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第四章
第二話
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「花月! 師匠は!?」
光夜は母屋に飛び込んだ。
「今、支度してるけど、どうしたの?」
光夜のただならぬ様子に花月が驚いたように訊ねた。
「麻生が殺されたって山田が知らせに……」
「光夜、お兄様に知らせて!」
花月は急ぎ足で弦之丞の書斎に向かった。
報告を受けた弦之丞と宗祐はすぐに稽古場に向かった。
その後を花月と光夜が随いていく。
「本当に麻生なのか」
弦之丞が冷静な声で山田に訊ねた。
「はい。間違いありません、柳原の土手に……」
「誰か麻生の家に知らせに行ったのか」
「坂本が向かいました」
「そうか」
弦之丞が頷いた。
弟子達は落ち着かない様子で互いに喋っていて稽古場内は騒がしい。
「おい、麻生がどこに住んでたか知ってるか?」
光夜は山田に訊ねた。
「本所だが」
「師匠、これでは稽古にならないのでは」
宗祐が言った。
「そうだな。今日の稽古は休みとしよう」
弦之丞の口から休みが伝えられると弟子達は麻生の話をしながら帰っていった。
帰っていく弟子達に紛れて光夜も稽古場を出た。
花月を誘おうかとも思ったが流石に弟子の死体を見せるのは躊躇われた。
花月に普通の女にするような気遣いが必要かは疑問だったが。
柳橋に向かっていると数人の弟子達が山田を先頭にして歩いていくのが見えた。
どうやら光夜と同じく見物に行くつもりらしい。
山田が道案内してくれるなら丁度いい。
光夜も後に随いていった。
柳原の土手に人だかりがしていた。
大勢の野次馬がいて後ろからでは見えない。
人混みを掻き分けて行こうとした時、御用聞きらしい男が、
「どいてくんな」
と声を掛けた。
人混みが左右に分かれる。
光夜は御用聞きの後に随いて野次馬達の前に出た。
麻生は仰向けに倒れていた。
肩から脇腹まで袈裟斬りにされている。
近くに刀が転がっていた。
正面から斬られたのか……。
御用聞きが十手で手首を持ち上げたりして遺体の硬直の度合いを調べていた。
暫くして黄八丈の着流しに羽織の裾を帯に挟んだ武士が遣ってきた。
町方の同心か……。
町方というのは町人の犯罪捜査などを行う役人やその部下である。
同心というのが普段の捜査の指揮を執り、捕物の時はその上役である与力が指揮を執る。
実際の探索――捜査は同心が自腹で雇っている御用聞きや、その御用聞きが雇っている下っ引きが行う。
御用聞きと下っ引きは町人だ。
同心と御用聞きは麻生の死体の前で何やら話し始めた。
そこへ、
「御免」
と言う声がして再び人垣が割れる。
黒い羽織袴の武士が供を率いて遣ってきた。
後ろから籠が随いてくる。
「その者は我が家の者故遺体を引き取らせてもらおう」
武士が同心に言った。
麻生の身内らしい。
武家は町方の管轄ではない。
同心と御用聞きは素直に脇へどいた。
武士と中間らしい男が麻生の遺体を籠に乗せると帰っていった。
遺体が無くなり同心や御用聞きも帰ってしまうと、これ以上見る物もないと判断した野次馬も散っていく。
光夜も帰ろうと踵を返すと花月がいた。
「花月」
花月には見せたくなかったから一人で来たのだが……。
「見たのか?」
「うん、麻生さんのうちの方が来た時ちらっと見えた」
花月は冷静だった。
「辻斬りだと思う?」
花月が光夜に訊ねた。
「あいつ金持ってそうには見えねぇよ」
どこの岡場所が安いか、などという話をしていたくらいだから実際持ってなかったはずだ。
「でも力試しって辻斬りもいるでしょ」
「力試し……」
光夜は麻生の言っていた言葉を思い出した。
確か人を斬ってどうこうって……。
「どうかした?」
光夜の表情を見た花月が訊ねた。
「力試しは麻生の方かもしれねぇ。でなきゃ本所に住んでる麻生がこんなとこに居るはずねぇし」
「何か知ってるの?」
花月の問いに、光夜は麻生が稽古場で言っていた事を話した。
