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2019年10月24日。「ユキチ取って〜」はいつまで有効か
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10月24日。
今回はお金の話でも。
経済などと難しい話ではない。僕の趣味の話だ。
元号が令和に変わるとほぼ同じタイミングで数年後には紙幣が変わり、500円硬貨も変わると発表された。
まず紙幣について、僕の中で一抹の、そしてちっぽけな悩みがある。
昔、ライトノベルにおいてあとがきを楽しむことを無上の喜びと拘りとしている(と見受けられる)作家・時雨沢恵一氏が、あとがきでこんな台詞を書いていた。
「○○、そこのユキチ取って~」
宅配便か何かが届いて、代金の支払いをしようとする緩いやり取りだが、問題はそこじゃあない。
1万円札のことをそのもの刷られている人物ズバリ、ユキチと呼んだことが面白かったのだ。
無論、万札のことをフランクに『ユキチ』と呼ぶ人は日本中どこにでもいる。だが、初めてフランクに『ユキチ』と呼んだ場面を見たことが存外に面白く、記憶に残った。ツボにハマった、というべきか。言葉の文化に可笑しみを感じたのだ。
それから時が過ぎて、僕自身も趣味の木っ端文書きになった時、現代日本を舞台にしたシナリオで……これは小説だけでなく、ゲームでも同じか。自分でも登場人物にフランクな会話で言ってもらいたくなった。
悪漢に追い詰められて危うしという場面で「ユキチ3枚で手を打とうッ!!」とか、貧乏生活を送っている男が薄い財布の中身を見せて「こりゃひでぇ……だろ? だってヒデヨが3枚だぜ?」とかいう具合だ。
フォーマルな場面では当然そぐわない言葉の使い方だが、日常の平和な場面やギャグな場面では人によっては金額をそのものズバリ言うよりも幾分か冗談めいたものが入るというか、フランクで可笑しみの篭った印象を与える気がする。
そんな何気ない言葉の使い方が好きだ。
好きだったのだが……今回の新紙幣の発行の報せだ。
紙幣に刷られる人物が、どれも変わってしまう! これまで通り万札を『ユキチ』と呼んでいいのか!? 時代に合う言い方をするなら「エイイチ3枚で手を打とうッ!!」とか「シバサブロウが3枚だぜ?」に変えないといけないのか!? なんかイマイチ韻の踏み方が慣れなくて抵抗あるー!!
……などと、どうでもいい創作と、日常の緩い場面での金銭の言葉のやり取りについて、僕個人だけのちっぽけな悩み。
余程社会派の作品とか、リアルな世界観に基づいた作品でも作るなら大事かもしれないが、自分の好き勝手に書く作品……それこそファンタジー要素が多めのライトノベルやギャグな世界観の話なら自分の肌に合うように好きに変えたり選んだりすればいいだけの話なのだが……う~む、書き手としての拘りがどうにも邪魔をする。いや、実際はそこまで深刻に悩んでないんだけどね。
そして、お金と言えば最初に言った通り、500円硬貨も変わる。
僕は、500円玉が好きだ。
500円玉どころか、子供の頃から貯金箱にお小遣いが貯まるごとに、手元にひっくり返しては1枚1枚小銭を数えて「えへへー僕んだーい!」と悦に浸る妙な癖がある。多分、お金持ちになりたいとか、お金持ちアピールをしたいとかそういう訳ではないと思うのだが、単純に『所持金がこれだけある!!』と確認するのが楽しいのだろう。
今も母がどこからか粗品として贈られた大きな貯金箱が「使わないから欲しいならあげる」と言うので頂いてきて、500円貯金をここ長期間続けている。
今まで100均ショップで買えるプラスチック製のコインケースなどで小銭を貯めていた。透明だから中身をすぐに確認出来る。主に同人誌即売会の軍資金用に貯めていたのだが、そっちは控えめにして大きな缶の貯金箱に500円玉のみの貯金だ。
使い道はまだハッキリ決めてはいないが、かなりの金額が貯まるだろうからPCの買い換えとかスマホの買い換えとか大きな買い物に使うつもりだ。
コインケースや中身の見えるタイプの貯金箱と違い、幾ら貯まったか目視では確認出来ないのがネックだ。これを良いと見るか悪いと見るかは500円貯金する人の性格に依るだろう。僕はしばらく貯めた後、『かなり重くなったんじゃね!?』とテンションが上がり、お金を使わないまでも我慢出来ずに蓋をこじ開けてしまった。
