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第11話:その瞳には何も映らない
「……ええ、皆様のおっしゃる通りですわ」
アデライドの声は、会場の隅々まで澄み渡った。
「ソフィアの豊かな感性がなければ、この色は生まれなかったでしょう。私はただ、手を動かしたに過ぎません。妹の才能を、姉として誇りに思います」
ソフィアがぱっと顔を輝かせ、エリアスが安堵の息をつくのが分かった。
父も満足げだ。
アデライドは、自らの手で自分の功績をゴミ箱に放り込んだ。
だが、それは敗北ではない。
これは手切れ金だ。
この程度の嘘で満足するなら、くれてやる。
その代わり、もうあなたたちのために指一本動かさない。
「アデライド、やはり君は大人だね」
拍手の合間に、エリアスが耳元で囁いた。
「ソフィアもこれで自信を取り戻せるはずだ。君の優しさにはいつも感謝しているよ」
アデライドは夫の方を向き、にっこりと微笑んだ。
その瞳は、深海の底のように光を吸い込み、何も映していない。
「お褒めにあずかり光栄です、エリアス様。……私の役割は、これで終わりましたわね」
「ん? ああ、発表会は大成功だ。あとはソフィアに任せて、僕たちは少し休もうか」
エリアスは気づかない。
役割が終わったという言葉が、この発表会のことだけを指しているのではないことに。
アデライドの中で、妻としての、姉としての、娘としての役割が、今この瞬間に完全に終了したことに。
発表会が終わった後の控室。
ソフィアは上機嫌で、貴族たちから贈られた花束に囲まれていた。
「お姉様、ありがとう! やっぱりお姉様は私の最高のパートナーね!」
「……ええ、そうね。楽しんでいただけて何よりだわ」
アデライドは淡々と荷物をまとめていた。
開発データが入った手帳、顧客リスト、そして工房の鍵。
それらを鞄にしまい込む手つきは、事務的で素早い。
「アデライド、帰りはどうする? ソフィアを送ってから帰ろうと思うんだが」
エリアスが馬車の手配をしながら尋ねてきた。
アデライドは鞄を手に取り、首を横に振った。
「いいえ、私は少し工房に寄ってから帰ります。残務処理がありますので」
「そうか。遅くならないようにな」
「はい。……エリアス様、ソフィアをよろしくお願いいたしますね」
アデライドは深々と一礼した。
それは、主人に対する使用人のような、あるいは他人行儀なビジネスパートナーに対するような礼だった。
エリアスとソフィアが腕を組んで去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、アデライドは呟いた。
「さようなら。……私の、家族だった人たち」
彼女は控室を出て、裏口へと向かった。
そこには、既に執事のサイラスが待機していた。
「奥様、馬車の用意ができております」
「ありがとう、サイラス。……準備は?」
「万端です。新しい工房の契約書、すでに先方へ送付済みです。いつでもサインできます」
「ええ、行きましょう」
アデライドは夜の闇に紛れるように馬車に乗り込んだ。
夜明けの青の成功は、クライスト家とエリアスにとって、終わりの始まりとなるだろう。
なぜなら、その青色を出すための真の工程表は、アデライドの頭の中にしかないのだから。
ソフィアの感性だけで、あの色が再現できるものならやってみてほしい。
馬車が動き出す。
アデライドは窓の外を見なかった。
彼女の視線は、既に未来の自分――誰のためでもなく、自分のために生きる自分――に向けられていた。
アデライドの声は、会場の隅々まで澄み渡った。
「ソフィアの豊かな感性がなければ、この色は生まれなかったでしょう。私はただ、手を動かしたに過ぎません。妹の才能を、姉として誇りに思います」
ソフィアがぱっと顔を輝かせ、エリアスが安堵の息をつくのが分かった。
父も満足げだ。
アデライドは、自らの手で自分の功績をゴミ箱に放り込んだ。
だが、それは敗北ではない。
これは手切れ金だ。
この程度の嘘で満足するなら、くれてやる。
その代わり、もうあなたたちのために指一本動かさない。
「アデライド、やはり君は大人だね」
拍手の合間に、エリアスが耳元で囁いた。
「ソフィアもこれで自信を取り戻せるはずだ。君の優しさにはいつも感謝しているよ」
アデライドは夫の方を向き、にっこりと微笑んだ。
その瞳は、深海の底のように光を吸い込み、何も映していない。
「お褒めにあずかり光栄です、エリアス様。……私の役割は、これで終わりましたわね」
「ん? ああ、発表会は大成功だ。あとはソフィアに任せて、僕たちは少し休もうか」
エリアスは気づかない。
役割が終わったという言葉が、この発表会のことだけを指しているのではないことに。
アデライドの中で、妻としての、姉としての、娘としての役割が、今この瞬間に完全に終了したことに。
発表会が終わった後の控室。
ソフィアは上機嫌で、貴族たちから贈られた花束に囲まれていた。
「お姉様、ありがとう! やっぱりお姉様は私の最高のパートナーね!」
「……ええ、そうね。楽しんでいただけて何よりだわ」
アデライドは淡々と荷物をまとめていた。
開発データが入った手帳、顧客リスト、そして工房の鍵。
それらを鞄にしまい込む手つきは、事務的で素早い。
「アデライド、帰りはどうする? ソフィアを送ってから帰ろうと思うんだが」
エリアスが馬車の手配をしながら尋ねてきた。
アデライドは鞄を手に取り、首を横に振った。
「いいえ、私は少し工房に寄ってから帰ります。残務処理がありますので」
「そうか。遅くならないようにな」
「はい。……エリアス様、ソフィアをよろしくお願いいたしますね」
アデライドは深々と一礼した。
それは、主人に対する使用人のような、あるいは他人行儀なビジネスパートナーに対するような礼だった。
エリアスとソフィアが腕を組んで去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、アデライドは呟いた。
「さようなら。……私の、家族だった人たち」
彼女は控室を出て、裏口へと向かった。
そこには、既に執事のサイラスが待機していた。
「奥様、馬車の用意ができております」
「ありがとう、サイラス。……準備は?」
「万端です。新しい工房の契約書、すでに先方へ送付済みです。いつでもサインできます」
「ええ、行きましょう」
アデライドは夜の闇に紛れるように馬車に乗り込んだ。
夜明けの青の成功は、クライスト家とエリアスにとって、終わりの始まりとなるだろう。
なぜなら、その青色を出すための真の工程表は、アデライドの頭の中にしかないのだから。
ソフィアの感性だけで、あの色が再現できるものならやってみてほしい。
馬車が動き出す。
アデライドは窓の外を見なかった。
彼女の視線は、既に未来の自分――誰のためでもなく、自分のために生きる自分――に向けられていた。
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