《炎導の標》物語

永井 彰

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第一章

蜥蜴(とかげ)の村

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        一
 そのギリンドは、プチャリーと名乗った。
 タフトが目覚めた時、目の前にいたギリンドだ。タフトを介抱してくれていたらしく、再び目覚めた時には、ハヌ製のベッドで休んでいたタフトの脇腹あたりに頭があり、すやすやと椅子に座ったまま寝ていた。
「あら、アタシとした事が」
 既に朝だったので起こそうか、とタフトが思ったのと同時にプチャリーは物凄い勢いで、目を覚ましながら立ち上がった。
 ご飯を作るから、との言葉に有り難く甘え、しかし折れた骨をどうするかなど現実的な展望を心に巡らせているタフト。
 ギリンド、というよりタフトにとっては未知のトカゲ人間、がどんな性格かはよく知らないが、今までの経験上、変に神経を高ぶらせるのが見ず知らずの者に対しては概して不利にしかならない事をタフトは承知していた。
 余所者には違いないので、一度は親切にして逃げないようにしておきながら、頃合いを見て適当な理由で投獄される可能性もままある。
 何にせよ、本当の親切かどうか考えた所で時間の無駄であり、空気を読むしかないのだ。

        二
 キーブ・オイルの洒落た香りがするな、とタフトは密かに思った。余談にはなるが、ギリンドが暮らすこのチュカチュ谷は、知られざるキーブの自生地なのだ。
 キーブはシダ植物のように地味なのに、良い香りがする。蝶や蜂が、その香りにつられて寄って来るほどだ。
 チュカチュ谷は、人間の住める地形ではない。余りに凹凸が激しい岩山しかない上に、猛獣が多いからだ。
 その点、ギリンドは岩山を削る事なく、その岩山の先端に住居を乗せる建築が出来る。また、トカゲなどの爬虫類から進化したと思われる名残により、岩に張り付く事も自在だ。
 猛獣避けとなる物は何もない。ギリンドは圧倒的な闘争の才能で、つまり力で奴等を屈服させ、支配しているのである。
 そして裏を返せば、ギリンドの世界の厳しさでもあるのがその環境に由来するのは言うまでもない。ギリンドだとしても、弱ければ淘汰される。
 タフトはプチャリーから、そうしたギリンドの生き様を、時間を掛けて教え込まれた。ギリンドは人語を介さないが、五輪の加護は言葉の壁を越えて会話が出来る。その能力がありながらも、タフトは人間の言葉をプチャリーに教える
事が度々あった。プチャリー自身が、人間、そして人間が生きる世界に興味があったからだ。

        三
 レフナリアの言語は人語で統一されている筈だった。しかし、ギリンドという例外が存在している事に、タフトには言い様のない嫌な予感があった。
 神々が築いた《世界の全掟》。世界を成す全ての秩序をそこに閉じている筈が、滑稽で無様な醜態を晒していたからだ。
 ただ、プチャリーが猛烈な勢いで人語を習得しつつある事がそんなタフトの不安を和らげた。プチャリーはどうやら人間、というよりギリンド以外の人族を好意的に見ているようだ。
 タフトが慎ましくしていた事もあっただろう。だが元から彼女は谷の外への興味を強く持っており、タフトという闖入者がチュカチュ谷で生き残っているのは、ひとえにプチャリーのおかげなのだった。
 プチャリー以外のギリンドが、タフトと顔を合わせる機会は滅多にない。彼女は十分に強いどころかギリンドの集落と呼べるここにおいて、プチャリーはどうやら一、二を争う戦闘の才能を有しているらしかった。
 そう、強き者にみだりに関わる事は、この集落においては無礼にあたるのである。
 タフトはその事を直感で察した。
 強さという孤独は、まさに彼にもある特性に違いなかったからだ。
 
        四
 ところで、諸君はノスェーリムをご存知だろうか。全ての頂点に立つ神であり、人が知り得ないあらゆる全てを知り尽くした最上位の神である。
 プチャリーはそのノスェーリムの恩寵を受けているという。その理由は、何も特別な素質を持たないはずのギリンドが切り開いた可能性を見出だされたからだとプチャリーは語る。
 しかし、とタフトは心の中で思う。小さくないはずの五輪の加護の力。その力を以て神世界との交信を取った事は何度もあるが、そんな神に覚えがないのだ。
 もちろん、タフトがパケに欺かれているだけで五輪がテレパシーを与えるだけのペテンという可能性はあるし、タフトは実際の所、その可能性こそ有り得ると疑ってはいる。
 ただ、だとしてもノスェーリムは聞いた事がない。最上位の神だから、神さえも口に出来ない尊い立場なのか。
 タフトはそんな仮にも畏れ多い考えをプチャリーに悟られないよう、今日も聞き役に徹するのが精一杯のようだった。
 そんな彼を、最上位神がどんな思いで見ているのか、あるいは一瞥もくれないのか。こればかりはタフトやプチャリーどころか、どんな神々にさえ知らぬ所であった。

