比翼の鳥

月夜野 すみれ

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第五章

第三話

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 今の西野家の当主には二人の息子がいる。
 どちらも違う側室そくしつが産んだ子である。
 最近、正妻せいさいが子を残さないまま逝去せいきょした。
 諸事情により新しい正妻は置かないことになった。
 既に息子が二人いるし側室二人も元気で未だ子をなすかもしれない。
 当主は長男・文丸ふみまるを跡継ぎとして公儀こうぎ(幕府)に届け出て許可が下りた。

 それだけなら何も問題はなかったのだが、次男・次丸つぎまるを生んだ側室とその親戚達が次丸の方が世継よつぎに相応ふさわしいと言い出した。
 少々ひ弱な文丸より、丈夫さが取り柄の次丸の方が継嗣けいしに向いているという次丸の母の言葉に同調する家臣も現れた。
 今は次丸の母の親戚の方が政治的な発言力が強いから、次丸の母や親戚の言葉を無下むげにも出来ない。

 一方、健康面だけが理由で世継ぎを変えるはいかがなものか、既に御公儀ごこうぎにも届けを出して受理されている、と言う家臣の言葉にも頷けるということで、どっちつかずの状態が続いているという。
 世継ぎを変えるのに反対している家臣はおそらく役方やくかたなのだろう。
 世継ぎを変えるのには膨大ぼうだいな事務手続きと老中などへの莫大ばくだいな付け届けが必要になる。
 新しい正妻を迎えるのを控えているのは財政が逼迫ひっぱくしているからだろうし、それなら特に問題もないのに変更手続きのために多額の金を出すだけの余裕はないだろう。
 健康が、と言っても、次丸が丈夫すぎるくらい丈夫なだけで文丸は別に病弱というわけではない。

 冬場に風邪を引きやすい傾向けいこうはあるが学問は出来る方だから有能な当主になる素地そじがあると当主は期待しているらしい。
 そんな当主の態度と、文丸が死んだわけでもないのに世継ぎを変える理由がない、と言った家臣の言葉を聞いた次丸の母の一派が実力行使に出た。
 生きてるから変えられないのなら殺してしまえばいいと言う訳だ。

 文丸派の家臣がいなくなれば出世出来るという者達が次丸派に味方した。
 そして国元から腕の立つ刺客を送り込んできたのだ。
 この前襲ってきたのはその刺客達だという。
 今や家臣は二つの派閥に分かれていて誰がどちらなのか分からないため、外の者を雇うことにしたのだという。

 つまりお家騒動ってヤツか……。
 馬鹿馬鹿しい……。
 こんなありきたりの話を長々と聞かされるくらいなら稽古していたかった。
 しかも俺、関係ねぇし……。
 光夜が横目で不機嫌な視線を送ると花月が我慢しろと目配せしてきた。

「少し考えさせて頂きたい。護衛を頼むとしたらその者の承諾も取る必要があります故」
 弦之丞が答えを保留した。
 花月が事の顛末を話したから弦之丞は刺客の腕がかなり立つという事を承知している。
 一人で花月と光夜の二人を相手にして互角以上の強者つわものである。
 安易に承諾するわけにはいかない。

「分かり申した。それと、そちらの村瀬殿にもお頼みしたい事があるのですが」
「花月達に何を……」
「いえ、花月様は御旗本おはたもと御息女ごそくじょ。危ない事をお願いしてお怪我けがでもされては大変です。そうではなく村瀬殿に」
 篠野が滅相めっそうもないというように手を振った。
「それで、この村瀬に何を」
「まず、村瀬殿は文丸様に良く似ておいでなので影武者役をお願い出来ないかと」
「影武者?」
 流石さすがの弦之丞も驚いたようだった。

「実はこの稽古場に話を持ってきたのも一つには村瀬殿のことがあったため」
 篠野によると文丸はあまり剣術の稽古に熱心ではないのだそうだ。
 信之介に影武者をしながら稽古の相手もして欲しいのだという。
「殿様になるなら別に無理に剣術を習わせる事ないだろ。どうせ家来けらいに守られるんだし」
 光夜が言った。
「いえ、我が当主は尚武しょうぶ気風きふうを大事にする方ゆえ

