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雪女
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〝むさしのの うずもるゆきに とめられて
やどのいちやは ゆめかうつつか〟
武蔵野国、調布村――。
巳之吉は十八歳で、茂作という老人の元で樵として働いていた。
毎日大きな川を渡って森へ行き、そこで木を集めてくるのだ。
ある冬の日、ひどい吹雪になった。
川の渡し船は対岸にいってしまっていて渡し守もいない。
かと言って泳いで渡ることも出来ない。
そこで巳之吉と茂作は渡し守の小屋に泊まることにした。
真夜中、巳之吉が目を覚ますと白い装束の女が茂吉の上に屈み込んでいた。
それからこちらを向くと今度は巳之吉の顔を覗き込んできた。
巳之吉が恐怖に震えていると、
「お前も殺そうと思ったんだけど――」
女が囁く。
「――いい顔をしているね。助けてやろう。その代わり、私のことは誰にもはなさないで。いいね」
と、女はけっして人に話すなと念を押すと小屋から出て言った。
女がいなくなった後、巳之吉は茂作に声を掛けたが返事がない。
そっと手を伸ばして顔に触れると氷のように冷たくなっている。
茂作は死んでいたのだ。
巳之吉はしばらく寝込んでしまった。
動けるようになるとまた樵を始めた。
巳之吉が森で集めてきた木の束を母が売りに行ってくれた。
ある冬の晩の帰り道。
巳之吉は見知らぬ少女が一人で歩いているのに気付いた。
少女に声を掛けると、彼女は、
「お雪」
と名乗ったので巳之吉も名乗った。
とても綺麗な少女で鳥のように美しい声をしていた。
巳之吉はお雪と話しながら歩き始めた。
「どこに行くの?」
巳之吉がそう訊ねると、
「江戸へ」
と答えた。
両親が亡くなり、江戸で働くつもりだという話だった。
「江戸に結婚の約束をした男がいるとか?」
巳之吉が冗談めかしてそう訊ねると、お雪は笑いながら、
「まさか」
と否定してから、
「あなたは? 結婚してる? それとも約束した人がいるの?」
と逆に訊ねてきた。
「いや、いないよ」
巳之吉は照れくさい思いで答えた。
「もう暗いし、今夜はうちで休んでいきなよ。あ、うちにはおっかさんがいるから俺と二人きりじゃないよ」
と誘うと、お雪はしばらく躊躇ってから承諾した。
巳之吉の母はお雪を歓迎して温かい食事を出した。
そしてお雪にしばらく江戸行きを伸ばすように勧めた。
お雪は少し迷ってみせてから頷いた。
お雪はそのまま巳之吉の家に滞在し、やがて巳之吉と結婚した。
五年後、巳之吉の母は亡くなった。
巳之吉とお雪の間には十人の子供が生まれた。
ある冬の晩――。
お雪は針仕事をしていた。
結婚してから十数年、子供を産んだ後でも彼女は全く年を取っていないように若々しく美しかった。
巳之吉はお雪を眺めながら昔のことを思い出していた。
「お前を見ていると昔あったことを思い出すよ」
巳之吉は思わずそう言っていた。
「昔?」
「お前と知り合う前に会った女だ」
「誰ですか、それは」
そう訊ねられた巳之吉は聞かれるがままに昔、吹雪に遭った晩のことを話し始めた。
「――夢だったのかもしれないが、朝、目が覚めたときには茂作祖父さんは死んでいた。あれは雪女だったのかもしれないな」
巳之吉が話し終えると同時にお雪は立ち上がった。
「それは私です! 話たら殺すと言ったでしょう! 本来なら今すぐあなたを殺すところです」
お雪はそう言ってから寝ている子供達に目を向けた。
「子供達のために今は殺さないでおきます。けれど子供達を大事にしなかったらその時は覚えておきなさい!」
お雪はそう言うと白い霞となって消えていった。
子供達が全員無事に育って家を出ていってから大分経った。
巳之吉は夜空を見上げた。
あの時、お雪は「今は」と言った。
だから巳之吉はずっと待っていた。
お雪が殺しに来るのを――。
〝ふるゆきの きえずつもりし わがおもひ
けしきはけせど おもひはけせじ〟
**
小泉八雲『雪女』より。
和歌は私の作です。
掛詞があるので本文中は平がなで表記しています。
武蔵野の 埋もる雪に とめられて 宿の一夜は 夢か現か
雪に止められて・泊まった宿の一夜は夢か現か
掛詞:止め・泊め
ふる雪の 消えず積もりし 我が思い 景色は消せど 思いは消せじ
降る雪が(年を)経て消えずに積もる(ように)積もっている我が思い
