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第3話:泥だらけの共同作業
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ギュンター氏の膝痛と、兵士たちの味覚を改革してから数日。
私はベルンハルト様に連れられ、領地の視察に出ていました。
「……酷いな」
馬上でベルンハルト様が呻くのも無理はありません。
目の前に広がる農地は、まさに惨状と呼ぶにふさわしいものでした。
じっとりと湿った空気。
耳元でブンブンと鳴り響く不快な羽音。
農作業をする領民たちは、顔を覆うネットを被り、絶えず手で空を切っています。
「湿地帯が近いせいで、夏場は吸血性の蚊やブヨが大量発生するんだ。そのせいで作業効率は下がるし、感染症も出る。おまけに……」
ベルンハルト様が畑の一角を指差しました。
そこには、作物の成長を阻害するように、背の高いイネ科の雑草が鬱蒼と生い茂っています。
「この剛毛草だ。抜いても抜いても生えてくる上に、根が深くて耕作の邪魔になる。焼こうにも水分が多くて煙が出るだけだ。まさに厄介者の雑草だよ」
害虫と雑草。
農地経営における二大ストレス要因です。
領民たちの疲弊した顔を見て、私は眼鏡のブリッジをくいと上げました。
「閣下。馬を降りても?」
「おい、ぬかるんでるぞ。ドレスが汚れる」
「構いません」
私は制止を聞かず、地面に降りました。
そして、その厄介者扱いされている剛毛草に歩み寄り、引き抜こうと……、しましたが、ビクともしません。
仕方なくスコップを借りて根元を掘り返すと、太く複雑に絡み合った根が現れました。
土を払い、その根の匂いを嗅ぎます。
(……土の香り、ウッディでスモーキーな深み。これは……)
私はベルンハルト様に向かって、その薄汚れた根を掲げました。
「閣下。これはベチバー。最高級の香料の原料ですわ」
「は? 香料?」
「ええ。この根から抽出されるオイルは香水の保留剤、つまりベースノートとして極めて優秀です。王都ではこのオイル一瓶で、金貨数枚は下りません」
「き、金貨……!?」
周囲の農民たちが、持っていた鍬を取り落としました。
「それに、この深い根は土壌流出を防ぐ役割も果たします。……ですが、今はそれよりも」
私は空中で手を叩き、私の周りを飛び回る蚊を圧殺しました。
「この害虫対策が先決ですわね。閣下、農地周辺にシトロネラとレモングラスの植樹を提案します。これらの植物に含まれるシトラールやシトロネラールは、昆虫が嫌う忌避成分を放散します。言わば、天然の結界を作るのです」
私の提案に、ベルンハルト様は腕を組み、鋭い眼光で畑を見渡しました。
そして、次の瞬間にはマントを脱ぎ捨て、腕まくりをしていました。
「……理論は分かった。だが、人手が足りん。俺もやる」
「閣下がですか?」
「俺はこの土地の領主だ。領民が困っているなら、泥を被るのは俺の仕事だ」
そう言うや否や、ベルンハルト様は鍬を振るい始めました。
この方はぶっきらぼうですが、行動で示す人です。
口先だけで真実の愛を語っていた誰かとは大違いです。
「では、私もお手伝いします」
「お前は下がってろ! その細腕で何ができる」
「指示出しが必要です。植える間隔と土壌のpH調整は私が管理します」
私もスカートの裾をまくり上げ、泥の中に足を踏み入れました。
そして、時が流れたある日。
その効果は劇的でした。
畑の周囲を取り囲むように植えられたシトロネラとレモングラスが、風に乗って爽やかな柑橘系の香りを運びます。
その香りを嫌った蚊やブヨは姿を消し、農地には平穏が戻っていました。
さらに、今まで邪魔な雑草として捨てられていたベチバーの根は、私が蒸留器で抽出を行い、琥珀色の濃厚なオイルへと変貌を遂げました。
「……これが、あの雑草か?」
小瓶に入ったオイルを光にかざし、ベルンハルト様が呟きます。
「ええ。雑草という名の植物はありません。ただ、人間がその価値を知らなかっただけ。……適切な場所に植え替え、正しく扱えば、どんな草も黄金に変わるのです」
そう説明しながら、私はふと、自分自身のことのように感じていました。
王都では「無臭でつまらない」「可愛げがない」と切り捨てられた私。
けれど、この場所では――。
「……そうだな。お前の言う通りだ」
ベルンハルト様は私をまっすぐに見つめました。
その金色の瞳には、私の姿がはっきりと映っていました。
「お前を拾って本当によかった」
その言葉は、私の胸を満たしました。
心拍数が上昇し、顔の表面温度が急激に上がるのを感知します。
これは恐らく、労働後の代謝亢進によるものでしょう。
……ええ、きっとそうです。
