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第8話 初夜をすっぽかされた令嬢の補佐役
レイモンドが不愉快そうに眉をひそめるのが視界の端に見えた。
「……数字、数字って。君たちは、人生を帳簿でしか見ないのか?」
ユリウスは、涼しい顔で首をかしげる。
「人生は数字だけでは測れません、クロフォード卿。ですが、数字を無視して生きられる人は、そう多くありません」
「き、君に言われたくないな」
「では、まずはお互いの立場を整理するところから始めましょう」
ユリウスは丁寧に一礼し、視線を私に戻した。
「アリア夫人。のちほど、これまでの家計簿と、あなたの“非常識ログ”を拝見してもよろしいでしょうか」
「もちろん。ちょうど、誰かと共有したいと思っていたところよ」
思わず、声に少しだけ熱が混じった。
数字を見てくれる人間。
私の怒りを、“材料”として扱う術を知っている人間。
この屋敷に、ようやく一人、送られてきた。
◇
その日の夕方。
私は書斎でユリウスと向かい合って座っていた。
机の上には、侯爵家の帳簿と、私の個人的な「非常識ログ」のノート。
「……なるほど」
ユリウスはページをめくりながら、低く息を吐いた。
「予想以上に、ひどいですね」
「でしょ?」
少しだけ得意になってしまう自分がいた。
手間をかけて整理した分だけ、他人に驚いてもらえるのは悪くない。
「項目ごとに整理してくださって助かります。これなら、どこから切るべきか、順番も見えやすい」
「まずは“生きるために必要な支出”と、“見栄のための支出”を分けたかったの。前者は条件付きで残す。後者は、基本的に鉈で」
「鉈、ですか」
目を細めるユリウスに、私はさらりと笑ってみせた。
「ナイフやハサミだと、いつまでもぐずぐずと残りかねないでしょう?」
「……相変わらず、容赦がない」
「褒め言葉として受け取るわ」
ユリウスが、ふっと表情を緩めた。
「アリア」
不意に、幼いころと同じ呼び方で名を呼ばれる。
胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
「何?」
「本当に、ここでやっていけるか」
彼の問いは、心配でもあり、確認でもあった。
私は視線を帳簿から上げ、彼を見た。
「“やっていく”って、どういう意味で?」
「政略結婚のあと始末を、君ひとりに背負わせるのは――」
「ひとりじゃないわ」
きっぱりと言い切る。
「伯爵家は後ろにいる。あなたも、こうしてここにいる。それに、私はこの家を“救う”つもりだけじゃないもの」
ユリウスがわずかに首をかしげる。
「“救う”だけじゃない?」
「ええ」
私は自分のノートを指で叩いた。
「必要とあらば、“壊す”準備もしておくつもりよ。きれいに壊して、必要な部分だけを残す。そのときに、誰を残すか。――それを決めるのは、数字と記録」
ユリウスの灰色の瞳が、静かに光った。
「……そういう意味でなら、なおさら僕がいるべきですね」
「でしょ?」
「伯爵さまが僕を寄越した理由が、よく分かりました」
彼はゆっくりとペンを取る。
「では、アリア。クロフォード侯爵家の“解体図”と“再建案”、一緒に作りましょうか」
「いいわね、それ」
私もペンを握り直す。
机の上に広がる帳簿と記録。
二本のペンが、その上に新しい線を引いていく。
レイモンドがまだ「真実の愛」とやらに浮かれているあいだに。
ここでは、別の種類の「帳尻合わせ」が静かに始まっていた。
「……数字、数字って。君たちは、人生を帳簿でしか見ないのか?」
ユリウスは、涼しい顔で首をかしげる。
「人生は数字だけでは測れません、クロフォード卿。ですが、数字を無視して生きられる人は、そう多くありません」
「き、君に言われたくないな」
「では、まずはお互いの立場を整理するところから始めましょう」
ユリウスは丁寧に一礼し、視線を私に戻した。
「アリア夫人。のちほど、これまでの家計簿と、あなたの“非常識ログ”を拝見してもよろしいでしょうか」
「もちろん。ちょうど、誰かと共有したいと思っていたところよ」
思わず、声に少しだけ熱が混じった。
数字を見てくれる人間。
私の怒りを、“材料”として扱う術を知っている人間。
この屋敷に、ようやく一人、送られてきた。
◇
その日の夕方。
私は書斎でユリウスと向かい合って座っていた。
机の上には、侯爵家の帳簿と、私の個人的な「非常識ログ」のノート。
「……なるほど」
ユリウスはページをめくりながら、低く息を吐いた。
「予想以上に、ひどいですね」
「でしょ?」
少しだけ得意になってしまう自分がいた。
手間をかけて整理した分だけ、他人に驚いてもらえるのは悪くない。
「項目ごとに整理してくださって助かります。これなら、どこから切るべきか、順番も見えやすい」
「まずは“生きるために必要な支出”と、“見栄のための支出”を分けたかったの。前者は条件付きで残す。後者は、基本的に鉈で」
「鉈、ですか」
目を細めるユリウスに、私はさらりと笑ってみせた。
「ナイフやハサミだと、いつまでもぐずぐずと残りかねないでしょう?」
「……相変わらず、容赦がない」
「褒め言葉として受け取るわ」
ユリウスが、ふっと表情を緩めた。
「アリア」
不意に、幼いころと同じ呼び方で名を呼ばれる。
胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
「何?」
「本当に、ここでやっていけるか」
彼の問いは、心配でもあり、確認でもあった。
私は視線を帳簿から上げ、彼を見た。
「“やっていく”って、どういう意味で?」
「政略結婚のあと始末を、君ひとりに背負わせるのは――」
「ひとりじゃないわ」
きっぱりと言い切る。
「伯爵家は後ろにいる。あなたも、こうしてここにいる。それに、私はこの家を“救う”つもりだけじゃないもの」
ユリウスがわずかに首をかしげる。
「“救う”だけじゃない?」
「ええ」
私は自分のノートを指で叩いた。
「必要とあらば、“壊す”準備もしておくつもりよ。きれいに壊して、必要な部分だけを残す。そのときに、誰を残すか。――それを決めるのは、数字と記録」
ユリウスの灰色の瞳が、静かに光った。
「……そういう意味でなら、なおさら僕がいるべきですね」
「でしょ?」
「伯爵さまが僕を寄越した理由が、よく分かりました」
彼はゆっくりとペンを取る。
「では、アリア。クロフォード侯爵家の“解体図”と“再建案”、一緒に作りましょうか」
「いいわね、それ」
私もペンを握り直す。
机の上に広がる帳簿と記録。
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ここでは、別の種類の「帳尻合わせ」が静かに始まっていた。
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