32 / 32
終章
涙のあとに
しおりを挟む
世界から────影が、潮を引くように去った。
クレストルの戦陣は、崩れる寸前だった。
カイルは馬から落ち、泥にまみれ、それでも叫び、剣を振り続けていた。
シリスはついに魔力が尽き果て、フィリオは母を支えて最後の力を振り絞っていた。
その目の前から、『異形』たちが消えてゆく。
────救われたのだ。
「やったのですね……」
シリスが呟き、カイルは拳を握りしめる。
「ガルド様たちが……やり遂げた……」
折り重なる遺体の山の中で、生き残った者たちは手を取り合い、泣き崩れた。
「ヒトの選択──しかと見届けた」
竜皇はそれだけ呟くと、空の彼方へと飛び去った。
────
一年後──
シル・エザリスの都、アラミラス。
影の王から受けた傷跡は深かったが、復興が進み始め、人々は活気を取り戻しつつあった。
「……たくさんの人が、犠牲に」
アディルの遠くを見つめる横顔を見て、目を伏せるダイン。
「……でも街は少しずつ、戻ってきてるぜ」
彼女は胸に手を当て、祈るように頷いた。
「うん、前を向かなきゃ、ね」
顔を上げるのを見て、ダインは息を吐く。
そしてふと、口角を上げた。
「お前が守った街だぜ。なぁ?」
アディルの肩を抱き寄せた。
「……っ! 調子に乗るな!」
脇腹を肘で突かれ、悶絶する。
「……私のした事なんて、少しだけよ」
────
アギサルの森、フォロア族の里。
結界は綻びかけていたが、長イシリツォと術師たちの尽力によって、里は耐え抜いた。
倒木は片付けられ、焼けた地面には、すでに若い芽が顔を出している。
クリスは、その光景を黙って見つめていた。
自分が守れたのは、世界のほんの一部。
それでも、この場所が残ったことが、胸の奥に静かに沁みていく。
ムゥが羽ばたき、後ろで小さく鳴いた。
振り返ると、そこに母の姿が見えた気がした。
そこで、確かに笑っていた。
「……ありがとう、ムゥ────お母さん」
言葉にした瞬間、ようやく、ここまで来たのだと実感した。
もう、守られるだけの子供ではない。
それでも、帰る場所があることが、これほど心強いとは思わなかった。
ムゥが肩にとまり、翼で少女の身体を包む。
その温もりが、すべての答えだった。
────
トルイデア領フィレアル。
戦の傷跡がまだ残る城壁の下で、それでも人々は笑っていた。
旗が翻り、花が撒かれ、子供たちの声が広場に響く。
人々は知っている。
この平穏が、どれほどの犠牲の上に成り立っているのかを。
それでも今日だけは、悲しみより先に、祝福を選んだ。
領主ガルド・メル・フィルと、ミリア・ラルスの婚礼の儀が始まる。
鎧ではなく、正装に身を包んだガルドは、どこか落ち着かない様子で立っていた。
その隣で、ミリアは小さく息を吸い、背筋を伸ばす。
ふと、ガルドは想いを馳せた。
──本来なら、彼女も、彼らも、ここに立っていただろう。
だがその席は、今も空いたままだった。
一瞬、二人は誰かを探すように視線を彷徨わせた。
しかし互いに視線が合った瞬間、ふっと緊張が解けたように、二人は微かに頷き合った。
戦場では並んで立てなかった時間が、今、ようやくここで重なる。
ジャクスが軍の隊列を整える。
カイルの号令とともに、兵たちが一斉に剣を掲げた。
その中央を、二人は並んで進む。
剣をかざす兵の列を抜けるたび、歓声が波のように押し寄せた。
守られた街と、守った人々が、確かにここにいる。
その光景を、メドゥルは少し離れた場所から見つめていた。
剣を持たぬ手が、わずかに握られる。
それが震えていることに、彼自身が気づくことはなかった。
祝いの声が上がるたび、胸の奥で、何かが軋む。
──あの場に立ったかもしれない娘の姿が、どうしても重なった。
だが、もう、戻らない。
もしも、あの時。
ほんの少しでも違う選択ができていれば、と、考えずにはいられなかった。
メドゥルは視線を落とし、深く息を吐いた。
そして、誰にも気づかれぬよう、踵を返す。
振り返らなかった。
振り返ってしまえば、歩けなくなると、分かっていたから。
────
ヴァルスは、誰の前にも姿を見せなかった。
封印の光が消えたあと、彼は一人、遺跡を去ったという。
追おうとした者もいたが、誰も見つけられなかった。
それが、逃げだったのか。
それとも、せめてもの償いだったのか。
答えを知る者はいない。
────
