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7話

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「パンドラが自分で逃げたわけじゃないわ。誰かが逃したのよ。」
周りが一斉にざわめき始めた。奴にはまだ協力する者がいるのか。一体、俺たちを返すことになぜそこまで手を回さなくてはいけないのか。次々と問題が壁となって立ち塞がる。絶望感がとてつもない。
「突然見たことない魔法陣が現れて、その中にいたパンドラが消えたのよ。魔物は魔法が使えない。というか、仮に使えたとしたらとっくに使っているはずよ。」
「誰かって・・・誰?」
スージーは深いため息をつく。
「それがわかればこんなに詰んでないわよ・・・。」
一気に雰囲気が落胆する。でも俺は見た。ノエルが、何か思い出したかのように目をまん丸にして一人だけ浮いた面をしているのを。
「あーそう忘れてた!君達がこの世界に来るきっかけにもなった魔法陣!!あれについてなんだけど!!」
「!!」
ようやく、俺たちがわからないまま描いて、過去にも何人も引き摺り込んだ謎の魔法陣が一体何か解明される時が来た!本当に、頼んでよかった。胸が高鳴る。元の世界に戻れる。希望が見えてきたのだから。
「私じゃあわからないわ!!」
「・・・・・・。」
上げてから落とすスタイル。落差が激しすぎてみんなもついていけなかった。
「なんだよ、それ。」
オスカーが不満をこぼす。こればかりは俺も同感だった。無理を言って頼んでおいて申し訳ないとは思いつつ。
「というのも、あの魔法陣は見たことのないものだったもの。・・・ここからはちょーっと真面目な話よ、聞いてちょうだい。」
急に真剣な顔で声のトーンもヒヤリとするほど落ち着いた彼女は別人のようだ。
「例の魔法陣は「この世界にはない形式」で、長年魔女として生きてきた私も見たことがない。あれはこの世界には存在しないもの仮定しておいて・・・。」
一息ついてまた続けた。
「媒体から得た情報からあなた達が描いた魔法陣、リュドミール君がアマリリアの家で見つけた紙切れに書いてあった魔法陣・・・そして、さっきパンドラを逃した際の魔法陣。全ての魔法陣が。どういうことかわかる?」
衝撃的だった。だって・・・。
どれも関係ないようで、すべては繋がっているということだろうか?
「アマリリアの屋敷にあったとはいえ、彼女の使う魔法とも違うし、そもそもあの子がパンドラを逃す理由がない。だから彼女は関係ない。あなた達がここに来たのはきっとその魔法陣を発動した何者かが関わっているか、その人によるものかもしれないわ。」
ふと、マシューとの会話を思い出す。

ーもしかしたら「他に条件がある。」あるいは「こっちの世界が干渉している。」のではないかー
ー儀式全てにこっち側が関わっていた可能性がある。ー
ー魔法陣でこっちに喚んだー

正直あの時はまだ信じきれなかった。でも、ここにきてマシューの憶測が現実味溢れてくる。俺たちは自分からこの世界に来たんじゃあなかったのか?あのときから、誰かが関わっていたのか?
「さっきの件と言い、パンドラが関係している可能性もあるわね。」
つまるところ、パンドラにもう一度話を聞いた方が確かな情報を得られる可能性が高い。一体、俺たちになにが関わっているのか。しっかりと確かめたい。

