歌のふる里

月夜野 すみれ

文字の大きさ
4 / 144
第一章 凍れる音楽

第四話

しおりを挟む
 一曲終えると、柊矢はキタラを置いた。

「どう思った?」
 柊矢が小夜に訊ねた。
「柊矢さんが演奏していた人の一人だったんですか?」
「そうだが……。そうじゃなくて、この部屋は防音だ。ドアも閉めてある」
 柊矢は扉を指した。
 確かに閉まっている。
 二人とも黙ってしまうと、部屋は静まりかえった。外からの音は何も聞こえてこない。
 と言うことはこの中の音も外に聞こえないはずだ。

「どうして他の演奏者や歌い手の声が聴こえたんだ?」
 それに何故、他の歌い手や演奏者に自分達の歌や演奏が聴こえたのか。
「不思議ですよね」
 小夜も疑問に思っていたらしい。だが、理由は彼女も知らないようだった。
 そのとき、小夜の腹が鳴った。小夜が真っ赤になる。
「もう昼だな。飯でも食いに行こう」
 柊矢はそう言うと戸口に向かった。
「あ、あの、材料があれば私が何か作ります」
「材料がないんだ」
 柊矢は冷蔵庫の中を思い浮かべながら言った。
 空ではなかったような気はするが賞味期限が切れてないものがあるかどうか……。
「作ってくれるなら材料を買いに行こう」
「はい」
 小夜は柊矢について音楽室を出た。

 柊矢はポケットをさぐって車の鍵を探し、夕辺西新宿のアパートのそばに車を置いてきたことを思い出した。
 坂本が近くの駐車場に置いといてくれてるはずだ。
 車を取りに行きたいが、小夜を連れて行くのは躊躇ためらわれる。
 小夜の家の近所なのだ。小夜の家があったところにはまだ瓦礫が残ってるはずだ。

「食事を作ってもらうのは夕食でいいか? 昼は近所のファミレスにしよう」
 柊矢は歩き出しながら言った。
「夕食でもいいですけど、でも、どうしてですか?」
 小夜は柊矢について歩きながら訊ねた。
 柊矢は車を取りに行かなければならないと説明した。
「私も一緒に行きましょうか?」
「わざわざ二人で行くほどのことじゃないだろ」
 柊矢はそう言うと、小夜が注文するのを見届けてからファミレスを出て、近くのバス停から新宿駅へ向かった。

「なんか、一杯買っちゃいましたね」
 小夜は大きめのエコバッグ二つ分の荷物を見て言った。
「そのために車で来たんだ。それに、この程度じゃ二日分だ」
 柊矢はその二つを手に持つと出口に向かった。
「あ、荷物……」
 片方持つ、と言おうとしたのだが、柊矢は構わずにスーパーのドアを開けて小夜を通し、自分も出ると歩き出した。スーパーの近くにある駐車場に向かう。

 新宿は大通りのそばの住宅街なら駐車場にはあまり困らない。
 バブル全盛期の頃、地上げで奪われた土地がバブル崩壊後に不良債権と化して今は駐車場になっているからだ。
 大久保通り沿いのあちこちに小さな駐車場がある。
 もっとも、大久保通りの北側は、通りに面しているところを除けば地上げに遭った場所はこの近所では知る限りなかった。
 明治通りの西側は戦前からある古い住宅地だから何故地上げに遭わなかったのかは分からないが、東側はほとんどが都営住宅だからだろう。
 柊矢の家のある住宅街は都営住宅ではないのだが、被害に遭ったという話は聞いてない。
 狭い道を入った奥の不便な場所だから地上げしてまで奪う価値なしと判断されたか、都の住宅供給公社が作った住宅街だから手が出せなかったかのどちらかだろう。
 柊矢は自宅の車庫に車を入れると荷物を持って家に入った。

 柊矢が台所の食卓の上に荷物を置くと、
「じゃあ、早速夕食作りますね」
 小夜はそう言って腕まくりをした。
「頼む。俺は二階の部屋にいるから。それと、もうそろそろ楸矢が帰ってくるが、メールで事情は伝えてある」

「ただいま」
 玄関から声が聞こえてきた。
 廊下を歩く足音がしたので振り返るのと、足音の主が台所を覗くのは同時だった。

 入ってきたのは小夜と同い年くらいの男子だった。
 背は柊矢と同じくらい高い――百七十センチ前後だ――が、顔は幼い感じがした。
 眼が大きいせいかもしれない。短い茶色の髪は緩い巻き毛だった。
 柊矢は黒髪だから脱色しているのだろうか。
 耳にはきれいな緑色の石の小さなピアスをしていた。
 高校からの帰宅だから制服を着ている。
 ブレザーの色は小夜の高校のものと似ていたがネクタイの色は違う。
 カバンの他に細長い楽器のケースを持っていた。フルートのケースだろう。

