ヘルドゥラの神々:漆黒の女王

渡弥和志

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終章

涙のあとに

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 世界メティルから────影が、潮を引くように去った。

 クレストルの戦陣は、崩れる寸前だった。
 カイルは馬から落ち、泥にまみれ、それでも叫び、剣を振り続けていた。
 シリスはついに魔力が尽き果て、フィリオは母を支えて最後の力を振り絞っていた。

 その目の前から、『異形』たちが消えてゆく。
 ────救われたのだ。

「やったのですね……」

 シリスが呟き、カイルは拳を握りしめる。

「ガルド様たちが……やり遂げた……」

 折り重なる遺体の山の中で、生き残った者たちは手を取り合い、泣き崩れた。

「ヒトの選択──しかと見届けた」

 竜皇はそれだけ呟くと、空の彼方へと飛び去った。


 ────


 一年後──

 シル・エザリスの都、アラミラス。
 影の王から受けた傷跡は深かったが、復興が進み始め、人々は活気を取り戻しつつあった。

「……たくさんの人が、犠牲に」

 アディルの遠くを見つめる横顔を見て、目を伏せるダイン。

「……でも街は少しずつ、戻ってきてるぜ」

 彼女は胸に手を当て、祈るように頷いた。

「うん、前を向かなきゃ、ね」

 顔を上げるのを見て、ダインは息を吐く。

 そしてふと、口角を上げた。

「お前が守った街だぜ。なぁ?」

 アディルの肩を抱き寄せた。

「……っ! 調子に乗るな!」

 脇腹を肘で突かれ、悶絶する。

「……私のした事なんて、少しだけよ」


 ────


 アギサルの森、フォロア族の里。

 結界は綻びかけていたが、長イシリツォと術師たちの尽力によって、里は耐え抜いた。

 倒木は片付けられ、焼けた地面には、すでに若い芽が顔を出している。

 クリスは、その光景を黙って見つめていた。
 自分が守れたのは、世界のほんの一部。

 それでも、この場所が残ったことが、胸の奥に静かに沁みていく。

 ムゥが羽ばたき、後ろで小さく鳴いた。
 振り返ると、そこに母の姿が見えた気がした。
 そこで、確かに笑っていた。

「……ありがとう、ムゥ────お母さん」

 言葉にした瞬間、ようやく、ここまで来たのだと実感した。

 もう、守られるだけの子供ではない。

 それでも、帰る場所があることが、これほど心強いとは思わなかった。

 ムゥが肩にとまり、翼で少女の身体を包む。
 その温もりが、すべての答えだった。
 

 ────


 トルイデア領フィレアル。

 戦の傷跡がまだ残る城壁の下で、それでも人々は笑っていた。

 旗が翻り、花が撒かれ、子供たちの声が広場に響く。

 人々は知っている。
 この平穏が、どれほどの犠牲の上に成り立っているのかを。

 それでも今日だけは、悲しみより先に、祝福を選んだ。

 領主ガルド・メル・フィルと、ミリア・ラルスの婚礼の儀が始まる。

 鎧ではなく、正装に身を包んだガルドは、どこか落ち着かない様子で立っていた。

 その隣で、ミリアは小さく息を吸い、背筋を伸ばす。

 ふと、ガルドは想いを馳せた。

 ──本来なら、彼女も、彼らも、ここに立っていただろう。
 だがその席は、今も空いたままだった。

 一瞬、二人は誰かを探すように視線を彷徨わせた。
 しかし互いに視線が合った瞬間、ふっと緊張が解けたように、二人は微かに頷き合った。

 戦場では並んで立てなかった時間が、今、ようやくここで重なる。

 ジャクスが軍の隊列を整える。
 カイルの号令とともに、兵たちが一斉に剣を掲げた。

 その中央を、二人は並んで進む。

 剣をかざす兵の列を抜けるたび、歓声が波のように押し寄せた。
 守られた街と、守った人々が、確かにここにいる。


 その光景を、メドゥルは少し離れた場所から見つめていた。

 剣を持たぬ手が、わずかに握られる。
 それが震えていることに、彼自身が気づくことはなかった。

 祝いの声が上がるたび、胸の奥で、何かが軋む。

 ──あの場に立ったかもしれない娘の姿が、どうしても重なった。

 だが、もう、戻らない。

 もしも、あの時。
 ほんの少しでも違う選択ができていれば、と、考えずにはいられなかった。

 メドゥルは視線を落とし、深く息を吐いた。
 そして、誰にも気づかれぬよう、踵を返す。

 振り返らなかった。
 振り返ってしまえば、歩けなくなると、分かっていたから。


 ────


 ヴァルスは、誰の前にも姿を見せなかった。

 封印の光が消えたあと、彼は一人、遺跡を去ったという。 
 追おうとした者もいたが、誰も見つけられなかった。

 それが、逃げだったのか。 
 それとも、せめてもの償いだったのか。
 答えを知る者はいない。


 ────


 山間の小さな村に、ひとりの旅人がいた。

 名を尋ねられても、答えない。
 剣を持ってはいるが、決して抜かない。

 ただ、頼まれれば畑を耕し、壊れた家を直し、傷ついた者を運ぶ。
 子供に礼を言われるたび、なぜか胸の奥が、少しだけ痛んだ。

 夜になると、村外れの丘に立ち、双子の月を見上げていた。
 毎晩、同じ場所で、同じように。



 ある夜、彼は夢を見た。

 幼い頃の、何でもない日。

 剣の稽古で転び、友が笑い、姉に労られ、父に頭を撫でられた。
  あの頃は、それが永遠だと思っていた。

 目を覚ますと、胸の奥がひどく痛んだ。

 だが、涙は出なかった。
 泣く資格は、もうないと、自分で決めていたから。


 それでも、朝は来る。

 陽が昇り、人が起き、今日を生きなければならない。
 もう、逃げる場所はない。
 剣を背負い、また歩き出す。


 彼が何を守り、何を失い、どれほどの夜を越えたのか。それを知る者はいない。

 ただ、確かなのは一つだけだった。
 世界が続く限り、彼は歩き続ける。

 それが贖いであれ、祈りであれ、立ち止まらず、生きることを選び続ける。

 そしていつか。
 遠いどこかで、再び大切な誰かの前に立つ日が来るかもしれない。

 その時彼の手は、剣を握るのではなく、ただ差し伸べられるだろう。

 それで良かったと、きっと思える日が来る──
 その時、どんな顔で空を見上げているのか。
 それは、まだ誰にも分からない。


 山の息吹は、確かに、春の訪れを告げていた。


  完




 ━━━━

 最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
 なにか少しでも心に残るものがありましたなら、それは最上の喜びです。

 もし本作が気に入っていただけましたら、ぜひ他の短編なども読んでいただければと思います。
 登場人物にスポットを当てたスピンオフも書いています。

 『漆黒の女王』編はここで結びますが、『ヘルドゥラの神々』の世界は、私の中でまだ果てしなく広がっています。
 機会がありましたら、また別のお話でもお付き合いいただけましたら幸いです。

 最後に、感想などをいただけましたら、今後の大きな励みになります。
 ぜひ引き続き、よろしくお願いいたします。


  渡弥和志

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