「誰かを斬ったのね」
「でなきゃ、あんな風には言わねぇだろうな」
「もっと詳しく知りたいわね。他の弟子に話を聞いてもらうよう村瀬さんに頼んでみる」
その一言に光夜はむっとした。
「なんで俺じゃねぇんだよ!」
「あんた態度悪いから村瀬さんしか仲の良い人いないでしょ。麻生さんと親しかった武田さんとは仲悪いし」
光夜は返答に詰まった。
確かに光夜は他の弟子と話したことは数えるほどしかない。
しかもその殆どが口論だ。
「ま、でも、他の人と親しくなる良い機会ね。麻生さんの事を口実に話し掛けてみなさい」
別に他の弟子達と親しくなりたいとは思ってない。
しかしこの先も内弟子でいたいなら他の弟子達と上手く遣っていく必要があるだろう。
「あんたに話すとお父様達の耳に入るかもしれないと思って教えてくれないかもしれないけど、だからって無理強いしちゃ駄目よ。喧嘩したら『大学』全部終わるまで稽古禁止にするからね」
花月は釘を刺した。
「それと念の為、村瀬さんにも頼んでおくから」
次の日から稽古が再開された。
麻生の通夜と葬式には弦之丞と宗祐が行った。
流石に稽古中に私語はないが、稽古前や後は麻生のことで持ち切りだ。
稽古が終わっても弟子達は稽古場で麻生の話をしている。
信之介は武田達に声を掛けたが思うように話してもらえず苦戦しているようだ。
光夜はその集団に近付いていった。
武田が光夜を見て露骨に嫌そうな顔をする。
「お前ら、花月……さんのこと嫌いか?」
「な、なんだいきなり」
意外な言葉に武田達が面食らったようだった。
「男みたいな格好して刀差して歩いて、男に混じって剣術なんかやって……」
「何を言う! 男の格好をしていようと関係ない! 花月さんは……」
武田が光夜に食って掛かった。
「じゃあ、花月と茶でも飲みながら話してみたいとか思うか?」
「それは……」
武田が口籠もった。
その場に居た弟子達が顔を見合わせる。
「茶飲み話くらいさせてやるぜ。来いよ」
光夜がそう言って母屋へ向かうと、武田達は何か裏があるのではないか、と言う表情をしながらも花月と話せるという餌に食い付いてきた。
光夜は母屋に飛び込んだ。
「今、支度してるけど、どうしたの?」
光夜のただならぬ様子に花月が驚いたように訊ねた。
「麻生が殺されたって山田が知らせに……」
「光夜、お兄様に知らせて!」
花月は急ぎ足で弦之丞の書斎に向かった。
報告を受けた弦之丞と宗祐はすぐに稽古場に向かった。
その後を花月と光夜が随いていく。
「本当に麻生なのか」
弦之丞が冷静な声で山田に訊ねた。
「はい。間違いありません、柳原の土手に……」
「誰か麻生の家に知らせに行ったのか」
「坂本が向かいました」
「そうか」
弦之丞が頷いた。
弟子達は落ち着かない様子で互いに喋っていて稽古場内は騒がしい。
「おい、麻生がどこに住んでたか知ってるか?」
光夜は山田に訊ねた。
「本所だが」
「師匠、これでは稽古にならないのでは」
宗祐が言った。
「そうだな。今日の稽古は休みとしよう」
弦之丞の口から休みが伝えられると弟子達は麻生の話をしながら帰っていった。
帰っていく弟子達に紛れて光夜も稽古場を出た。
花月を誘おうかとも思ったが流石に弟子の死体を見せるのは躊躇われた。
花月に普通の女にするような気遣いが必要かは疑問だったが。
柳橋に向かっていると数人の弟子達が山田を先頭にして歩いていくのが見えた。
どうやら光夜と同じく見物に行くつもりらしい。
山田が道案内してくれるなら丁度いい。
光夜も後に随いていった。
柳原の土手に人だかりがしていた。
大勢の野次馬がいて後ろからでは見えない。
人混みを掻き分けて行こうとした時、御用聞きらしい男が、
「どいてくんな」
と声を掛けた。
人混みが左右に分かれる。
光夜は御用聞きの後に随いて野次馬達の前に出た。
麻生は仰向けに倒れていた。
肩から脇腹まで袈裟斬りにされている。
近くに刀が転がっていた。
正面から斬られたのか……。
御用聞きが十手で手首を持ち上げたりして遺体の硬直の度合いを調べていた。
