11 / 26
11 追う者も馬を潰してはいけない
帳場の横の小部屋を借りる。
ランプに火が入る。机は小さいが、書くには足りる。ジェイは上着を脱がず、すぐ紙を取った。
「私はフェンウィックへ」
「私はエルフォードへ書くわ」
「内容は」
「兄さんへ。ヘンリーは眠っているか確認して。乳母を増やして。シャーリーン様の部屋を封じて。持ち出されたものを調べる。特に宝石、現金、子供部屋の銀製品、父の形見」
言いながら、自分でも嫌になる。いくつあるのか。どれだけ持ち出しているのか。
「それから、白鹿亭の馬車を回収。修道院跡の緑の馬車も、フェンウィック家のものか確認して」
「緑の馬車は貸馬車でしょう。こちらで調べます」
「では、兄さんにはロムジーでヘンリーの銀のがらがらを回収したことも書くわ」
本当は書きたくない。だが書かないわけにいかない。兄は怒るだろうか。
怒ってくれればいい。泣くより、少しはましだ。
ジェイは自分の紙に、迷いなく書き始めている。
字は整っている。大きすぎず、小さすぎず。必要なことが、必要な順に並んでいく。
「何を書いているの」
「父へ。兄がシャーリーン様と出奔。フェンウィック家の名を使って移動している可能性あり。家の信用で金品を受け取らせないよう、主な宿と駅馬車に先触れを出すこと。兄の部屋を封じること。兄名義の手形を止めること」
「早いわね」
「兄は、そういうところを使います」
「自分の家の信用?」
「はい」
彼はペン先をインクに浸ける。
「それから、父に判断を求めます。兄が帰還しない場合、長男としての権利停止。必要なら勘当の書面を準備するように」
「そこまで書くの」
「書きます」
手は止まらない。
「兄は自分の手紙で『ジェイなら代わりを務められる』と書きました」
「ええ」
「なら、務めます」
その声は静かだ。
怒鳴らない。震えない。ただ、紙の上に決めたことを置いていく。
こういう人なのだ。
私は自分の紙を見る。インクが乾く前に、次を書き足す。
――兄さんは家から出ないで。
――ヘンリーの側にいて。
――泣くなら、部屋の鍵を掛けて泣いて。
――でも食べて。
――スープだけでも飲んで。
――これは私の命令。
書いてから、少し迷う。命令。
まあいい。今の兄にはこのくらいでちょうどいい。
「アマンダ嬢」
「何」
「ウィリアム様へ、こちらからも一文添えてよろしいですか」
「ジェイ様が?」
「はい」
少し考えて、紙を渡す。
「どうぞ」
彼は私の手紙の端に、数行だけ書く。
――フェンウィック家の者として、今回の件は必ず正式に処理いたします。
――ウィリアム様が今なさるべきことは、ヘンリー様の父であることです。
――追跡と手続きはこちらで進めます。
最後に署名する。ジェイ・フェンウィック。
胸のあたりが、少しだけ落ち着く。
「ありがとう」
「いえ」
「兄さんは、そう言われた方が動けると思う」
「ならよかった」
その返事も短い。けれど、さっきより少し近い。
◇
二通の手紙を封じ、早馬に持たせる。さらに、ジェイは町の駅馬車屋へも短い書付を出した。
金髪の女性と、茶色い髪の若い男がフェンウィック伯爵家およびエルフォード子爵家の名を使う場合は、確認なく便宜を図らないこと。
必要なら代金は後から正式に払うが、金品を預かるな。
実務だ。本当に、実務が速い。
私は銀のがらがらを布に包み直す。小さく鳴らないよう、しっかり包む。
帳場の男が、恐る恐る声をかけてきた。
「あの、今夜はお泊まりに」
「すぐ追うわ」
「いいえ」
横から言う。
「泊まります」
「ジェイ様」
「馬を休ませます。人もです」
「でも」
「アマンダ嬢が倒れたら、ウィリアム様が困ります」
それはずるい。兄を出されると、言い返しにくい。
「……分かったわ」
「部屋は二つ。できれば離しすぎないでください。ただし廊下を挟んで。こちらの女中を一人、夜番に」
帳場の男が慌ててうなづく。
「すぐに」
彼の方を見る。
「慣れているのね」
「不名誉な噂を増やす必要はありません」
「もう十分、不名誉な話だけど」
「だからこそです」
正しい。また正しい。
「ジェイ様は、いつもそんなに正しいの?」
「いいえ」
「そう?」
