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第35話:労働改造と聖女のマーケティング
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王城の地下深くに、かつては政治犯を収容していた独房があります。
湿気とカビの臭いが充満するその場所に、かつての王太子と婚約者の姿がありました。
*
(※ヘリオス視点)
「……寒い。腹が減った」
僕は固い石の床で、膝を抱えて震えていた。
着ているのは、粗末な麻の囚人服。
あの華やかなタキシードは剥ぎ取られ、食事は一日一回の薄いスープと黒パンだけ。
「ねえ、ヘリオス様ぁ。なんとかしてくださいよぉ」
隣の鉄格子の向こうから、リリィの恨めしげな声が聞こえる。
彼女もまた、化粧を落とされ、髪はボサボサ。
かつての王都の華の面影はない。
「うるさい! 僕だってどうしようもないんだ!」
「貴方のせいでしょ! あの時、変な家賃なんか払わなければ!」
「お前が詐欺なんか働くからだ!」
罵り合いも、もう疲れ果てた。
ここから出られる日は来るのか。
いや、一生ここで腐っていくのか。
その時、廊下の奥から足音が響いてきた。
現れたのは、仕立ての良いスーツを着たエリーゼと、冷徹な目のルーカス叔父上だった。
「ごきげんよう。……とは言えない環境ですわね」
エリーゼがハンカチで鼻を押さえながら、鉄格子越しに僕たちを見下ろした。
「エリーゼ! 頼む、出してくれ! 僕が悪かった! 改心するから!」
「いやよ、こんなところ! 私、ドレスが着たいの!」
僕たちは鉄格子にしがみついた。
エリーゼは無表情のまま、手帳を開いた。
「出たいのであれば、チャンスを差し上げます。お二人には、その身一つで罪を償っていただきます」
「つ、償う? 何をすればいいんだ?」
「労働です。貴方たちという不良資産を、収益を生む資産へと再生させます」
連れて行かれたのは、城の地下にある古い工房だった。
そこには、巨大で重厚な、鉄製のプレス機が置かれていた。
「ヘリオス殿下。貴方の仕事はこれです」
エリーゼが機械を指差した。
「これは造幣機です。貴方が徳政令で紙屑にした信用を取り戻すため、新政府は新しい硬貨を発行します。貴方には、その硬貨を一枚一枚、手動でプレスしていただきます」
「こ、硬貨を作る?」
「はい。貴方はお金を使うことしか知りませんでしたが、これからはお金を作る苦労を知ってください」
彼女はプレスのハンドルを回してみせた。
重い音がする。
かなりの筋力が必要だ。
「ノルマは一日千枚。達成できなければ食事は抜きです。品質チェックは厳しく行います。ズレた硬貨は給料から天引きします」
「そ、そんな……、一日千枚なんて無理だ!」
「できますよ。貴方が無駄に使った金貨の枚数に比べれば、微々たるものです」
エリーゼは冷たく言い放った。
「貴方が汗水垂らして作った金貨が、市場に出回り、経済を回す。皮肉ですが、貴方が国民の役に立てる唯一の方法です」
僕は呆然とプレス機を見つめた。
この重い鉄の塊と、一生付き合っていくのか。
金貨一枚の重みが、これほど重いとは知らなかった……。
「さて、次はリリィ様ですね」
エリーゼは、リリィを別の部屋へ連れて行った。
そこには、カメラのような魔導具と、鏡台が置かれていた。
「わ、私には何をさせる気!? 力仕事なんて無理よ!」
リリィが怯えて叫ぶ。
「ええ、貴女に労働生産性は期待していません。貴女の価値は、その知名度と演技力にあります」
エリーゼが差し出したのは、質素だが清楚な、白い修道女のようなワンピースだった。
「リリィ様。貴女には今日から、悔い改めた悲劇の聖女としてデビューしていただきます」
「デ、デビュー?」
