アホホスト借金地獄の末に漁船か臓器か性奴隷か、もちろん性奴隷です

犬っころ

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一章

 9









狭い相談室のドアが閉まると同時に、外界から切り離されたような静けさが落ちた。
わずかに聞こえるのは、換気扇の低い音と、どこか遠くの機械音だけ。
壁は無機質な白で、窓はなく、空気が重く澱んでいる。
その閉塞感に、蓮は無意識に喉を鳴らした。呼吸がうまくできず、胸の奥がじわじわと冷たくなっていく。

主治医は資料を手に持ったまま、深く息を吐いてから顔を上げた。
その表情には、長年この仕事をしてきた者だけが持つ、諦念と覚悟が入り混じった色があった。

きっとどんなに経験を積んでも今この瞬間だけは慣れないのだろう。





「……改めて、ご説明します」




その言葉が落ちるだけで、蓮の鼓動は一気に速くなる。
耳の奥で血の音がゴウゴウと鳴り、視界の端がじわじわと狭まっていくのを感じた。
指先が冷たくなり、握った拳は自分のものではないみたいに震えていた。

蓮の弟、天城 雅也はステージIVの小児がんを患っていた。背中の神経や骨と絡むように大きくなって行った腫瘍は徐々に雅也の生きる上で必要な器官にも影響を与え本当にどうしようも無くなっている。




「雅也くんは、今、心肺機能が著しく低下しています。酸素投与や昇圧剤、複数の薬剤で命を繋いでいる状態ですが……このままでは、数時間、持つかどうか――それほど切迫しています」




その一言一言が、刃物のように蓮の心に突き刺さる。
喉が詰まり、声が出ない。
やっとのことで絞り出した声は、ひどく掠れていた。




「……じゃあ……もう、どうにもならない、ってことですか」




その問いに、医者は短く首を横に振る。
しかしその目は、決して楽観的ではなかった。




「――完全に手がないわけではありません」




蓮の心臓が一瞬止まったように感じた。
わずかな希望を掴むように、視線を医者に向ける。




「これは、国内ではまだ保険適用外の新薬です」




医者は手元の資料を一枚、机の上に置いた。
印刷された薬の名前は、聞き慣れない横文字で、概要さえも英語で蓮には全く馴染みがなかった。

するとすかさず看護師が日本語訳で印刷された紙を一枚、蓮の手元に置く。




「海外で承認されたばかりで、国内でも一部の病院で使用されています。初期段階ですが、末期の小児がん患者で症状が改善した報告が、わずかにあります」




その言葉が落ちるたび、胸の奥がざわめく。
机の上の資料を見下ろすが、文字が目に入らない。
ただ、何かにすがるしかないという焦燥だけが、胸を焼いていく。




「……じゃあ、それを使えば――助かる可能性が、あるんですか?」




期待と恐怖がないまぜになった声が、勝手に口から漏れた。
だが医者は、わずかに視線を落としてから、重い言葉を続ける。




「ただし……非常に高額です。保険が適用されないため、全額自己負担になります」




「……高額、って……」




喉が渇き、息を飲む音さえ響きそうだった。
医者は一瞬だけ言葉を選び、蓮を真っ直ぐに見て告げた。




「――一度の投与で、およそ百万円前後です。改善が見られなければ追加で投与が必要ですし、そのたびに費用は積み重なっていきます」




数字が耳に届いた瞬間、蓮は息を呑んだ。
視界が揺れ、机の上の資料が滲む。




「……百……万……」




頭の中で繰り返すたびに、現実が重くのしかかる。
一度で百万円――それでも、救えるかもしれない。
けれど、効く保証はない。延命どころか、全く効果がない可能性すらある。

ホストで月に五百万、そして今さっき首になったあの料亭で二十四万。一ヶ月に四回薬を投与し入院にかかる費用はおよそ五百万…雅也と蓮が生きるための金も必要だ。

蓮は肩を落としたが稼げないことも無い。




「これまでの治療で、雅也くんの身体は限界に近い状態です。ですが、この薬が効けば――延命だけでなく、一時的とはいえ症状が緩和し、回復の見込みが出る可能性もあります」




その最後の言葉だけが、かすかな希望の光のように響いた。
しかし同時に、それがどれだけ脆い光であるかも理解できてしまう。

蓮の視線が資料に落ちる。
紙に記された黒い文字は、ただの活字のはずなのに、呪いの言葉のように胸を圧迫してくる。

金の宛が無い。

その時、バッグの中――茶色い封筒の存在が脳裏をよぎった。
それだけの金が今は弟の命と天秤にかけられている。
蓮はすぐさま中の札を数え始めた。
中にはちょうど一万円札が百枚入っている。

胸がぎゅう、と軋んだ。
呼吸が浅くなり、手のひらに爪が食い込むほど拳を握る。
耳の奥では血の音がうるさいほど響き、頭の中は「払えるのか」「助かるのか」「間に合うのか」という言葉で埋め尽くされていく。

――もし払って、効かなかったら?
――もし今この瞬間にも、雅也の呼吸が止まったら?

