代皇帝達による負の遺産だと説明した。
「余は拷問や薬女遊びに享楽は感じぬのでな。いらん部屋は全て閉じている」
「あー……」
何やら怪しい響きを持つ言葉が並んだので、朔耶はそれ以上深く聞くのを止めた。
やがて皇帝の食堂に到着すると、だだっ広いダイニングを予想していた朔耶は比較的こぢんまりした部屋を見て拍子抜けした。それでも個人が食事をとるためだけの部屋としては十分に広いのだが。
バルティアの後に付いて入って来た朔耶を見て、給仕達は一様に目を丸くしたが、バルティアから直々に后として指名を受けている話は既に聞き及んでいたのですぐに納得した。
「む……今なんか間違った納得をされた気がする」
「気にするな」
くくっと笑いながら朔耶に席を勧めたバルティアは、給仕に朔耶の分も用意するよう申し付けて席に着く。
テーブル上の籠に盛られている果実に早速手を伸ばしている朔耶を楽しそうに眺めながら、バルティアは「サクヤちゃんは食べ物で釣るのが一番効果的かと……」とアドバイスをくれた密偵部隊の女性隊員に感謝した。
(サクヤは本当に、良いな……次はキトから美味い菓子でも取り寄せるか)
食事を待つ席で、朝から朔耶のハートゲット作戦に余念がない暇人な皇帝陛下だった。
ガラガラと食事を載せた台車を押して来た若い給仕の娘が手際よくお皿を並べ、手慣れた様子でスープを注ぐ。壁際に並んでいる二人の給仕達はお皿を下げる役で、料理を運んできて卓上に並べるのはこの若い給仕の役だった。
「これ、後から後から出てきたりしない?」
「朝食だからな、せいぜい五皿程度だ」
何皿まで食うべきかと悩む朔耶に苦笑しながら、バルティアはスープを一口含む。
「……!」
強烈な違和感。
咄嗟に、同じようにスープを口に運ぼうとしていた朔耶にスプーンを投げて彼女の手を止める。
飛んできたスプーンを左手でしっかと受け止めながらびっくり顔を向けてくる朔耶の素晴らしい反射神経に感嘆しながら、バルティアは身体中の力が抜けていくのを感じた。
「バル!?」
かなり即効性のモノらしく、それら一連の動作だけで視界がボヤけて身体のバランスが取れなくなり、椅子から崩れ落ちる。今までのように身体が痺れる程度の毒では無い。
暗闇に閉ざされていく世界で最後に見た光景は、血相を変えながら椅子から立ち上がる朔耶の姿。バルティアは何だかそれだけで満足な気分だった。
(毒で来るのは久しぶりだな、しかも完全に殺す気らしい。やはりサクヤ絡みか……?)
これまではせいぜい頭痛や嘔吐をもよおすくらいで、命の危機に瀕するほどの強い毒が使われた事はなかった。いつでも消せるという意図の込められた暗殺『ごっこ』。
だが、朔耶を妻にするという宣言は、影の支配者達にとって随分都合が悪かったらしい。
考えられるのはフレグンスの王女を后に推していた一派だが、ここまでするということはやはりあの国の王族の血に何かあるのかもしれないな等と、薄れゆく意識の中でバルティアは割と冷静に思考を巡らせていた。
「これで終わりかと思うと、意外に落ち着いていられるものだな……」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!」
朔耶の怒鳴る声に、バルティアの遠退いていた意識は急速に引き戻され、鮮明になっていく。戻った視界の先では、朔耶の手が己の胸に当てられて仄かに発光している。
体内から毒が浄化されていく感覚は、清流に身をゆだねているような心地よいものだった。
「……まさかこれ程の毒を浄化できるとはな。命拾いしたようだ」
「あたしもビックリだよ……」
バルティアが倒れたのを見てすぐに毒が盛られたと気付いた朔耶は、毒も枷や鍵と同様、『物にお願いして言う事を聞いてもらう』という精霊術で何とかならないかと彼の身体に意識の糸を送り込み、体内を蝕む毒に分解を呼びかけた。次いで周りにいた精霊達に治癒を頼んで回復させたのだ。
毒の中和ではなく分解、体内の解毒ではなく浄化という、熟練した精霊術士でも二人がかりで行うような極めて高度な治癒術を朔耶は一人でやって見せた。
毒を抜かれて回復しただけでなく、身体の調子まで前よりよくなったバルティアが自然な動作で立ち上がる。
朔耶の高度な治癒を見て出入り口付近で呆けていた衛兵は、我に返ってさっと表情を引き締めると、サーベルを抜いて給仕の娘に歩み寄った。顔を青ざめさせて後ずさる給仕の娘。
「ちょっと……っ、何する気よ!」
「皇帝の暗殺を企てた者はその場で処刑される決まりだ」
只事ではない雰囲気に声を上げる朔耶に、バルティアは簡潔に説明した。
皇帝に出す食事は専用の厨房で作られ、あらかじめ毒見を済ませたモノが台車で運ばれる。
厨房から食堂までは専用の廊下が使われ、この廊下には隠し通路等の仕掛けは一切無い。つまり毒を入れるならこの廊下の移動中しかなく、そこを通るのは台車を押す給仕一人に限られる。
これは毒殺対策の一環であり、毒を盛った者が即刻明らかになるような段取りと人員配置をする事で暗殺をやりにくくしているのだ。死なば諸共といった捨て身の覚悟がなければ毒を使う事は出来ない。
「厨房で盛られてたって事は?」
「毒見は厨房の全員で同時に行なわれるからそれは無いな。全員がグルなら別だが……」
「ん~……確かにそれはーってちょっと待って待って!!」
朔耶は衛兵がサーベルを構えて給仕の胸を貫こうとするのを止めた。そして壁際でぎゅっと目を閉じて震えている給仕に近寄ると、「ちょいと失礼」と両手で頬を包み込んでオデコを合わせる。
バルティアは戸惑う衛兵に待てと合図して朔耶の行動を窺った。食堂内にいる他の給仕二人も、同僚が仕出かした暗殺未遂に信じられないといった面持ちで成り行きを見守る。
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