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西のアクアデル編
性悪王子、馬車が襲われる
しおりを挟む「お前は見ているだけでいい。ご主人様の邪魔はするな。これは――私の仕事だ」
その言葉をラヴェリオンに突きつけた、まさにその瞬間だった。
馬車の床板が腹の底から突き上げられるように震え、乾いた衝撃が脛を直撃する。座席の端に置いた靴先がふわりと宙を切り、次の瞬間には革の継ぎ目がみしりと悲鳴をあげた。
外では、馬が喉の奥を裂くような甲高い嘶きを放つ。その響きは生温い空気を裂き、骨の奥まで痺れさせるような鋭さを持っていた。
「――盗賊だ!」
御者台から、掠れた叫びが弾ける。
その声が耳に届くよりも早く、馬車は急激に減速し、車輪が土を噛む低い軋みが車内を満たした。
空気の密度が一気に変わる。先ほどまで揺らめいていた夕暮れの温もりが、何か冷たいものに押し潰されるように沈んでいく。
俺は布張りの屋根を勢いよくめくり上げた。
その下――視界いっぱいに広がるのは、ざっと三十の影。
ぼろ布と擦り切れた皮鎧を纏い、筋張った腕に握られた刃が夕陽を浴びて赤く鈍る。
その光は、まるで血の色を先取りしているかのように生々しい。
土埃が風に舞い、金属の匂いと汗の酸味が鼻を刺す。遠くで小石を踏み砕く音、皮底の靴が土を擦るざりざりとした感触が、円を描くように俺たちを囲み込んでくる。
笑い声が上がった。
それは楽しげというより、既に勝敗が決している狩りの始まりを告げる合図。
油断なく光る瞳が、ただの人間のそれではなく、飢えた獣のそれに見えた。
心臓が、脈打つたびに視界の端を震わせる。
妙に早いくせに、鼓動は一定のリズムを刻んでいた。
――怖い。
その感情がまず脊椎を這い上がり、背中の皮膚を冷たく撫でていく。
けれど、それと同じ速さで、胸の奥から別の熱が湧き上がる。
喉の奥がじりじりと焼け、掌が汗ばむ。息が浅くなるのに、視界だけは驚くほど澄んでいく。
俺は二十一世紀から来た。
人殺しなんて、ニュースサイトの見出しや映画のスクリーンでしか知らない。
だが今――目の前の現実は、刃の冷たさも、肉を断つ瞬間の重みも、すぐそこにある。
殺す側と殺される側、その境界線は、わずか数歩。
時間が引き延ばされたかのように、盗賊たちの瞳の奥に潜む光の揺れまでもが見える。
それは弓弦に掛けられた矢が放たれる直前の、張り詰めた静寂そのものだった。
――怖い。
けれど、それ以上に、たまらなく昂ぶっている。
心臓の音と共鳴するように、俺の中の“セレヴィス”がざわめいた。
理性の奥底から、どうしようもないほどの興奮が噴き出す。
戦いの匂いが、血の匂いが、まるで甘い蜜のように脳を痺れさせる。
その感覚に、俺は笑いそうになった。
こいつ、かなりのキチガイだ。
腰を上げ、反撃に移ろうとしたラヴェリオンの肩を、俺は無言で押し戻した。
力の加減は一切せず、掌に込めた圧だけで「動くな」と伝える。
「これは――私の獲物だ」
その瞳がわずかに鋭さを増すのを感じながら、さらに言葉を重ねた。
興奮が止まらない。フル勃起不可避だ。
「それに……私は奴隷の管理も出来ない犯罪者にはなりたくないものでな。大人しく座っていろ」
奴隷――特に“戦争奴隷”でない者が人を殺せば、体に刻まれた奴隷紋が変色する。
元は淡い紫色の紋が、黒く、沈むように染まるのだ。
それは隠しようがない。
関所で奴隷照合を受けたとき、その黒は一発で照合記録に浮かび上がり、主人は即座に“奴隷を用いた殺人の共犯”として裁かれる。
戦争奴隷だけは例外で、刻印そのものが最初から“殺生を許可する紋”として刻まれている。
だがラヴェリオンは違う。
ここで奴が動けば、俺たちは即座に首を差し出す羽目になる。
だから――これは俺がやるしかない。
馬車の外で、盗賊たちの靴音が砂を擦り、円がじわじわと狭まっていく。
その音が耳に入るたび、俺の体はさらに熱を帯び、同時に意識は異様なほど澄み渡っていった。
心臓は速く、しかし妙に静かだ。
血が巡る音すら聞こえるほどの冴え。
そして――脳裏に、焼き付くような映像が瞬く。
俺の知らない場所、俺の知らない光景。
だが“俺の体”は、それをよく知っているかのように反応した。
手が勝手に上がる。
指先に淡い光が集まり、糸が紡がれるように形を変えていく。
きらめきが伸び、細く、しなやかに――やがてそれは、銀糸のような光を帯びた一本のレイピアへと姿を定めた。
柄を握った瞬間、全身に電流が走る。
受験勉強の頃、指の延長のように扱えたお気に入りのシャーペンよりも、ずっと、自然に馴染んだ
なぜだ?
どうして、こんなにも当たり前のように扱える?
まるで何年、何十年も使い込んだ相棒のように――。
……なぁ、お前は誰なんだ。
俺の中で、この武器を作り、この戦いを待ち望んでいる奴は。
ついこないだまでクソニートして、毎日しこってたはずだ。どこからどこまでが俺なんだ
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