比翼の鳥

月夜野 すみれ

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第五章

第四話

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「光夜、ここにいたんだ」
 屋根の上で寝転んでいた光夜が気付くと花月が樹の枝の上にいた。
 光夜が屋根に上るのに使った樹だ。
 登ってきたのか!?
 光夜は目をいた。
 下から見られたらどうすんだ……。

「そっち行ってもい?」
 光夜が頷くと花月が屋根に移ってきて隣に腰を下ろした。
「何か考え事してた? もしかして邪魔?」
「そんなことねぇよ」
 光夜が口をつぐむと花月も黙った。
「……あんた、すげぇな」
「何が?」
 花月が意外そうな表情で光夜を見た。

「他流の教えをいたいって頼み込むところ」
「だって柳生新陰流よ! 柳生新陰流と言えば柳生十兵衛でしょ!」
「………………………………え? 柳生…………十兵衛じゅうべえ!?」
「あれ? 柳生十兵衛が柳生新陰流だって知らなかった?」
「い、いや、そうじゃなくて………………そこは西江院様(柳生宗矩)じゃねぇの!?」
 自分で江戸柳生って言ってただろうが!
「何言ってんの、日ノ本一ひのもといち剣豪けんごうと言ったら柳生十兵衛でしょ!」
 ええ!?
 宮本武蔵でも塚原卜伝でも、それこそ西江院でもなく、柳生十兵衛!?
「あんたお芝居とか講談とかで聞いたことないの?」
 芝居!? 講談!?
「…………」
 俺の感動を返せ……。
 光夜は花月を睨んだ。
「何その目付き」
「いや、ちょっとだけ、あんたすげぇなって思い掛けてたのに……」
「どこが?」
「強くなろうって言う気持ち」
 光夜の言葉を聞いた花月が自嘲気味じちょうぎみの表情を浮かべた。

「……私が強くなりたいのは臆病おくびょうだからよ」
「あんたが臆病?」
 冗談だろ、と笑って花月を見たが、花月は真面目な表情で庭を見下ろしている。
 花月は膝を抱えたまましばらく俯いていた。
「……三年前ね、お祖母様に強く言われて女の格好したの」
 花月はぽつぽつと話し始めた。
「あの方に見てもらいたいっていうのもあった」
「…………」
「お祖母様の家から帰る途中、人気のないところで破落戸達に襲われたの」

 抵抗したが十三歳の小娘だ。
 破落戸は五人もいたし花月は丸腰だったため茂みに連れ込まれて押し倒された。
 恐怖で声も出なかった。
 上にのしかかってきた破落戸が花月の着物に手を掛けようとした時、その男の懐に匕首が見えた。

「その後の事はよく覚えてない」
 気が付くと男達は死体となって転がっていた。
 花月が手にしていたのは破落戸が持っていた長脇差ながわきざしだった。
 匕首あいくちを取ったと思っていたが長脇差の方を掴んでいたのか、途中で持ち替えたのか、自分でも分からない。
 辺りは血の海で、花月も全身返り血で真っ赤に染まっていた。
「そこからどうやって帰ったかも……」
 とにかく、それ以来女の格好はしていない。
 弦之丞や宗祐は何か気付いていたようだが何も言わなかった。

 光夜は黙り込んだ。
 その恐怖だけは分かってやれねぇ。
 世の中には幼い男児を好む者もいるし、男が好きというわけではないが手近なところに女がいないからと言う理由で力の弱い男児を代わりにしようとする者もいる。
 光夜も何度か襲われた事があった。
 無論られる前に斬り殺してやったが。

 それでも女が暴行目的の男達に押さえ込まれた時の恐怖は男には想像も付かない。
 ましてや男を知らない若い娘なら尚更恐ろしかっただろう。
 殺すために襲ってくるよりも怖いかもしれない。
 とはいえ江戸ではその手の事は珍しくない。
 何しろ男の方が圧倒的に多いのだ。
 白昼堂々と女をかついでさらっていくような無法者むほうものも珍しくない。

「あのね、伝書の話したとき、言ってなかったことがあるの」
 言葉に詰まっている光夜に気をつかってくれたのか、花月は急に話題を変えた。
「印可の上には奥義があるの。普通の人はそこまで。でもね、本当は更にその上の奥義があるの。まぁ、秘奥義ひおうぎってとこかな。その秘奥義ってね、一子相伝いっしそうでんなのよ」
 秘奥義に一子相伝か。
 両国広小路に座ってたとき講談がそんな話しるのが聞こえてきてたな。
「欲しいと思わない?」
「一子相伝って子供だけじゃないのか? 若先生がもらうんだろ」
「血の繋がりや人数は関係ないの。子供に限ったら途絶とだえちゃうでしょ」
 確かに子供の中に剣の才のある者がなければ伝授でんじゅ出来ない。

「強ければもらえるんだからだから、お兄様を追い越せば私達にだって可能性は出てくるってこと」
「すげぇな」
 光夜は思わず笑みを浮かべた。
「そう思うでしょ!」
 花月が嬉しそうな顔で身を乗り出した。
「そうじゃなくて」
「え?」
 花月が小首を傾げた。
「あんたのそう言う前向きなとこ、嫌いじゃないぜ」
「あ、なんか馬鹿にしてるでしょ」
 花月が唇をとがらせた。
「してねぇよ」
 意外に子供っぽい仕草を見せた花月に苦笑した。
「あんたはお日様みたいだなと思ってさ。俺は絶対あんたみてぇなお日様にはなれねぇ」
 花月は光夜の言葉に首を傾げてから空を見上げた。

 しばらくそうやって空をながめていた時、
「ね、あそこ! あれ、見える!?」
 突然花月が空をした。

 何かと思って見ると、それは白い点だった。
 青い空の中に白い点が見える。
 雲ではない。
 空は快晴で雲一つない。

「あれ……星、なのか?」
「子供の頃にも見た事あるの、あの星。昼間に星が見えるって、お父様とお兄様は信じてくれたけど、他の人は信じてくれなかった」
「昼間に星……」
 光夜は信じられないような思いで空を見上げていた。

「光夜はあの星になれば?」
「え?」
「お日様になれないって言うなら、お日様の光にも負けずに輝く星。あの星になればいのよ」
 真昼の星か……。
 花月の言葉を聞いていたら、つまんないことで落ち込んでいた自分が馬鹿らしくなってきた。
 高みを目指すって言うのも案外難しい事じゃねぇのかもしれねぇな。
 光夜は思わず笑みをらした。
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