「今は、間違える余裕がないだけです」
少しだけ、言葉が止まる。
この人も、兄に逃げられている。家の恥を追っている。父に、長男の権利停止を書いたばかりだ。
涼しい顔をしているわけではない。ただ、崩れる順番を後にしているだけだ。
「夕食は」
私は聞く。
「食べます」
「食べられるの?」
「食べます。明日も追うので」
「では私も食べるわ」
「はい」
帳場の横の食堂で、硬いパンと煮込みを食べる。味はあまり分からない。けれど、食べる。
彼も黙って食べる。
時々、馬の嘶きが外から聞こえる。早馬が二頭、夜の道へ出ていく音も聞こえた。
エルフォードへ。フェンウィックへ。
家に知らせた。これで、こちらだけが追っているのではない。背後の家も動く。
◇
食事を終え、部屋へ上がる前に、ジェイは言った。
「明日は夜明け前に出ます」
「ええ」
「西の村で荷車を聞きます。そこから古い街道へ」
「シャーリーン様は、また何か置いていくかしら」
「置いていくでしょう」
「次は何かしらね」
自分で言って、喉が詰まる。ヘンリーの銀のがらがらより悪いものが、まだあるだろうか。
いや、考えるのはやめよう。あると思っておいた方がいい。
彼は少し黙ったあと、言った。
「回収します」
「ええ」
「必ず」
私はうなずく。
「頼りにしているわ、ジェイ様」
言ってから、少し驚く。頼りにしている。口に出すつもりはなかった。でも、出た。
彼も一拍置く。
「光栄です、アマンダ嬢」
まだ呼び方は変わらない。けれど、その一拍は覚えておこうと思った。
ランプに火が入る。机は小さいが、書くには足りる。ジェイは上着を脱がず、すぐ紙を取った。
「私はフェンウィックへ」
「私はエルフォードへ書くわ」
「内容は」
「兄さんへ。ヘンリーは眠っているか確認して。乳母を増やして。シャーリーン様の部屋を封じて。持ち出されたものを調べる。特に宝石、現金、子供部屋の銀製品、父の形見」
言いながら、自分でも嫌になる。いくつあるのか。どれだけ持ち出しているのか。
「それから、白鹿亭の馬車を回収。修道院跡の緑の馬車も、フェンウィック家のものか確認して」
「緑の馬車は貸馬車でしょう。こちらで調べます」
「では、兄さんにはロムジーでヘンリーの銀のがらがらを回収したことも書くわ」
本当は書きたくない。だが書かないわけにいかない。兄は怒るだろうか。
怒ってくれればいい。泣くより、少しはましだ。
ジェイは自分の紙に、迷いなく書き始めている。
字は整っている。大きすぎず、小さすぎず。必要なことが、必要な順に並んでいく。
「何を書いているの」
「父へ。兄がシャーリーン様と出奔。フェンウィック家の名を使って移動している可能性あり。家の信用で金品を受け取らせないよう、主な宿と駅馬車に先触れを出すこと。兄の部屋を封じること。兄名義の手形を止めること」
「早いわね」
「兄は、そういうところを使います」
「自分の家の信用?」
「はい」
彼はペン先をインクに浸ける。
「それから、父に判断を求めます。兄が帰還しない場合、長男としての権利停止。必要なら勘当の書面を準備するように」
「そこまで書くの」
「書きます」
手は止まらない。
「兄は自分の手紙で『ジェイなら代わりを務められる』と書きました」
「ええ」
「なら、務めます」
その声は静かだ。
怒鳴らない。震えない。ただ、紙の上に決めたことを置いていく。
こういう人なのだ。
私は自分の紙を見る。インクが乾く前に、次を書き足す。
――兄さんは家から出ないで。
――ヘンリーの側にいて。
――泣くなら、部屋の鍵を掛けて泣いて。
――でも食べて。
――スープだけでも飲んで。
――これは私の命令。
書いてから、少し迷う。命令。
まあいい。今の兄にはこのくらいでちょうどいい。
「アマンダ嬢」
「何」
「ウィリアム様へ、こちらからも一文添えてよろしいですか」
「ジェイ様が?」
「はい」
少し考えて、紙を渡す。
「どうぞ」
彼は私の手紙の端に、数行だけ書く。
――フェンウィック家の者として、今回の件は必ず正式に処理いたします。
――ウィリアム様が今なさるべきことは、ヘンリー様の父であることです。
――追跡と手続きはこちらで進めます。
