影の弾正台と秘密の姫

月夜野 すみれ

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春 二

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「管大納言の大姫は歌が上手いと評判なのであなたも気に入ると思ったのですよ」
 母が不服そうに言った。
「はぁ」
 貴晴は気の抜けた返事をした。

 若い姫の歌の評判など当てにならない。
 母親や乳母子めのとごが代詠するのは珍しくないからだ。

 母は不満げな顔をしながらも、
「あとは下野守しもつけのかみの三の姫が……」
 と別の姫の話を始めた。

 いきなり身分が下がったな……。

 下野守というのは下野国の国司こくしのと言う官職かんしょくのことで官位は従五位下じゅごいげ
 従五位下というのは正三位の二つ下ではない。九つ下である。
 それでも中級貴族だし殿上人てんじょうびとと呼ばれて下級貴族の憧れではあるのだが。

 それと国司は収入が多く金持ちのことが多い。
 夫の出世は妻(の親)の貢献度合いに左右されるから裕福なら裕福なほどいいとされている。
 貴晴は出世など望んでないから金持ちではなくても構わないのだが。

「ちゃんと聞いていますか!」
 母の声で貴晴は再度我に返った。
「もちろんです。そういうことでしたらそのお話を進めていただいて結構です」
 と答えた。

 どうせ興味ないのだから親が適当な相手を見繕みつくろってくれるのなら丁度い……。

「何を言っているのですか! あなたが文を贈るのです」
「え……?」

 そういう事が面倒くさいから嫌なのだが……。

「得意の歌を贈ればいいでしょう。なんのための歌ですか」
 母の言葉に貴晴は言葉に詰まった。

 そうなのだ。
 歌というのは花を愛でたり、お祝いの時に「おめでとう」と言ったり、嫌な相手をやり込めたりするために詠んだりもするが、想いを寄せる相手に「好きだ」と伝えるために詠むことの方が圧倒的に多い。

 相手を口説くために詠み、結ばれても詠み、逢ってるときも詠み、逢ってないときも詠み、別れた後も詠む。振られても詠む。
 歌というのは感情の発露なのである――一部の者にとっては。

 そりゃ、想いを寄せる相手にならいくらでも詠めるだろうが……。

 貴晴がなんと答えようか悩んでいると侍女がやってきた。

「失礼致します。大殿おおとの様からの使いの方がいらしました」
 侍女の声に、
「それでは私は失礼致します」
 貴晴はそう言うと母がそれ以上何か言う前に席を立った。

 自分の部屋に向かっていると足音が追い掛けてきた。

「若様、北の方様がお呼びです」
 侍女の声に貴晴は渋々足を止めた。

 外出すれば良かった……。

 貴晴は仕方なく踵を返した。

「お呼びでしょうか?」
 貴晴たかなりが声を掛けると、
「お父様があなたに用があるそうですよ」
 母が言った。

 お父様というのは母の夫(貴晴の父)ではなく、母の父、つまり貴晴の祖父のことである。

「なんの御用でしょうか?」
 貴晴は母に訊ねた。
「私に聞いてどうするのですか! 自分で聞きに行ってきなさい」

 それが嫌だから母上に聞いたのだが……。

 貴晴がなんと言って断ろうかと考えていると、
「もう随分ずいぶん長いことお祖父様じいさまに会ってないでしょう。ご機嫌うかがいに行ってきなさい」
 母が言った。

 会いたくないからこの二年間口実を作ってけていたのである。

「祖父上の邸は方塞かたふたりで……」
「嘘おっしゃい!」
 母が一蹴いっしゅうする。

方塞かたふたり〟というのは〝方忌かたいみ〟ともいって行ってはいけない方角のことである。
 日によって違うのだが、同じやしきに住んでいれば同じ方角なのだ。

「あ、そうそう! 今日は隆亮たかあきと約束があるんでした!」
「あの方の邸はそれこそ方塞りでしょう!」
 母が目をり上げる。

「待ち合わせてるのです。隆亮の……妻の邸で」
 貴晴はそう言うと母がそれ以上何か言う前に逃げ出した。


「お義母かあ様、紙を頂けますか?」
 織子しきこい物をしている義母に声を掛けた。
 着るものは機織はたおりから染色せんしょく仕立したてまで自宅で作るものなのだ。
 だから良い妻の条件の一つは染色や縫い物が上手く、いい衣裳が作れることである。
 これは上級貴族でも同じで妻が夫の衣裳を仕立てるのだ。

 義母は手を止めると侍女じじょに紙を持ってくるように指示した。

 匡が出席する会に織子まで一緒に行くわけにはいかないため、あらかじめ作った歌を紙に書き付けて匡に渡すのである。
 匡はそれを扇に貼り付けておいて必要な時にそれを盗み見るのだ。

 侍女が書き仕損じた紙を持ってくる。
 紙は貴重なので公式の文書や手紙以外は書き仕損じた紙の裏を使うのだ。

 紙を受け取った織子が庭に戻ろうとした時、
「織子様」
 義母が織子を呼び止めた。

「はい?」
 織子が振り返ると義母が側に控えていた侍女に合図をした。
 侍女が織子に冊子を差し出す。

「殿の伯母様から頂いたものです」
 義母が言った。
 殿――つまり義母の夫――の伯母ということは匡にとっては大伯母だが織子とは血縁関係はない。

「……お姉様に、ですよね?」
 織子が本を受け取って訊ねる。
 匡の大伯母が織子に贈ってくるわけがない。

 匡の本を織子が読むことはある。
 織子が読んで聞かせるのだ。
 匡が字が読めないのではなく、縫い物や手習いなど他の事をしながら物語を聞くためである。

「それは歌物語うたものがたりです」
「後で感想を教えて頂戴ちょうだいな。大伯母様にお礼を申し上げるときに聞かれるから」
 義母と匡の言葉に織子は納得して頷いた。
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