        五
 とはいえ、勇ましさのみならず少なからぬ聡明さも持ち合わせたタフトである。そんなタフトがノスェーリムの存在を信じざるを得ない理由がある。
 単に、信じられる程にプチャリーは物凄く強いのだ。
 人間の中でもここまでの実力を持つのは、皮肉にもグロリウン、あの男くらいのものだろうとタフトは直感した。
 だが、頭の中で二人を戦わせる思考実験は悉く失敗した。いつも、グロリウンが《身の程を知らぬ雷導の剣》でプチャリーを圧倒する最後だけが生々しく描かれる。
 あの途轍もない技さえなければ。
 タフトは思い出しながら戦慄が止まらない。幼い頃、巨大な剣の切っ先を自らに向けられた父もこうした感情を刻み込んだのだろう、とタフトは思う。
 そして、タフトは名剣ジクランゾルを見る。よく磨かれた刀身に、恐怖を想像した割には異様に澄んでいるその眼差しが跳ね返った。
 一方で、戦士たるその戯れを眺めていたプチャリーは我に返り、いそいそと夕飯のガリミューワニを下ごしらえし始めた。もっとも、ガリミューワニを仕留める事自体、チュカチュ谷のギリンドの中では彼女以外にいないとタフトは知らない。
 ガリミューワニの屈強で勇敢な眼光は、名誉に似た喜びをタフトに味わわせたのだった。

        六
 怒濤の日々は、突然に始まった。
 プチャリーが、谷を抜けるための気球を作ると言い出したからだ。
 タフトの傷は、驚くほどに回復していた。常人ならば全治一月は要する骨折さえ、ほんの数日で癒えていたのだ。
 ただ、これには理由がある。
 キーブ、その種からの搾り油は、強く傷を癒す効果を持つのだ。単にタフトの体力のみならば、一週間は見ないとならなかっただろう。
 副作用として、悪夢にたっぷりうなされはするものの、キーブの傷治効果は折り紙付きなのだ。
 タフトが手伝いを申し出ると、プチャリーは快く承諾した。本当に嬉しそうだと言うのが、ギリンド特有の、瞳をくるくるさせる仕草で実に良く分かるのだった。
 ギリンドは、驚くべき事にガス気球の無人飛行に成功していた。もっとも、下降や調節の概念はなく、ヘリウム風船のようにただ浮きっぱなしである。そのため、簡易のパラシュートも必要とタフトは判断した。
 プチャリーは良き科学者でもあったので、タフトが説明するパラシュートなどの必要物資も、タフトが提案した以上の品質に改良設計してみせた。
 シバハンの姿が、プチャリーに重なる。勤勉なシバハンにまた会えたような嬉しさがタフトの胸中にあった。けれども、プライドが邪魔してか腕を組み顔をしかめ、冷徹な風を装おうのであった。

        七
 ガス気球は果たして完成した。
 本当にガスを漏らさないだけの製法くらいしか工夫がないが、無人飛行にと作った小さな気球は、どこまでも軽々と浮かんでいったのはタフトらに大いに励みとなった。
 だが、現実は厳しいものだ。
 タフトはプチャリーと、適当に選んだ若い男ギリンドを乗せて飛び立った。しかし上昇するにつれて気ままに変わる気流。
 制御は困難になり、崖にぶつかって袋に穴が開き、墜落したのだ。
 パラシュートを開くには低すぎる高度で、間に合わず全員が怪我を負った。とんでもない大失態である。この件がきっかけとなり、ギリンドの中でのプチャリーの格が下がってしまったらしいから、情けない話である。
 怪我の療養は最低な理由で再開した。更に、プチャリーまでもが自由の利かない身となった。
 しかし、この時のタフトはまだこの先に起こる危険をまだ知らない。
 実は地上への陸路はあるのだが、その過酷な道のりこそが、ギリンドたちですら挫折する最悪な場所なのだ。
 〈気負いギリンド〉。
 その名を知らぬギリンドはいないほどに、邪悪で残虐なその存在がいる。
 ギリンドたちが総がかりでやっとその悪行を封じている、更なる低地・千本弓の獄谷。
 タフトはこれから起こる、厳しい戦いの中で強い力に目覚めるのだが、そうなる理由はいずれ話す事になるだろう。

