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第14話:プロポーズ
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ヴォルフラム辺境伯領に戻った夜、領主館ではささやかな祝宴が開かれていた。
王都での騒動の解決と、ルチアの帰還を祝う宴だ。
広間には、ルチアが開発した圧力鍋で煮込まれた料理や、缶詰を使った彩り豊かな前菜が並び、使用人や家臣たちが笑顔でグラスを傾けている。
その喧騒を少し離れ、ルチアは一人、館のバルコニーに出ていた。
北の夜空は高く、澄んでいる。
凍てつくような冷気の中で、満天の星が宝石箱をひっくり返したように輝いていた。
「……綺麗な結晶構造ですね」
ルチアは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、星空を見上げた。
彼女の目には、星の並びが金属の結晶格子の配列のように見えていた。
規則正しく、静謐で、永遠に変わらない美しさ。
「風邪を引くぞ」
背後から、毛皮のコートが肩にかけられた。
振り返ると、レオンハルトが立っていた。
手には二つのグラスを持っている。
湯気が立っているところを見ると、ホットワインのようだ。
「ありがとうございます、閣下」
「皆、お前を探していたぞ。主役がいなくなっては締まらん」
「ふふ、主役だなんて。私はただの裏方です」
「国を揺るがし、国王に頭を下げさせた裏方がいてたまるか」
レオンハルトは苦笑し、隣に並んで手すりに寄りかかった。
彼から手渡されたグラスを受け取る。
温かいワインには、シナモンとスターアニスの香りが溶け込んでいた。
一口飲むと、甘みとスパイスが体温を上げてくれる。
「……戻ってきて、よかったのでしょうか」
ルチアはぽつりと零した。
「王宮に残れば、国の筆頭技術長官でした。名誉も、富も、研究設備も思いのまま。普通なら、そちらを選ぶのが合理的です」
「ああ。計算高いお前なら、そうするべきだったな」
「ですが……、計算が合わないのです」
ルチアはグラスの中の赤い液体を見つめた。
「どれだけ条件を並べても、貴方がいない未来をシミュレーションすると、私の心拍数が低下し、ドーパミンの分泌量が激減するのです。どうしても機能不全を起こしてしまうのです」
「……ほう」
「だから、私は非合理を選びました。この辺境で、貴方にこき使われる道を選びました」
ルチアが顔を上げて微笑むと、レオンハルトは気まずそうに視線を逸らし、ワインを煽った。
耳が少し赤いのは、寒さのせいではないだろう。
二人の間に、心地よい沈黙が流れる。
星明かりの下、レオンハルトの横顔を見つめながら、ルチアは決意を固めた。
王都での決別を経て、自分の中で明確になった感情がある。
それを、きちんと言語化しなければならない。
「……閣下。金属の話をしても?」
「いつものことだ。聞こう」
ルチアは空に向かって手を伸ばし、星を掴むような仕草をした。
「私と貴方は、本来混ざり合わない金属同士かもしれません。私は融通の利かない堅物のタングステンで、貴方は激しく燃え上がるマグネシウムのような……」
「随分と扱いにくい組み合わせだな」
「ええ。普通に混ぜれば分離するか、爆発します。……ですが」
ルチアは言葉を切った。
そして、勇気を振り絞ってレオンハルトの手の甲に、自分の手を重ねた。
「適切な温度管理と、信頼という触媒があれば……、私たちは、単独では決して出し得ない強度と靭性を持つ、最強の合金になれます」
それは、彼女なりの精一杯の愛の告白だった。
好きという曖昧な言葉ではなく、貴方と混ざり合い、新しい物質になりたいという、不可逆的な変化への渇望。
レオンハルトは、重ねられたルチアの手を、大きな掌で反転させて包み込んだ。
その手は熱く、力強かった。
「……ああ、そうだな」
彼はルチアを真っ直ぐに見下ろした。
その瞳には、星よりも強い光が宿っていた。
「俺からも、話をしていいか」
「はい」
「俺の人生は、ずっと栄養摂取のための作業だった。生きるために食い、強くなるために食う。そこに味や彩りは必要なかった」
レオンハルトは、ルチアの指を一本一本、確かめるように握りしめた。
「だが、お前が来てから変わった。お前というスパイスがない人生なんぞ、もはや味のしないガムだ」
「味のしない……、ガム、ですか」
「ああ。噛んでも噛んでも何も感じない。ただ顎が疲れるだけの苦行だ。……俺はもう、食卓で向かい側に座っているのは、君でなければ満足できなくなった」
レオンハルトは、ルチアを引き寄せ、その額に自分の額をコツンと合わせた。
至近距離で、互いの吐息が混じり合う。
「ルチア・フォン・アイゼン。俺の残りの人生の、全ての食事に付き合え。……これは命令ではなく、懇願だ」
それは、どんな詩的な言葉よりも、ルチアの胸に響くプロポーズだった。
生活を共にするということ。
命を分かち合うということ。
地に足のついた、揺るがない約束。
「……謹んで、お受けいたします」
ルチアの目から、一筋の涙がこぼれた。
レオンハルトは優しくその涙を親指で拭うと、今度は額ではなく、唇に口づけを落とした。
ワインの甘い味と、少しのスパイス。
そして、何よりも温かい体温の味がした。
夜空の下、二人の影が一つに重なる。
かつて不純物として捨てられた令嬢と、周りから恐れられた辺境伯。
不器用な二人が混ざり合い、世界で最も強固で、温かい合金が誕生した瞬間だった。
「……さて、戻るか。冷えてきた」
「はい。……あの、閣下」
「レオンでいい。……二人きりの時はな」
「! ……はい、レオン様」
