「君は強いから一人でも平気だろう?」と妹を優先する夫。~陶器の心を持つ私の完璧な微笑みに、夫が凍りつくまで~

水上

文字の大きさ
11 / 38

第11話:その瞳には何も映らない

しおりを挟む
「……ええ、皆様のおっしゃる通りですわ」

 アデライドの声は、会場の隅々まで澄み渡った。

「ソフィアの豊かな感性がなければ、この色は生まれなかったでしょう。私はただ、手を動かしたに過ぎません。妹の才能を、姉として誇りに思います」

 ソフィアがぱっと顔を輝かせ、エリアスが安堵の息をつくのが分かった。
 父も満足げだ。

 アデライドは、自らの手で自分の功績をゴミ箱に放り込んだ。
 だが、それは敗北ではない。

 これは手切れ金だ。
 この程度の嘘で満足するなら、くれてやる。

 その代わり、もうあなたたちのために指一本動かさない。

「アデライド、やはり君は大人だね」

 拍手の合間に、エリアスが耳元で囁いた。

「ソフィアもこれで自信を取り戻せるはずだ。君の優しさにはいつも感謝しているよ」

 アデライドは夫の方を向き、にっこりと微笑んだ。
 その瞳は、深海の底のように光を吸い込み、何も映していない。

「お褒めにあずかり光栄です、エリアス様。……私の役割は、これで終わりましたわね」

「ん? ああ、発表会は大成功だ。あとはソフィアに任せて、僕たちは少し休もうか」

 エリアスは気づかない。
 役割が終わったという言葉が、この発表会のことだけを指しているのではないことに。

 アデライドの中で、妻としての、姉としての、娘としての役割が、今この瞬間に完全に終了したことに。

 発表会が終わった後の控室。
 ソフィアは上機嫌で、貴族たちから贈られた花束に囲まれていた。

「お姉様、ありがとう! やっぱりお姉様は私の最高のパートナーね!」

「……ええ、そうね。楽しんでいただけて何よりだわ」

 アデライドは淡々と荷物をまとめていた。
 開発データが入った手帳、顧客リスト、そして工房の鍵。

 それらを鞄にしまい込む手つきは、事務的で素早い。

「アデライド、帰りはどうする? ソフィアを送ってから帰ろうと思うんだが」

 エリアスが馬車の手配をしながら尋ねてきた。
 アデライドは鞄を手に取り、首を横に振った。

「いいえ、私は少し工房に寄ってから帰ります。残務処理がありますので」

「そうか。遅くならないようにな」

「はい。……エリアス様、ソフィアをよろしくお願いいたしますね」

 アデライドは深々と一礼した。

 それは、主人に対する使用人のような、あるいは他人行儀なビジネスパートナーに対するような礼だった。

 エリアスとソフィアが腕を組んで去っていく。
 その後ろ姿を見送りながら、アデライドは呟いた。

「さようなら。……私の、家族だった人たち」

 彼女は控室を出て、裏口へと向かった。
 そこには、既に執事のサイラスが待機していた。

「奥様、馬車の用意ができております」

「ありがとう、サイラス。……準備は?」

「万端です。新しい工房の契約書、すでに先方へ送付済みです。いつでもサインできます」

「ええ、行きましょう」

 アデライドは夜の闇に紛れるように馬車に乗り込んだ。
 夜明けの青の成功は、クライスト家とエリアスにとって、終わりの始まりとなるだろう。

 なぜなら、その青色を出すための真の工程表は、アデライドの頭の中にしかないのだから。
 ソフィアの感性だけで、あの色が再現できるものならやってみてほしい。

 馬車が動き出す。
 アデライドは窓の外を見なかった。

 彼女の視線は、既に未来の自分――誰のためでもなく、自分のために生きる自分――に向けられていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

白い結婚で結構ですわ。殿下より、私の自由のほうが大事ですので

鍛高譚
恋愛
「第二王子との婚約? でも殿下には平民の恋人がいるらしいんですけど? ――なら、私たち“白い結婚”で結構ですわ。お好きになさってくださいな、殿下」 自由気ままに読書とお茶を楽しむのがモットーの侯爵令嬢・ルージュ。 ある日、突然“第二王子リオネルとの政略結婚”を押しつけられてしまう。 ところが当の殿下は平民の恋人に夢中で、 「形式上の夫婦だから干渉しないでほしい」などと言い出す始末。 むしろ好都合とばかりに、ルージュは優雅な“独身気分”を満喫するはずが…… いつしか、リナという愛人と妙に仲良くなり、 彼女を巡る宮廷スキャンダルに巻き込まれ、 しまいには婚約が白紙になってしまって――!? けれどこれは、ルージュが本当の幸せを掴む始まりにすぎなかった。 自分を心から大切にしてくれる“新しい旦那様”候補が現れて、 さあ、思い切り自由に愛されましょう! ……そして、かの王子様の結末は“ざまぁ”なのか“自業自得”なのか? 自由気ままな侯爵令嬢が切り開く、 “白い結婚破談”からの痛快ざまぁ&本当の恋愛譚、はじまります。