最後に署名する。ジェイ・フェンウィック。
胸のあたりが、少しだけ落ち着く。
「ありがとう」
「いえ」
「兄さんは、そう言われた方が動けると思う」
「ならよかった」
その返事も短い。けれど、さっきより少し近い。
◇
二通の手紙を封じ、早馬に持たせる。さらに、ジェイは町の駅馬車屋へも短い書付を出した。
金髪の女性と、茶色い髪の若い男がフェンウィック伯爵家およびエルフォード子爵家の名を使う場合は、確認なく便宜を図らないこと。
必要なら代金は後から正式に払うが、金品を預かるな。
実務だ。本当に、実務が速い。
私は銀のがらがらを布に包み直す。小さく鳴らないよう、しっかり包む。
帳場の男が、恐る恐る声をかけてきた。
「あの、今夜はお泊まりに」
「すぐ追うわ」
「いいえ」
横から言う。
「泊まります」
「ジェイ様」
「馬を休ませます。人もです」
「でも」
「アマンダ嬢が倒れたら、ウィリアム様が困ります」
それはずるい。兄を出されると、言い返しにくい。
「……分かったわ」
「部屋は二つ。できれば離しすぎないでください。ただし廊下を挟んで。こちらの女中を一人、夜番に」
帳場の男が慌ててうなづく。
「すぐに」
彼の方を見る。
「慣れているのね」
「不名誉な噂を増やす必要はありません」
「もう十分、不名誉な話だけど」
「だからこそです」
正しい。また正しい。
「ジェイ様は、いつもそんなに正しいの?」
「いいえ」
「そう?」
「今は、間違える余裕がないだけです」
少しだけ、言葉が止まる。
この人も、兄に逃げられている。家の恥を追っている。父に、長男の権利停止を書いたばかりだ。
涼しい顔をしているわけではない。ただ、崩れる順番を後にしているだけだ。
「夕食は」
私は聞く。
「食べます」
「食べられるの?」
「食べます。明日も追うので」
「では私も食べるわ」
「はい」
帳場の横の食堂で、硬いパンと煮込みを食べる。味はあまり分からない。けれど、食べる。
彼も黙って食べる。
時々、馬の嘶きが外から聞こえる。早馬が二頭、夜の道へ出ていく音も聞こえた。
エルフォードへ。フェンウィックへ。
家に知らせた。これで、こちらだけが追っているのではない。背後の家も動く。
◇
食事を終え、部屋へ上がる前に、ジェイは言った。
「明日は夜明け前に出ます」
「ええ」
「西の村で荷車を聞きます。そこから古い街道へ」
「シャーリーン様は、また何か置いていくかしら」
「置いていくでしょう」
「次は何かしらね」
自分で言って、喉が詰まる。ヘンリーの銀のがらがらより悪いものが、まだあるだろうか。
いや、考えるのはやめよう。あると思っておいた方がいい。
彼は少し黙ったあと、言った。
「回収します」
「ええ」
「必ず」
私はうなずく。
「頼りにしているわ、ジェイ様」
言ってから、少し驚く。頼りにしている。口に出すつもりはなかった。でも、出た。
彼も一拍置く。
「光栄です、アマンダ嬢」
まだ呼び方は変わらない。けれど、その一拍は覚えておこうと思った。
あなたにおすすめの小説
王妃は春を待たない〜夫が側妃を迎えました〜
羽生
恋愛
王妃シルヴィアは、完璧だった。
王であるレオンハルトの隣に立ち、誰よりも正しく、誰よりも美しく、誰よりも“王妃らしく”あろうとしてきた。
けれど、結婚から五年が経っても2人には子は授からず、ついに王は側妃を迎えることになる。
明るく無邪気な側妃ミリアに、少しずつ心を動かしていくレオンハルト。
その変化に気づきながらも、シルヴィアは何も言えなかった。
――王妃だから。
けれど、シルヴィアの心は確実に壊れていく。
誰も悪くないのに。
それでも、誰もが何かを失う。
◇全22話。一日二話投稿予定。
「仕方ない」には疲れました ~三年続いた白い結婚を終わらせたら、辺境公爵の溺愛が待っていました~
ゆぷしろん
恋愛
「仕方ない」と白い結婚に耐え続けていた伯爵夫人エリス。
彼女の誕生日、夫は幼なじみのセシリアを屋敷に連れ帰り、エリスが大切にしてきた猫を彼女に見せろと言う。冷めた晩餐の前で心が折れたエリスは、ついに離縁を宣言し実家へ戻った。
