アホホスト借金地獄の末に漁船か臓器か性奴隷か、もちろん性奴隷です

犬っころ

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一章

96














病院のエントランスを飛び込むようにくぐり抜けた蓮は、受付の前まで息も絶え絶えに駆け寄った。胸が焼けるように痛むのも構わず、カウンターに手をつきながら「天城、蓮…です、弟の、雅也が——」と言いかけた、その瞬間だった。

「天城さんですね」

突然、受付横の扉が開き、主治医の松岡がまるで蓮の到着を見計らっていたかのようなタイミングで現れた。白衣の前ボタンを留めかけたままの姿で、息を切らせている蓮に対して、しかし声だけは落ち着いていた。

「受付は後で構いません。すぐご案内します。ついてきてください」

一瞬、何が起きているのか頭が真っ白になった。けれど医師の言葉に頷くしかなく、蓮はよろめく足取りでその背について行った。

渡された紙のネームタグも握りしめたまま、無菌エリアへの自動ドアが音もなく開き、漂ってくる消毒液の匂いに胸が詰まる。

「こちらです」と案内されたICUのガラスの前に立った瞬間、蓮の足が止まった。

そこにいたのは、昨日まで食事の写真をはしゃいで送ってきていた、あの弟ではなかった。

ガラス越しの病室で、雅也は真っ白なシーツの中、肩を震わせるようにして呼吸し、顔には大きめの酸素マスク。点滴の管と、胸の端に貼られた無数のモニターコード、そして機械から不規則に響く「ピッ、ピッ」という音だけが命の証明のように響いていた。

目を閉じている。苦しそうに。

蓮は何か声を出したかったのに、喉がひりついて音が出なかった。腕が震え、思わずガラスに手をつく。

胸を突く痛みと、足元から這い上がってくる寒気に、蓮の全身が言葉のない悲鳴をあげていた。

「——腫瘍が、背中の神経を圧迫しています。かなりの激痛を伴う状態で、到着時は呼吸もままならないほどでした」

ICU前、無機質なガラス越しに雅也の姿を見つめる蓮の横で、白衣の男が静かに口を開いた。主治医の松岡が落ち着き払った声は、逆に事態の重さを際立たせる。

「現在は、モルヒネを投与して痛みを抑え、酸素マスクで呼吸を安定させています」

淡々と、だが丁寧に説明される医療用語のひとつひとつが、蓮には重たい刃物のように突き刺さった。さっきまで病室のベッドで笑っていたあの弟が、目の前で機械に囲まれ、薬に縋って生きている現実。それが信じられなくて、息が詰まりそうになる。

「……ただ、鎮痛の効果は時間と共に確実に薄れます。切れればまた、呼吸困難に陥る可能性もある」

松岡は、そこまで言って初めて蓮の方を見た。哀れみも同情もない、だが決して突き放さない、プロの医者としてのまっすぐな視線。

「一時的な処置ではありますが、今は安定しています。ただし……」

その言葉の先を、松岡は飲み込んだ。だが蓮にはもうわかっていた。先がないのだ、と。

(なぜ昨日気がつけなかった、雅也が苦しんでいる時に俺は何をしていた。なんで気がつけなかった……雅也はずっと耐えていたのに、…俺は、俺は)

足が震える。涙が滲む。だがそれを飲み込んで、蓮は必死にガラスの向こうの弟に目を向けた。

雅也は眉間にうっすらと皺を寄せ、ぐったりとした体を機械に委ね、口元には大きな酸素マスク。
呼吸は浅く、音が聞こえそうなほどか細い。肺がしぼむように上下する胸元は、息を吸うたび、どこか苦しげに痙攣しているようにも見えた。

その呼吸が止まるんじゃないかと、目を逸らすことができなかった。
まばたきをすることすら許されないような凍てついた時間の中で、蓮は立ち尽くす。

――これが、現実なのか。

張りつめていた感情の糸が、急に音を立てて弾けた。
喉が焼けるように痛い。心臓が、肺が、胃が、同時に軋む。
だが、苦しいのは体のどこかではない。
それはもっと深いところ、言葉の届かない場所で確実に崩れていた。