『婚約破棄されたので王太子女となります。殿下より上位です』

鷹 綾
恋愛
「君は王太子妃に相応しくない」 その一言で、私は婚約を破棄されました。 理由は“真実の愛”。選ばれたのは、可憐な令嬢。 ……ええ、どうぞご自由に。 私は泣きません。縋りません。 なぜなら——王家は、私を手放せないから。 婚約は解消。 けれど家格、支持、実務能力、そして民の信頼。 失ったのは殿下の隣の席だけ。 代わりに私は、王太子女として王政補佐の任を命じられます。 最初は誰もが疑いました。 若い、女だ、感情的だ、と。 ならば証明しましょう。 怒らず、怯えず、排除せず。 反対も忠誠も受け止めながら、国を揺らさずに保つことを。 派手な革命は起こしません。 大逆転も叫びません。 ただ、静かに積み上げます。 そして気づけば—— “殿下の元婚約者”ではなく、 “揺れない王”と呼ばれるようになるのです。 これは、婚約破棄から始まる静かな逆転譚。 王冠の重みを受け入れた一人の女性が、 国を、そして自分の立場を塗り替えていく物語です。

あなたの幸せを、心からお祈りしています

たくわん
恋愛
「平民の娘ごときが、騎士の妻になれると思ったのか」 宮廷音楽家の娘リディアは、愛を誓い合った騎士エドゥアルトから、一方的に婚約破棄を告げられる。理由は「身分違い」。彼が選んだのは、爵位と持参金を持つ貴族令嬢だった。 傷ついた心を抱えながらも、リディアは決意する。 「音楽の道で、誰にも見下されない存在になってみせる」 革新的な合奏曲の創作、宮廷初の「音楽会」の開催、そして若き隣国王子との出会い——。 才能と努力だけを武器に、リディアは宮廷音楽界の頂点へと駆け上がっていく。 一方、妻の浪費と実家の圧力に苦しむエドゥアルトは、次第に転落の道を辿り始める。そして彼は気づくのだ。自分が何を失ったのかを。

幼馴染、幼馴染、そんなに彼女のことが大切ですか。――いいでしょう、ならば、婚約破棄をしましょう。~病弱な幼馴染の彼女は、実は……~

銀灰
恋愛
テリシアの婚約者セシルは、病弱だという幼馴染にばかりかまけていた。 自身で稼ぐこともせず、幼馴染を庇護するため、テシリアに金を無心する毎日を送るセシル。 そんな関係に限界を感じ、テリシアはセシルに婚約破棄を突き付けた。 テリシアに見捨てられたセシルは、てっきりその幼馴染と添い遂げると思われたが――。 その幼馴染は、道化のようなとんでもない秘密を抱えていた!? はたして、物語の結末は――?

【完結】貴方の望み通りに・・・

kana
恋愛
どんなに貴方を望んでも どんなに貴方を見つめても どんなに貴方を思っても だから、 もう貴方を望まない もう貴方を見つめない もう貴方のことは忘れる さようなら

『親友』との時間を優先する婚約者に別れを告げたら

黒木メイ
恋愛
筆頭聖女の私にはルカという婚約者がいる。教会に入る際、ルカとは聖女の契りを交わした。会えない間、互いの不貞を疑う必要がないようにと。 最初は順調だった。燃えるような恋ではなかったけれど、少しずつ心の距離を縮めていけたように思う。 けれど、ルカは高等部に上がり、変わってしまった。その背景には二人の男女がいた。マルコとジュリア。ルカにとって初めてできた『親友』だ。身分も性別も超えた仲。『親友』が教えてくれる全てのものがルカには新鮮に映った。広がる世界。まるで生まれ変わった気分だった。けれど、同時に終わりがあることも理解していた。だからこそ、ルカは学生の間だけでも『親友』との時間を優先したいとステファニアに願い出た。馬鹿正直に。 そんなルカの願いに対して私はダメだとは言えなかった。ルカの気持ちもわかるような気がしたし、自分が心の狭い人間だとは思いたくなかったから。一ヶ月に一度あった逢瀬は数ヶ月に一度に減り、半年に一度になり、とうとう一年に一度まで減った。ようやく会えたとしてもルカの話題は『親友』のことばかり。さすがに堪えた。ルカにとって自分がどういう存在なのか痛いくらいにわかったから。 極めつけはルカと親友カップルの歪な三角関係についての噂。信じたくはないが、間違っているとも思えなかった。もう、半ば受け入れていた。ルカの心はもう自分にはないと。 それでも婚約解消に至らなかったのは、聖女の契りが継続していたから。 辛うじて繋がっていた絆。その絆は聖女の任期終了まで後数ヶ月というところで切れた。婚約はルカの有責で破棄。もう関わることはないだろう。そう思っていたのに、何故かルカは今更になって執着してくる。いったいどういうつもりなの? 戸惑いつつも情を捨てきれないステファニア。プライドは捨てて追い縋ろうとするルカ。さて、二人の未来はどうなる? ※曖昧設定。 ※別サイトにも掲載。

融資できないなら離縁だと言われました、もちろん快諾します。

音爽(ネソウ)
恋愛
無能で没落寸前の公爵は富豪の伯爵家に目を付けた。 格下ゆえに逆らえずバカ息子と伯爵令嬢ディアヌはしぶしぶ婚姻した。 正妻なはずが離れ家を与えられ冷遇される日々。 だが伯爵家の事業失敗の噂が立ち、公爵家への融資が停止した。 「期待を裏切った、出ていけ」とディアヌは追い出される。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

処理中です...