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5話

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アマリリアの面持ちはかつてないほど真剣だった。今から話すのは、とても重大な話なんだと、話される前からその雰囲気でわかる。
「500年ほど前、この世界に、異世界からあなた方と同じ「人間」という存在がやってきた。性格な数字は把握できていないところがありますが、七人が有説。その中にあの子はいたわ。」
この世界に人間がやってきたのは、スージーから聞いた。しかしながら人物像を聞くにまでは至っていない。謎を追い求めたい気持ちが強まるが、まだ話の続きがありそうなので、聞きたいという欲は彼女の話から答えが聞けることを信じてぐっと堪えた。
「名前はヘルベチカ=バーネット。あなたと同じぐらいの年頃の女の子。真っ白で長い髪、肌も白くて、細くて・・・それも、私が綺麗にしてあげたからですけれど。」
俺が夢の中で会った少女も同じ名前だった。見た目の特徴も一致している。驚きを隠せない。でも、まだだ。こっちが聞き返すのはまだだ。
「傷だらけの痣だらけ。服もボロボロでしたのよ。最初はとても怯えていたけど、慣れてくるとよく笑顔を見せてくれて・・・ふふ、楽しい時間でした。」
ただの思い出話になりそうなところで、我慢の限界だった口が開いてしまう。少女の特徴について話してくれた。次は何を聞こう。

>>>いまはどこにいるのか?
>>>どうやってここへ来たか?

「・・・そのヘルベチカは、どうやってここへ来たのか言っていませんでしたか?」
はっと思い出したような表情と手を口元に添える仕草をする。聞いてよかった。
「どうやってここへ来たか・・・?家に帰る途中、足元に不思議な光の模様が現れて、それに吸い込まれたらここにやってきた」なんて不思議なことを仰っていましたわ。」
それはきっと、この世界に迷い込むきっかけになったあの絵と一緒だ。実際にそれを確認しないと断言はできないが、現象が似ている。もっと詳細を知っているのはセドリックだ。今度・・・いや、今からでもここへ連れてくるべきか?あの絵が何か、わかるかもしれない。
「・・・あなたはどうなのですか?」
「えっ・・・?」
いきなり問われたからびっくりした。
「あなたもここへどうやってやってきたのですか?」
彼女から、きた。俺が答えられる事なんて曖昧でぼんやりした物でしかない。協力はしたものの巻き込まれたのも同じ。事の発端はセドリックだ。今が、あの怪奇現象について実際に聞く事のできるチャンスだ。でも、事は急ぎすぎではないか?いずれ話すことになる真実、セドリックもみんなにも話す覚悟ができて、その時が一番いいのでは?でもそれはいつになる?ずっと黙っているつもりなら?
あれこれ考えている時間はない。決めなければ。

>>>自分の覚えている範囲で話す
>>>セドリックを連れてくる
>>>ごまかす

「俺も、似たような現象に巻き込まれました。」
結果、アイツに気を遣ってしまった・・・が、微妙な形で裏切っている気もする。
「ただ、ヘルベチカは何もしていないのに巻き込まれたのなら俺の場合は違います。」
覚えている限りで言う選択をしたが、セドリックの名前を伏せるつもりは無い。一番の原因を隠して話すには難しい。
「と、言いますと・・・?」
アマリリアは少し前のめりで、目蓋を細め、上目遣いにじっと見つめる。俺の目を見ているんじゃ無い。もっと奥、気まずくて仕方ない胸の内をその金色に光る瞳は見透かされているようで落ち着かない。へたに威圧されるより怖い。背中あたりがゾワゾワする。

