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二章
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夜中の22時──
それが、桐生会屋敷での“夜の散歩”の合図になって久しかった。
一日のすべてが終わった後の、短くてささやかな時間。
誰かに指示されるでもなく、決められた日課でもない。
ただ、自然とそうなった。
最初は柴が、うどんとラーメンの夜トイレついでに庭を歩かせていた。
それに蓮がふらふらと付いて行き、
気がつけば、それが彼の“外に出るきっかけ”になっていた。
今日も、庭の砂利がきしむ音とともに、
うどんとラーメンが小さく鳴いて縁側に現れると、
蓮は眠たげな目でそれを見つめ、
何も言わず、着流しを羽織ってスリッパを突っかけ、外に出た。
草の匂い、夜風の冷たさ、虫の声。
どれも静かに心にしみてくる。
そしてそのすぐ前を歩くのは、
首から懐中電灯をぶら下げ、ラーメンのリードを軽く引いて歩く柴だった。
蓮は、その背中を目印にするようにして、
うどんに時おり寄りかかりながら、庭の中をふらふらと歩き回る。
顔色も良くなった。
動きも幾分軽くなり、そして何より──
笑う頻度が明らかに増えていた。
真城がその場にいる日もあれば、いない日もある。
けれど、この夜の散歩だけは、どんな夜も変わらず続いた。
いつの間にか、蓮にとってそれは“日常”になっていた。
「なぁ、柴」
歩きながら、蓮がふと話しかける。
「ラーメンって今、何キロぐらいあるんだ?」
柴は立ち止まり、ちらりと後ろを振り返る。
「……2キロぐらいじゃねぇか?
このままいけば、うどんと同じデブ界隈に片足突っ込みそうだがな」
その言い方に、蓮はふっと笑った。
そしておもむろに、しゃがみ込む。
すぐ近くにいたうどんの丸い後ろ姿に両手を伸ばすと、
ケツの肉を両手で包み込むように挟み、
「ぷにっ」「ぽよん」とリズミカルに揺らし始めた。
「……っ」
うどんが不機嫌そうにしっぽをばしばしと振り、
「やめろやめろ」と言わんばかりに逃げ出す。
次の瞬間、蓮の目は、自然と柴に向いた。
「あ、次はお前だな」
「は?」
立ち上がった蓮はそのまま突進。
「えいっ!」
勢いのまま、両手が迷いなく柴の尻へと吸い寄せられる。
そのまま、柔らかく──だが確実な力で、ぺちん。
「……ってめぇっ!!」
バチン!という反撃の音とともに、柴の怒号が響く。
「人のケツ触んなこのカス野郎!!
欲求不満か、てめぇ!??」
だが蓮は悪びれる様子もなく、にへらと笑いながら返す。
「そっちこそエッチな気分なんでしょ~?
仁さん呼んできてやろっかぁ? ぁあ? ん?」
蓮の悪戯っぽい声に、柴は額に青筋を立てながらも、
本気で怒るでもなく、肩を竦めてため息をついた。
「……マジで、面倒くせぇなお前は……」
それでも、そんなやりとりすら──
つい数日前まで、布団に寝転び、何も話せなかった蓮を知っている彼にとっては、
心から“ほっとできる日常”だった。
頭上には星が浮かび、庭には静かな夜が広がっていた。
このくだらない会話が、
この何でもない夜が、
ずっと続けばいいと、誰かが思っていた。
──たとえ、それが“仮の平穏”だとしても。
星が静かに瞬き、虫の音が草むらに溶ける。
真夜中の庭には、もう日中の熱気はなく、
冷たすぎない程度の夜風が、着流しの袖や、髪の先を優しく撫でていた。
散歩の終わりが近づいたその頃、
蓮がふいに、足を止めて空を見上げた。
ぽつん、と浮かぶ月の輪郭を見ながら、
ぽつり、と声を出す。
「なぁ、柴」
声に、柴がぴくりと肩を動かす。
「明日もお散歩しような」
その声は、あまりに自然で、
けれどこの数週間の蓮の状態を知る誰もが──その一言を“奇跡”と受け取るような、そんな前向きな響きを宿していた。
柴は一拍だけ、間を置いてから、
少しだけ照れくさそうに鼻を鳴らした。
「はいはい……」
返事はぶっきらぼう。
けれどその声色には、どこか安心したような緩みがあった。
「……でもな、明日はちっとばかし抗争関係でゴタゴタすっから、もっと早い時間にすんぞ。
そろそろお前のその腐りきった根性と生活習慣、叩き直さねぇと話にならねぇ」
軽く毒づきながらも、
言葉の奥には“お前が元気でいてくれないと困る”という真っ直ぐな思いが透けていた。
蓮は少し首をかしげて、ぽつりと続ける。
「……俺、抗争についてあんまりよく分かってないんだ」
柴の顔をちらりと見上げる。
「どういう力関係でドンパチやってんだ?」
そう問いかける声には、ほんのわずかに“関心”が混じっていた。
数日前の蓮なら──いや、昨日の蓮なら、
そんなことにすら興味を示さなかっただろう。
柴は呆れたようにため息をつき、
肩をがっくり落としてみせる。
「……てめぇ、マジで何も知らねぇのかよ。
あんだけ修羅場くぐってきた顔して、その中身ガキ以下か」
言いながらも、口調はどこか優しい。
「とりあえず帰るぞ。いつまでも外にいたら風邪ひく。
明日になったら教えてやる。ドンパチの基本な」
そう言って柴は、ラーメンのリードを軽く引く。
その合図でラーメンが「ワン」と短く鳴いた。
うどんも、ふてぶてしく欠伸をひとつし、
蓮の後ろをとことこと歩き出す。
それが、桐生会屋敷での“夜の散歩”の合図になって久しかった。
一日のすべてが終わった後の、短くてささやかな時間。
誰かに指示されるでもなく、決められた日課でもない。
ただ、自然とそうなった。
最初は柴が、うどんとラーメンの夜トイレついでに庭を歩かせていた。
それに蓮がふらふらと付いて行き、
気がつけば、それが彼の“外に出るきっかけ”になっていた。
今日も、庭の砂利がきしむ音とともに、
うどんとラーメンが小さく鳴いて縁側に現れると、
蓮は眠たげな目でそれを見つめ、
何も言わず、着流しを羽織ってスリッパを突っかけ、外に出た。
草の匂い、夜風の冷たさ、虫の声。
どれも静かに心にしみてくる。
そしてそのすぐ前を歩くのは、
首から懐中電灯をぶら下げ、ラーメンのリードを軽く引いて歩く柴だった。
蓮は、その背中を目印にするようにして、
うどんに時おり寄りかかりながら、庭の中をふらふらと歩き回る。
顔色も良くなった。
動きも幾分軽くなり、そして何より──
笑う頻度が明らかに増えていた。
真城がその場にいる日もあれば、いない日もある。
けれど、この夜の散歩だけは、どんな夜も変わらず続いた。
いつの間にか、蓮にとってそれは“日常”になっていた。
「なぁ、柴」
歩きながら、蓮がふと話しかける。
「ラーメンって今、何キロぐらいあるんだ?」
柴は立ち止まり、ちらりと後ろを振り返る。
「……2キロぐらいじゃねぇか?