ルチアが赤くなりながら名前を呼ぶと、レオンハルトは満足げに笑った。
繋いだ手は、館の中に戻るまで、一度も離れることはなかった。
王都での騒動の解決と、ルチアの帰還を祝う宴だ。
広間には、ルチアが開発した圧力鍋で煮込まれた料理や、缶詰を使った彩り豊かな前菜が並び、使用人や家臣たちが笑顔でグラスを傾けている。
その喧騒を少し離れ、ルチアは一人、館のバルコニーに出ていた。
北の夜空は高く、澄んでいる。
凍てつくような冷気の中で、満天の星が宝石箱をひっくり返したように輝いていた。
「……綺麗な結晶構造ですね」
ルチアは眼鏡のブリッジを指で押し上げ、星空を見上げた。
彼女の目には、星の並びが金属の結晶格子の配列のように見えていた。
規則正しく、静謐で、永遠に変わらない美しさ。
「風邪を引くぞ」
背後から、毛皮のコートが肩にかけられた。
振り返ると、レオンハルトが立っていた。
手には二つのグラスを持っている。
湯気が立っているところを見ると、ホットワインのようだ。
「ありがとうございます、閣下」
「皆、お前を探していたぞ。主役がいなくなっては締まらん」
「ふふ、主役だなんて。私はただの裏方です」
「国を揺るがし、国王に頭を下げさせた裏方がいてたまるか」
レオンハルトは苦笑し、隣に並んで手すりに寄りかかった。
彼から手渡されたグラスを受け取る。
温かいワインには、シナモンとスターアニスの香りが溶け込んでいた。
一口飲むと、甘みとスパイスが体温を上げてくれる。
「……戻ってきて、よかったのでしょうか」
ルチアはぽつりと零した。
「王宮に残れば、国の筆頭技術長官でした。名誉も、富も、研究設備も思いのまま。普通なら、そちらを選ぶのが合理的です」
「ああ。計算高いお前なら、そうするべきだったな」
「ですが……、計算が合わないのです」
ルチアはグラスの中の赤い液体を見つめた。
「どれだけ条件を並べても、貴方がいない未来をシミュレーションすると、私の心拍数が低下し、ドーパミンの分泌量が激減するのです。どうしても機能不全を起こしてしまうのです」
「……ほう」
「だから、私は非合理を選びました。この辺境で、貴方にこき使われる道を選びました」
ルチアが顔を上げて微笑むと、レオンハルトは気まずそうに視線を逸らし、ワインを煽った。
耳が少し赤いのは、寒さのせいではないだろう。
二人の間に、心地よい沈黙が流れる。
星明かりの下、レオンハルトの横顔を見つめながら、ルチアは決意を固めた。
王都での決別を経て、自分の中で明確になった感情がある。
それを、きちんと言語化しなければならない。
「……閣下。金属の話をしても?」
「いつものことだ。聞こう」
ルチアは空に向かって手を伸ばし、星を掴むような仕草をした。
「私と貴方は、本来混ざり合わない金属同士かもしれません。私は融通の利かない堅物のタングステンで、貴方は激しく燃え上がるマグネシウムのような……」
「随分と扱いにくい組み合わせだな」
「ええ。普通に混ぜれば分離するか、爆発します。……ですが」
ルチアは言葉を切った。
そして、勇気を振り絞ってレオンハルトの手の甲に、自分の手を重ねた。
「適切な温度管理と、信頼という触媒があれば……、私たちは、単独では決して出し得ない強度と靭性を持つ、最強の合金になれます」
それは、彼女なりの精一杯の愛の告白だった。
好きという曖昧な言葉ではなく、貴方と混ざり合い、新しい物質になりたいという、不可逆的な変化への渇望。
レオンハルトは、重ねられたルチアの手を、大きな掌で反転させて包み込んだ。
その手は熱く、力強かった。
「……ああ、そうだな」
彼はルチアを真っ直ぐに見下ろした。
その瞳には、星よりも強い光が宿っていた。
「俺からも、話をしていいか」
「はい」
「俺の人生は、ずっと栄養摂取のための作業だった。生きるために食い、強くなるために食う。そこに味や彩りは必要なかった」
レオンハルトは、ルチアの指を一本一本、確かめるように握りしめた。
「だが、お前が来てから変わった。お前というスパイスがない人生なんぞ、もはや味のしないガムだ」
「味のしない……、ガム、ですか」
「ああ。噛んでも噛んでも何も感じない。ただ顎が疲れるだけの苦行だ。……俺はもう、食卓で向かい側に座っているのは、君でなければ満足できなくなった」
レオンハルトは、ルチアを引き寄せ、その額に自分の額をコツンと合わせた。
至近距離で、互いの吐息が混じり合う。
「ルチア・フォン・アイゼン。俺の残りの人生の、全ての食事に付き合え。……これは命令ではなく、懇願だ」
それは、どんな詩的な言葉よりも、ルチアの胸に響くプロポーズだった。
生活を共にするということ。
命を分かち合うということ。
地に足のついた、揺るがない約束。
「……謹んで、お受けいたします」
ルチアの目から、一筋の涙がこぼれた。
レオンハルトは優しくその涙を親指で拭うと、今度は額ではなく、唇に口づけを落とした。
ワインの甘い味と、少しのスパイス。
そして、何よりも温かい体温の味がした。
夜空の下、二人の影が一つに重なる。
かつて不純物として捨てられた令嬢と、周りから恐れられた辺境伯。
不器用な二人が混ざり合い、世界で最も強固で、温かい合金が誕生した瞬間だった。
「……さて、戻るか。冷えてきた」
「はい。……あの、閣下」
「レオンでいい。……二人きりの時はな」
「! ……はい、レオン様」
ルチアが赤くなりながら名前を呼ぶと、レオンハルトは満足げに笑った。
繋いだ手は、館の中に戻るまで、一度も離れることはなかった。
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