山間の小さな村に、ひとりの旅人がいた。
名を尋ねられても、答えない。
剣を持ってはいるが、決して抜かない。
ただ、頼まれれば畑を耕し、壊れた家を直し、傷ついた者を運ぶ。
子供に礼を言われるたび、なぜか胸の奥が、少しだけ痛んだ。
夜になると、村外れの丘に立ち、双子の月を見上げていた。
毎晩、同じ場所で、同じように。
ある夜、彼は夢を見た。
幼い頃の、何でもない日。
剣の稽古で転び、友が笑い、姉に労られ、父に頭を撫でられた。
あの頃は、それが永遠だと思っていた。
目を覚ますと、胸の奥がひどく痛んだ。
だが、涙は出なかった。
泣く資格は、もうないと、自分で決めていたから。
それでも、朝は来る。
陽が昇り、人が起き、今日を生きなければならない。
もう、逃げる場所はない。
剣を背負い、また歩き出す。
彼が何を守り、何を失い、どれほどの夜を越えたのか。それを知る者はいない。
ただ、確かなのは一つだけだった。
世界が続く限り、彼は歩き続ける。
それが贖いであれ、祈りであれ、立ち止まらず、生きることを選び続ける。
そしていつか。
遠いどこかで、再び大切な誰かの前に立つ日が来るかもしれない。
その時彼の手は、剣を握るのではなく、ただ差し伸べられるだろう。
それで良かったと、きっと思える日が来る──
その時、どんな顔で空を見上げているのか。
それは、まだ誰にも分からない。
山の息吹は、確かに、春の訪れを告げていた。
完
━━━━
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
なにか少しでも心に残るものがありましたなら、それは最上の喜びです。
もし本作が気に入っていただけましたら、ぜひ他の短編なども読んでいただければと思います。
登場人物にスポットを当てたスピンオフを書いています。
『漆黒の女王』編はここで結びますが、『ヘルドゥラの神々』の世界は、私の中でまだ果てしなく広がっています。
機会がありましたら、また別のお話でもお付き合いいただけましたら幸いです。
最後に、感想などをいただけましたら、今後の大きな励みになります。
ぜひ引き続き、よろしくお願いいたします。
渡弥和志
クレストルの戦陣は、崩れる寸前だった。
カイルは馬から落ち、泥にまみれ、それでも叫び、剣を振り続けていた。
シリスはついに魔力が尽き果て、フィリオは母を支えて最後の力を振り絞っていた。
その目の前から、『異形』たちが消えてゆく。
────救われたのだ。
「やったのですね……」
シリスが呟き、カイルは拳を握りしめる。
「ガルド様たちが……やり遂げた……」
折り重なる遺体の山の中で、生き残った者たちは手を取り合い、泣き崩れた。
「ヒトの選択──しかと見届けた」
竜皇はそれだけ呟くと、空の彼方へと飛び去った。
────
一年後──
シル・エザリスの都、アラミラス。
影の王から受けた傷跡は深かったが、復興が進み始め、人々は活気を取り戻しつつあった。
「……たくさんの人が、犠牲に」
アディルの遠くを見つめる横顔を見て、目を伏せるダイン。
「……でも街は少しずつ、戻ってきてるぜ」
彼女は胸に手を当て、祈るように頷いた。
「うん、前を向かなきゃ、ね」
顔を上げるのを見て、ダインは息を吐く。
そしてふと、口角を上げた。
「お前が守った街だぜ。なぁ?」
アディルの肩を抱き寄せた。
「……っ! 調子に乗るな!」
脇腹を肘で突かれ、悶絶する。
「……私のした事なんて、少しだけよ」
────
アギサルの森、フォロア族の里。
結界は綻びかけていたが、長イシリツォと術師たちの尽力によって、里は耐え抜いた。
倒木は片付けられ、焼けた地面には、すでに若い芽が顔を出している。
クリスは、その光景を黙って見つめていた。
自分が守れたのは、世界のほんの一部。
それでも、この場所が残ったことが、胸の奥に静かに沁みていく。
ムゥが羽ばたき、後ろで小さく鳴いた。
振り返ると、そこに母の姿が見えた気がした。
そこで、確かに笑っていた。
「……ありがとう、ムゥ────お母さん」
言葉にした瞬間、ようやく、ここまで来たのだと実感した。
もう、守られるだけの子供ではない。
それでも、帰る場所があることが、これほど心強いとは思わなかった。
ムゥが肩にとまり、翼で少女の身体を包む。
その温もりが、すべての答えだった。
────
トルイデア領フィレアル。
