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春 六
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「きっと歌会に来たんだろう」
「歌会? まだ十七、八だろう?」
「十六だ」
「その若さで!?」
貴晴は驚いて隆亮の方を振り返った。
歌会というのはただ歌を詠むのではない。
左と右に別れて歌を競う。そして審判がどちらが優っているか決めるのだ。
ある物語に、その昔、左と右、どちらも優劣が付けがたくて審判が迷っていると、帝が右の歌い手が詠んだ歌の最後の句を呟いたのを聞いて右の勝ちにした。
負けた左の歌い手は負けを苦に自害した――物語では。
実際は自害などせず、その後も歌会に出て歌を詠んでいた。
もちろん負けたのは悔しかっただろうが。
しかしそんな物語が出来てしまうくらい真剣に勝負をするのだ。
当然、いくら身分が高くても上手い者でなければ呼ばれない。
見学もなくはないが、貴族の姫は基本的に外出しない。
少なくとも歌会の見学に来たりはしないはずだ。
となると勝負に参加するために来たという事になる。
「自分で言っただろ、評判だって。だから歌会に呼ばれてるんだよ」
隆亮が言った。
つまり彼女を呼べば勝てると思われているという事だ。
大納言……。
『管大納言の大姫は歌が上手いと評判なのであなたも気に入ると思ったのですよ』
母の言葉が蘇る。
確かに話してみたい。
作った歌を聞くだけなら母が詠じてくれたように人伝でもいい。
だが出来ることなら歌のやりとりをしてみたい。
貴晴は注目を浴びないようにと目立たないように生きてきたから友達は隆亮しかいないし、歌会などにも出られない。
隆亮は必要なら歌を詠むが、好きで作っているわけではないから歌のやりとりを楽しんだりしない。
だから、ずっと歌のやりとりを一緒に楽しめる同好の士が欲しかった。
しかし以前、貴晴自身が母に言ったように大納言の大姫ともなると身分の低い貴族は相手にされないに違いない。
まして若くして歌会に呼ばれるような評判の歌人ともなると。
本人の意志の問題ではない。
文を出しても姫の手に渡らないのだ。
差出人を親や乳母、乳母子などが調べて婿の候補にしても良さそうだと思われてようやく返事がもらえるが、それも最初のうちは親や乳母子などが代筆する。
何度もやりとりをして認めてもらえるまでは姫からの返事は来ない。
貴晴は出世する気がなかったし付き合いも絶っていたから友人は隆亮だけだし貴族社会では無名だ。
大勢いる下級貴族の一人では相手にされるわけがない。
貴晴は拳を握り締めた。
それから祖父のいた邸に向かって駆け出した。
「え、おい! 貴晴!」
隆亮が慌てて追い掛けてくる。
邸に入ると祖父はまだ中にいた。
まるで貴晴が戻ってくるのを見越していたかのように。
「官位は?」
貴晴は祖父に訊ねた。
「本来なら親王や大納言が補される官職だ。当然それ相応の官位が与えられるよな」
貴晴が言った。
官職には対応した官位がある。大納言なら正三位、国司は国によるが従五位上や下などである。
今の官位が就いた官職より低い場合は相応しい位まで引き上げられる。
官位相当制というものである。
弾正台は決まっていなかったはずだが官位が低くては身分の高い者を弾劾することなど出来ないのだからそれなりの位階が与えられるはずだ。
「従三位だ」
祖父が答えた。
六位から昇殿を許され殿上人とか雲上人と呼ばれる。
そして三位以上が公卿と呼ばれるいわゆる上級貴族である。
大納言の姫とも釣り合う。
「いいだろう。引き受ける」
貴晴が言った。
「名誉職ではないからな。実力がなければ任せられぬ」
祖父が言った。
「……どうすればいい?」
貴晴が訊ねると、
「今、巷を騒がせている話を知っているか?」
祖父が言った。
「今のはなんだったの?」
匡の問いに、
「え?」
織子は聞き返した。
「今の下の句よ」
匡が言った。
「ああ、あれは……」
「私が歌会に出てるときはやめてよ」
匡としては織子が代詠していると知られたくないのだ。
「はい」
織子は頷いた。
織子と匡(と侍女達)が乗っている牛車が止まり、前方が下がった。
降りる時は牛を外すから前が下がるのだ。
御簾が上がると匡は降りていった。
会場に行くのは匡だけだ。
織子が事前に詠んでおいた歌を何首か匡に渡してある。
匡は題に応じた歌を詠むだけだが、もしも予定外の歌を詠まなければならなくなったときのために織子も着いてきただけなのだ。
織子は裾が外から見えないように中に引き込んだ。
「鬼?」
貴晴と隆亮が怪訝な表情で祖父に聞き返した。
「主に若い女性が攫われているそうだ」
祖父が貴晴と隆亮に言った。
「鬼に食われているということですか?」
隆亮が訊ねる。
「本物の鬼ではなく群盗であろう」
祖父が言った。
群盗というのは盗賊団のことである。
盗賊というのは徒党を組むことがあるのだ。
「一昨年、大赦があって牢に入れられていた罪人達が大勢出獄したのだ」
祖父が言った。
大赦というのは恩赦の一つだが、普通の恩赦では赦免されないような重罪を犯したものも罪を許されて牢から出された。
恩赦というのは国家や帝に慶事や凶事があった時などに行われたのである。
盗賊が身一つで出獄したところで金も仕事もない。
そして牢の中で知り合った盗賊達が同時に放たれれば徒党を組むのは火を見るより明らかだ。
