アホホスト借金地獄の末に漁船か臓器か性奴隷か、もちろん性奴隷です

犬っころ

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二章

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廊下を歩くたびに、足元の板がわずかにきしんだ。
その音が、やけに耳に残る。

緊張しているのだと、すぐにわかった。
いつものように廊下を歩くだけなのに、足の裏から伝わってくる感触が、何倍にも増幅されて心臓を刺激してくる。
少しずつ近づく襖の向こうからは、人の声が混じり合う喧噪が響いていた。

低く落ち着いた報告の声。
湯呑みが畳に置かれる乾いた音。
誰かの咳払いと、控えの部屋住みがばたばたと走る足音。
そして、どうでもいい雑談──今日の夕飯がどうだったとか、甲子園の結果がどうだったとか、ニュースでやっていた世界大会の話だとか。

緊張感と日常がごちゃまぜになった、あの広間の空気。
蓮はそれを知っていた。かつては、その中に確かにいた。

けれど今、自分はそこから大きく隔たってしまっている。

……本当に行くのか。

そんな声が、胸の奥で囁く。
まだ戻らなくてもいいんじゃないか。
誰も呼んでいないのに。
気まずくなるだけかもしれないのに。

それでも──今日は、不思議と“行こう”と思えた。
朝に少しだけ食べた粥、森内の静かな声、雅也からの手紙、ラーメンとの散歩。

小さなきっかけがいくつも重なって、
久しぶりに“自分の足”で何かを選ぼうと思えた。

蓮は襖の前に立つと、一度深く息を吸い込んだ。
その指先にわずかな震えを感じながらも、
意を決して、そっと襖を開けた。


目に飛び込んできたのは、畳の上で机を囲む男たちの背中だった。
年齢も体格もさまざまな男たちが、湯呑み片手に肩を並べている。

一歩、足を踏み入れた瞬間だった。

気配に気づいた誰かが、こちらを振り返る。

その目が、見開かれる。

「……蓮?」

たった一言だった。

それだけなのに、広間に満ちていたざわめきは、すっと静まり返る。

まるで、そこだけ空気が抜け落ちたように。
時間が止まったかのように。

気づけば、全員の視線が蓮に向いていた。

その視線の圧に、わずかに足がすくみそうになる。
でも蓮は踏みとどまった。
一歩下がることも、俯くこともせずに、真正面を見据えていた。

何も言わない。
ただ、そこに“戻ってきた”というだけの意思を、視線で示す。

──そのときだった。

「……蓮」

その声だけは、すぐに分かった。

低く、けれど確かに震えた声だった。
その響きが、蓮の胸の奥に触れた瞬間、何かが軋んだ。

次の瞬間、畳の上を踏み鳴らす靴音が走る。

真城暁臣が、立ち上がっていた。

中央にいて幹部たちに指示を出していたはずの男が、
資料を放り出し、周囲を気にすることなく、
まるで何かに突き動かされるようにして走ってくる。

驚いた周囲が道を開く。

そのまま、真城は蓮の元へと飛び込むように近づき、
一言、蓮の名を呼んだ。

「……蓮」

次の瞬間、蓮の体は真城の腕に抱きしめられていた。

胸に引き寄せられ、ぐいと力を込められる。

ぎゅっと、離すまいとするように、
けれどどこか震えるように。
あたたかく、苦しいほどに、近かった。

蓮は一瞬、呼吸が止まるような感覚に襲われた。

──暁臣。

その名を、心の中で呼んだ。

懐かしい匂いが鼻をかすめる。
きっと今、自分は泣いてもおかしくなかった。

でも泣かなかった。
ただ、静かに腕を上げて、真城の背に回した。

「……ただ、顔が見たくなっただけ。部屋の中はもう飽きたから……ここにいて、いい?」

それはまるで、子供のような願いだった。
でも、蓮にとっては、今できる精一杯の“前進”だった。

真城は、その言葉にすぐさま頷いた。

「うん、いいよ。おいで」

その声はかすれていた。
息を飲んだままのように、必死で出した声だった。

そして、蓮の耳に微かな吐息が落ちた。

小さな、小さな、安堵の吐息だった

抱きしめられた温もりが、まだ体に残っていた。

真城は、ゆっくりと腕を緩めると、
まるで蓮が壊れ物であるかのようにそっとその身体を手放した。
けれど、手は離さない。
指先だけは、しっかりと蓮の袖を掴んでいた。

「……今日は体調いいの?」

その言葉に、蓮はかすかに微笑むと、小さく頷いた。

真城が手を引くようにして歩き出し、
蓮はそのまま彼の隣に用意された席に座らされた。

すると、緊張していた空気がふっと緩む。

幹部たちはお互いに顔を見合わせ、
遠慮深く、けれどどこか安心したような表情を浮かべて、
再び座りなおした。

……ああ、ここは、やっぱり“日常”なんだな。

蓮は少しだけ背を伸ばして、大広間を見渡した。

誰かがまた、お茶を淹れ直す音がする。
近くの部屋住みが気を利かせて湯呑みを運んでくる。
広間の隅では、遅れて戻ってきた下っ端がバタバタと走り回っていた。

その中には──
見慣れない顔も多くあった。

「……春にまた、部屋住みが増えたんだよな」

ぽつりと、蓮が言うと、
真城はゆっくりと頷きながら、隣に座る蓮の湯呑みに手を伸ばしてくれる。

「二十人近くね。高校出たての子が多いね。最近は“背広よりスーツ”がいいって入ってくる連中も多いよ」

「へえ……もう名前も顔も、分かんない子ばっかりだなぁ」

蓮は湯呑みに口をつけながら、ふと視線を落とした。

そして、心のどこかで思い出す。

──あの日。
あの春先、まだ心を失ったまま部屋に引きこもっていた頃。
部屋住みの一人を唆しアルコールを運ばせていた。確か、部屋住みの“タカシ”という少年だった。

……けれど、もう、いない。

蓮が真城の横で静かに問うような視線を送ると、
真城は一瞬だけ目を伏せた。

「──あいつは、柴が破門にしたよ」

低く、感情の揺れを押し殺すような声。

蓮がわずかに目を見開くと、
暁臣は静かに言葉を継いだ。

「薬物を……やってた。しかも、それを中高生に売って、シノギにしてた。うちの組は、薬物は扱ってもそこだけは絶対に手を出さないって決めてる。それを分かった上で、やってたんだから妥当だね。蓮にお酒あげてたって時点で始末でも良かったんじゃない」

蓮は何も言わなかった。

ただ、静かに、手の中の湯呑みを見つめていた。

──ここにいても、
 いなくなっても、
 この世界は止まらない。

季節が巡るように、新しい人が増えて、去っていく。

たとえ自分がいなくても、
この桐生会という場所はちゃんと回っている。

それでも。

「……俺も、少しずつ戻っていこうかな」

ぽつりと、呟くように言った蓮に、
真城はすぐに返事をしなかった。

けれど、その手は。
座ったまま、テーブルの下で、そっと蓮の指先に触れてきた。

それが、どんな言葉よりも確かな“返答”だった。
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