「はい。貴女は騙されて詐欺に加担してしまった。しかし今は深く反省し、国民のために祈りを捧げている――という設定です」
エリーゼは壁に貼られたポスター案を見せた。
涙を流すリリィの写真に、『国債を買って、国を救おう』というキャッチコピーが書かれている。
「貴女には、全国の孤児院や病院を慰問し、新政府が発行する復興国債の購入を呼びかけるキャンペーンガールになっていただきます。得意でしょう? かわいそうな自分を演じて、人の同情を引くのは」
「……っ!」
リリィは唇を噛んだが、すぐに計算高い目になった。
「……それで? それをやれば、ここから出られるの?」
「ええ。仕事中は綺麗な服が着られますし、美味しいお菓子も差し入れされるでしょう。もちろん、売上が達成できれば、ですが」
「やりますわ!」
リリィは即答した。
「私、絶対に売ってみせます! 涙の一粒や二粒、いくらでも流してあげるわ!」
*
地下から戻った私は、執務室でルーカス閣下とコーヒーを飲んでいました。
「……恐ろしいな、君は」
閣下が苦笑します。
「元王太子に金を造らせ、元詐欺師に国債を売らせるとは」
「適材適所ですわ」
私は新しく鋳造されたばかりの、ヘリオス殿下がプレスした第一号の硬貨を指で弾きました。
「リリィ様のハロー効果は馬鹿にできません。彼女が悪女であればあるほど、あの悪女が改心したというストーリーは民衆の心を打ちます。感情に訴えるマーケティングにおいて、彼女以上の逸材はいません」
それに、ヘリオス殿下のプレス作業も、単なる罰ではありません。
王族が自らの手で貨幣を作ることで、通貨の信用を物理的にも精神的にも担保するのです。
「罪すらも資源として活用する。……エコでしょう?」
「ああ。君には一生逆らわないと決めたよ」
ルーカス閣下が肩をすくめました。
こうして、新政府の地下では二つのエンジンが回り始めました。
一つは物理的な通貨供給。
もう一つは心理的な資金調達。
さて、資金の目処は立ちました。
次はいよいよ、死にかけている国内産業へのテコ入れ――本格的なニューディール政策の発動です。
湿気とカビの臭いが充満するその場所に、かつての王太子と婚約者の姿がありました。
*
(※ヘリオス視点)
「……寒い。腹が減った」
僕は固い石の床で、膝を抱えて震えていた。
着ているのは、粗末な麻の囚人服。
あの華やかなタキシードは剥ぎ取られ、食事は一日一回の薄いスープと黒パンだけ。
「ねえ、ヘリオス様ぁ。なんとかしてくださいよぉ」
隣の鉄格子の向こうから、リリィの恨めしげな声が聞こえる。
彼女もまた、化粧を落とされ、髪はボサボサ。
かつての王都の華の面影はない。
「うるさい! 僕だってどうしようもないんだ!」
「貴方のせいでしょ! あの時、変な家賃なんか払わなければ!」
「お前が詐欺なんか働くからだ!」
罵り合いも、もう疲れ果てた。
ここから出られる日は来るのか。
いや、一生ここで腐っていくのか。
その時、廊下の奥から足音が響いてきた。
現れたのは、仕立ての良いスーツを着たエリーゼと、冷徹な目のルーカス叔父上だった。
「ごきげんよう。……とは言えない環境ですわね」
エリーゼがハンカチで鼻を押さえながら、鉄格子越しに僕たちを見下ろした。
「エリーゼ! 頼む、出してくれ! 僕が悪かった! 改心するから!」
「いやよ、こんなところ! 私、ドレスが着たいの!」
僕たちは鉄格子にしがみついた。
エリーゼは無表情のまま、手帳を開いた。
「出たいのであれば、チャンスを差し上げます。お二人には、その身一つで罪を償っていただきます」
「つ、償う? 何をすればいいんだ?」
「労働です。貴方たちという不良資産を、収益を生む資産へと再生させます」
連れて行かれたのは、城の地下にある古い工房だった。