「えっと、あの・・・。」
察したのか、にっこりと微笑む。さっきの顔が、それだけで頭から離れるわけないけど。
「・・・セドリックが地面に、魔法陣みたいな絵を描いて、それがすごい眩しい光を放って目が眩んでいる間にこの世界にいたんです。」
沈黙の間が空く。次に開いたのはアマリリア。
「あなたはその場にいたのね?」
「え?ええ・・・。」
なんでまたそれを聞くんだろう、と考えている間に続ける。
「あなたは、が実行に移す事をその時、知っていたの?それともたまたま居合わせたら巻き込まれたの?」
・・・?様子が変だ。笑顔に。ありのまま言っていいのか?もうごまかせないけど、ごまかせそうにもないけど。心の奥底に「本当に言っていいのか?後悔はしないか?」と問う声はなんだ?何の後悔だ?アマリリアはただ気になっている事を聞いているだけじゃないか。真実を述べるのは悪いことじゃない。
「知っていました。俺たちのいた世界で、一枚のある紙とその魔法陣があれば異世界に行けるみたいな噂があって、セドリックはそれを実行に移したんです。俺とアイツの他にいたのはハーヴェイとジェニファー、でもみんな半信半疑だったんです。」
嘘みたいにぺらぺらと口から流れ出る。だって、本当の事だもの、ためらう必要もなければ魔術に詳しいアマリリアに話したら解決の糸口に繋がるはず。そう信じて疑わなかった。
「そう・・・ありがとう、話してくれて。あとでセドリック君にも直接話を伺ってみようかしら。」
軽くお礼を告げた後のアマリリアは俺たちが安心感を抱く朗らかで明るいお嬢様だった。さっきは、まるで弱い人を脅す「悪い魔女」のようで。彼女が魔女なのは知っているが。
「それがいいと思います。あ、俺たちがやったってことはオスカーと聖音には内緒にしてください。」
アマリリアが小首を傾げる。
「二人は近くにもいなければ、何も知らず巻き込まれただけなんです。聖音はまだいいけど、オスカーに話したらとんでもない事になるんです。いつか話さなきゃいけないけど、出れる方法が見つかるまでは・・・。」
「わかりましたわ。」
最後言い切るまでに、理解してくれた。
「助かります、アマリリアさ・・・あっ。」
こっちも礼を言ったあと、思い出す。もう一つ聞きたい質問があったがアマリリアから聞かれてからはそっちのけになっていた。
「どうかしました?」
「ヘルベチカは今どこにいるんですか?」
迂闊に「自分の夢の中に出てくるんです」とは言えない。たまたま同名のよく似た人物という可能性もあるので勝手な憶測を話すのはよくない。しかし、アマリリアは途端に、物悲しそうに視線を下に落とす。
「・・・今は、いません。」
あの子、ヘルベチカには今まで感じた事のない雰囲気を感じていた。そこにいるのに、存在感がまるでないみたいに。ふわふわした、変な感じだった。一人の人間ではなく「一つの現象」のような。でも、今はいないとはどういう事だろう。奇跡的にも元の世界に戻れたのか?それとも、アマリリアの様子から察するに・・・。
「殺されたのです、白亜の魔女に。」
殺された。
あぁ、やっぱり。
驚いたりしない。当たり前だ。俺もこの世界で生き抜く自信なんか微塵もない。
か弱い女の子が無理だ。何ができる?
怖かっただろう。あまりの力の差に、敵わないと絶望もしただろう。しかもただ巻き込まれただけで、なんと酷い話だ。
でも今は同情している場合じゃない。
「白亜の魔女・・・?」
初めて聞いた。アマリリアとは違う別の魔女なのは会話の流れから理解したが、白亜は「白い壁」を意味する。どの特徴からとって呼ばれているか知らないが、魔女に白色のイメージは無い。
「ねえ、あなたがもし、異世界からやってきたという人と遭遇したらどう思います?」
また問われた。さっきもそうだが、答えたあとすぐに質問をされる。こんなすぐに聞き返されることはそうそうない。なんだか独特な会話だ。
「すぐには信じられませんよ、そんな・・・。まずは疑います。でも危害を加えないことがわかったら、聞きたい事をたくさん聞いてしまうかもしれません。」