何ともはや。500円玉はその時貯金箱の2割と埋めていなかった。今現在蓋はこじ開けたままだが、まだ3割程度だ。満杯になるまでまだまだ時間がかかりそうだ。
僕は500円玉そのものが好きだ。
硬貨の中で最も金額が大きいというのもあるが、現行の500円玉は金に近い色なので沢山集めると金貨っぽくてワクワクするのだ。貯金箱が満杯になる光景を思い浮かべれば、しばし悦に浸れる。改めて金額を数える日が愉しみだ。
そう思うと、数年後に変わる新しい500円玉は紫がかった色合い……金貨っぽさが薄れてそれは少し残念だ。
『500円貯金はやり易い、貯まりやすい』と言う人もいるが、それは貯める目標額などにも依るだろう。500円玉を大量に集めようと思ったら、大抵の場合大量のお札が要る。1000円以上払ってお釣りで500円玉を受け取るというパターンがほとんどだからだ。結構骨が折れるし根気もいる。かといってわざわざ万札を両替で崩して500円玉を貯めるのも本末転倒。集めた500円玉をお札に変えるのが目的なのだし、その瞬間こそが愉悦。
500円貯金を続けていると珍しいこともある。
自販機やレジでお釣りを貰う時、ごく稀に旧500円玉が出てくる。銀貨っぽいデザインのもので、今現在20歳前後の人は見たことない人がいるかも。
ある会計でお釣りを貰った時に「こちら○○円のお返しで……あっ、すみません。これ旧500円硬貨でした……」と言って引っ込められ、現行の金貨っぽい500円玉と替えられたことがあった。
確かに今の500円玉の方が金貨っぽさはあるが、珍しいから旧500円玉もくれよ!! と叫びそうになった。実は他の会計でも銀貨っぽい500円玉を1枚だけ得たので、貯金箱とは別に保管している。記念のようなものだ。長い年月が経つと何らかの価値が高まるかもしれないし。
500円貯金が完結するのはいつの日か。果たして幾ら貯まるのか。
ただひとつ言えそうなことは、一度500円貯金が終わっても、僕の小銭に対する妙な癖(へき)が変わらない限り、際限なく小銭貯金は続くだろうな……ということだ。ある時は同人誌即売会の軍資金の為に。またある時はPCの新調の為に。ゲームのハードを買う為に。
いつだってオタ活に結局は繋がってしまうのだ。爺さんになってもこんな変な男でありたいな。にひひ。
今回はお金の話でも。
経済などと難しい話ではない。僕の趣味の話だ。
元号が令和に変わるとほぼ同じタイミングで数年後には紙幣が変わり、500円硬貨も変わると発表された。
まず紙幣について、僕の中で一抹の、そしてちっぽけな悩みがある。
昔、ライトノベルにおいてあとがきを楽しむことを無上の喜びと拘りとしている(と見受けられる)作家・時雨沢恵一氏が、あとがきでこんな台詞を書いていた。
「○○、そこのユキチ取って~」
宅配便か何かが届いて、代金の支払いをしようとする緩いやり取りだが、問題はそこじゃあない。
1万円札のことをそのもの刷られている人物ズバリ、ユキチと呼んだことが面白かったのだ。
無論、万札のことをフランクに『ユキチ』と呼ぶ人は日本中どこにでもいる。だが、初めてフランクに『ユキチ』と呼んだ場面を見たことが存外に面白く、記憶に残った。ツボにハマった、というべきか。言葉の文化に可笑しみを感じたのだ。
それから時が過ぎて、僕自身も趣味の木っ端文書きになった時、現代日本を舞台にしたシナリオで……これは小説だけでなく、ゲームでも同じか。自分でも登場人物にフランクな会話で言ってもらいたくなった。
悪漢に追い詰められて危うしという場面で「ユキチ3枚で手を打とうッ!!」とか、貧乏生活を送っている男が薄い財布の中身を見せて「こりゃひでぇ……だろ? だってヒデヨが3枚だぜ?」とかいう具合だ。
フォーマルな場面では当然そぐわない言葉の使い方だが、日常の平和な場面やギャグな場面では人によっては金額をそのものズバリ言うよりも幾分か冗談めいたものが入るというか、フランクで可笑しみの篭った印象を与える気がする。
そんな何気ない言葉の使い方が好きだ。
好きだったのだが……今回の新紙幣の発行の報せだ。
紙幣に刷られる人物が、どれも変わってしまう! これまで通り万札を『ユキチ』と呼んでいいのか!? 時代に合う言い方をするなら「エイイチ3枚で手を打とうッ!!」とか「シバサブロウが3枚だぜ?」に変えないといけないのか!? なんかイマイチ韻の踏み方が慣れなくて抵抗あるー!!
