赤月-AKATSUKI-

月夜野 すみれ

文字の大きさ
2 / 42
第一章 天満夕輝

第二話

しおりを挟む
 目を開けると古い木製の天井が見えた。
 どこかおかしい。
 何か違和感があってよくよく見てみると、電灯がなかった。

 夕輝は身体を起こした。
 硬くて薄い布団に寝ていたせいか体中が痛い。
 上に掛けられていた、これまた薄くて古びた着物のような物をどけたとき、廊下を歩いてくるような足音がしたかと思うと襖が開いた。
 薄茶色っぽい色の着物を着て、髷を結った中年の女性が顔を覗かせた。

「起きたみたいだね」
「あの……ここはどこですか?」
「あたしんちだよ。って言っても分からないよね」
 女性が笑った。
朝餉あさげが出来てるよ。食べにおいで」
 そう言われて腹がすいているのに気付いた。

 女性の後について短い廊下を歩いて行くと、半分が畳で半分が土間になっている部屋についた。

 土間なんて初めて見た。
 いや、うちの玄関も靴で入るところは土間って言うのか? 土じゃないけど。

 畳の部分にはこれまた髷を結って着物を着た男性が二人と、やはり髷を結った地味な着物の太った中年女性がいた。

「おう、起きたのかい」
「よく眠れたかい」
 男二人が声をかけてきた。
「あ、はい……その、お陰様で」
 夕輝はよく分からないまま頭を下げた。

「おいおい、頭なんか下げんなよ」
「礼を言わなきゃなんねぇのはこっちだぜ」
「え?」
「なんだい、夕辺のこと覚えてねぇのかい?」
「夕辺……」
 夕輝はそのとき、少女の姿が見えないのに気付いた。
「あの、俺と一緒にいた女の子知りませんか?」
「女の子? いや、見なかったぜ」
「妹か誰かと一緒だったのかい?」
「いえ、知らない子です。迷子だったらしいので送っていく途中だったんです」

 あの子は無事に帰れたんだろうか。

 夕輝は改めて部屋を見回した。
 土間には時代劇で見るようなかまど(多分)があった。
 大きな茶色いかめ(多分)も置いてある。
 竈の上は格子のついた窓になっていて、ガラスが入っていないらしく、朝の冷たい風が吹いてきていた。
 そして、やはり電灯がなかった。
 ついでに水道もなかった。

 部屋の隅にある……あれ、ひょっとして行灯?

 女性二人は夕輝を男性二人の向かいに座らせると土間に降りていって食事の支度を始めた。

 夕輝が朝食を終えると、男性の一人が早速口を開いた。

「夕辺はあんがとよ」
「あんたは命の恩人だ」
「いえ、そんな大層なことは……」
 夕輝は慌てて手を振った。

「あんたの名前ぇ聞いていいかい? 俺ぁ平助ってんだ。こいつぁは伍助、日本橋辺りを縄張りにしてる御用聞きで、そっちにいんのが俺の女房のお峰と、お前ぇが助けた正吾の女房のお花」
「うちの人はまだ動けないんで代わりにお礼に来たんだよ」
 お花が言った。
「天満夕輝です」
 夕輝が誰にともなく頭を下げた。

「随分と礼儀正しい子だねぇ」
「育ちが良さそうだね」
「いえ、そんなことは……」
「けど、お前ぇ、月代さかやきってねぇな。もしかして無宿者むしゅくものかい?」
「無宿者……ってなんですか?」
「うちはあんのかい? 家族は?」
「家ならありますけど……家族は両親が……」
「それなら無宿者じゃぁないね」
 お峰が笑顔で言った。
 何故か少し緊張していたような様子だった平助と伍助がほっとした表情を見せた。

「あの、ここはどこなんですか?」
馬喰町ばくろちょうだよ」
 平助が答えた。
「馬喰町?」

 馬喰町なら都内だよな。

 夕輝は地下鉄の路線図を思い出そうとした。

「なんだ、馬喰町を知らねぇのか。『えど』だよ、『えど』。『えど』なら知ってんだろ」
「『えど』って、江戸時代の?」
「江戸時代? 何でぇそりゃ」
 伍助が不思議そうな顔をした。
「えっと、徳川幕府の……」
「徳川……幕府?」
「徳川って公方くぼう様のことだよな?」
 伍助が言った。
 平助が膝を叩いた。
「そうそう! ここは公方様のお膝元よ!」

 公方って確か将軍のことだよな。
 犬公方って将軍がいたもんな。

「東京……じゃないんですか?」
「何? 京? 京ならずっと西だぜ。東海道の一番向こう端だな」
「あれ、京に行きたかったのかい? 迷ったのかね?」
 お峰が言った。
「ずいぶん壮大そうでぇな迷子だな、おい」
「東海道、西に行くところを東に来ちゃったのかねぇ」
「何言ってやんでぇ。どこの世界に西と東を間違える馬鹿がいるんでぇ。お天道てんと様見りゃ、東と西の区別くらいつくだろうが」
 平助も伍助も早口で、確かにちゃきちゃきの江戸っ子という感じだ。

「あ、京都に行きたい訳じゃないです」
「じゃあ、どこへ行こうとしてたんだい?」
 お峰が優しく訊ねた。
「家に帰ろうと……」
「その家ってのはどこにあるんだい?」
「東京です」
「東京ってのはどこだい?」
「えっと……」

 なんか話が堂々巡りしてるような……。

「お前ぇ、一体どこから来たんでぇ」
「……もしかして異人さんとか? おかしな着物着て、髷も結ってないし」
「異人だったら言葉が通じねぇだろうが」
「確かに言葉は通じてるけど話は通じてないよ。言葉遣いもちょっとおかしいし」
「言葉はともかく、確かに頭は変だな。髷結ってねぇし」
 みんなの視線が夕輝の頭に集まる。
「髷を切り落とされたって感じでもないしねぇ」
「じゃあ無宿者とか」
「今、無宿者じゃねぇって分かったばかりだろ」
「どっちかってぇと坊主が髪剃るの怠けたみてぇに見えねぇか?」
 伍助が言った。

「あ、小僧さんかい? 修行がつらくて逃げ出したとか? 山奥のお寺にいたんなら『えど』を知らなくても不思議はないんじゃないのかい」
「お坊さんじゃないです」
 夕輝はようやく割り込む隙を見つけて言った。
「じゃぁ、どこから来たんでぇ」
「だから、東京……です」
「東京ねぇ。どこの国だい?」
「どこの国って……『えど』って……」

 自分が江戸時代の江戸にいるなんて、にわかには信じがたかった。
 しかし、この家には電灯がない。ガラスもない。
 都内の馬喰町ならビルが見えなければおかしいが、窓の外にビルは見えない。

 きっと何か誤解があるのだ。
 江戸時代に来るなんてあり得ない。
 自分は今どこにいるのだろうか。
 ちゃんと家に帰れるのだろうか。

 だんだん不安になってきた夕輝は、思わず家を飛び出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

処理中です...