        八
 グロリウンは、タフトが辿った一連の成り行きを、深い意識の海に潜る事により、遥か彼方から見ていた。
 荒ぶる蒼鷲。
 その二つ名は、タフトに譲られた名だ。
 グロリウンは昔を思い出していた。
 タルハーブの争乱。きっかけはその時だった。当時、まだ若いタフトと、少年から青年へ変わる年頃のグロリウンは、共にエスカゴルという少年将校に属していた。
 争乱とは、平和の反対である。その時ばかりは、実力こそが物を言う。神々が人の近くにあるレフナリアで、神童と呼ばれる偉業をなしたのはエスカゴルと数えるほどしかいない。
 天才は、無条件で上長。レフナリアにおける戦とはそうなのだ。
 だが、結論から言うならば、グロリウンは彼を斬った。読んで字の如く、一刀両断したのだ。
 知りすぎた者は、殺す。グロリウンは遂に、タフトとの偶然で適当な友情に終止符を討ち、為すべき仕事を始めたのだ。
 エスカゴルは、タフトたちがその時に使えていた小国家・シガリガンの暗部の者。奇妙な術により、グロリウンの正体を知ってしまったのだ。
 最後に全ての人間を殺す者。グロリウンの定めだ。その為だけに強さを求め、偶然を装ってまで強き男・タフトに出会ったのだった。
 エスカゴルをタフトの眼前で斬った時、なぜかタフトは至って冷静で、そして二つ名を贈ったのだ。
 まだパケ神に見出だされる前の二人。しかしその宿命を、タフトは悟っていたのかもしれない。グロリウンはそう考え、笑った。
 その笑みには禍々しさが宿り、厳しさより冷たさが色濃く浮かび上がって、心なしか空気をも闇に染めた。

        九
 シバハン。ピリトッドなので、姓は持たない。習わしとして、そうなっているのだ。
 彼は、名前を思い出そうとしていた。
 ある人の名前を。しかしどうしても出来ないでいた。タフトと同じくらい大切なはずなのに、賢いシバハンにさえ思い出せない人。
 そう、その人こそが、タフトのもう一人の仲間にしてタフトの人生に影響した、恩人である。
 そんな人の名前が記憶にないという事実は、シバハンをいらいらさせた。ただ、シバハンは気持ちを落ち着かせ、名前以外で思い出せる事がないかを探し始めた。
 ジクランゾル。なぜかその名前が出てきて、シバハンは混乱した。剣が人であるわけがないからだ。
 きっと、ジクランゾルをタフトが抜いた時に、その人はいたのだろう。シバハンはそう結論付けた。記憶をどんなに探しても腑に落ちない感じはしたものの、ジクランゾルという事は、おそらくそうなのだ。
 シバハンは家に備え付けられた、書斎兼研究室にいながら、栽培しているクルキトを眺めた。
 そして、タフトともう一人の仲間のために祈ったのだった。

        十
 タフトは、獄谷への道を行き始めた。
 プチャリーも同行を望んだが、タフトが拒んだ。怪我をしているのでは、〈手負いギリンド〉に会うどころか足手まとい。そう判断したのだ。
 食用の植物に関する大まかな知識なら、プチャリーに教わっている。餓死の恐れはないはずだ。その気になれば、ガリミューワニを狩れば良いとさえタフトは思った。
 ジクランゾルを杖代わりに、余計な体力を使わないように谷を下る。千本弓の獄谷を抜け、今度は果てしないほどの登り道があり、地上に帰るという算段だ。
 杖のように使うジクランゾルを、敵が来たら居合のように斬り抜く。道中でイメージし、実践に移し、見事なまでに予想通りに相手はもう死んでいる。
 相手が人間でなく、谷の獣であることがタフトを幾らかほっとさせた。
 どんなに屈強で勇敢で、そして粗暴であっても、人の命のやり取りは本能が傷んで心が磨り減る。
 幾度とない戦いの日々でタフトが学んだのは、そうした実際的な教訓なのであった。
 そして、教訓を反芻しながら男は一人、谷を淡々と下っていった。
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