《完結》兄嫁が婚約者と愛の逃避行!? 赤ん坊を置いて持ち出した物、全て返して頂きます!

さんけい

文字の大きさ
26 / 33

26 ようやく帰宅

 すべての確認が終わると、フェンウィック家の使いがクリスを連れて出る。
 シャーリーンは、湯治宿の本館で実家からの迎えを待つことになる。
 エルフォードの従者が一人残る。グレイヴスも手配を済ませてから戻ると言う。

「お嬢様は先にお戻りください」
「でも」
「旦那様がお待ちです」

 それを言われると弱い。

「分かったわ」

 馬の準備が整う。回収品は、馬車に積む。
 昨日まで馬で走り続けた道を、帰りは馬車で行くことになった。
 ベスも休ませる。人も休ませる。悔しいが、正しい。
 ジェイも馬車に乗る。

「あなたはフェンウィックの方へ行かなくていいの?」
「父の使いが兄を連れます。私はエルフォードへ」
「なぜ」
「回収品と書類を届けるためです」
「グレイヴスでもできるわ」
「私が行きます」

 そう言うとジェイは、窓の外を見る。霧はだいぶ薄くなっていた。森の木々が、昨日よりはっきり見える。

「フェンウィック家の者として、ウィリアム様に直接詫びます」
「兄さんは、あなたに謝られると困るわ」
「それでも」
「頑固ね」
「はい」
「では来て」
「はい」

 馬車が動き出す。離れが遠ざかる。湯治宿の本館も、古い木々の奥に沈む。
 帰り道は、昨日の追跡と同じ道を逆にたどる。けれど、見え方が違う。
 祠。湯治宿。ハドリー宿。駅馬車場。村の洗濯屋。ロムジーの船着き場。
 ひとつひとつ、昨日の怒りが残っている。でも、その怒りの中から、物は戻ってきた。
 車内には、布包みが置かれている。揺れるたび、かすかに銀が鳴る。ヘンリーのがらがらかもしれない。

「鳴ったわ」
「はい」
「ヘンリーが持ったら、もっと可愛い音がすると思う」
「そうでしょうね」
「兄さん、泣くかしら」
「泣くかもしれません」
「困るわね」
「泣かせてあげてください」

 まただ。この人は、時々さらりとそういうことを言う。

「兄さんが泣いたら、私まで泣くかもしれない」
「それも、よろしいのでは」
「よくないわ」
「なぜ」
「止まらなくなったら困るから」

 すると彼は少し黙り、考える。

「では、止めます」
「またそれ」
「はい」
「どうやって」
「まず、椅子に座らせます」
「実務ね」
「次に、温かい茶を」
「それで?」
「泣き止むまで、何も言いません」

 窓の外を見る。草地が続いている。遠くに、果樹園のある丘が見え始めた。

「それは、効くかもしれないわ」
「なら、そうします」

 私は少しだけ笑う。笑ったあと、急にまぶたが重くなる。
 昨日からの疲れが、馬車の揺れに合わせて身体の中へ沈んでくる。
 まだ駄目だ。帰って、兄に会う。ヘンリーを見る。回収品を渡す。鍵の確認をする。書類を……

「アマンダ嬢」

 ジェイの声がする。

「少し眠ってください」
「眠らないわ」
「では、目を閉じるだけでも」
「同じでしょう」
「近いですが、少し違います」
「詭弁だわ」
「便利です」

 言い返そうとして、できない。
 目を閉じるだけ。そう思って、少しだけまぶたを下ろす。
 馬車の音。車輪の音。布包みの中で、銀が小さく鳴る音。人が暮らす土地へ帰る音だ。
 ほんの少しだけ。ほんの少しだけなら―― そう思ったところで、意識がふっと切れる。

 ◇

 目を開けた時、馬車はエルフォードの門の前にいた。
 見慣れた門柱。石の上に、蔦が少し絡んでいる。その向こうに、ゆるやかな坂と、館へ続く砂利道。
 帰ってきた。
 思った途端、身体が重くなる。
 眠ったのは、ほんの少しのはずだ。けれど、まぶたの裏にまだ馬車の揺れが残っている。頭の奥も鈍い。

「着きました」

 ジェイの声がする。

「……寝ていた?」
「少し」
「起こしてくれてよかったのに」
「門が見えてからでいいと思いました」
「そう」

 文句を言うほどの力がない。
 馬車が館の前で止まる。扉が開く前に、外の声が聞こえた。

「アマンダ」

 兄の声だ。思わず背筋が伸びる。
 扉が開く。先にジェイが降り、こちらへ手を差し出す。その手を借りて馬車を降りると、玄関の前に兄が立っていた。
 眼鏡は、ちゃんとかかっている。丸い銀縁。鼻の上にきちんと乗っている。片側はずれていない。それだけで、喉の奥が変になる。
 兄の顔色はまだよくない。けれど、昨日のように魂だけがどこかへ行ってしまった顔ではない。少し痩せたようにも見える。たった一日なのに。
 隣にはメアリーがいて、ヘンリーを抱いている。小さな甥は、白い布にくるまれて、眠たそうに口を動かしていた。