「でも、まあとりあえずは。」
ノエルが視線を向けたのはジェニファーの方。みんなの視線も集まってどうにも居心地が良くないジェニファーは下を俯く。
「本物のジェニファーを助けないことには始まらないわ。」
そうだ。みんなで元の世界に帰らないと意味がないんだ。一人は、いなくなってしまったけれど。生きている可能性があるのならそいつを放っておくなんて絶対にしたくない。例えそれが、一筋縄にいかないとしても。ここにいるジェニファーも命がけで助けて欲しいと懇願してきたのも、無意味になんかしたくなかった。
「なんとかなるよ!やれるだけのことをやってみようよ。」
聖音が目の前に拳を握って鼓舞する。助けたい。その気持ちがあれば助けることができる。ここに来たみんなは同じ思いのはず。
「・・・・・・。」
腕と足を組んで俺の方を睨んでいるオスカーとポケットから取り出したタバコを蒸しているスージーも、多分・・・。
「そうと決まれば早速出発?」
ハーヴェイの問いに反対したのはマシューだった。
「いきなり出発はどうかな。きちんと支度をしてからだね。」
準備は大切だ。これからどんな旅路になるか分からないのに。
「師匠はどうします?僕はついていきますが・・・わっ!?」
するとスージーはマシューの服の襟を掴んで強引に引き寄せた。
「お人好しなのはいいけどアンタ、長い間家をお留守にしたり自分達のことしばらくほったらかしだったでしょうが。一旦帰らせていただくわ。」
まあ、それもそうだ。特にスージーにいたっては自分が勤めている職場のこともあるだろうし・・・。
「私もついていくことはできないの、ごめんね~。」
「えっ!?」
驚いたのはマシューと聖音だ。
「だってぇ、私もやらなきゃいけないこと沢山あるしぃ。ほら、今の私はうかつに外を出歩くことはできない事情があるの。」
ノエルはノエルで、この世界で元は存在しなかった、言い方は悪いが「異物」。そして、どこかでボロがでて、かつて死んだはずの存在だとバレた場合には・・・。しかし、マシューやスージーもいないなら俺たちはとても無力だ。戦う術を全く知らない、無知なわけではないが、所詮肉体は生身の弱々しい人間だ。
「・・・。」
ふとトムと目が合う。察したのか、慌てて首を音がなるほど勢いよく右に左にと振った。
「わ・・・。」
小さい声が聞こえる。
「私、行くわ。」
声の下方を向いた。ジェニファーが手を上げている。
「はぁ?なに馬鹿言ってんだお前。足手まといは・・・。」
「足手まといにはならないわ。」
不満を顔いっぱいにあらわにしたオスカーの反対をしっかりと、ハキハキした声と芯の強い力のこもった目で遮った。
「でもジェニファーちゃん・・・。」
聖音は心配そう。そこは、ノエルがいてもいなくても関係ない。彼女自身がそう感じている。でも、ジェニファーの決意は揺るがない。
「大丈夫よ、もう無理に前に出たりとかしないから。」
「そういうことじゃなくて・・・。」
ジェニファーは負けない。
「ね?いいでしょ?」
なぜか、聞いた相手はノエルだった。
「・・・まあ、大丈夫といったら大丈夫だけどねぇ。」
さすがの彼女も、軽くは呆れていたが止めはしなかった。今のジェニファーは人間じゃない。体を戻すのに携わったのはノエルだが、まさか彼女にもなにかやらかしたとでもいうのか?対してジェニファーは随分と自信に満ちて、堂々と胸を張り背筋を伸ばして座っていた。
「ジェニファーちゃんがいる場所はル・エル。そこまでの道のりは安全な方だけど・・・。あっ。」
ノエルが口に漏らした言葉とジェニファーがパンドラから聞いた地名と一致した。不安や疑いが拭い切れたわけではないが、情報に対する信頼度が上がった。それはそうと、あっ、て何?
「いやいやなんでもないわ~。支度は大事よ。出来上がった例のブツも持ってくるから待っててねー。」
ノエルは軽い足取りで自分の部屋に入っていってしまった。アレだけ長い時間をかけて閉じ込めていたものを逃す失態をやらかしたのを気にしているのだろう、薄ら笑みだった。
「・・・・・・。」
気まずくはないが、なんとなくむずむずする場の空気だ。これ以上ここにいてもいいのか?いや、いる必要がないか?
「じゃ、戻るわ。」
オスカーが一番先になって部屋に戻ろうとする。続いてハーヴェイが無言で階段を上る。この流れに乗れば俺も自然にここから立ち去れる・・・と思いきや。
「あっっ!!」
無防備な掌に突然強い刺激を感じて勢いよく立ち上がって手を払った。赤い火傷の跡。そばにはタバコを持ったスージーがいる。
「喉渇いたわ、マシュー。特に意味はないけどついてきなさい。」
「えっ!あ、え!?」
暑がる俺の、涙でぼやけた視界には早々と家を出るスージーと、強引に腕を引っ張られるマシューの背中が見えて、いなくなった。一体なんだったんだ!?ほら、完全に退場するタイミングを見失ってー・・・。
「・・・!!」
気付いたら聖音もいなかった。遠慮なくノエルの部屋に入っていった。
「・・・・・・。」
トムとジョージはというと、鼻提灯を膨らませて両者ともあっという間に夢見心地の様子だった。今ここにいるのは実質ジェニファーと俺の二人だ。
「・・・・・・。」
ぽかんとしているのはジェニファーもだった。それもそうだ。よく聞いてはいなかったが時々彼女の慌てふためく声がした気がする。これはこれで気まずい。別に、立ち去ってもいいんだけど・・・。今のジェニファーを、なんとなく一人にはできない。あいつら、ずるいぞ・・・。
「・・・。」
本当、この沈黙は苦手だ。嫌な沈黙ではないが、こういう時どうしていいか俺には分からない。
女子なら多少共有できる話題があったかもしれない。
ハーヴェイは女子に慣れている。話題がなくても平気だろう。
オスカーは誰だろうが関係ない。神経が図太いから俺みたいに緊張したりしないだろう。
マシューもスージーもオスカーと同じタイプだ。異性と二人きりでいちいち緊張したりしない、多分。
あぁ、セドリックみたいに面白いことの一つでも言えたらいいのに俺には出来ない。
俺はこの状況で平静を保つことなんて無理だ。
「・・・ねえ。リュドミール。」
話しかけてきたのはジェニファーの方だった。
「私を助けてくれてありがとう。」
別に変なことを言われたわけでもないのに、普通に感謝の言葉を言われただけなのに、慣れない空間のせいですぐに返すのも出来ない。
「あ、ああ・・・。だって、ジェニーだって助けてくれただろ。」
としか返せなかった。俺の必死の返事がこれだ。
「関係ないよ。」
その言葉を理解しようとする前に続けた。
「リュドミールは優しいもの。私がああしなくても助けてくれたわ。」
それは・・・そうだ。
見返りなんか関係ない。
きっと、俺は助けた。でも、「なんとかなる可能性があるから助けた」のであって。もし、セドリックみたいに「死んだら生き返らない人間」だった場合俺はどうしたのだろう。放置はしないと思うが・・・。
「私もあの子も「優しくされることに飢えている」。リュドミールなら絶対助けることができるわ。私がいうんだもの、大丈夫よ。」
「・・・・・・。」
ジェニファーの事情はいまだに把握していない。でも、抱えているものは子供の力ではなす術もないほど大きんだと思う。果たして、彼女が言う俺の優しさで助けられるのか。
「そうだわ。あのね、リュドミール。私はもうジェニファーじゃないのに同じ名前だとややこしいでしょ?だから違う名前を考えたの。」
色々と考え事をしていたら別の話題になっていた。思考が置いていかれる。
「今日から私のことはナーシャって呼んで。」
・・・悪い名前じゃない。でも、もう少し普通の可愛らしい名前かと想像していたんだが。試しに聞いてみよう。
「なんでそんな名前に?」
するとジェニファー改め、ナーシャはにっこりと微笑んで。
「ふふっ。それは秘密。大した理由じゃないんだけどね。」
と言った。

