《完結》兄嫁が婚約者と愛の逃避行!? 赤ん坊を置いて持ち出した物、全て返して頂きます!

さんけい

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10 残された銀のがらがら

 川沿いの道は、湖畔よりもさらに走りにくい。
 水は右手にある。左手には低い草地と、ところどころに柳の木。
 道は荷馬車のために踏み固められているが、春先の雨をまだ少し含んでいる。ベスの蹄が、時々ぬかるみに沈む。
 それでも、船よりは速い。はずだ。

「ロムジーまで、あとどれくらい?」
「この速さなら、半刻ほどです」

 ジェイは前を見たまま答える。

「船は」
「川の流れだけなら遅い。ですが、漕ぎ手が二人ついていれば話が変わります」
「ついていたと思う?」
「シャーリーン様が急いでいるなら、つけるでしょう」
「急いでいるのかしら」
「追われているとは気づいたはずです」
「いつ」
「白鹿亭で、耳飾りを置いた時です」

 ああ、と喉の奥で声が出る。

「戻って取りに来る気なんてなかった?」
「なかったでしょう」
「でも、取りに来ると言った」
「宿の者に、しばらく黙らせるためかと」

 なるほど。
 あの真珠の耳飾りは、宿代ではない。口止め料でもある。それに、追手が来た時の小さな罠でもある。
 兄が贈ったものを、よくまあ器用に使うものだ。

「本当に、変なところに頭が回るわ」
「はい」
「誉めてはいないのよ」
「分かっています」

 ジェイの返事は短い。ただ、その短さが今はありがたい。
 慰めも、説得もいらない。欲しいのは、道と時間と、次に何をすればいいかだ。

 ◇

 ロムジーの町に着いた頃には、陽が西へ傾いていた。
 小さな町だ。川沿いに倉庫と船着き場があり、その奥に市場と宿屋がある。
 夕方の市が片付くところらしく、籠を重ねる音や、馬車の車輪の音が混じっている。船着き場には、平底の小舟が一艘、紐でつながれていた。

「あれかしら」
「聞きます」

 ジェイはすぐ船頭に声をかける。私は少し離れ、船の中を見る。
 果物籠。空の麻袋。それから、足元に白い羽根が一枚。
 シャーリーンの帽子飾りに、似た羽根があった。いや、似ているどころではない。
 あの人は、帽子の羽根の角度にも文句を言う人だ。風で折れた羽根を、絶対にそのままにはしない。

「来ていたわね」
「はい」

 ジェイが戻ってくる。

「金髪の女性を乗せたと。ここで降ろしたそうです」
「いつ」
「四半刻ほど前」

 また一歩!
 ほんの少し。ほんの少しだけ先を行かれている。腹立たしい。

「どこへ」
「青麦亭という宿です。町の東側」
「行きましょう」

 青麦亭は、商人向けの宿だった。白鹿亭のような景色のよさはない。
 だが馬車置き場が広く、乗合馬車の札が壁にいくつも掛けられている。
 中に入ると、帳場の男がこちらを見る。こちらの服と、ジェイの印章を見た瞬間、腰が少し低くなった。

「金髪の女性が来たはずよ」
「お、お客様のことは」
「フェンウィック伯爵家の者です」

 ジェイ様が言う。

「その女性は、エルフォード子爵夫人シャーリーン様です。こちらはエルフォード子爵令嬢アマンダ嬢。事情があります。答えてください」

 帳場の男は、喉を鳴らした。

「……いらっしゃいました」
「今は」
「出られました」
「いつ」
「少し前です」
「どこへ」
「北行きの乗合馬車に」

 北。
 私はジェイを見る。彼もすぐには答えない。

「北へ行くとのね」
「はい」
「本当に乗ったと思う?」
「半分だけ」
「半分?」
「帳場には北と言わせる。ですが、実際には別の足を使った可能性があります」

 帳場の男が目を伏せる。

 分かりやすい。本当に、今日は分かりやすい人ばかりだ。

「北行きの乗合馬車に乗ったのは、本人?」
「……帽子を目深にかぶった女性で」
「金髪は見た?」
「見ておりません」
「では別人ね」

 帳場の男の額に汗が浮かぶ。

「い、いえ、私は何も」
「シャーリーン様は何を置いていったの」

 男はぎくりと肩を動かした。やはり。

「出して」
「ですが」
「出して」

 ジェイは一歩横に立ち、低い声で続ける。

「フェンウィック伯爵家も確認します」

 男は観念したように、帳場の下から小さな布包みを出した。中にあったのは、銀のがらがらだった。
 手が止まる。
 小さな持ち手。丸い鈴。端には、細い字で名前が彫ってある。
 Henry Elford. ヘンリーのものだ。
 兄が、子供が生まれた時に作らせた。重すぎないように、持ち手を細くして。赤ん坊の手でも握れるように。
 それを、あの人は持ち出して、宿で使った。

「これは」

 自分の声が低い。

「あの子のものよ」

 帳場の男は慌てて首を振る。

「奥様が、あとで使いの者が取りに来ると」
「来ないわ」

 私は布ごと銀のがらがらを取る。

「宿代はいくら」
「い、いえ、もう」
「盗品で払われたことにしたいの?」
「……三シリングです」
「ジェイ様」
「払います」

 ジェイ様はすぐ硬貨を出した。帳場の男の手に渡る前に、一度止める。

「その代わり、あなたが話しなさい」
「はい」
「本当の行き先は」
「西です。馬車ではなく、洗濯屋の荷車に乗りました。女中の外套を借りて、髪を隠して」
「一人?」
「一人です」
「クリス様は」
「ここには来ておりません」

 まだ合流していない。それとも、別の場所で待っているのか。

「西には何がある?」

 ジェイが尋ねる。

「小さな村が二つ。その先に、古い街道があります。夜に走る馬車もあります」
「王都街道に戻れる?」
「戻れます」

 やはり。
 北へ行くと見せて、西へ。湖、修道院跡、川、町、乗合馬車。
 無駄に手が込んでいる。
 ――その頭で、赤ん坊の銀のがらがらを持って行くな!

「追いましょう」

 私は言う。けれどジェイはすぐには動かない。

「……アマンダ嬢」
「何」
「馬が限界です」
「まだ走れるわ」
「ベスは走れます。私の馬もまだ走る。ですが、その後に潰れます」
「潰れたら替えればいい」
「替えられる場所ならそうします。ですが西の村には良い馬がない。ここで無理をすると、明日の朝、こちらが動けなくなります」

 言い返そうとして、私は止まる。正しい。腹立たしいくらい、正しい。
 窓の外を見る。陽はもう低い。西へ進めば、夜道になる。
 シャーリーンは荷車。こちらは馬。まだ追える。
 だが、追えたとして。暗い道で、女一人と男一人が、荷車を止める。相手に味方がいたら。あるいは、クリスが合流していたら。
 ヘンリーの銀のがらがらを握る手に、力が入る。

「……では、どうするの」
「連絡を出します」

 彼は帳場を見る。

「この町から、エルフォードとフェンウィックへ早馬を出せますか」
「出せます」
「二通。すぐに」
「はい」

 私は深く息を吸う。追うだけでは足りない。家にも手を回す。
 逃げる二人が家の名を使うなら、その家から先に囲む。

「紙とペンを」
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