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17 グランヴィル夫人の思い
(俯瞰視点)
アシュフォード家の屋敷を辞したあと、馬車の中でヘレン・グランヴィルはしばらく黙っていた。
窓の外では、曇り空の下を石畳が滑るように後ろへ流れていく。
揺れは穏やかだったが、気分は少しも穏やかではなかった。
まったく、と思う。
あの程度のことで、どうしてここまで話がこじれるのだろう。
リチャードに配慮が足りなかったことは認める。あの子は昔から、目の前で弱っている相手を見ると、ほかが見えなくなるところがある。
たった一人の息子で、気立ても悪くなく、情にもろい。
長所と短所は裏表だ。母親として、そこを知らないわけではない。
だからこそ、今回も少し時間を置いて、きちんと順を追って話せば済むと思っていた。
イブリン・アシュフォードは聡明な娘だと聞いていたし、実際そう見えていた。
感情のままに騒ぐ娘ではない。家の事情も、婚約の重みも、それなりに分かっているはずだった。
――なのに。
ヘレンは膝の上の手袋へ視線を落とした。
今日のイブリンは、礼を失したわけではない。口調も穏やかだった。
けれど、あの静かな拒み方がいちばん厄介だった。
泣いたり、怒ったり、意地を張ったりしている娘なら、なだめようもある。こちらが一段高いところから包むように話して、機嫌を直させることもできる。
けれど、あれは違った。
もう決めている時の顔だった。
しかも、自分が理にかなっていると知っている顔だった。
そこまで考えて、ヘレンは小さく息をつく。
アシュフォード夫人も厄介だった。
物柔らかな顔で座っていながら、ひと言ひと言がこちらの逃げ道を塞いでくる。
娘を守ることを、少しもためらわない顔をしていた。
ああいう母親が後ろについているなら、イブリンが思いのほか強情になるのも分からないではない。
それに、姉のキャサリン。
あの娘もまた、笑いもせず、けれど無礼にもならず、こちらの言葉の綻びだけをきちんと拾ってくる。まだ若いはずなのに、妙に場慣れしていた。
兄たちまで加われば、あの家の娘はずいぶん守られているのだろう。
守られすぎている、とヘレンは思った。
少しくらい婚約者の側の事情に目をつぶることは、家と家が結ばれる上では珍しくもない。
身内に厄介ごとのひとつやふたつ、どこの家にもある。
そこをいちいち潔癖に切り分けていたら、穏当に進む縁談のほうが少ないくらいだ。
なのにアシュフォード家は、まるで娘の心を傷つけたことがこの世でいちばん重大なことのように扱っている。
そこまで考えた時、ヘレンは自分の考えが少し苛立っているのに気づいた。
違う。重大ではない、とまでは思っていない。
娘が不快な思いをしたのは事実だろう。だが、それは家同士の話を壊してまで引きずるほどのことではないはずだ。
少なくとも、ヘレンの感覚ではそうだった。
馬車が角を曲がり、揺れが少し強くなる。
ヘレンは窓の外を見ながら、ここ数年のことを思い返した。
エミリーをグランヴィル家で預かるようになったのは、本家筋の意向もあってのことだった。
あちらの家は表向きには穏やかでも、内実はなかなか厄介だ。
とくにエミリーは、落ち着きがない。欲しいと思ったものにはすぐ手を伸ばし、人前での愛想は相手によって変わる。
本人は少しも悪気なく振る舞っているらしいから、なおさら始末が悪い。兄の縁談に差し支える。
本家は波を立てたくない。ならば分家筋のこちらでしばらく預かって、落ち着かせたことにしたほうが丸い。
そういうことだ。
ヘレンにしても、その判断自体が不合理だとは思っていなかった。
本家との関係を保つのは大切だし、ひとり娘を抱えて困っている親族に手を貸すのも、一族の務めといえば務めだ。
ただ、リチャードがあそこまでエミリーへ引きずられるのは、少し想定外だった。
もっとも、それをいちいち息子へ細かく聞かせる必要はない、とヘレンは思っていた。
兄の縁談に差し支えるだの、実家で持て余しているだの、そんな話を若い未婚の息子に聞かせたところで、品がないだけだ。
エミリーは事情があってこちらにいる、少し不安定だから気を配ってやりなさい――それで十分だと思っていた。