一応、他所から都へやってきた者は出身地に返すという事にはなっているのだが、故郷に帰って大人しくしているような者はそもそも犯罪など犯さない。
「歌会? まだ十七、八だろう?」
「十六だ」
「その若さで!?」
貴晴は驚いて隆亮の方を振り返った。
歌会というのはただ歌を詠むのではない。
左と右に別れて歌を競う。そして審判がどちらが優っているか決めるのだ。
ある物語に、その昔、左と右、どちらも優劣が付けがたくて審判が迷っていると、帝が右の歌い手が詠んだ歌の最後の句を呟いたのを聞いて右の勝ちにした。
負けた左の歌い手は負けを苦に自害した――物語では。
実際は自害などせず、その後も歌会に出て歌を詠んでいた。
もちろん負けたのは悔しかっただろうが。
しかしそんな物語が出来てしまうくらい真剣に勝負をするのだ。
当然、いくら身分が高くても上手い者でなければ呼ばれない。
見学もなくはないが、貴族の姫は基本的に外出しない。
少なくとも歌会の見学に来たりはしないはずだ。
となると勝負に参加するために来たという事になる。
「自分で言っただろ、評判だって。だから歌会に呼ばれてるんだよ」
隆亮が言った。
つまり彼女を呼べば勝てると思われているという事だ。
大納言……。
『管大納言の大姫は歌が上手いと評判なのであなたも気に入ると思ったのですよ』
母の言葉が蘇る。
確かに話してみたい。
作った歌を聞くだけなら母が詠じてくれたように人伝でもいい。
だが出来ることなら歌のやりとりをしてみたい。
貴晴は注目を浴びないようにと目立たないように生きてきたから友達は隆亮しかいないし、歌会などにも出られない。
隆亮は必要なら歌を詠むが、好きで作っているわけではないから歌のやりとりを楽しんだりしない。
だから、ずっと歌のやりとりを一緒に楽しめる同好の士が欲しかった。
しかし以前、貴晴自身が母に言ったように大納言の大姫ともなると身分の低い貴族は相手にされないに違いない。
まして若くして歌会に呼ばれるような評判の歌人ともなると。
本人の意志の問題ではない。
文を出しても姫の手に渡らないのだ。
差出人を親や乳母、乳母子などが調べて婿の候補にしても良さそうだと思われてようやく返事がもらえるが、それも最初のうちは親や乳母子などが代筆する。
何度もやりとりをして認めてもらえるまでは姫からの返事は来ない。
貴晴は出世する気がなかったし付き合いも絶っていたから友人は隆亮だけだし貴族社会では無名だ。
大勢いる下級貴族の一人では相手にされるわけがない。
貴晴は拳を握り締めた。
それから祖父のいた邸に向かって駆け出した。
「え、おい! 貴晴!」
隆亮が慌てて追い掛けてくる。
邸に入ると祖父はまだ中にいた。
まるで貴晴が戻ってくるのを見越していたかのように。
「官位は?」
貴晴は祖父に訊ねた。
「本来なら親王や大納言が補される官職だ。当然それ相応の官位が与えられるよな」
貴晴が言った。
官職には対応した官位がある。大納言なら正三位、国司は国によるが従五位上や下などである。
今の官位が就いた官職より低い場合は相応しい位まで引き上げられる。
官位相当制というものである。
弾正台は決まっていなかったはずだが官位が低くては身分の高い者を弾劾することなど出来ないのだからそれなりの位階が与えられるはずだ。
「従三位だ」
祖父が答えた。
六位から昇殿を許され殿上人とか雲上人と呼ばれる。
そして三位以上が公卿と呼ばれるいわゆる上級貴族である。
大納言の姫とも釣り合う。
「いいだろう。引き受ける」
貴晴が言った。
「名誉職ではないからな。実力がなければ任せられぬ」
祖父が言った。
「……どうすればいい?」
貴晴が訊ねると、
「今、巷を騒がせている話を知っているか?」
祖父が言った。
「今のはなんだったの?」
匡の問いに、
「え?」
織子は聞き返した。
「今の下の句よ」
匡が言った。
「ああ、あれは……」
「私が歌会に出てるときはやめてよ」
匡としては織子が代詠していると知られたくないのだ。
「はい」
織子は頷いた。
織子と匡(と侍女達)が乗っている牛車が止まり、前方が下がった。
降りる時は牛を外すから前が下がるのだ。
御簾が上がると匡は降りていった。
会場に行くのは匡だけだ。
織子が事前に詠んでおいた歌を何首か匡に渡してある。
匡は題に応じた歌を詠むだけだが、もしも予定外の歌を詠まなければならなくなったときのために織子も着いてきただけなのだ。
織子は裾が外から見えないように中に引き込んだ。
「鬼?」
貴晴と隆亮が怪訝な表情で祖父に聞き返した。
「主に若い女性が攫われているそうだ」
祖父が貴晴と隆亮に言った。
「鬼に食われているということですか?」
隆亮が訊ねる。
「本物の鬼ではなく群盗であろう」
祖父が言った。
群盗というのは盗賊団のことである。
盗賊というのは徒党を組むことがあるのだ。
「一昨年、大赦があって牢に入れられていた罪人達が大勢出獄したのだ」
祖父が言った。
大赦というのは恩赦の一つだが、普通の恩赦では赦免されないような重罪を犯したものも罪を許されて牢から出された。
恩赦というのは国家や帝に慶事や凶事があった時などに行われたのである。
盗賊が身一つで出獄したところで金も仕事もない。
そして牢の中で知り合った盗賊達が同時に放たれれば徒党を組むのは火を見るより明らかだ。
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