《完結》「その気になれない」と婚約破棄したあなたの、話を聞く必要がありますか?

さんけい

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33 もう結構ですわ

(俯瞰視点)

 その招待が来たとき、カレルは少しだけ胸を撫で下ろした。
 王都の伯爵家で開かれる、小規模な茶会。
 大きな夜会ではない。若い令息令嬢を数人ずつ集める程度の、軽い社交の場だ。
 父にはまだ表立って出るなと言われている。
 だがこの程度なら、と思った。
 むしろこういう小さな場でこそ、少しずつ誤解をほどけるのではないか。
 自分はそこまでひどい男ではないと、落ち着いて話せば伝わるのではないか。
 ……そう考えた時点で、もう半分ずれている。
 だがカレル自身は気づいていなかった。

  ◇

 春の夕方、伯爵家の小広間は花の匂いで満ちていた。
 磨かれた床、淡い色の壁布、窓辺に活けられた白と薄桃の花。
 灯りはまだ柔らかく、差し込む夕陽に金の縁取りが溶けている。
 華やかすぎず、親しい者だけを招いた場にふさわしい整い方だった。
 カレルは入室した瞬間、いくつかの視線がこちらへ向くのを感じた。
 知った顔が多い。
 以前なら、それだけで少し気が楽になったはずだった。

「カレル様、お久しぶりですわ」

 声をかけてきたのは、栗色の髪をした子爵令嬢だった。
 にこやかではある。だが笑みが目まで届いていない。

「ご無沙汰しています」
「お元気そうで何よりです」

 そのあとが続かない。
 以前なら、最近はどちらへ、何をなさっていたの、という軽い会話になるはずなのに、彼女はそこで扇を軽く動かしただけで、別の令嬢へ視線を流してしまった。
 カレルはかすかな居心地の悪さを覚えた。
 別の令息に挨拶する。
 相手は礼を返す。だがそのあと、ほんの一瞬の間が空く。
 何を話せばいいのかわからない。
 そんな空気が、笑顔の裏から透けて見えた。

 気のせいではなかった。
 茶会の半ば、カレルは伯爵夫人に紹介されて、ひとりの令嬢の隣に座ることになった。
 侯爵家とは少し離れた位置だが、由緒はあり、穏やかな評判の家の娘だ。
 明るい金茶の髪に、落ち着いた緑のドレスがよく似合っていた。
 たぶん、少し前までなら、ここから普通に縁談の芽が育ったのだろう。

「最近はどのようにお過ごしですの?」

 令嬢がそう尋ねたので、カレルは慎重に答えた。

「家で少し、落ち着いて物事を考える時間を持っています」
「まあ、そうですの」

 声音はやわらかい。
 けれどそのやわらかさは、距離を取るためのものだとすぐわかった。

「いろいろと、お疲れが出たのでしょうね」
「……ええ、少し」

 令嬢は静かにカップを置いた。

「大変でしたわね」
「ありがとうございます」

 そこで、カレルは思った。
 やはり、少し話せばわかってもらえるのではないかと。

「誤解も多いのです」

 口にした瞬間、自分でも少し早いと思った。
 だが止められなかった。

「私はただ、相手に不誠実でいたくなかっただけで」
「そうなのですか」
「はい。無理に進めて、後からもっと傷つける方が――」

 令嬢はそこで、ふわりと微笑んだ。
 とてもきれいな、社交用の笑みだった。

「まあ。ですが」

 その声はやさしい。
 やさしいのに、切る時の刃みたいに薄かった。

「それをお相手の方が望まれなかったのでしょう?」
「それは……」
「でしたら、もう結構ではなくて?」

 カレルは言葉を失った。
 令嬢は微笑んだまま、続ける。

「わたくし、難しいことはよくわかりませんの。ただ、過ぎたご縁のお話を、今さら“本当はわかってほしかった”と仰る殿方は、少し面倒ですわね」

 その一言で、周囲の空気まで薄く冷えた気がした。
 大声ではない。誰かが咎めることもない。
 けれど近くにいた二、三人は確実に聞いている。

「私は別に、面倒を――」
「ええ、もちろん」

 令嬢はさらりと遮った。

「ですから、どうぞお気になさらず。わたくしも、このようなお話は得意ではありませんの」

 もう終わりだった。
 彼女はそれ以上、カレルの方を見なかった。
 その代わり隣の夫人へ、庭の花の話をやわらかく振る。
 会話の流れはきれいに戻り、そこへ彼の入り込む余地だけがなくなった。
 カレルは背中にじわりと汗をかいた。
 室内は暑くない。むしろ春先の夕方らしく、少し冷えるくらいだ。
 それなのに、首の後ろだけが嫌に熱い。

 茶会が終わるまでの時間は、長かった。
 誰も露骨に失礼ではない。
 礼は尽くされる。
 だが、それだけだ。

  ◇

 帰りの馬車に乗り込んだとき、カレルはようやく深く息を吐いた。
 胸の奥がむかむかする。
 怒りなのか、恥なのか、自分でも判然としない。

 ――少し面倒ですわね。

 あの令嬢の声音が耳に残って離れない。
 侮辱されたわけではない。罵られたのでもない。
 ただ、見限られたのだ。
 しかも“最初から候補に入れない”という形で、あっさりと。

 屋敷に戻ると、母が応接間にいた。

「どうでしたの」

 柔らかな問いかけだったが、期待の響きはない。確認だけだ。
 カレルは外套を脱ぎながら、苛立ちを隠しきれずに言った。

「皆、妙に構えるのです。少し話しただけで、まるで私が――」
「面倒な男だと?」

 母が先に言った。
 カレルは動きを止めた。
 母はため息をつき、カップをソーサーへ戻した。

「王都では今、そういう見方が広がっております」
「母上まで」
「わたくしまで、ではありません」

 その声は静かだった。
 でも、慰める気は少しもなかった。

「お前は、自分が悪人ではないから、もう少しましに扱われるべきだと思っているのでしょう」
「……」
「けれど、悪人でないことと、結婚相手として願い下げであることは両立しますのよ」

 カレルは何も言えなかった。
 母は続ける。

「それに、今回一番まずいのは、お前が“説明すればわかってもらえる”と思っているところです」

 その言葉に、胸の奥が冷たく沈む。

「お前が求めているのは理解ではなく、免責です」
「そんなことは」
「あります」

 言い切られた。

「そして、それを女性に求める癖が透けて見える限り、まともな家ほど引きますわ」

 母はカレルを見た。
 その目には怒りよりも、ひどく疲れた色があった。

「今はもう、お前に新しい縁談を探す以前の問題です」

 その一言が、何より重かった。
 新しい縁談を探す以前。
 つまり、いまの自分は候補ですらないのだ。

  ◇

 カレルはその夜、自室で長く眠れなかった。
 外では風が窓を鳴らしていた。
 王都の春の夜は国境よりいくらかやわらかいはずなのに、今の彼にはただ落ち着かない音にしか聞こえない。
 少し話せばいいと思った。
 誤解を解けばいいと思った。
 だが現実には、話したことで余計に“面倒な男”として輪郭が濃くなっただけだった。
 彼はまだ、完全には理解していない。
 だが少なくとも一つだけ、ようやくわかり始めていた。
 自分はもう、黙って座っているだけで縁談が寄ってくる立場ではないのだと。
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