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三章
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最後の膳を置き終えたとき、蓮の肩から、すっと力が抜けた。
炊き込みご飯の湯気はすでに落ち着き、味噌汁の表面には薄い膜が張りはじめている。油揚げの甘煮は照りを湛えたまま、静かに冷めていく。
全ての器は、角度を揃えて並べられていた。
誰にも教わらなかったし、誰にも強制されなかった。
ただ、そうしなければならないような気がしただけだった。
膳の並ぶ広間は、まるで無人の劇場だった。
役者のいない舞台。観客もいない客席。
──それでも蓮は、ただひとりで幕を引いた。
かがんだままの姿勢で長くいたせいか、太腿から足首にかけて、じんじんと痺れが上がってきた。
「……いって」
ぽつりと、思わず零れる声。
蓮は片膝を立て、もう一方の足を伸ばしながら、手のひらでぺしりと自分の太腿を軽く叩いた。
その音は、乾いた音だった。
静まり返った空間には、妙にくっきりと響く。
──その直後だった。
ガコン、と低い金属音が鳴り、続けざまに「ギィ……」という重たい擦過音が廊下の方から響いてきた。
反射的に蓮は顔を上げる。
玄関の遮蔽シャッターが──上がっていく音だった。
何重にも封じられていたはずの鋼鉄の扉が、内側から制御されたように、重たい音を立てて上へと巻き上がっていく。
最初は重機のような、鈍いモーターの回転音。
そして、空気の密度がわずかに変わった。
──風が、通った。
廊下の奥から、ごく微かな外気の流れが入ってきた。
それまでの張り詰めた空気の中に、一筋だけ異質な“動き”が混ざる。
そのあとだった。
バタバタッ、バタバタバタ──!
乾いた足音が、廊下の奥から響いてきた。
複数だ。
一人ではない。三人、いや四人──それ以上か。
その足音には、焦りがあった。躊躇のない速度で、どこか空気を切るように廊下を駆けてくる。
ゴム底の靴の音が床を弾き、畳に吸われず、木材を伝って蓮の耳に直撃する。
緊張に満ちた音ではない。
けれど、ただの騒がしさでもない。
──誰かを探している足音だった。
蓮は、広間の中央に立ったまま、ぴくりとも動かなかった。
呼吸すら、浅く止まる。
膳を並べた手が、かすかに汗ばんでいた。
息が、微かに浅くなる。
空気の密度が、変わっていく。
“戻ってきた”。
それが誰かまでは、まだ分からない。
けれど、明らかに動き出した。
封鎖されていた屋敷が、再び呼吸を始めようとしていた。
まるで、蓮の太腿を叩いた音が、舞台の合図だったかのように。
しんとした大広間の中心で、並んだ膳だけが無言のまま、それぞれの役者の帰還を待っていた。
ほどなくして、廊下の角を数人の男たちが駆け抜けてきた。
──真城だった。
真っ黒なスーツの裾をはためかせて、先頭を切って現れたその姿は、凛とした威圧感と、どこか切迫した焦燥を同時にまとっていた。
その背後に柴。さらに、仁、森内、柳ら幹部たちがぞろぞろと続いている。彼らの肩には埃と火薬の残り香がわずかに混ざっており、それぞれの表情には、帰還者特有の緊張と安堵が交差していた。
大広間の入口で、真城の足が止まる。
視線が、音もなく部屋の内部を捉えた。
──一面に、整然と並べられた膳。
炊き立ての五目ご飯からは、まだ微かな湯気が立っている。味噌汁の椀には沈んだわかめがゆらりと揺れ、香ばしい油揚げの甘煮が、小鉢の中で艶やかに光っていた。奥には、ふわりとクリームが塗られた白いケーキ。缶詰の果実と、シュガーパウダーが絶妙に飾られており、まるで儀式の供物のようにさえ見えた。