気がつけば、足元がぐらついていた。
重力の方向が、わからない。天井が下に落ちてきているのか、自分が床に沈んでいってるのか。
全身の感覚がバラバラに千切れ、どこまでが腕で、どこまでが顔かも、判別がつかない。

(…っ、なんで、なんで、…なんで雅也なんだ。)

心が、体から引き剥がされるようだった。
肉体はここにあるのに、意識だけが後ろに引っ張られ、穴に落ちていく。
叫びたかった。何かを壊したかった。けれど、蓮の唇は、固く噛み締められたまま震え続けていた。
声をあげれば、何かが壊れてしまう。自分が、自分でなくなってしまう。

(助けて……)

心の奥で掠れるように浮かんだその言葉を、蓮は誰にも届かぬように呑み込み、ただ雅也を見つめた。

「場所を変えましょうか」

低く、静かな声が蓮の横から投げかけられた。
医師としての抑えた口調の中に、わずかな哀悼と配慮が滲んでいる。
振り返ると、白衣の胸元にネームプレートを留めた松岡が立っていた。表情は硬く、だが目元には確かな誠実さがあった。

蓮は、頷くことも、言葉を返すこともできなかった。
ただ、自分の心が風に引き裂かれた旗のようにばらばらと千切れていくのを、奥歯を食いしばってこらえていた。
雅也の姿を背にしてその場を離れることが、まるで見捨てるようで苦しくて仕方がなかった。

松岡は、それでも何も言わずに先を歩き出す。
その背中を追い、足を動かすたびに、ICUのガラスが、蓮の背後に遠ざかっていく。
一歩ごとに心が軋み、吐き気すら覚える。

病棟の冷たい廊下を進み、いくつか角を曲がった先。
「医局」と札のかかった扉が開かれると、中には無機質な白いテーブルとスチールの椅子がいくつか、壁際にはパソコンとファイル棚が整然と並んでいた。
それは医師たちの作業場であると同時に、時折、命に関わる重たい説明が交わされる場所でもある。

松岡が椅子を勧めるように片手を掲げる。
蓮は黙ったまま腰を下ろし、硬い座面に触れた瞬間、さっきまでの足の震えがぶり返してきた。

目の前に座った松岡は、蓮の目を真っ直ぐに見つめて、言った。

「今からお話しすることは、蓮さんにとって、非常に重い内容になると思います。ですが、ご本人の今後の治療方針について、避けては通れない話です」

その声が鼓膜を震わせるたびに、現実が突きつけられる。
逃げ場のない場所で、蓮はまたひとつ深く息を飲んだ。

机の上にはすでに資料の山と、数枚のX線・MRI画像が広げられている。まるで、蓮が来ることがわかっていたかのように用意されていた。

「…これが、雅也さんの背部MRI画像です」

松岡は資料の中から1枚の画像を手に取ると、淡々と語り始めた。画像には白く浮かび上がった腫瘍の影。その下には神経の束が、まるでそれに押し潰されるように歪んで写っていた。

「腫瘍は脊椎の胸椎6番から8番にかけて広がっており、神経根と気道の一部を圧迫しています。…こちらをご覧ください。これは他の同様の小児例です。症状の進行と対応を比較するためのものです」

そう言って別の写真とカルテを重ねる。写真には、痩せた子どもたちの背に同じような影。呼吸補助の器具、点滴、そして項垂れる姿。

「現在はモルヒネで疼痛をコントロールし、酸素マスクによって呼吸の補助を行っています。しかし…」

一拍の間の後、松岡の指が画像の一点を示した。

「腫瘍の増大速度が予想よりも早く、薬物療法ではこれ以上の縮小が見込めません。もしこれがさらに進行した場合、自発呼吸が困難になり、人工呼吸器の装着が必要になる可能性があります」