掛詞:降る・(年を)経る
※「思ひ」と「火」はここでは掛詞ではありません(「火」に関係する言葉が入ってないので)。
やどのいちやは ゆめかうつつか〟
武蔵野国、調布村――。
巳之吉は十八歳で、茂作という老人の元で樵として働いていた。
毎日大きな川を渡って森へ行き、そこで木を集めてくるのだ。
ある冬の日、ひどい吹雪になった。
川の渡し船は対岸にいってしまっていて渡し守もいない。
かと言って泳いで渡ることも出来ない。
そこで巳之吉と茂作は渡し守の小屋に泊まることにした。
真夜中、巳之吉が目を覚ますと白い装束の女が茂吉の上に屈み込んでいた。
それからこちらを向くと今度は巳之吉の顔を覗き込んできた。
巳之吉が恐怖に震えていると、
「お前も殺そうと思ったんだけど――」
女が囁く。
「――いい顔をしているね。助けてやろう。その代わり、私のことは誰にもはなさないで。いいね」
と、女はけっして人に話すなと念を押すと小屋から出て言った。
女がいなくなった後、巳之吉は茂作に声を掛けたが返事がない。
そっと手を伸ばして顔に触れると氷のように冷たくなっている。
茂作は死んでいたのだ。
巳之吉はしばらく寝込んでしまった。
動けるようになるとまた樵を始めた。
巳之吉が森で集めてきた木の束を母が売りに行ってくれた。
ある冬の晩の帰り道。
巳之吉は見知らぬ少女が一人で歩いているのに気付いた。
少女に声を掛けると、彼女は、
「お雪」
と名乗ったので巳之吉も名乗った。
とても綺麗な少女で鳥のように美しい声をしていた。
巳之吉はお雪と話しながら歩き始めた。
「どこに行くの?」
巳之吉がそう訊ねると、
「江戸へ」
と答えた。
両親が亡くなり、江戸で働くつもりだという話だった。
「江戸に結婚の約束をした男がいるとか?」
巳之吉が冗談めかしてそう訊ねると、お雪は笑いながら、
「まさか」
と否定してから、
「あなたは? 結婚してる? それとも約束した人がいるの?」
と逆に訊ねてきた。
「いや、いないよ」
巳之吉は照れくさい思いで答えた。
「もう暗いし、今夜はうちで休んでいきなよ。あ、うちにはおっかさんがいるから俺と二人きりじゃないよ」
と誘うと、お雪はしばらく躊躇ってから承諾した。
巳之吉の母はお雪を歓迎して温かい食事を出した。
そしてお雪にしばらく江戸行きを伸ばすように勧めた。
お雪は少し迷ってみせてから頷いた。
お雪はそのまま巳之吉の家に滞在し、やがて巳之吉と結婚した。
五年後、巳之吉の母は亡くなった。
巳之吉とお雪の間には十人の子供が生まれた。
ある冬の晩――。
お雪は針仕事をしていた。
結婚してから十数年、子供を産んだ後でも彼女は全く年を取っていないように若々しく美しかった。
巳之吉はお雪を眺めながら昔のことを思い出していた。
「お前を見ていると昔あったことを思い出すよ」
巳之吉は思わずそう言っていた。
「昔?」
「お前と知り合う前に会った女だ」
「誰ですか、それは」
そう訊ねられた巳之吉は聞かれるがままに昔、吹雪に遭った晩のことを話し始めた。
「――夢だったのかもしれないが、朝、目が覚めたときには茂作祖父さんは死んでいた。あれは雪女だったのかもしれないな」
巳之吉が話し終えると同時にお雪は立ち上がった。
「それは私です! 話たら殺すと言ったでしょう! 本来なら今すぐあなたを殺すところです」
お雪はそう言ってから寝ている子供達に目を向けた。
「子供達のために今は殺さないでおきます。けれど子供達を大事にしなかったらその時は覚えておきなさい!」
お雪はそう言うと白い霞となって消えていった。
子供達が全員無事に育って家を出ていってから大分経った。
巳之吉は夜空を見上げた。
あの時、お雪は「今は」と言った。
だから巳之吉はずっと待っていた。
お雪が殺しに来るのを――。
〝ふるゆきの きえずつもりし わがおもひ
けしきはけせど おもひはけせじ〟
**
小泉八雲『雪女』より。
和歌は私の作です。
掛詞があるので本文中は平がなで表記しています。
武蔵野の 埋もる雪に とめられて 宿の一夜は 夢か現か
雪に止められて・泊まった宿の一夜は夢か現か
掛詞:止め・泊め
ふる雪の 消えず積もりし 我が思い 景色は消せど 思いは消せじ
降る雪が(年を)経て消えずに積もる(ように)積もっている我が思い
掛詞:降る・(年を)経る
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