その場の誰もが、足を止めて息を呑んだ。
蓮は一歩も動かず、静かにそこに立っていた。
炊き込みご飯の湯気はすでに落ち着き、味噌汁の表面には薄い膜が張りはじめている。油揚げの甘煮は照りを湛えたまま、静かに冷めていく。
全ての器は、角度を揃えて並べられていた。
誰にも教わらなかったし、誰にも強制されなかった。
ただ、そうしなければならないような気がしただけだった。
膳の並ぶ広間は、まるで無人の劇場だった。
役者のいない舞台。観客もいない客席。
──それでも蓮は、ただひとりで幕を引いた。
かがんだままの姿勢で長くいたせいか、太腿から足首にかけて、じんじんと痺れが上がってきた。
「……いって」
ぽつりと、思わず零れる声。
蓮は片膝を立て、もう一方の足を伸ばしながら、手のひらでぺしりと自分の太腿を軽く叩いた。
その音は、乾いた音だった。
静まり返った空間には、妙にくっきりと響く。
──その直後だった。
ガコン、と低い金属音が鳴り、続けざまに「ギィ……」という重たい擦過音が廊下の方から響いてきた。
反射的に蓮は顔を上げる。
玄関の遮蔽シャッターが──上がっていく音だった。
何重にも封じられていたはずの鋼鉄の扉が、内側から制御されたように、重たい音を立てて上へと巻き上がっていく。
最初は重機のような、鈍いモーターの回転音。
そして、空気の密度がわずかに変わった。
──風が、通った。
廊下の奥から、ごく微かな外気の流れが入ってきた。
それまでの張り詰めた空気の中に、一筋だけ異質な“動き”が混ざる。
そのあとだった。
バタバタッ、バタバタバタ──!
乾いた足音が、廊下の奥から響いてきた。
複数だ。
一人ではない。三人、いや四人──それ以上か。
その足音には、焦りがあった。躊躇のない速度で、どこか空気を切るように廊下を駆けてくる。
ゴム底の靴の音が床を弾き、畳に吸われず、木材を伝って蓮の耳に直撃する。
緊張に満ちた音ではない。
けれど、ただの騒がしさでもない。
──誰かを探している足音だった。
蓮は、広間の中央に立ったまま、ぴくりとも動かなかった。
呼吸すら、浅く止まる。
膳を並べた手が、かすかに汗ばんでいた。
息が、微かに浅くなる。
空気の密度が、変わっていく。
“戻ってきた”。
それが誰かまでは、まだ分からない。
けれど、明らかに動き出した。
封鎖されていた屋敷が、再び呼吸を始めようとしていた。
まるで、蓮の太腿を叩いた音が、舞台の合図だったかのように。
しんとした大広間の中心で、並んだ膳だけが無言のまま、それぞれの役者の帰還を待っていた。
ほどなくして、廊下の角を数人の男たちが駆け抜けてきた。
──真城だった。
真っ黒なスーツの裾をはためかせて、先頭を切って現れたその姿は、凛とした威圧感と、どこか切迫した焦燥を同時にまとっていた。
その背後に柴。さらに、仁、森内、柳ら幹部たちがぞろぞろと続いている。彼らの肩には埃と火薬の残り香がわずかに混ざっており、それぞれの表情には、帰還者特有の緊張と安堵が交差していた。
大広間の入口で、真城の足が止まる。
視線が、音もなく部屋の内部を捉えた。
──一面に、整然と並べられた膳。
炊き立ての五目ご飯からは、まだ微かな湯気が立っている。味噌汁の椀には沈んだわかめがゆらりと揺れ、香ばしい油揚げの甘煮が、小鉢の中で艶やかに光っていた。奥には、ふわりとクリームが塗られた白いケーキ。缶詰の果実と、シュガーパウダーが絶妙に飾られており、まるで儀式の供物のようにさえ見えた。
その場の誰もが、足を止めて息を呑んだ。
蓮は一歩も動かず、静かにそこに立っていた。
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