「……評価に感謝します。では、次はあの荒れ地を薬草園に改造しますので、予算の承認をお願いしますね」
私は照れ隠しに眼鏡を押し上げ、次なる計画を彼に突きつけました。
私はベルンハルト様に連れられ、領地の視察に出ていました。
「……酷いな」
馬上でベルンハルト様が呻くのも無理はありません。
目の前に広がる農地は、まさに惨状と呼ぶにふさわしいものでした。
じっとりと湿った空気。
耳元でブンブンと鳴り響く不快な羽音。
農作業をする領民たちは、顔を覆うネットを被り、絶えず手で空を切っています。
「湿地帯が近いせいで、夏場は吸血性の蚊やブヨが大量発生するんだ。そのせいで作業効率は下がるし、感染症も出る。おまけに……」
ベルンハルト様が畑の一角を指差しました。
そこには、作物の成長を阻害するように、背の高いイネ科の雑草が鬱蒼と生い茂っています。
「この剛毛草だ。抜いても抜いても生えてくる上に、根が深くて耕作の邪魔になる。焼こうにも水分が多くて煙が出るだけだ。まさに厄介者の雑草だよ」
害虫と雑草。
農地経営における二大ストレス要因です。
領民たちの疲弊した顔を見て、私は眼鏡のブリッジをくいと上げました。
「閣下。馬を降りても?」
「おい、ぬかるんでるぞ。ドレスが汚れる」
「構いません」
私は制止を聞かず、地面に降りました。
そして、その厄介者扱いされている剛毛草に歩み寄り、引き抜こうと……、しましたが、ビクともしません。
仕方なくスコップを借りて根元を掘り返すと、太く複雑に絡み合った根が現れました。
土を払い、その根の匂いを嗅ぎます。
(……土の香り、ウッディでスモーキーな深み。これは……)
私はベルンハルト様に向かって、その薄汚れた根を掲げました。
「閣下。これはベチバー。最高級の香料の原料ですわ」
「は? 香料?」
「ええ。この根から抽出されるオイルは香水の保留剤、つまりベースノートとして極めて優秀です。王都ではこのオイル一瓶で、金貨数枚は下りません」
「き、金貨……!?」
周囲の農民たちが、持っていた鍬を取り落としました。
「それに、この深い根は土壌流出を防ぐ役割も果たします。……ですが、今はそれよりも」
私は空中で手を叩き、私の周りを飛び回る蚊を圧殺しました。
「この害虫対策が先決ですわね。閣下、農地周辺にシトロネラとレモングラスの植樹を提案します。これらの植物に含まれるシトラールやシトロネラールは、昆虫が嫌う忌避成分を放散します。言わば、天然の結界を作るのです」
私の提案に、ベルンハルト様は腕を組み、鋭い眼光で畑を見渡しました。
そして、次の瞬間にはマントを脱ぎ捨て、腕まくりをしていました。
「……理論は分かった。だが、人手が足りん。俺もやる」
「閣下がですか?」
「俺はこの土地の領主だ。領民が困っているなら、泥を被るのは俺の仕事だ」
そう言うや否や、ベルンハルト様は鍬を振るい始めました。
この方はぶっきらぼうですが、行動で示す人です。
口先だけで真実の愛を語っていた誰かとは大違いです。
「では、私もお手伝いします」
「お前は下がってろ! その細腕で何ができる」
「指示出しが必要です。植える間隔と土壌のpH調整は私が管理します」
私もスカートの裾をまくり上げ、泥の中に足を踏み入れました。
そして、時が流れたある日。
その効果は劇的でした。
畑の周囲を取り囲むように植えられたシトロネラとレモングラスが、風に乗って爽やかな柑橘系の香りを運びます。
その香りを嫌った蚊やブヨは姿を消し、農地には平穏が戻っていました。
さらに、今まで邪魔な雑草として捨てられていたベチバーの根は、私が蒸留器で抽出を行い、琥珀色の濃厚なオイルへと変貌を遂げました。
「……これが、あの雑草か?」
小瓶に入ったオイルを光にかざし、ベルンハルト様が呟きます。
「ええ。雑草という名の植物はありません。ただ、人間がその価値を知らなかっただけ。……適切な場所に植え替え、正しく扱えば、どんな草も黄金に変わるのです」
そう説明しながら、私はふと、自分自身のことのように感じていました。
王都では「無臭でつまらない」「可愛げがない」と切り捨てられた私。
けれど、この場所では――。
「……そうだな。お前の言う通りだ」
ベルンハルト様は私をまっすぐに見つめました。
その金色の瞳には、私の姿がはっきりと映っていました。
「お前を拾って本当によかった」
その言葉は、私の胸を満たしました。
心拍数が上昇し、顔の表面温度が急激に上がるのを感知します。
これは恐らく、労働後の代謝亢進によるものでしょう。
……ええ、きっとそうです。
「……評価に感謝します。では、次はあの荒れ地を薬草園に改造しますので、予算の承認をお願いしますね」
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