ひとすじの想い

月夜野 すみれ

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第四章

第四章 第一話

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 ある日、午後の稽古が終わり片付けをしていると「桐崎殿」という言葉が聞こえてきた。
 門弟達は桐崎のことは師匠と呼ぶから桐崎殿というのは流のことだ。
 どうやら流の話をしているらしい。

「山崎殿、桐崎殿には水緒さんという許嫁が……」
「ちょっと遊ぶくらいで大袈裟な」
 山崎と呼ばれた男は小森の言葉を遮ってそう言うと流の方へやってきた。
「桐崎殿、これから皆で深川の見世みせり出すのだが一緒に行かないか?」
「店? 何の?」
「岡場所です」
 小森が囁いた。
「水緒と何か関係あるのか?」
「普通の女性にょしょうはそう言うのを嫌がりますから、水緒さんもそうではないかと……」
「俺は水緒の迎えがあるから」
 流はそう言って道場を後にした。
「今から水緒殿の尻に敷かれてるようでは……」
 山崎が小声で仲間に囁いた。
 流は人間には聞こえない音でも聞こえるから山崎の言葉も耳に届いていたが、別に他人に何を言われようと気にならない。

 水茶屋へ向かっていると途中にあの鬼の女が立っていた。
 確か、つねとか名乗っていたような気がする。
 流が無視して通り過ぎると並んで歩き出した。

「消えろと言ったはずだ」
「だからあの時ちゃんと消えたじゃないか。ずっと消えてろとは言われなかったからね」
「じゃあ、ずっと消えてろ」
「もう礼はした。あんたの指図は受けないよ。ねぇ、あんたの名前は?」
 流はそれ以上何も言わずに足を早めた。
 つねが足早にいてくる。

「あの女……」
 つねが言いかけた途端、流は足を止めて振り返った。
「水緒に手を出したらお前を殺す」
 流の殺気立った様子に、つねが思わず後ろに後退あとずさった。

「べ、別に、手を出すとは言ってないだろ。ただなんで人間なんかとつるんでんのかと思ってさ」
「お前には関係ない」
 そう言うとまた歩き出した。
「なんでこんな町中に人間の格好して住んでんだい?」
「お前だって住んでるだろ」
「あたしは最可族の刺客から隠れるためさ。あんたは?」
「別に」
 水緒がいるからだが自分の弱点をわざわざ教える気はない。

「あんたを狙ってるのも保科ってヤツかい?」
 その問いに流は足を止めた。
「保科?」
「知らないのかい? 最可族の刺客の後ろで糸を引いてるのは保科って男だよ」
「なんで仲間を狙うんだ?」
「仲間じゃないよ。奴らにとってはね。最可族は混血を嫌悪してて、純血じゃないヤツを殺して回ってる。あんたも混血で狙われてるのかい?」
 その問いには答えず流は黙って再び歩き出した。

 保科が刺客をあやつっている?

 しかし保科の流に対する忠誠は本物だった。
 つねはともかく自分を襲わせていたとは考えづらい。
 まぁもう保科はいないのだし、つねがどうなろうとどうでもいい。

 そう思った時、
「ね、手を組まないかい?」
 つねが言った。
「手を組む?」
 流はつねを見た。
「狙われてるのはあたしだけじゃないんだ。可支入かしり族の母さんも狙われてるんだよ。あんただって戦うなら数が多い方がいいだろ」
「俺は一人の方がいい」
 流はそう言うと足を早めた。
 つねは後に一人取り残された。

 水緒が夕餉の支度のために台所へ行くと流は桐崎に身を寄せた。

「何だ、流」
 桐崎が不審そうに流を見た。
「岡場所って何だ?」
「岡場所? 女と遊ぶところだが、それがどうした」
「遊ぶって何をして?」
「何って、女と遊ぶと言ったら意味は一つしかないだろう」
 その意味が分からない。
双六すごろくをしたりするのか?」
「いや、大人の遊びだ」

 なんだそれは……。
 大人と子供で遊びが違うのか?
 と言うか、大人も遊ぶものなのか?

「水緒が嫌がるのはどうしてだ?」
「お前、水緒に岡場所へ行くと言ったのか!?」
「言ってない。ただ岡場所へ誘われた時、小森が水緒は嫌がるだろうって言ってた」
「そりゃ、女としてはいい気分ではないだろうな。自分がいるのに他の女と、その……。まぁ、水緒は悋気りんきを起こすようには見えないが」
 いつもはっきり物を言う桐崎にしては歯切れが悪い。
「つまり岡場所って言うのはどういうところなんだ?」
「要するに……奥田が水緒にやろうとしていたことをする店だ」
「女に暴力を振るうのが遊びなのか!?」
 それでは鬼と同じではないか。
「いや、暴力を振るったのは水緒に言うことを聞かせるためで本当にしたかったのは別の事だ」

 よくは分からないが奥田が水緒を殴ったのは本来なら親しい男女がするようなことをしようとして水緒が断ったからで、岡場所というのは力尽くで言うことを聞かせるのではなく、代わりに金を払ってそこにいる女とする場所という事らしい。
 なぜ親しい相手とすることを金を払ってまで親しくない相手としようとするのか理解出来ない。
 流は水緒以外の女には興味がないから、本来なら水緒とするようなことを他の女としたいとは思わない。

 それに水緒は、桐崎の言うとおり悋気は起こさないだろうが悲しむのではないだろうか。
 水緒が悲しそうだと流も悲しくなるし、嬉しそうだと自分も嬉しい。
 だから水緒を悲しませるようなことはしたくない。
 金を払ってまでするなんて論外だ。
 それくらいなら櫛や簪を買って水緒に贈る方がいい。

「夕餉が出来ました。流ちゃん、おじ様、何のお話をしてたんですか?」
 水緒がまず桐崎の分の膳を持ってきた。
「あ、門弟達の事だ」
 桐崎が慌てて誤魔化ごまかした。
「そうですか」
 水緒はそれ以上聞かなかった。
 流は内心ほっとした。
 行ったわけではないとはいえ岡場所の話をしていたなどと言うことは知られたくない。
 もっとも水緒は岡場所がどういうところか知らないかもしれないが。

 数日後、水茶屋へ迎えに行くと水緒が錦絵を差し出した。

「これ、私の錦絵」
 流は錦絵に目を落とした。
 水緒の立ち姿だった。
 身体は正面を向き顔は後ろを振り返ろうとしていた。
「どうかな?」
 水緒が流を見上げた。
「良く描けてるんじゃないか?」
 江戸中の男が見に来るには十分なほどに。

 ふと、つねの話に保科が出てきたことを思い出した。
 保科は江戸に来ているのだろうか。
 もし来ていてこの錦絵を見たとして、水緒だと分かるだろうか。
 保科は頭がいい。
 子供の頃に会っただけでも、成長した姿を思い描けば水緒だと分かってしまうのではないだろうか。
 保科が流に危害を加えるとはこれっぽっちも思っていない。
 しかし水緒に対しては違う。
 流のためだと思えば殺すのを躊躇ためらったりしない。
 錦絵が保科の目に止まらないといのだが。
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