自分の立場で想像する。まずあり得ないが、もしそうなったら、そりゃあ俺の好奇心は黙ってはいられない。
「そうね。にわかに信じられないのも、よく理解できます。明らかに違う種に、恐怖を覚えるもの、お互いの為に友好を築きたいもの、異なる種に興味と関心を抱くもの・・・。」
淡々と語り続ける。悔やんでも悔みきれない、といった暗い顔だ。
「先程仰った、白亜の魔女。・・・リコリスは、人間に異様なほどの興味を持っていました。ヘルベチカが私の家にいることを知って引き取りに来たの。私は彼女に預けた。・・・あの魔女の好奇心があれほどまでに異常と知っていたら絶対に渡さなかったのに。」
・・・ここまで聞いて、俺はなんと返せばいいのか。言葉が見つからない。
魔女はとても恐ろしい存在なのですね、と返したら今目の前で「人間を守れなかった後悔の念に苛まれている」魔女の気持ちを否定する事になる。
「リコリスは自分の知的探究心を満たすためだけに人間で実験を繰り返し、その末にあの子は亡くなった。そもそも、人間と感覚が違うものですから、過酷な実験の過程の中で耐えられなかったのでしょう。」
敵意ではなく、欲望でヘルベチカは殺された。繰り返された実験、すぐに死ぬことも許されなかった。そっちの方が、酷くないか?俺たちにとって恐ろしいのは獣の本能ではなくちがう理性のある欲なのか?
「実験の詳細と死体の在り場所は不明。リコリスは死刑。貴重な種を殺してしまったのと、他にも色々前科がありましたから。」
別にそこについて詳しく聞きたいわけじゃなかったが、ヘルベチカについてもっと詳しい話が聞けただろう人物が今はいない事実に残念としか言えない。・・・いや、そんな強気なこと言って、俺には無理だ。
「暗い話でごめんなさいね。・・・これはあの子がここにいた証なの。あの子の話を聞いてくれたあなたに持っていてほしいわ。」
いろいろ不安に駆られている俺に、優しく話しかけてくれる。
「私はあなた達を直接元の世界に戻す術は知りませんが・・・もうヘマはしませんわ。」
・・・見た目は自分と同じぐらいか、年下にも見える女の子に、母親のような温もりを感じてしまうのが不思議だ。随分と居心地がいい。
「・・・帰れるといいですわね。」
俺にはいないからわからないが、母親はきっとこんな感じなんだろうか。アマリリアの言葉に、それ以外になんの意味があるかなんて考えはこれっぽっちも浮かびもしなかった。
良い人間もいれば悪い人間もいるんだから悪い魔女もいるし逆もいる。
彼女はいい魔女だ。
だって、ここまで俺たちのことを考えて、今日色々してくれるんだもの。そう信じたっていいじゃないか。
「絶対帰る。でもここにいたことは忘れないから。」
可憐に微笑む彼女に、こっちも思わず固かった表情が綻びかける。短いようで長く感じる時間の流れ、ここが本だけに囲まれた部屋というのも忘れそうだった。


コンコン。
ノックな音が聞こえる。すぐにアマリリアはドアの方に目を向けた。
「お嬢様、来客が一名。お見えになっております。」
「どなたかわかりますか?」
さっきまでの優しさに溢れた雰囲気とはうってかわって、穏やかだがどこか近寄りがたい気品のあふれるお嬢様然とした仕草、立ち振る舞いに切り替える。
「はい、マシュー様でございます。リュドミール様ご一行にお渡ししたいものがあるとのこと。危険物でないことは確認済み。」
アマリリアは一瞬、わかりにくいがしかめっ面を浮かべるが、マシューは俺たちに協力的な人間だ。信用もできる。
「俺も直接会いたい。いいですか?」
俺に向ける顔は、笑顔だった。
「・・・貴方がそういうのであれば、構いませんわ。では、通して、談話室で待ってもらってちょうだい。」
指示した直後、カツカツと革靴の甲高い足音が遠のいていった。仕事が早い。
「では私たちも参りましょうか。」
彼女に対する用事もひとまず済んだため、来客に顔を合わせるべく書斎を後にして談話室へと向かった。
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