「あ」
 二人は同時に声を出した。
「君が……鳥さん?」
「は?」
 小夜は面食らって瞬きしたとき、鍋が噴きこぼれる音がした。
 慌ててガス台の方を向くと、火を弱くした。
「君、歌ってる人だって柊兄から聞いたけど」
「はい、そうです」
 小夜は鍋の中を覗き込みながら返事をした。
 焦げ付いてはいないみたい。
 自分から作るなんて言いだしておいて失敗したら恥ずかしい。
 そういえば、さっき話の流れで楸矢も歌が聴こえると言っていた。

「霞乃……さやちゃん? さよちゃん?」
 楸矢はスマホの画面に目を落としながら訊ねた。
 柊矢の送ったメールを見ているのだろう。
「さよです」
小夜曲さよきょくの小夜か」
「小夜曲?」
「セレナーデのこと。君が歌う人だからその名前にしたのかな」
「さぁ? 名前の由来については聞いてなかったので……」

 まだ聞いてないことが一杯あった。
 名前の由来も、誰が付けたのかも、両親はどんな人だったのかも。
 聞きたかったけれど聞けなかった。
 だから、いつか話してくれるのを待とうと思っていた。
 でも、もう「いつか」は来ない。
 こんなことなら無理にでも聞いておけば良かった……。
 小夜は浮かんできた涙を見られないようにと、鍋の方を向いた。
 楸矢もしまった、と言う表情で再びスマホに目を落とした。

「そ、そうそう、歌う人なんだよね。俺達は鳥って呼んでたんだ」
 だから鳥さん?
「元はバードなんだけどね」
「バード?」
 小夜は振り返って小首を傾げた。
「バードは鳥って意味もあるけど、吟遊詩人って意味もあるんだ。人前で話をするとき、バードより鳥の方が人の注意を引かないでしょ」
 どうやら普通の人には聴こえない歌の話をするときの隠語いんごとして使っていたらしい。

「でも、君は吟遊詩人って言うより小鳥ちゃんだね」
「小鳥ちゃんって……同い年ぐらいじゃないですか」
「小夜ちゃん、俺のこといくつだと思ってる?」
「十六、七歳くらいですか?」
「俺、十八。もう彼女とは大人の付き合いしてるんだよ」
 大人の付き合いがどういう意味なのかは分からなかったが、とりあえず自分より年上と言うことは理解できた。
「部屋のドアにかかってるネームプレートが裏返ってるときは彼女が来てるって意味だから声かけないでね」
「はい」
 小夜は返事をすると、煮物の味見をした。

「ね、俺もそれ味見していい?」
「いいですよ」
 小夜が小皿を取ろうとすると、楸矢は中鉢を取り出して差し出してきた。
 少しだけ入れると、
「もっとどーんと入れてよ」
 と言われて多めに入れた。
「夕食、食べられなくなりますよ」
「この程度で腹いっぱいになんかならないよ。おかわり」
 小夜が溜息をついて再度入れていると柊矢が入ってきた。

「いい匂いだな」
「美味いよ」
「俺にもくれ」
 柊矢はそう言うと大皿を出した。
 今日は煮物、諦めよう。
 さっき柊矢が二日分といった意味がよく分かった。
 柊矢のお椀に煮物を目一杯入れた。
 小夜は男二人の食欲を甘く見ていた。
 確か肉を買ってあったし、白滝はないけどジャガイモもあるし、新しく肉じゃがを作ろう。
 肉は牛肉だけど、関西は牛肉で肉じゃがを作るらしいし、味付けが関東風なら牛肉でも多分この二人は気にしないだろう。
 味を濃いめにすれば量が少なくてもご飯が沢山食べられるはずだから多めに炊こう。
 楸矢の皿に煮物の残りを全部入れると、ジャガイモを洗い始めた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

冷遇された没落姫は、風に乗せて真実を詠う ─残り香の檻─

あとりえむ
恋愛
「お前の練る香など、埃と同じだ」 没落した名家の姫・瑠璃は、冷酷な夫・道隆に蔑まれ、極寒の離れに追いやられていた。夫の隣には、贅を尽くした香料を纏う愛人の明子。 しかし道隆は知らなかった。瑠璃が魂を削って練り上げた香は、焚く者の心根を映し出す「真実の鏡」であることを。 瑠璃が最後に残した香の種を、明子が盗み出し、手柄を偽って帝の前で焚き上げた瞬間。美しき夢は、獣の死臭が漂う地獄へと変貌する。 「この香りの主を探せ。これほど澄み切った魂が、この都に在るはずだ」 絶望の淵で放たれた一筋の香りに導かれ、孤独な東宮が泥の中に咲く白蓮を見つけ出す。 嘘と虚飾にまみれた貴族社会を、ひとりの調香師が浄化する、雅やかな逆転劇。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

処理中です...