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4 「わかってくれると思っていた」
「急に来てしまってすまない、イブリン」
「ええ、本当に急ですこと」
自分でも驚くほど、声は穏やかだった。
リチャードは一瞬だけ言葉を詰まらせたものの、すぐに座るよう勧めてきた。
私も向かいへ腰を下ろす。紅茶はすでに運ばれていて、湯気が細く立っていた。
それが、かえって妙におかしかった。
約束を壊しに来た人と向かい合って、行儀よくお茶を前にしているのだから。
「どうしても手紙だけでは済ませたくなくて」
「そうでしたの」
「きちんと説明したかったんだ」
きちんと。
その言葉を聞いた時、私はふと、ほんの少し前の自分を思い出した。
帽子を整えて、耳飾りを出して、今日の午後のために支度をしていた私。
あの時間に対して、彼はどれだけ“きちんと”向き合ったのだろう。
そう思ったけれど、口には出さなかった。
「エミリーのことなんだ」
「お手紙で伺いましたわ。お熱が出たと」
「ああ。ただ、熱そのものはそれほどでもないらしい。医師も、休めば落ち着くだろうと言っていた」
ならばなおさら、と思った。
けれど私は黙っていた。
リチャードは私の沈黙を、話の続きをうながすものと受け取ったらしい。
「でも、ひどく心細がっていてね。私が帰ろうとすると、不安そうな顔をするんだ。あの子は昔からそういうところがあって……」
私はカップに手を伸ばした。
指先に触れた磁器はほどよく温かい。なのに、その温かさがこちらへ移ってくる感じはしなかった。
「そうでしたの」
「うん。だから、今日はどうしてもそばにいてやらないとと思って」
「でも、こちらへは来られたのですね」
私がそう言うと、リチャードは少しだけ目を見開いた。
「それは……君に何も言わずに済ませるのは良くないと思ったからだ」
「なるほど」
なるほど、と返しながら、私は少しだけ笑いたくなった。
おかしさからではない。あまりにも彼らしい理屈だったからだ。
エミリーのそばを離れられないほど案じている。
でも、その足で私のところへは来る。その矛盾を、彼は矛盾と感じていないらしい。
「イブリン、そんな顔をしないでくれ」
「どんな顔でしょう」
「責めているみたいだ」
私はカップを戻した。
責めている?
そう感じる程度には、自分でも何かしら後ろめたいものがあるのだろうか。
けれど、だったらせめて、こちらが何を思うのかくらい、少しは考えてくれてもよさそうなものだ。
「私は、ただ伺っているだけですわ」
「エミリーの体調が悪いんだ。あの子は身体も弱いし、気持ちも繊細で……」
「ええ。そのお話はこれまでに何度も」
私がそう言うと、彼は口をつぐんだ。
ようやく気づいたのだろう。
これは今日一日だけのことではないと。
「先月の茶会の時も、そうでしたわね。その前の晩餐の時も。その前の乗馬会の時も」
「それは、それぞれ事情があって」
「いつも、そうおっしゃいますわ」
自分の声が思いのほか静かなことに、私自身が少し驚いた。
怒っている時ほど、かえって声は落ち着くのかもしれない。
リチャードは困ったように眉を寄せた。この人は本当に、困る顔をするのがうまい。困った顔をされると、こちらが意地悪をしているような気分にさせられる。
今までの私は、たぶんそれで丸め込まれてきたのだ。
「君なら分かってくれると思っていたんだ」
その言葉が落ちた瞬間、私は唐突に目が覚めたような気持ちになった。
ああ、やっぱりそうなのだ、と。
分かってくれると思っていた。
つまり、私なら譲ると思っていた。
私なら待つと思っていた。
私なら、不満を顔に出さないと思っていた。
そうやって、何度でも後へ回せる相手だと思っていた。
私はしばらく黙っていた。
言い返そうと思えば言葉はいくらでも浮かんだのに、すぐには口から出てこなかった。
怒りよりも先に、妙に乾いた失望のほうが広がっていったからだ。
「イブリン?」
「……最初のうちは、私もそうでしたわ」
「え?」
「分かろうとしておりましたの。従妹でいらっしゃるし、お身体も弱いと伺っていましたから」
私はゆっくりと顔を上げた。
「でも、それは、私との約束が何度も後へ回されてよい理由にはなりませんわ」
リチャードは露骨に困惑した顔をした。まるで、こちらが急に難しいことを言い出したみたいに。
「君は、そんなふうに考えるのか?」
「では、どう考えればよろしいのです?」
「エミリーは昔から、ああいう子なんだ。放っておけないし、それに君は落ち着いているだろう。物分かりもいいし――」
そこまで聞いたところで、私はふっと力が抜けるのを感じた。
落ち着いている。物分かりがいい。
要するに、面倒を起こさず、我慢してくれる相手だということだ。
「では私が騒げば、そちらを優先してくださるのですか」
「何を言っているんだ」
「似たようなことではありませんか」
「違うよ。君はそういう人じゃないだろう」
その言い方に、胸の中の何かが、びっくりする程冷えていくのがわかる。
――そういう人じゃない。
彼の中で私は、きっとずっと都合のいい“そういう人ではない側”に置かれていたのだろう。
寂しがらない。怒らない。困らせない。