そこには、巨大で重厚な、鉄製のプレス機が置かれていた。
「ヘリオス殿下。貴方の仕事はこれです」
エリーゼが機械を指差した。
「これは造幣機です。貴方が徳政令で紙屑にした信用を取り戻すため、新政府は新しい硬貨を発行します。貴方には、その硬貨を一枚一枚、手動でプレスしていただきます」
「こ、硬貨を作る?」
「はい。貴方はお金を使うことしか知りませんでしたが、これからはお金を作る苦労を知ってください」
彼女はプレスのハンドルを回してみせた。
重い音がする。
かなりの筋力が必要だ。
「ノルマは一日千枚。達成できなければ食事は抜きです。品質チェックは厳しく行います。ズレた硬貨は給料から天引きします」
「そ、そんな……、一日千枚なんて無理だ!」
「できますよ。貴方が無駄に使った金貨の枚数に比べれば、微々たるものです」
エリーゼは冷たく言い放った。
「貴方が汗水垂らして作った金貨が、市場に出回り、経済を回す。皮肉ですが、貴方が国民の役に立てる唯一の方法です」
僕は呆然とプレス機を見つめた。
この重い鉄の塊と、一生付き合っていくのか。
金貨一枚の重みが、これほど重いとは知らなかった……。
「さて、次はリリィ様ですね」
エリーゼは、リリィを別の部屋へ連れて行った。
そこには、カメラのような魔導具と、鏡台が置かれていた。
「わ、私には何をさせる気!? 力仕事なんて無理よ!」
リリィが怯えて叫ぶ。
「ええ、貴女に労働生産性は期待していません。貴女の価値は、その知名度と演技力にあります」
エリーゼが差し出したのは、質素だが清楚な、白い修道女のようなワンピースだった。
「リリィ様。貴女には今日から、悔い改めた悲劇の聖女としてデビューしていただきます」
「デ、デビュー?」
「はい。貴女は騙されて詐欺に加担してしまった。しかし今は深く反省し、国民のために祈りを捧げている――という設定です」
エリーゼは壁に貼られたポスター案を見せた。
涙を流すリリィの写真に、『国債を買って、国を救おう』というキャッチコピーが書かれている。
「貴女には、全国の孤児院や病院を慰問し、新政府が発行する復興国債の購入を呼びかけるキャンペーンガールになっていただきます。得意でしょう? かわいそうな自分を演じて、人の同情を引くのは」
「……っ!」
リリィは唇を噛んだが、すぐに計算高い目になった。
「……それで? それをやれば、ここから出られるの?」
「ええ。仕事中は綺麗な服が着られますし、美味しいお菓子も差し入れされるでしょう。もちろん、売上が達成できれば、ですが」
「やりますわ!」
リリィは即答した。
「私、絶対に売ってみせます! 涙の一粒や二粒、いくらでも流してあげるわ!」
*
地下から戻った私は、執務室でルーカス閣下とコーヒーを飲んでいました。
「……恐ろしいな、君は」
閣下が苦笑します。
「元王太子に金を造らせ、元詐欺師に国債を売らせるとは」
「適材適所ですわ」
私は新しく鋳造されたばかりの、ヘリオス殿下がプレスした第一号の硬貨を指で弾きました。
「リリィ様のハロー効果は馬鹿にできません。彼女が悪女であればあるほど、あの悪女が改心したというストーリーは民衆の心を打ちます。感情に訴えるマーケティングにおいて、彼女以上の逸材はいません」
それに、ヘリオス殿下のプレス作業も、単なる罰ではありません。
王族が自らの手で貨幣を作ることで、通貨の信用を物理的にも精神的にも担保するのです。
「罪すらも資源として活用する。……エコでしょう?」
「ああ。君には一生逆らわないと決めたよ」
ルーカス閣下が肩をすくめました。
こうして、新政府の地下では二つのエンジンが回り始めました。
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