 剣術指南役けんじゅつしなんやく新陰流しんかげりゅうの流れをむ者を当主自ら探し出してきたのだという。
 丈夫だと言っているくらいだから次丸は学問より剣術の方が得意なのだろう。
 尚武の気風を大事にするなら学問の出来る文丸より、剣の腕が立つ次丸を選ぶかもしれない、と危惧きぐしているようだ。

「師匠、師匠のお許しさえ頂けるのでしたら拙者はこの話をお受けしたいのですが」
「え!?」
 光夜は思わず声を上げた。

 影武者になったら常に文丸と一緒にいなければならない。
 場合によっては文丸の代わりに殺される事も有り得る。
 断れ、と言いたいが、この件が上手く片付けば西野家の家臣になれる。
 商家に婿養子に行く必要がなくなるのだから邪魔するわけにはいかない。
 そう考えて止めたい思いをぐっとこらえる。

「出来れば、光夜殿にも一緒に行って稽古の相手になって欲しいが無理強いする気はない」
 その言葉に篠野が驚いた顔をした。
 光夜にまで頼む気はなかったのだろう。

 厳重な警備を破って襲ってくるとしたらこの前の覆面と互角かそれ以上のやつだ。
 信之介一人で太刀打ち出来るとは思えない。
 もっとも花月と二人がかりでも倒せなかった相手を光夜と信之介だけで倒せるとも思えないが。
 光夜は溜息をいた。

「分かった。俺も行くよ」
 篠野は困ったような顔をしたが断らなかった。
「あの、篠野様」
 花月が口を開いた。
「何でしょうか」
「剣術指南役の方は新陰流の流れを汲んでいると仰っていましたが、それは江戸柳生の……」
「そうですが」
わたくしは常々柳生新陰流の教えを受けたいと思っていました。私も……菊市や村瀬と一緒に稽古に行ってもよろしいでしょうか?」

 花月が怖いくらい真剣な表情で申し出た。
 弦之丞と宗祐は「やれやれ」という顔で苦笑しているだけで思いとどまらせようとする気配はない。
 信之介と篠野が驚いた様子で花月を見詰みつめる。

 かなわねぇな……。
 花月の剣術への貪欲どんよくなまでの姿勢は、生き残るためだけに剣を振るってきた光夜には逆立ちをしても真似出来ない。
 花月は常に高みを目指している。
 多分その姿勢は死ぬまで変わらない。
 きっとこれが花月の強さのみなもとだ。
 そんな花月は、光夜にはの光のようにまぶしく思えた。

「い、いえ、新陰流の教えをうたのは昔のこと。その後、回国修行かいこくしゅぎょうなどをしたため今では全く別のものになっております故」
 篠野が慌てたように言った。
「それでも構いません。どうかお願いいたします」
 花月が頭を下げた。
「篠野殿、花月は皆伝まではいっておりませぬが伝書を得ていない者の指導が出来る程度にはつかえます故、ご迷惑でなければご指導のほどお願い頂けないでしょうか」
 弦之丞が言葉をえた。
 師匠って稽古以外では花月には甘いよな……。
「教え方は我らよりも上手いかもしれませぬ」
 宗祐も続ける。
 若先生もだけど……。
 光夜はあきれて弦之丞と宗祐を見た。

「しかし、花月様は御旗本の……」
「私は跡継ぎという訳ではありませんから死んでも困りませんし、もし怪我けがをし……」
傷物きずものになったら俺が貰ってやる!」
「万一の時は拙者が一生お世話致します!」
 光夜と信之介は同時に叫んでいた。
 部屋中の視線が光夜と信之介に集まる。
 光夜と信之介の交わした視線に火花が散った。
怪我けがをしたときの身の振り方も決まりました」
 花月がにっこり笑って言った。
 結局篠野は桜井一家に押し切られる形で承服させられてしまった。
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