暫くして黄八丈の着流しに羽織の裾を帯に挟んだ武士が遣ってきた。
町方の同心か……。
町方というのは町人の犯罪捜査などを行う役人やその部下である。
同心というのが普段の捜査の指揮を執り、捕物の時はその上役である与力が指揮を執る。
実際の探索――捜査は同心が自腹で雇っている御用聞きや、その御用聞きが雇っている下っ引きが行う。
御用聞きと下っ引きは町人だ。
同心と御用聞きは麻生の死体の前で何やら話し始めた。
そこへ、
「御免」
と言う声がして再び人垣が割れる。
黒い羽織袴の武士が供を率いて遣ってきた。
後ろから籠が随いてくる。
「その者は我が家の者故遺体を引き取らせてもらおう」
武士が同心に言った。
麻生の身内らしい。
武家は町方の管轄ではない。
同心と御用聞きは素直に脇へどいた。
武士と中間らしい男が麻生の遺体を籠に乗せると帰っていった。
遺体が無くなり同心や御用聞きも帰ってしまうと、これ以上見る物もないと判断した野次馬も散っていく。
光夜も帰ろうと踵を返すと花月がいた。
「花月」
花月には見せたくなかったから一人で来たのだが……。
「見たのか?」
「うん、麻生さんのうちの方が来た時ちらっと見えた」
花月は冷静だった。
「辻斬りだと思う?」
花月が光夜に訊ねた。
「あいつ金持ってそうには見えねぇよ」
どこの岡場所が安いか、などという話をしていたくらいだから実際持ってなかったはずだ。
「でも力試しって辻斬りもいるでしょ」
「力試し……」
光夜は麻生の言っていた言葉を思い出した。
確か人を斬ってどうこうって……。
「どうかした?」
光夜の表情を見た花月が訊ねた。
「力試しは麻生の方かもしれねぇ。でなきゃ本所に住んでる麻生がこんなとこに居るはずねぇし」
「何か知ってるの?」
花月の問いに、光夜は麻生が稽古場で言っていた事を話した。
「誰かを斬ったのね」
「でなきゃ、あんな風には言わねぇだろうな」
「もっと詳しく知りたいわね。他の弟子に話を聞いてもらうよう村瀬さんに頼んでみる」
その一言に光夜はむっとした。
「なんで俺じゃねぇんだよ!」
「あんた態度悪いから村瀬さんしか仲の良い人いないでしょ。麻生さんと親しかった武田さんとは仲悪いし」
光夜は返答に詰まった。
確かに光夜は他の弟子と話したことは数えるほどしかない。
しかもその殆どが口論だ。
「ま、でも、他の人と親しくなる良い機会ね。麻生さんの事を口実に話し掛けてみなさい」
別に他の弟子達と親しくなりたいとは思ってない。
しかしこの先も内弟子でいたいなら他の弟子達と上手く遣っていく必要があるだろう。
「あんたに話すとお父様達の耳に入るかもしれないと思って教えてくれないかもしれないけど、だからって無理強いしちゃ駄目よ。喧嘩したら『大学』全部終わるまで稽古禁止にするからね」
花月は釘を刺した。
「それと念の為、村瀬さんにも頼んでおくから」
次の日から稽古が再開された。
麻生の通夜と葬式には弦之丞と宗祐が行った。
流石に稽古中に私語はないが、稽古前や後は麻生のことで持ち切りだ。
稽古が終わっても弟子達は稽古場で麻生の話をしている。
信之介は武田達に声を掛けたが思うように話してもらえず苦戦しているようだ。
光夜はその集団に近付いていった。
武田が光夜を見て露骨に嫌そうな顔をする。
「お前ら、花月……さんのこと嫌いか?」
「な、なんだいきなり」
意外な言葉に武田達が面食らったようだった。
「男みたいな格好して刀差して歩いて、男に混じって剣術なんかやって……」
「何を言う! 男の格好をしていようと関係ない! 花月さんは……」
武田が光夜に食って掛かった。
「じゃあ、花月と茶でも飲みながら話してみたいとか思うか?」
「それは……」
武田が口籠もった。
その場に居た弟子達が顔を見合わせる。
「茶飲み話くらいさせてやるぜ。来いよ」
光夜がそう言って母屋へ向かうと、武田達は何か裏があるのではないか、と言う表情をしながらも花月と話せるという餌に食い付いてきた。
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