「兄さん」

 言葉が出る。

「戻ったわ」
「ああ」

 兄は一歩近づく。

「お帰り、アマンダ」

 ただ、それだけだった。それだけで、足元が少し頼りなくなる。
 違う。まだだ。まだ確認がある。

「兄さん、回収したわ。ヘンリーの銀杯も、がらがらも、スプーンも。母上の首飾りと、祖母のブローチも。家政鍵も、肖像画も、眼鏡も」

 言いながら、馬車の方を見る。

「書類もある。離縁の同意書と、婚約破棄の同意書と、持ち出し品の確認書。フェンウィック伯爵からの書状も。あと、鍵は替えたと聞いたけど、薬棚とリネン室と、それから――」

「アマンダ」
「それから、シャーリーン様の部屋の確認は――」
「アマンダ!」

 兄の声が、少し強くなる。思わず口を閉じる。兄は怒鳴らない人だ。その兄が、二度目で少しだけ声を強くした。

「もういい」
「でも」
「よくやってくれた」

 兄はそう言って、私の肩に手を置いた。温かい。大きい。昔から、兄の手はこうだった。

「もういい。まず座りなさい」
「まだ座るわけには」
「座りなさい」

 まただ。兄が命じている。
 めったにないことだ。めったにないから、逆らい方が分からない。

「兄さん」
「お前の顔色が悪い」
「それは、兄さんも」
「私はスープを飲んだ」
「えらいわ」
「お前の命令だったからな」

 少しだけ笑いそうになる。でもうまく笑えない。
 ヘンリーが、メアリーの腕の中で小さく声を出した。そちらを見る。丸い頬。小さな手。何も知らない顔。
 その子の銀杯も、がらがらも、スプーンも戻った。

「ヘンリー」

 手を伸ばそうとする。
 ――その瞬間、膝から力が抜けた。
感想 50

あなたにおすすめの小説

五年間この国を裏で支えた公爵令嬢、婚約破棄されたので全部置いていきます ~帳簿も外交草案も私の著作物ですので、勝手にお使いになれませんよ?~

今井 幻
恋愛
「——お前は、この国にとって害悪だ」 卒業舞踏会の大広間で、王太子リオンに公開断罪された公爵令嬢エレノア。 彼女は五年間、王太子の名の下に南部同盟との外交交渉の草案を書き、疫病対策の法案を起草し、国庫の帳簿を一人で管理してきた。功績はすべてリオンのものとして奪われ、代わりに王太子の隣を手にしたのは、転入わずか一年で計算し尽くされた涙を武器にのし上がった男爵令嬢リリアーナだった。 婚約破棄の翌日、父はエレノアを物置同然の離れに追いやり、母の形見の白百合の花壇はリリアーナの好みの薔薇に植え替えられる。社交界からも締め出され、居場所を完全に失ったエレノア。 けれど、左手の甲に幼い頃から浮かんでいた金の紋様が光を放ち始めたとき、すべてが動き出す。 離れの暖炉の奥に隠されていた母の秘密の書斎。そこに遺された一通の手紙には、母がヴェルザンド帝国の古代魔導師の血を引く者であること、そしてエレノアが千年に一度の「契約の継承者」であることが記されていた。 『帝国があなたの味方になります』 折しも届いた帝国皇帝カイからの招待状にはこうあった。 『貴女の母君との約束を果たしに参ります』 ——「死神」の異名を持つ大陸最強の皇帝。母の追伸には「本当はとても優しい子です。昔はよく泣いていました」と書かれていた。 守るべきものを全て奪われた令嬢は、自分の足で帝国への一歩を踏み出す。 一方、エレノアという「国の土台」を失った王国では、外交交渉の決裂、帳簿の解読不能、偽聖女の不正が次々と露呈し始め——今さら「戻ってきてくれ」と泣きつかれても、もう遅い。

結婚したけど夫の不倫が発覚して兄に相談した。相手は親友で2児の母に慰謝料を請求した。

佐藤 美奈
恋愛
伯爵令嬢のアメリアは幼馴染のジェームズと結婚して公爵夫人になった。 結婚して半年が経過したよく晴れたある日、アメリアはジェームズとのすれ違いの生活に悩んでいた。そんな時、机の脇に置き忘れたような手紙を発見して中身を確かめた。 アメリアは手紙を読んで衝撃を受けた。夫のジェームズは不倫をしていた。しかも相手はアメリアの親しい友人のエリー。彼女は既婚者で2児の母でもある。ジェームズの不倫相手は他にもいました。 アメリアは信頼する兄のニコラスの元を訪ね相談して意見を求めた。