……などと、どうでもいい創作と、日常の緩い場面での金銭の言葉のやり取りについて、僕個人だけのちっぽけな悩み。
余程社会派の作品とか、リアルな世界観に基づいた作品でも作るなら大事かもしれないが、自分の好き勝手に書く作品……それこそファンタジー要素が多めのライトノベルやギャグな世界観の話なら自分の肌に合うように好きに変えたり選んだりすればいいだけの話なのだが……う~む、書き手としての拘りがどうにも邪魔をする。いや、実際はそこまで深刻に悩んでないんだけどね。
そして、お金と言えば最初に言った通り、500円硬貨も変わる。
僕は、500円玉が好きだ。
500円玉どころか、子供の頃から貯金箱にお小遣いが貯まるごとに、手元にひっくり返しては1枚1枚小銭を数えて「えへへー僕んだーい!」と悦に浸る妙な癖がある。多分、お金持ちになりたいとか、お金持ちアピールをしたいとかそういう訳ではないと思うのだが、単純に『所持金がこれだけある!!』と確認するのが楽しいのだろう。
今も母がどこからか粗品として贈られた大きな貯金箱が「使わないから欲しいならあげる」と言うので頂いてきて、500円貯金をここ長期間続けている。
今まで100均ショップで買えるプラスチック製のコインケースなどで小銭を貯めていた。透明だから中身をすぐに確認出来る。主に同人誌即売会の軍資金用に貯めていたのだが、そっちは控えめにして大きな缶の貯金箱に500円玉のみの貯金だ。
使い道はまだハッキリ決めてはいないが、かなりの金額が貯まるだろうからPCの買い換えとかスマホの買い換えとか大きな買い物に使うつもりだ。
コインケースや中身の見えるタイプの貯金箱と違い、幾ら貯まったか目視では確認出来ないのがネックだ。これを良いと見るか悪いと見るかは500円貯金する人の性格に依るだろう。僕はしばらく貯めた後、『かなり重くなったんじゃね!?』とテンションが上がり、お金を使わないまでも我慢出来ずに蓋をこじ開けてしまった。
何ともはや。500円玉はその時貯金箱の2割と埋めていなかった。今現在蓋はこじ開けたままだが、まだ3割程度だ。満杯になるまでまだまだ時間がかかりそうだ。
僕は500円玉そのものが好きだ。
硬貨の中で最も金額が大きいというのもあるが、現行の500円玉は金に近い色なので沢山集めると金貨っぽくてワクワクするのだ。貯金箱が満杯になる光景を思い浮かべれば、しばし悦に浸れる。改めて金額を数える日が愉しみだ。
そう思うと、数年後に変わる新しい500円玉は紫がかった色合い……金貨っぽさが薄れてそれは少し残念だ。
『500円貯金はやり易い、貯まりやすい』と言う人もいるが、それは貯める目標額などにも依るだろう。500円玉を大量に集めようと思ったら、大抵の場合大量のお札が要る。1000円以上払ってお釣りで500円玉を受け取るというパターンがほとんどだからだ。結構骨が折れるし根気もいる。かといってわざわざ万札を両替で崩して500円玉を貯めるのも本末転倒。集めた500円玉をお札に変えるのが目的なのだし、その瞬間こそが愉悦。
500円貯金を続けていると珍しいこともある。
自販機やレジでお釣りを貰う時、ごく稀に旧500円玉が出てくる。銀貨っぽいデザインのもので、今現在20歳前後の人は見たことない人がいるかも。
ある会計でお釣りを貰った時に「こちら○○円のお返しで……あっ、すみません。これ旧500円硬貨でした……」と言って引っ込められ、現行の金貨っぽい500円玉と替えられたことがあった。
確かに今の500円玉の方が金貨っぽさはあるが、珍しいから旧500円玉もくれよ!! と叫びそうになった。実は他の会計でも銀貨っぽい500円玉を1枚だけ得たので、貯金箱とは別に保管している。記念のようなものだ。長い年月が経つと何らかの価値が高まるかもしれないし。
500円貯金が完結するのはいつの日か。果たして幾ら貯まるのか。
ただひとつ言えそうなことは、一度500円貯金が終わっても、僕の小銭に対する妙な癖(へき)が変わらない限り、際限なく小銭貯金は続くだろうな……ということだ。ある時は同人誌即売会の軍資金の為に。またある時はPCの新調の為に。ゲームのハードを買う為に。
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