赤月-AKATSUKI-

月夜野 すみれ

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第六章 望

第四話

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「次は天満から仕掛けてきなさい」
「はい。よろしくお願いします」

 夕輝は礼をすると木刀を構えた。
 二回とも木刀が弾かれた瞬間には喉元に決まっていた。
 なら、すぐに左右のどちらかによれば突きはかわせる……か?
 もう夕輝の頭から、他のことは消えていた。

 夕輝は三度木刀を構えた。
 師匠は相変わらずゆったりと構えていた。
 深呼吸をして息を整えると、足裏を擦るようにしてじりじりと間を詰め始めた。
 一足一刀の間境の半歩手前までくると足を止めた。
 師匠は静かに構えているだけなのに、踏み込める隙がなかった。
 辺りは静まりかえり、針の落ちる音でも響きそうだった。
 夕輝は斬撃の気配を見せたが、師匠は動かなかった。

 かさっ

 外に枯れ葉が落ちる音が聞こえた。
 刹那、夕輝は大きく踏み込むと、突きを放った。

 弾かれた!

 と思った瞬間には師匠の突きが喉元に決まっていた。
 横によける間などなかった。

 二人は再び離れると、木刀を構えた。
 師匠はすっと近付いてくると、一足一刀の間境の半歩手前で止まった。
 師匠の身体が大きく膨らんだように見えた。
 気圧されているのだ。
 夕輝は必死に耐えた。
 先に攻め込んでダメなら後の先を取るしかない。
 しかし、師匠の威圧に、夕輝の剣先がふっと浮いた。
 師匠が斬撃の気配を見せた。
 夕輝の身体が躍った。
 木刀を真っ向に、力一杯振り下ろした。
 師匠の木刀と弾き合った。
 とっさに左に跳びながら二の太刀を小手に。
 しかし、小手に届く前に師匠の面が決まっていた。
 踏み込みが甘いのだろうか。

 なら今度はもう少し深く……。

 夕輝は肩の力を抜くと、ゆっくりと間を詰め始めた。
 一足一刀の間境までくると、素早い寄り身で師匠の懐に飛び込んで面を放った。
 その瞬間、夕輝の木刀は跳ね上げられ、師匠の胴が決まった。
 夕輝は息を吐くと木刀を下ろした。

 やっぱり、考えが甘かったか。

 どうすれば良かったか、考えながら額の汗をぬぐった。
 道着も汗でびっしょりになっている。
 しかし、師匠の方は息も乱していなかった。

「次で最後にしよう」
「はい」
「天満は実戦を経験しているようじゃな」
 師匠はそう言うと、木刀を床に置いた。
「天満、そのまま打ち込んできなさい」

 何故木刀を置いたのか分からなかったが、きっと何か考えがあるのだろう。
 師匠は素手のまま空手のように構えている。
 夕輝は素直に青眼に構えた。
 大きく深呼吸をして息を整えると、真っ向から振り下ろした。
 師匠は体を開いてそれを交わすと、夕輝の木刀の峰の部分を右の手のひらで押さえ、下に押しながら左手で木刀の柄を取った。

 あっと思ったときには夕輝は木刀を奪われ、左脇腹の寸前で止まっていた。
 師匠が間合いに入ってから木刀を取られるまで、ほんの一瞬だった。
 これが実戦なら逆袈裟に斬り上げられていたところだ。

「これは……」
「無刀取りじゃ。稽古場の稽古では無用のものじゃが実戦では何かの役に立つこともあろう」
「有難うございました」
 夕輝は師匠に礼をした。
「石川達に勝ったことで慢心しているかと思ったが、そうではないようで安心したぞ」
「はっ!」
「これからも精進しなさい」
「はい!」
 夕輝が師匠に礼をすると、師匠は頷いて母屋へ戻っていった。


 その日、夕輝は峰湯の手伝いをしていた。
 祥三郞が来ていたが、長八がしごかれるのを見ていてもしょうがないので、手伝いに戻ったのだ。
 夕輝は袖で額の汗をぬぐった。
 風が気持ちいいな、と思い、ふと、さっきより強くなっていることに気付いた。

 風か……。

 何か引っかかるが、それが何だったか思い出せなかった。
 仙吉が割った薪を抱えていると、太一とお花が前後して駆け込んできた。

「兄貴! 大変でやす!」
「夕ちゃん! お唯ちゃん知らないかい!」
「お唯ちゃんがどうしたんですか!」
 夕輝は太一とお花を交互に見た。
「お唯ちゃんがつる野からいなくなったんでやす!」
「つる野の若いもんがお唯はどこだって、長屋に怒鳴り込んできたんだよ」

 まさか……!
 望がかどわかしたんじゃ……。

「夕輝殿、どうされたのですか?」
「あ、祥三郞君」
 夕輝が答えようとしたとき、橋本屋の手代が駆けてきた。

「天満様! すぐにいらして下さい! お嬢さまが……!」
「お里ちゃんもいなくなったんですか!?」
「はい! とにかく、一緒に……」
「夕ちゃん、何の騒ぎだい?」
 騒ぎを聞きつけてお峰も出てきた。

「お峰さん」
「十六夜」
 繊月丸までやってきた。

「未月の娘が望に攫われたよ。朔夜が呼んでる。行こう」
 繊月丸が夕輝の手を引いた。
「何を言ってるんです! うちのお嬢様を捜すのが先ですよ!」
 橋本屋の手代が怒鳴った。
「夕ちゃん、お唯ちゃんのこと、捜してくれるよね?」
 お花が心配そうに手を揉みながら訊ねた。
「未月の娘って、椛ちゃんのこと……だよな。お唯ちゃんとお里ちゃんも……」
 夕輝はそう言いながら繊月丸を見た。
「望のところにいる。江都の神域は穢れきった。すぐにも地下蜘蛛が湧き出してくるよ」

 確か、地下蜘蛛が湧き出すと大火になるって……。

 そうか!

 さっき風に大して感じた引っかかりはこれだ!

「お花さん、それから橋本屋の……えっと……」
「祐二です」
「お花さん、祐二さん。お唯ちゃんとお里ちゃんは俺が助け出してきます。家で待ってて下さい」
「夕輝殿、拙者も同行します」
「有難いけど、危ないから……」
「夕輝殿には葵殿の時に助けていただいた故、今度は拙者が力になります」
「祥三郞君……」
 祥三郞の真剣な顔を見ていると断りづらかった。

「兄貴! あっしも行きやすぜ! 戦力にはならないでやすが、手伝いやす!」
「有難う、二人とも」
 連れていっていいのか分からなかったが、一緒に行ってもらえれば心強いのは確かだ。
「それなら手前も一緒に連れてって下さい」
 祐二が言った。

「いえ、祐二さんは橋本屋さんに、俺がお里ちゃんを助けに行ったことを伝えて下さい」
 夕輝はそう言ってから、
「お峰さん、お花さん、祐二さん、風が強くなってきたので火事には十分に気を付けて下さい」
 その言葉に祐二は、こんな時に何言ってるんだという顔をしたが、お峰は、
「そうだね。今日はもう湯屋はおしまいにした方がいいね」
 と言った。

「それじゃ、行ってきます。繊月丸、案内してくれ」
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