想像するだけで視界が暗くなり、吐き気が込み上げる。
それでも、諦めるなんて選択肢は浮かばなかった。




「……払います。だから、雅也をっ、…たすけて」




資料の上に置かれた手は、自分のものとは思えないほど冷たく、震えていた。


主治医は蓮の言葉を受け止めるように深く頷いた。その頷きには、緊張と責任の重みが滲んでいた。




「……わかりました。それでは、すぐに準備に入ります。ただ、その前に必要な書類があります。説明と同意書、そして決済の手続きです」




机の上に、分厚い書類の束が広げられた。紙の擦れる音が、やけに大きく響く。
同意書、治療計画書、薬剤の説明資料、そして決済承諾書――どれもびっしりと文字が並び、黒い活字の羅列が今の蓮には恐ろしく冷たいものに見えた。

主治医は一枚ずつを手に取り、指先で端を押さえながら、丁寧に説明を始める。




「この薬は免疫系に作用し、がん細胞の進行を抑える働きがあります。ただし、体力を大きく消耗するため、発熱や吐き気、場合によっては痙攣や意識障害が起きる可能性があります。そして雅也くんはまだ第二性が分かっていない…もしかしたら後遺症で未分化のままになるかもしれません」




「いいです。雅也が元気でさえいてくれれば……なんだろうといいんです」




たとえ未分化であやふやな性別になったとしても。

ホッチキスで止められたページをめくるたび、紙の音が耳を刺すように響いた。




「投与は静脈から行い、数時間かけて体内に入れます。副作用が出た場合、すぐに処置を行いますが――この状態では、それが致命的になるリスクもあります」




その言葉が突き刺さるたび、蓮の胸が締め付けられる。
視界が滲み、資料の文字がまともに読めない。それでも、医者の声だけは鮮明に耳に届いた。




「……やります。全部、やります。だから――早く」




震える声で言った蓮を見て、主治医は静かに頷いた。




「承知しました。それでは、こちらに署名と押印をお願いします」




差し出されたペンを握ると、指先が震えて文字が歪む。それでも止められず、全ての欄に自分の名前を書き入れた。
署名を終えると、主治医は書類を一枚一枚確認し、手元に重ねる





「ありがとうございます。すぐに薬を手配します……ただ、会計の確認が取れないと投与の準備に進めません」




医者は時計を一瞥し、やや急いだ口調で続ける。




「――窓口、今ならまだ間に合います。こちらの書類を持って、会計窓口に行ってください」




その言葉を聞いた瞬間、蓮は立ち上がった。
椅子の脚が床を擦り、耳障りな音が響く。




「現金、一括で払います」




即答した蓮に、主治医は一瞬目を見開き、それから無言で頷いた。

蓮はバッグを開け、茶色い封筒を取り出す。中には、ぎっしりと詰め込まれた札束――

封筒を強く握りしめたまま、蓮は主治医から書類を受け取った。




「こちらを会計窓口に提出してください。すぐに投与の準備に入っておきますから急いでください、会計の確認が取れ次第投与します」




主治医と看護師が慌ただしく電話で何かを指示している声が聞こえたが、蓮の耳にはほとんど届かない。


――急げ。まだ終わっていない。


資料を胸に抱え、蓮は空気を切り裂くような速度で廊下に飛び出した。
蛍光灯の光が異様に眩しく、視界の端で壁が流れる。
夜間の病院は静まり返っているのに、蓮の足音だけがやけに大きく響いた。

エレベーターを待つ余裕などなく、また階段を駆け下りる。
疲労から足元がふらつき、何度も転びそうになりながらも、必死に走った。

――間に合え、まだ間に合う。

胸の奥で呪文のようにその言葉を繰り返す。
息が荒く、肺が焼けるように痛い。額からは汗が滲み落ち、資料の紙が湿っていく。

やっとの思いで会計窓口に辿り着くと、カウンターの奥で事務員が驚いたように顔を上げた。
もうしめる寸前だったのだろう、シャッターの留め具は外されあかりが消えていた。




「すみません、これっ……! 今すぐお願いします!!」




書類を叩きつけるように置き、封筒を抱えた手で札束を取り出す。
その動作に迷いは一切なかった。

窓口をしめる寸前だった。ゆったりと閉め作業にとりかかる事務員が目を丸くしたまま確認の言葉を投げる。




「……現金、一括でよろしいですか?九十六万八千円になりますよ?」




「はい、全部払います……今すぐ!」




事務員の札束を数える手は震えていたが、指の動きだけは速かった。
紙の擦れる音、カウンターに置かれる札の重み、全てが耳に焼き付く。

事務員は慌ただしくレジを操作し、領収書が印刷される音が響いた。




「確認できました。手続き完了です。すぐに薬の手配に入りますので、病室にお戻りください」




蓮は閉め作業が終わる寸前に大金を持ってきたことを申し訳なくも思いながら領収書を乱暴に掴む。

領収書を掴んだ瞬間、安堵感に膝が崩れそうになった。しかし、立ち止まる時間はなかった。




「お願いします……絶対に、頼みます……」




深く頭を下げ、再び廊下を駆け出した。
階段を一段抜かしで駆け上がる。足が重く、視界が揺れても止まれない。

領収書は手の中でくしゃくしゃに握り潰され、汗で湿っていた。
それでも、蓮の足は止まらない。






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