アシュフォード家の屋敷を辞したあと、馬車の中でヘレン・グランヴィルはしばらく黙っていた。
窓の外では、曇り空の下を石畳が滑るように後ろへ流れていく。
揺れは穏やかだったが、気分は少しも穏やかではなかった。
まったく、と思う。
あの程度のことで、どうしてここまで話がこじれるのだろう。
リチャードに配慮が足りなかったことは認める。あの子は昔から、目の前で弱っている相手を見ると、ほかが見えなくなるところがある。
たった一人の息子で、気立ても悪くなく、情にもろい。
長所と短所は裏表だ。母親として、そこを知らないわけではない。
だからこそ、今回も少し時間を置いて、きちんと順を追って話せば済むと思っていた。
イブリン・アシュフォードは聡明な娘だと聞いていたし、実際そう見えていた。
感情のままに騒ぐ娘ではない。家の事情も、婚約の重みも、それなりに分かっているはずだった。
――なのに。
ヘレンは膝の上の手袋へ視線を落とした。
今日のイブリンは、礼を失したわけではない。口調も穏やかだった。
けれど、あの静かな拒み方がいちばん厄介だった。
泣いたり、怒ったり、意地を張ったりしている娘なら、なだめようもある。こちらが一段高いところから包むように話して、機嫌を直させることもできる。
けれど、あれは違った。
もう決めている時の顔だった。
しかも、自分が理にかなっていると知っている顔だった。
そこまで考えて、ヘレンは小さく息をつく。
アシュフォード夫人も厄介だった。
物柔らかな顔で座っていながら、ひと言ひと言がこちらの逃げ道を塞いでくる。
娘を守ることを、少しもためらわない顔をしていた。
ああいう母親が後ろについているなら、イブリンが思いのほか強情になるのも分からないではない。
それに、姉のキャサリン。
あの娘もまた、笑いもせず、けれど無礼にもならず、こちらの言葉の綻びだけをきちんと拾ってくる。まだ若いはずなのに、妙に場慣れしていた。
兄たちまで加われば、あの家の娘はずいぶん守られているのだろう。
守られすぎている、とヘレンは思った。
少しくらい婚約者の側の事情に目をつぶることは、家と家が結ばれる上では珍しくもない。
身内に厄介ごとのひとつやふたつ、どこの家にもある。
そこをいちいち潔癖に切り分けていたら、穏当に進む縁談のほうが少ないくらいだ。
なのにアシュフォード家は、まるで娘の心を傷つけたことがこの世でいちばん重大なことのように扱っている。
そこまで考えた時、ヘレンは自分の考えが少し苛立っているのに気づいた。
違う。重大ではない、とまでは思っていない。
娘が不快な思いをしたのは事実だろう。だが、それは家同士の話を壊してまで引きずるほどのことではないはずだ。
少なくとも、ヘレンの感覚ではそうだった。
馬車が角を曲がり、揺れが少し強くなる。
ヘレンは窓の外を見ながら、ここ数年のことを思い返した。
エミリーをグランヴィル家で預かるようになったのは、本家筋の意向もあってのことだった。
あちらの家は表向きには穏やかでも、内実はなかなか厄介だ。
とくにエミリーは、落ち着きがない。欲しいと思ったものにはすぐ手を伸ばし、人前での愛想は相手によって変わる。
本人は少しも悪気なく振る舞っているらしいから、なおさら始末が悪い。兄の縁談に差し支える。
本家は波を立てたくない。ならば分家筋のこちらでしばらく預かって、落ち着かせたことにしたほうが丸い。
そういうことだ。
ヘレンにしても、その判断自体が不合理だとは思っていなかった。
本家との関係を保つのは大切だし、ひとり娘を抱えて困っている親族に手を貸すのも、一族の務めといえば務めだ。
ただ、リチャードがあそこまでエミリーへ引きずられるのは、少し想定外だった。
もっとも、それをいちいち息子へ細かく聞かせる必要はない、とヘレンは思っていた。
兄の縁談に差し支えるだの、実家で持て余しているだの、そんな話を若い未婚の息子に聞かせたところで、品がないだけだ。
エミリーは事情があってこちらにいる、少し不安定だから気を配ってやりなさい――それで十分だと思っていた。
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