――だから後でいい。
それを、本人がまるで悪いことと思っていないところが、たまらなく嫌だった。
「ええ、本当に急ですこと」
自分でも驚くほど、声は穏やかだった。
リチャードは一瞬だけ言葉を詰まらせたものの、すぐに座るよう勧めてきた。
私も向かいへ腰を下ろす。紅茶はすでに運ばれていて、湯気が細く立っていた。
それが、かえって妙におかしかった。
約束を壊しに来た人と向かい合って、行儀よくお茶を前にしているのだから。
「どうしても手紙だけでは済ませたくなくて」
「そうでしたの」
「きちんと説明したかったんだ」
きちんと。
その言葉を聞いた時、私はふと、ほんの少し前の自分を思い出した。
帽子を整えて、耳飾りを出して、今日の午後のために支度をしていた私。
あの時間に対して、彼はどれだけ“きちんと”向き合ったのだろう。
そう思ったけれど、口には出さなかった。
「エミリーのことなんだ」
「お手紙で伺いましたわ。お熱が出たと」
「ああ。ただ、熱そのものはそれほどでもないらしい。医師も、休めば落ち着くだろうと言っていた」
ならばなおさら、と思った。
けれど私は黙っていた。
リチャードは私の沈黙を、話の続きをうながすものと受け取ったらしい。
「でも、ひどく心細がっていてね。私が帰ろうとすると、不安そうな顔をするんだ。あの子は昔からそういうところがあって……」
私はカップに手を伸ばした。
指先に触れた磁器はほどよく温かい。なのに、その温かさがこちらへ移ってくる感じはしなかった。
「そうでしたの」
「うん。だから、今日はどうしてもそばにいてやらないとと思って」
「でも、こちらへは来られたのですね」
私がそう言うと、リチャードは少しだけ目を見開いた。
「それは……君に何も言わずに済ませるのは良くないと思ったからだ」
「なるほど」
なるほど、と返しながら、私は少しだけ笑いたくなった。
おかしさからではない。あまりにも彼らしい理屈だったからだ。
エミリーのそばを離れられないほど案じている。
でも、その足で私のところへは来る。その矛盾を、彼は矛盾と感じていないらしい。
「イブリン、そんな顔をしないでくれ」
「どんな顔でしょう」
「責めているみたいだ」
私はカップを戻した。
責めている?
そう感じる程度には、自分でも何かしら後ろめたいものがあるのだろうか。
けれど、だったらせめて、こちらが何を思うのかくらい、少しは考えてくれてもよさそうなものだ。
「私は、ただ伺っているだけですわ」
「エミリーの体調が悪いんだ。あの子は身体も弱いし、気持ちも繊細で……」
「ええ。そのお話はこれまでに何度も」
私がそう言うと、彼は口をつぐんだ。
ようやく気づいたのだろう。
これは今日一日だけのことではないと。
「先月の茶会の時も、そうでしたわね。その前の晩餐の時も。その前の乗馬会の時も」
「それは、それぞれ事情があって」
「いつも、そうおっしゃいますわ」
自分の声が思いのほか静かなことに、私自身が少し驚いた。
怒っている時ほど、かえって声は落ち着くのかもしれない。
リチャードは困ったように眉を寄せた。この人は本当に、困る顔をするのがうまい。困った顔をされると、こちらが意地悪をしているような気分にさせられる。
今までの私は、たぶんそれで丸め込まれてきたのだ。
「君なら分かってくれると思っていたんだ」
その言葉が落ちた瞬間、私は唐突に目が覚めたような気持ちになった。
ああ、やっぱりそうなのだ、と。
分かってくれると思っていた。
つまり、私なら譲ると思っていた。
私なら待つと思っていた。
私なら、不満を顔に出さないと思っていた。
そうやって、何度でも後へ回せる相手だと思っていた。
私はしばらく黙っていた。
言い返そうと思えば言葉はいくらでも浮かんだのに、すぐには口から出てこなかった。
怒りよりも先に、妙に乾いた失望のほうが広がっていったからだ。
「イブリン?」
「……最初のうちは、私もそうでしたわ」
「え?」
「分かろうとしておりましたの。従妹でいらっしゃるし、お身体も弱いと伺っていましたから」
私はゆっくりと顔を上げた。
「でも、それは、私との約束が何度も後へ回されてよい理由にはなりませんわ」
リチャードは露骨に困惑した顔をした。まるで、こちらが急に難しいことを言い出したみたいに。
「君は、そんなふうに考えるのか?」
「では、どう考えればよろしいのです?」
「エミリーは昔から、ああいう子なんだ。放っておけないし、それに君は落ち着いているだろう。物分かりもいいし――」
そこまで聞いたところで、私はふっと力が抜けるのを感じた。
落ち着いている。物分かりがいい。
要するに、面倒を起こさず、我慢してくれる相手だということだ。
「では私が騒げば、そちらを優先してくださるのですか」
「何を言っているんだ」
「似たようなことではありませんか」
「違うよ。君はそういう人じゃないだろう」
その言い方に、胸の中の何かが、びっくりする程冷えていくのがわかる。
――そういう人じゃない。
彼の中で私は、きっとずっと都合のいい“そういう人ではない側”に置かれていたのだろう。
寂しがらない。怒らない。困らせない。
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