戦の傷跡がまだ残る城壁の下で、それでも人々は笑っていた。
旗が翻り、花が撒かれ、子供たちの声が広場に響く。
人々は知っている。
この平穏が、どれほどの犠牲の上に成り立っているのかを。
それでも今日だけは、悲しみより先に、祝福を選んだ。
領主ガルド・メル・フィルと、ミリア・ラルスの婚礼の儀が始まる。
鎧ではなく、正装に身を包んだガルドは、どこか落ち着かない様子で立っていた。
その隣で、ミリアは小さく息を吸い、背筋を伸ばす。
ふと、ガルドは想いを馳せた。
──本来なら、彼女も、彼らも、ここに立っていただろう。
だがその席は、今も空いたままだった。
一瞬、二人は誰かを探すように視線を彷徨わせた。
しかし互いに視線が合った瞬間、ふっと緊張が解けたように、二人は微かに頷き合った。
戦場では並んで立てなかった時間が、今、ようやくここで重なる。
ジャクスが軍の隊列を整える。
カイルの号令とともに、兵たちが一斉に剣を掲げた。
その中央を、二人は並んで進む。
剣をかざす兵の列を抜けるたび、歓声が波のように押し寄せた。
守られた街と、守った人々が、確かにここにいる。
その光景を、メドゥルは少し離れた場所から見つめていた。
剣を持たぬ手が、わずかに握られる。
それが震えていることに、彼自身が気づくことはなかった。
祝いの声が上がるたび、胸の奥で、何かが軋む。
──あの場に立ったかもしれない娘の姿が、どうしても重なった。
だが、もう、戻らない。
もしも、あの時。
ほんの少しでも違う選択ができていれば、と、考えずにはいられなかった。
メドゥルは視線を落とし、深く息を吐いた。
そして、誰にも気づかれぬよう、踵を返す。
振り返らなかった。
振り返ってしまえば、歩けなくなると、分かっていたから。
────
ヴァルスは、誰の前にも姿を見せなかった。
封印の光が消えたあと、彼は一人、遺跡を去ったという。
追おうとした者もいたが、誰も見つけられなかった。
それが、逃げだったのか。
それとも、せめてもの償いだったのか。
答えを知る者はいない。
────
山間の小さな村に、ひとりの旅人がいた。
名を尋ねられても、答えない。
剣を持ってはいるが、決して抜かない。
ただ、頼まれれば畑を耕し、壊れた家を直し、傷ついた者を運ぶ。
子供に礼を言われるたび、なぜか胸の奥が、少しだけ痛んだ。
夜になると、村外れの丘に立ち、双子の月を見上げていた。
毎晩、同じ場所で、同じように。
ある夜、彼は夢を見た。
幼い頃の、何でもない日。
剣の稽古で転び、友が笑い、姉に労られ、父に頭を撫でられた。
あの頃は、それが永遠だと思っていた。
目を覚ますと、胸の奥がひどく痛んだ。
だが、涙は出なかった。
泣く資格は、もうないと、自分で決めていたから。
それでも、朝は来る。
陽が昇り、人が起き、今日を生きなければならない。
もう、逃げる場所はない。
剣を背負い、また歩き出す。
彼が何を守り、何を失い、どれほどの夜を越えたのか。それを知る者はいない。
ただ、確かなのは一つだけだった。
世界が続く限り、彼は歩き続ける。
それが贖いであれ、祈りであれ、立ち止まらず、生きることを選び続ける。
そしていつか。
遠いどこかで、再び大切な誰かの前に立つ日が来るかもしれない。
その時彼の手は、剣を握るのではなく、ただ差し伸べられるだろう。
それで良かったと、きっと思える日が来る──
その時、どんな顔で空を見上げているのか。
それは、まだ誰にも分からない。
山の息吹は、確かに、春の訪れを告げていた。
完
━━━━
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
なにか少しでも心に残るものがありましたなら、それは最上の喜びです。
もし本作が気に入っていただけましたら、ぜひ他の短編なども読んでいただければと思います。
登場人物にスポットを当てたスピンオフを書いています。
『漆黒の女王』編はここで結びますが、『ヘルドゥラの神々』の世界は、私の中でまだ果てしなく広がっています。
機会がありましたら、また別のお話でもお付き合いいただけましたら幸いです。
最後に、感想などをいただけましたら、今後の大きな励みになります。
ぜひ引き続き、よろしくお願いいたします。
渡弥和志
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる