mk-2の毎日がBLACK HISTORY

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2020年5月7日。ある程度経験を積んだが故の邪念。

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 先日、ネット上から『暁が教えてくれたもの。』の感想を一筆頂戴した。とても嬉しい。


 とても嬉しいが、少々複雑な気持ちもある。


 『暁が教えてくれたもの。』は10年近く前に初めて自分オリジナルで形にした創作物。つまりは処女作。関西創作交流会の創作仲間ともこんな話をした。

「自分が初めて作った物語性のあるものって、一番自分のピュアな気持ちが出るよね」と。



 創作仲間の言う通り、この作品にはのちに断続的に作ってきた様々な創作物に比べ、とても素直で純真な気持ちというものが表れている。

 冒頭からの風景や心理描写。自分なりに登場人物に寄り添いながら生まれてきた純粋な中学生の登場人物。彼らを見守る周囲の人物。そして主人公たちの切実な願望。


 登場人物には恥ずかしげもなく作者自身の願望や理想が投影されており、ワープロソフトの中で幾度となく彼らと想いを重ねた。

 まず主人公の少年・真人には作者が学生時代恵まれなかった鬱屈した想いが山積しているし、彼の親友となる少年・宝には「こんな友達がいたら良いなあ~っ!!」という理想が詰め込まれている。のちに友人に加わる少女・灯は精一杯優しさを込めて真人を叱ってくれるし、不良の竜には作者なりのある種のヒーロー像のようなものを象っている。


 ろくに学生時代友人も出来なかった作者は中学生同士の生っぽい(リアルな)会話劇がイマイチわからなかったので、9年ほど前友人から薦められたビデオゲームの名作『ペルソナ4』などをプレイして楽しみながら参考にした。もっとも、「ペルソナ4」に出てくる登場人物は主人公が完璧な聖人君主のようなヒーローで、他の仲間たちは中学生よりはもう少し大人びた高校生たちなのだが。


 技術は稚拙そのものだが、まずは楽しめ、と自分の願いを込めて楽しんだり苦しんだりしながら初めての創作に勤しんだ。そして『暁が教えてくれたもの。』は何とか完成した。当時協力してくれた友人や相談に乗ってくれたデザイナーの先生には今も感謝している。



 そうして一歩創作者としての足跡を刻み始めた僕。



 その後はどうか。



 とにかく色んなジャンルの……頭に霞のように浮かび上がっては一瞬一瞬形を変える創作衝動を、物語を形にしたい気持ちに従って時に小説、時にゲーム、やがて漫画など幾つか作ってきた。


 結果、創作の数をこなしたことで多少は知見を深め、技巧も少しは得た。



 だが、処女作を書いていた当初のようなピュアな気持ちは作品に色彩として、輝きとして乗らなくなってきた気がするのだ。



 『暁が教えてくれたもの。』を書いた後の僕は、RPGツクールで原作の『LIVE FOR HUMAN』という中篇の冒険活劇ものを描き、一気に非日常なファンタジーや激しいバトルを手掛け始めた。次に『傾奇者ーKABUKIMONOー』というもっとカオスで理不尽で、見る人によってはお下劣な表現も目立つハイテンションなコメディー・アドベンチャーを作った。それらをセルフノベライズ、つまり自ら小説化するなどのクロスオーバーさせる試みや実験は今も続いている。ゲームは今のところ2作だけだが、他に作った小説や漫画もブラックなギャグやひたすら報われず堕ちていく主人公などを描こうとしたり……要するにやりたい放題やってきたのだ。身内に見せて不興を買い、怒られたこともある。


 そして今も『創世樹』というSF冒険ファンタジーを……さらに過激なアクション描写や俗にまみれたものが頻出する小説を断続的に書き続けている。



 これまでの僕の創作者としての足跡を客観的に見て、良いことも悪いことも言いたいことがある人はきっと沢山いると思う。そういった声は甘んじて受け入れて自分の創作の指針のひとつにするつもりだ。

 ただ自分自身でわかることは、何度も述べた通り『最初に抱くピュアさ』、その美しさが出なくなってきたな、ということだ。それを『洗練』とか『経験』とか前向きな言葉で言い表すことも出来るだろうが、先日頂戴した感想コメントを読んでみて……作品を評価してくれた喜びだけでなく『邪念が生まれた』『俗に汚れた』という、ある種のロストイノセントを強く感じたのだ。


 それが悪い、と断じる人は一部かもしれないが、時に『純粋でシンプルなもの』の持つ力と言うものは如何なる『老練し、技巧や工夫を凝らしたもの』を打ち破るような気がしてならない。バレーボールやバスケットボールなどの体格やパワーがものを言うスポーツのように、その輝きは簡単には覆せないだろう。それは作品として優秀とか、上手だとかとはまた違うもので、人間の素直な感性に基づいたまさしく『美しさ』『輝き』だと思うのだ。



 今、もう一度『暁が教えてくれたもの。』のような少年少女たちのピュアな青春群像劇を描こうとして、『美しさ』や『輝き』を出せるだろうか? 甚だ疑問だ。



 今は『創世樹』に注力すべきだと思うので行動に移せないが、ひと段落したらもう一度そういった物語が色彩豊かに描けるかどうか試そうと思う。


 進歩することは原点から離れていくことだ……などと言う話を聴くが、自分の根っこが変節してしまっていたらそれはそれで創作者として悲しい話ではなかろうか。


 真人くん、宝くん。もう一度心に降り立ってくれ。赤面するくらいお互いに求め合い、読者に「BLに嵌まりそうになったよ!」と言われるくらいの愛と美しさに満ちた物語よ、いつかもう一度。
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