彼女の薬草知識と領地経営の才は、北方を守る公爵ディートリヒが目を留める。流行り病に苦しむ公爵領を救うため奮闘するエリスは、初めて努力を認められ、大切に扱われる喜びを知っていく。一方で彼女を失った元夫の伯爵家は傾き、身勝手な幼なじみの嘘も暴かれて――。
我慢をやめた傷心令嬢が、辺境公爵に溺愛され、自分らしい幸せを選び直す逆転愛されファンタジー。
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
婚約者チェンジ? 義理の妹は公爵令嬢の地位もチェンジされました』 ~三日で破談、家ごと褫奪の末路です~
pdf
恋愛
「お姉様の婚約者、私がいただきますわ。だって“公爵令嬢”ですもの」
義理の妹コンキュはそう言って、王太子との婚約を奪いました。
父はそれを容認し、私は静かに受け入れます。
けれど――
公爵令嬢とは“地位”ではなく、“責任”の継承者。
王宮で礼儀も実務も拒み、「未来の王太子妃」を名乗った義妹は、わずか三日で婚約破棄。
さらに王家への不敬と統治能力の欠如が問題視され、父の監督責任が問われます。
そして下されたのは――家ごとの褫奪。
一方で私は、領地を守り、帳簿を整え、静かに家を支え続ける。
欲しがったのは肩書。
継いだのは責任。
正統は叫びません。
ただ、残るだけ。
これは、婚約を奪われた公爵令嬢が
“本当に継がれるべきもの”を証明する物語。
文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる──
侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。
だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。
アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。
そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。
「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」
これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。過激ざまぁタグあります。
4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。
愛人と暮らすために私と結婚した伯爵子息、皇帝宮の夜会で本音を喋る魔道具を使ったらすべて暴露されました
あきくん☆ひろくん
恋愛
愛人と暮らすために私と結婚した伯爵子息。その本性を知ったのは、結婚した後でした。
私は子供を産むためだけの妻。生まれた子は愛人が育て、私は屋敷に閉じ込められる運命だという。
絶望する私が思い出したのは、大魔導士から渡された魔道具。「心に思ったことを言葉にしてしまう」もの。
そして皇帝宮の夜会で――伯爵子息は皇太子の前で、自分の本音をすべて喋ってしまいました。
この作品は、「僕に仕えるメイドは世界最強の英雄です」シリーズの外伝です。
リリアーナは、第1作目の第3部のおまけ、のお話にでてくる子爵令嬢です。
幼馴染が熱を出した? どうせいつもの仮病でしょう?【完結】
小平ニコ
恋愛
「パメラが熱を出したから、今日は約束の場所に行けなくなった。今度埋め合わせするから許してくれ」
ジョセフはそう言って、婚約者である私とのデートをキャンセルした。……いったいこれで、何度目のドタキャンだろう。彼はいつも、体の弱い幼馴染――パメラを優先し、私をないがしろにする。『埋め合わせするから』というのも、口だけだ。
きっと私のことを、適当に謝っておけば何でも許してくれる、甘い女だと思っているのだろう。
いい加減うんざりした私は、ジョセフとの婚約関係を終わらせることにした。パメラは嬉しそうに笑っていたが、ジョセフは大いにショックを受けている。……それはそうでしょうね。私のお父様からの援助がなければ、ジョセフの家は、貴族らしい、ぜいたくな暮らしを続けることはできないのだから。