蓮は、資料の上に写った雅也の横顔に視線を落とした。昨日まであんなに笑っていた顔が、今は管に繋がれ、目を開くことすらできていない。紙の中に写るそれは、どこか現実味がなく、だが否応なく真実だった。

自分の耳が音を閉ざしたかのように、松岡の声が遠ざかる。言葉は聞こえているのに、脳が処理を拒む。情報が頭に入ってこない。心と体が、まるで剥がれ落ちて別々になっていくような奇妙な感覚。血の気が引き、手先の感覚が曖昧になる。床が傾き、空間が歪む。

(なにを…言ってるんだ。なんで、こんな話を俺が…)

雅也の顔が頭に焼きつく。管を繋がれ、苦しげに息をしていた、小さな弟の姿。昨日まで「サンタのケーキが美味しかった」と笑っていた、あの柔らかい声。

視界が滲み、唇が震えるのを蓮は押さえきれなかった。

「……これから、どうすれば…」

震えた声が、自分のものではないようだった。

蓮が絞り出すように問いかけたその声は、震えて霞み、医局の無機質な空気に吸い込まれていった。

松岡はわずかに眉を寄せたが、感情を見せることはなかった。ただ専門家として、伝えるべきことを、冷静に、確実に言葉にし始める。

「選択肢は、正直多くありません」

淡々としたその語り口が、逆に現実の重さを浮き彫りにしていた。

「現在、雅也さんには高用量のモルヒネを投与して疼痛管理を行い、酸素投与によって呼吸を維持しています。ただ、このままでは、いずれ薬の効果が薄れ、痛みにも呼吸にも限界がきます」

松岡は再び資料の束を開き、今度は一枚の表を指し示す。それは疼痛レベル、鎮痛剤の投与量、呼吸補助の段階を一覧化したシートだった。

「手術による腫瘍の摘出も検討しましたが、腫瘍が脊椎に絡みつくように広がっており、今の技術でも合併症のリスクが高すぎます。最悪の場合、心肺停止の可能性もあるため、現時点での手術は見送らざるを得ません」

蓮は歯を噛みしめ、喉の奥から何かが込み上げてくるのを感じた。

「……じゃあ、どうすればいい……治らないのか……?」

問いは呪いのようだった。

「今は、“治す”のではなく、“痛みを和らげ、安らかに過ごさせる”という方向に切り替える時期かもしれません」

その言葉は、まるで蓮の胸に杭を打ち込むようだった。

「つまり、緩和ケアです。鎮痛剤の調整、呼吸管理、精神的ケア。あらゆる方法を尽くし、できる限り苦しませずに日々を過ごさせる――それが、いま私たちにできる最善です」

松岡はそう言いながら、別の資料ファイルを開いた。中には「小児緩和ケアガイドライン」と書かれたパンフレット、そして個室ケアの環境やスケジュール例が丁寧に記されていた。

「もちろん、ご家族の希望が第一です。延命処置をどこまで行うか、精神ケアの専門医をどう入れるか、少しでも“雅也さんらしく”過ごすために何ができるか、我々はすべてを支援する体制があります」

蓮は声を失ったまま、手元のパンフレットをぼんやりと見つめた。「家族が選ばなければならない現実」が紙の中に列挙されている。それが目に見えるほど具体的なのが、恐ろしくて仕方がない。

ふと、ガラス越しに見たあの酸素マスクの姿が脳裏を過る。口をぱくぱくと開きながら必死に空気を吸おうとしていた、小さな弟の顔。

(なんで、こんなことに――)

手が、膝の上で震えていた。松岡の声が遠くで響く。

「何か質問があれば、今すぐでなくても構いません。あとで、少しでも話したくなったら、私か、担当の看護師に……」

その声に返事をすることはできなかった。ただ蓮は、胸の中で破裂しそうな「現実」と、それをまだ受け入れられない「心」の間に、引き裂かれるような痛みを抱えて、うつむいたまま動けずにいた。











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