婚約破棄した王子は年下の幼馴染を溺愛「彼女を本気で愛してる結婚したい」国王「許さん!一緒に国外追放する」

佐藤 美奈
恋愛
「僕はアンジェラと婚約破棄する!本当は幼馴染のニーナを愛しているんだ」 アンジェラ・グラール公爵令嬢とロバート・エヴァンス王子との婚約発表および、お披露目イベントが行われていたが突然のロバートの主張で会場から大きなどよめきが起きた。 「お前は何を言っているんだ!頭がおかしくなったのか?」 アンドレア国王の怒鳴り声が響いて静まった会場。その舞台で親子喧嘩が始まって収拾のつかぬ混乱ぶりは目を覆わんばかりでした。 気まずい雰囲気が漂っている中、婚約披露パーティーは早々に切り上げられることになった。アンジェラの一生一度の晴れ舞台は、婚約者のロバートに台なしにされてしまった。

婚約者すらいない私に、離縁状が届いたのですが・・・・・・。

夢草 蝶
恋愛
 侯爵家の末姫で、人付き合いが好きではないシェーラは、邸の敷地から出ることなく過ごしていた。  そのため、当然婚約者もいない。  なのにある日、何故かシェーラ宛に離縁状が届く。  差出人の名前に覚えのなかったシェーラは、間違いだろうとその離縁状を燃やしてしまう。  すると後日、見知らぬ男が怒りの形相で邸に押し掛けてきて──?

醜い私は妹の恋人に騙され恥をかかされたので、好きな人と旅立つことにしました

つばめ
恋愛
幼い頃に妹により火傷をおわされた私はとても醜い。だから両親は妹ばかりをかわいがってきた。伯爵家の長女だけれど、こんな私に婿は来てくれないと思い、領地運営を手伝っている。 けれど婚約者を見つけるデェビュタントに参加できるのは今年が最後。どうしようか迷っていると、公爵家の次男の男性と出会い、火傷痕なんて気にしないで参加しようと誘われる。思い切って参加すると、その男性はなんと妹をエスコートしてきて……どうやら妹の恋人だったらしく、周りからお前ごときが略奪できると思ったのかと責められる。 会場から逃げ出し失意のどん底の私は、当てもなく王都をさ迷った。ぼろぼろになり路地裏にうずくまっていると、小さい頃に虐げられていたのをかばってくれた、商家の男性が現れて……

婚約した幼馴染の彼と妹がベッドで寝てた。婚約破棄は嫌だと泣き叫んで復縁をしつこく迫る。

佐藤 美奈
恋愛
伯爵令嬢のオリビアは幼馴染と婚約して限りない喜びに満ちていました。相手はアルフィ皇太子殿下です。二人は心から幸福を感じている。 しかし、オリビアが聖女に選ばれてから会える時間が減っていく。それに対してアルフィは不満でした。オリビアも彼といる時間を大切にしたいと言う思いでしたが、心にすれ違いを生じてしまう。 そんな時、オリビアは過密スケジュールで約束していたデートを直前で取り消してしまい、アルフィと喧嘩になる。気を取り直して再びアルフィに謝りに行きますが……

婚約破棄? ええ、もう私がいなくても回りますので

エスビ
恋愛
「婚約破棄だ。聖女エマこそ、私の運命の相手だ」 王太子にそう告げられた公爵令嬢マルグリット。 けれど彼女は涙も見せず、ただ静かに頷いた。 ――役目が終わったのなら、それで結構です。 王宮を去り、辺境公爵領で領政補佐を始めた彼女は、 奇跡に頼らず、感情に流されず、 “仕組み”で領地を立て直していく。 やがて王宮は気づく。 彼女がいなくなって初めて―― 誰が本当に国を回していたのかを。 これは、 復讐もしない。泣きもしない。 ただ淡々と去った令嬢が、 静かにすべてを置き去りにする物語。

ここはあなたの家ではありません

風見ゆうみ
恋愛
「明日からミノスラード伯爵邸に住んでくれ」 婚約者にそう言われ、ミノスラード伯爵邸に行ってみたはいいものの、婚約者のケサス様は弟のランドリュー様に家督を譲渡し、子爵家の令嬢と駆け落ちしていた。 わたくしを家に呼んだのは、捨てられた令嬢として惨めな思いをさせるためだった。 実家から追い出されていたわたくしは、ランドリュー様の婚約者としてミノスラード伯爵邸で暮らし始める。 そんなある日、駆け落ちした令嬢と破局したケサス様から家に戻りたいと連絡があり―― そんな人を家に入れてあげる必要はないわよね? ※誤字脱字など見直しているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。