ひとすじの想い

月夜野 すみれ

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第四章

第四章 第二話

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 その日は珍しく流の迎えが遅くなり、水緒と二人、逢魔おうまときの帰り道を歩いていた。

「うぅ……」
 流はうめき声を聞いた。
 声の方を振り返ると水緒もそちらを見た。
 道端に何かがうずくまっている。
 あやかしだった。
 名前は知らないが異形いぎょうの者だ。
 小さな子供くらいの大きさだった。

「大変! ケガしてる! 早く手当てしないと!」
 水緒は流が止める間もなく妖に駆け寄った。
「水緒! そいつは妖だ! 化物だぞ!」
「でも、ケガしてるよ」
 水緒は妖の前に膝を突くと手拭いを裂いて傷に巻こうとした。
 その手を妖が払う。
「人間、触るな……儂は妖だ」
「水緒、聞いただろ。そいつは化物だ。放っておけ」
「でも、ケガしてるんだよ。放っておけないよ」
 そう言うと裂いた手拭いを妖の傷に巻いていった。

「大丈夫?」
 水緒が妖を覗き込んだ。
「う……」
「ここにいたら誰かに殺されちゃうね。流ちゃん手伝って」
 水緒がそう言って妖を持ち上げようとした。
 流は渋々水緒に手を貸して妖を持ち上げると、側にあった小さな稲荷の祠の裏に運んだ。
「治るまでじっとしてて。ここなら見付からないと思うから」
「水緒、早く帰ろう」
「うん」
 水緒は何度か心配そうに稲荷を振り返りながら帰路にいた。

 翌朝、流が素振りをしていると、水緒が辺りを見回しながら、こそこそと出てきた。

「水緒、どうした」
「きゃ! あ、流ちゃん」
 水緒は手拭いに包んだものを抱えていた。
 匂いで握り飯だと分かった。
「それ、あいつに持ってくのか?」
「うん、ご飯食べないとケガが治らないでしょ。流ちゃん、おじ様には内緒にしておいて」
「分かった。気を付けろよ」
「うん、ありがと」
 水緒はそう言うと家から出て行った。

 いていこうかと思ったが何となく、あいつは水緒には危害を加えないような気がしたのでめておいた。
 あの妖に自分と同じ匂いを嗅いだのだ。
 自分が水緒の優しさに心を奪われたように、あの妖も水緒に惹かれたような気がした。

 その日の午後、水緒の迎えに行く途中、路地からつねが出てきた。
 この前もこの道から出てきたからこの辺に住んでるのかもしれない。

「そろそろ暑くなり始めるね」
 つねが流の隣を歩きながら言った。
 流は返事をしなかった。
「あんたは江戸に住んでどれくらいだい? あたしはもうすぐ三年になるんだ」
 つねは流の態度を気にした様子もなく話を続けた。
「江戸は人が多いだけあって、最可族にはそう簡単に見付からないのがいいね」
 などと言っているうちにつねが働いてる水茶屋まで来た。
「じゃあね」
 つねはそう言って店に入っていった。

 その数件先の水緒の働いている店に行くと、いつも以上に繁盛していた。
 錦絵を見てやってきた者達だろう。
 大勢の男達でごった返している。
 水緒は忙しそうに動き回っていた。
 それでも、すぐに流に気付くと嬉しそうに微笑わらった。
 何人かの客が水緒が笑顔を向けた相手は誰なのかと振り向く。
 流は隅の方の席に腰を下ろすと水緒の仕事が終わるのを待った。

 朝、水緒がこっそり握り飯を持って祠へ行き、夕方流が迎えに行く途中でつねがやってきて一人で喋って去って行き、その後、水緒と一緒に家に帰るという日が何日か続いた。

 ある朝、水緒は白い花のついた小枝を持って帰ってきた。

「水緒、それは?」
「あそこに行ったらあの妖さん、いなくなっててこれが置いてあったの」
「水緒への礼か」
「やっぱりそうなのかな」
 水緒は花の枝に目をやった。

 二人で家に入ると、お加代が何やら騒いでいた。

「どうしたんだ?」
 流が桐崎に訊ねると、
「ここ何日か、飯が減っているというのだ」
 と答えた。
 流と水緒は顔を見合わせる。
「きっと誰かが盗みに入ってるんですよ!」
 お加代が言った。
「あ、あの、それは……」
「俺が食った」
 水緒を遮って流が言った。
「お前が?」
「違うの、おじ様! 私が持ち出してたの! ごめんなさい!」
 水緒がそう言って頭を下げた。

「何だ、野良犬にでもやってたのか?」
「犬じゃなくて……」
「犬でも猫でも良い。怒らないからそう言う時はちゃんと断りなさい」
「はい。ごめんなさい」
 水緒が謝った。
「流ちゃん、ありがと」
 そう言うと夕餉の支度のために台所へと入っていった。
 台所から、
「水緒ちゃん、ごめんよ」
 と言っているお加代の声が聞こえてきた。

 午後の稽古が終わり、片付けをしていると誰かの「最近、土田を見ないな」という声がした。
 流が片付けをしながら聞くともなく聞いていると、この前岡場所へ行ってから女にハマって通い詰めているらしい。
 他にも何か言っていたが、水茶屋に行く時間なのでさっさと片付けると着替えて道場を後にした。

 やはり今日もつねがやってきて色々と喋りだした。
 一人で良く喋るものだと思うが、考えてみると水緒も流に色々話している。
 水緒の話ならいくら聞いても飽きないが、つねの話は全く耳に入らなかった。
 いつ、つねがいなくなったのか気付かなかったが水緒の働いている水茶屋に着いた時には姿がなかった。

「ね、流ちゃんに女の子の知り合いる?」
 帰り道、水緒が流に訊ねてきた。
「水緒以外いない」
「お客さんが、流ちゃんと女の子が一緒に歩いてるの見たって言ってたの」
 その言葉に首を傾げた。
 流には全く心当たりがない。
 見間違えではないのかと返事をし掛けてようやく思い当たった。

「ああ、あれか。あれは知り合いじゃない」
 そう言ってから、何か説明しなくてはいけないような気がして、
「鬼の女で最可族に狙われてるらしい。俺が一緒の時に一度襲われた」
 と付け加えた。
「流ちゃんが助けてあげたの?」
「助けたわけじゃない。襲ってきたから倒したら勝手に感謝して礼だとか何とか言ってきたんだ」
「そうなんだ」
 水緒は流の説明に納得した様子で、それ以上つねのことには触れずに今日あったことを話し始めた。

 稽古が終わり、流は片付けをしていると門弟達が紙を見せ合いながら興奮した様子で話していた。
『水緒』という名前が会話の端々に混ざっているから門弟達が持っている紙は水緒の錦絵だろう。
 もう門弟の中で持っていない者はいないようだ。
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