「もういいか?」
「起きていい?」
さっきまで寝ていたトムとジョージの声がした。
「起きてるじゃないか・・・。」
寝たフリだったのか、本当に寝ていたのか知らないが、いつの間にかあれほど緊張していたのも嘘みたいに平然としている俺は足元にいる二体一匹にツッコミを入れた。



しばらくして、俺たちの準備は整い、出発することになった。ざっくりと、持ち物がどうなったかの説明をノエルから受けて、フラワーやトム達、沢山のヴェーチ達に見送られてお世話になった魔女の家を後にした。
「へっへーん。」
オスカーがさぞ嬉しそうにバットを握っている。そんなに気に入ってるんなら、もうお前のものでいいよ・・・。俺も、掌の中に懐かしい感触が戻って安心している。やっぱこのツルハシがしっくりくる。しっくりきすぎて、本当にこのツルハシがバージョンアップしたのかどうか疑いたくなるものだが。
「・・・・・・いるんだ。」
ハーヴェイがポツリと呟く。
「あはは・・・。」
苦笑いするのはマシュー。隣にいるのはスージー。
「帰るんじゃなかったのかよ。」
「帰るわよ。旅のついでにね。」
そう言ってスージーは数枚の切符らしき小さい紙を見せてくれた。
「これは・・・?」
覗き込むが見たことのない字なのでまるで絵を見ているようだ。
「ル・エルまでは実は電車でも行けるのよ。途中で降りて、乗り換えて、そこから途中に最寄り駅があるの。」
「ノエルさんが手に入れてくれたんだよ。」
電車・・・。そうだよな。全くのファンタジーで構成された世界ではないここには電車もあるんだなぁ。っていうか、電車で移動できるんだ。
「安全に越したことはないでしょ?師匠は物足りなさそうだけど。」
「バーカ。アタシだって帰りたい時はさっさと帰りたいわよ。」
切符をしまい、今度はタバコの代わりに棒付き飴を取り出す。袋を道に捨て、口の中に突っ込んだ。
「でも途中で降りるってことは、ル・エルには俺たちだけか・・・。」
「なんとかなるなる。」
笑顔だが、マシューにしては随分雑な返し方だ。不安いっぱいなまま、俺たちはこの世界の電車に乗ってジェニファーを助けるために進んだ。


これが、後に壮大な旅になるなんてこの時の俺は考えもしなかった。


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