このままいけば、うどんと同じデブ界隈に片足突っ込みそうだがな」
その言い方に、蓮はふっと笑った。
そしておもむろに、しゃがみ込む。
すぐ近くにいたうどんの丸い後ろ姿に両手を伸ばすと、
ケツの肉を両手で包み込むように挟み、
「ぷにっ」「ぽよん」とリズミカルに揺らし始めた。
「……っ」
うどんが不機嫌そうにしっぽをばしばしと振り、
「やめろやめろ」と言わんばかりに逃げ出す。
次の瞬間、蓮の目は、自然と柴に向いた。
「あ、次はお前だな」
「は?」
立ち上がった蓮はそのまま突進。
「えいっ!」
勢いのまま、両手が迷いなく柴の尻へと吸い寄せられる。
そのまま、柔らかく──だが確実な力で、ぺちん。
「……ってめぇっ!!」
バチン!という反撃の音とともに、柴の怒号が響く。
「人のケツ触んなこのカス野郎!!
欲求不満か、てめぇ!??」
だが蓮は悪びれる様子もなく、にへらと笑いながら返す。
「そっちこそエッチな気分なんでしょ~?
仁さん呼んできてやろっかぁ? ぁあ? ん?」
蓮の悪戯っぽい声に、柴は額に青筋を立てながらも、
本気で怒るでもなく、肩を竦めてため息をついた。
「……マジで、面倒くせぇなお前は……」
それでも、そんなやりとりすら──
つい数日前まで、布団に寝転び、何も話せなかった蓮を知っている彼にとっては、
心から“ほっとできる日常”だった。
頭上には星が浮かび、庭には静かな夜が広がっていた。
このくだらない会話が、
この何でもない夜が、
ずっと続けばいいと、誰かが思っていた。
──たとえ、それが“仮の平穏”だとしても。
星が静かに瞬き、虫の音が草むらに溶ける。
真夜中の庭には、もう日中の熱気はなく、
冷たすぎない程度の夜風が、着流しの袖や、髪の先を優しく撫でていた。
散歩の終わりが近づいたその頃、
蓮がふいに、足を止めて空を見上げた。
ぽつん、と浮かぶ月の輪郭を見ながら、
ぽつり、と声を出す。
「なぁ、柴」
声に、柴がぴくりと肩を動かす。
「明日もお散歩しような」
その声は、あまりに自然で、
けれどこの数週間の蓮の状態を知る誰もが──その一言を“奇跡”と受け取るような、そんな前向きな響きを宿していた。
柴は一拍だけ、間を置いてから、
少しだけ照れくさそうに鼻を鳴らした。
「はいはい……」
返事はぶっきらぼう。
けれどその声色には、どこか安心したような緩みがあった。
「……でもな、明日はちっとばかし抗争関係でゴタゴタすっから、もっと早い時間にすんぞ。
そろそろお前のその腐りきった根性と生活習慣、叩き直さねぇと話にならねぇ」
軽く毒づきながらも、
言葉の奥には“お前が元気でいてくれないと困る”という真っ直ぐな思いが透けていた。
蓮は少し首をかしげて、ぽつりと続ける。
「……俺、抗争についてあんまりよく分かってないんだ」
柴の顔をちらりと見上げる。
「どういう力関係でドンパチやってんだ?」
そう問いかける声には、ほんのわずかに“関心”が混じっていた。
数日前の蓮なら──いや、昨日の蓮なら、
そんなことにすら興味を示さなかっただろう。
柴は呆れたようにため息をつき、
肩をがっくり落としてみせる。
「……てめぇ、マジで何も知らねぇのかよ。
あんだけ修羅場くぐってきた顔して、その中身ガキ以下か」
言いながらも、口調はどこか優しい。
「とりあえず帰るぞ。いつまでも外にいたら風邪ひく。
明日になったら教えてやる。ドンパチの基本な」
そう言って柴は、ラーメンのリードを軽く引く。
その合図でラーメンが「ワン」と短く鳴いた。
うどんも、ふてぶてしく欠伸をひとつし、
蓮の後ろをとことこと歩き出す。
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