殿下、その婚約破棄の宣言が、すべての崩壊の始まりだと気付いていますか?

水上

文字の大きさ
80 / 100

第80話:二人の行方

しおりを挟む
「……出て行け! 家賃も払えねぇ奴を置いておく部屋はねぇ!」

 王都の東端、かつてスラム街と呼ばれていた地区。
 そこは今、私の都市計画によって急速に生まれ変わりつつありました。

 古いレンガ倉庫は洒落たカフェになり、道路は舗装され、働く意思のある住民たちは小奇麗なアパートに移り住んでいます。

 そんな中、開発の波に乗れなかった――いいえ、乗ることを拒否した二人の男女が、アパートの大家に叩き出されていました。

「ま、待ってくれ! 私は元王太子だぞ! 必ず出世払いで……」

「知るかよ! あんたがドブさらいの仕事をサボって、昼間から愚痴ばかり言ってるのは知れ渡ってるんだ!」

 大家は容赦なく、二人の荷物(ボロボロの毛布一枚と、割れた食器)を路上に放り投げました。

「痛いっ! 私のドレスが!」

「うるさい女だ。そのドレス、もう雑巾より汚ねぇぞ。……さっさと向こう側へ行きな!」

 大家が指差したのは、スラム街のさらに奥。
 都市計画の区域外にある、湿地帯との境界線です。

「……向こう側?」

「ああ。ジュリアンナ様の開発の手が及ばない、本当の掃き溜めだ。お前らにはそこがお似合いだよ」

 扉が無慈悲に閉ざされました。

 レイモンドとシルヴィアは、泥だらけの道に呆然と立ち尽くしました。
 彼らは、スラムの中でさえ落ちこぼれてしまったのです。

 トボトボと歩く二人の姿は、亡霊のようでした。
 舗装された道が途切れ、足元がぬかるみ始めます。
 街灯の光も届かず、あるのは腐敗臭と、虫の羽音だけ。

「……ここが、私たちの新しい国か」

 レイモンドが力なく呟きました。

 そこには、木やトタンを継ぎ接ぎしただけの、今にも崩れそうな小屋が点在していました。
 住んでいるのは、社会から完全に見放された浮浪者や、逃亡犯罪者たち。
 法も秩序もない、真の無法地帯です。

「嫌よ……。こんなところに住めない……。お風呂に入りたい、柔らかいベッドで寝たい……」

 シルヴィアが泣き言を漏らしますが、もうヒステリーを起こす元気すらありません。
 二人は、雨風を凌げそうな橋の下(かつて彼らが流された場所よりさらに下流)のスペースを見つけ、そこに段ボールとむしろを敷きました。

「……寒いな」

「……お腹すいた」

 それが、かつてこの国の頂点にいた二人の、今の全てでした。
 プライドも、見栄も、愛憎さえも、飢えと寒さの前では意味を成しません。

 レイモンドは、泥にまみれた手で、ポケットから何かを取り出しました。
 それは、昼間にゴミ捨て場で拾った、半分腐りかけたリンゴでした。

「……食うか?」

「……うん」

 シルヴィアは、以前なら悲鳴を上げて投げ捨てていたであろうそれを、無言で受け取り、齧りました。
 甘酸っぱい汁が、乾いた喉を潤します。

「……美味しい」

 彼女の目から、一筋の涙がこぼれ落ちました。
 それは悔し涙でも、演技の涙でもない。
 ただ生きていることの惨めさと、食べ物のありがたみが入り混じった、本物の涙でした。

「ああ。……うまいな」

 レイモンドも、残りを齧りました。
 二人は暗い橋の下で、身を寄せ合い、震えながら夜を明かしました。

 罵り合う気力もなく、ただ生存するためだけに寄り添う。
 それが、彼らが最後に手に入れた、虚飾のない関係性だったのかもしれません。

     *

「……彼らは、境界線の向こう側へ行きましたか」

 王都を見下ろす丘の上で、私は報告を受け、静かに頷きました。
 眼下には、復興の明かりが灯り始めた王都が広がっています。
 しかし、その光は東の果て、深い闇の淵で途切れていました。

「助けなくていいのか? あのままでは、冬を越せるかどうかも怪しいぞ」

 マックス様が、少し複雑そうな顔で闇の方角を見ています。

「手出しは無用です。……私が与えた労働の機会を捨てたのは彼ら自身。その結果を受け入れるのも、彼らの責任です」

 私は夜風に髪をなびかせました。

「それに、彼らを生かしておくことこそが、最大の教育になります」

「教育?」

「ええ。彼らはこれから、毎日遠くからこの王都を見上げることになります。……自分たちが捨てた街が、私とマックス様の手によって、かつてないほど美しく、豊かに発展していく様を」

 私は、キラキラと輝くトラス橋の灯りを指差しました。

「もし、あの時真面目にやっていれば。……その後悔を抱きながら、繁栄する国を指をくわえて眺め続ける。それが、彼らに与えられた刑です」

 殺す必要はありません。
 彼らはもう、歴史の表舞台には二度と上がれない過去の残滓なのですから。

「……厳しいな、君は。だが、正しい」

 マックス様が私の肩を抱き寄せました。

「過去は清算された。……これからは、未来の話をしよう」

「はい。まずは瓦礫の処理が終わった土地の再利用計画。それから、新しい国立学校の設計図も引かなくては」

 私は背を向けました。
 東の闇の向こうにいる二人のことは、もう私の記憶のファイルから削除されました。

「ロッテ、行きますよ。明日は早いんですから」

「はーい! あ、お夜食にアップルパイ焼きましたけど、食べます?」

「……リンゴ、ですか。いいですね」

 私たちは笑いながら、光の溢れる館へと戻っていきました。
 崩壊の章は終わり。

 明日からは、永遠の礎を築く、創造の章が始まります。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『婚約破棄された令嬢ですが、名も残さず街を支えています』

ふわふわ
恋愛
婚約破棄された伯爵令嬢コルネリア・フォン・ヴァルデン。 名誉も立場も失いかけた彼女が選んだのは、誰かに勝つことでも、名を取り戻すことでもなかった。 前に立たず、声高に語らず、ただ「判断が続く仕組み」を街に残すこと。 現場に任せ、失敗を隠さず、問いを残し、そして最後には自ら手を離す――。 名を呼ばれず、称賛もされない。 それでも街は止まらず、確かに良くなっていく。 これは、ざまぁの先で「勝たなかった令嬢」が、 静かに世界を変え、そして正しく消えていく物語。

【完結】この運命を受け入れましょうか

なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」  自らの夫であるルーク陛下の言葉。  それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。   「承知しました。受け入れましょう」  ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。  彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。  みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。  だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。  そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。  あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。  これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。  前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。  ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。     ◇◇◇◇◇  設定は甘め。  不安のない、さっくり読める物語を目指してます。  良ければ読んでくだされば、嬉しいです。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

婚約破棄は了承済みですので、慰謝料だけ置いていってください

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢アナスタシア・オルステッドは、第三王子アレンの婚約者だった。 しかし、アレンは没落貴族の令嬢カリーナと密かに関係を持っていたことが発覚し、彼女を愛していると宣言。アナスタシアとの婚約破棄を告げるが── 「わかりました。でも、それには及びません。すでに婚約は破棄されております」 なんとアナスタシアは、事前に国王へ婚約破棄を申し出ており、すでに了承されていたのだ。 さらに、慰謝料もしっかりと請求済み。 「どうぞご自由に、カリーナ様とご婚約なさってください。でも、慰謝料のお支払いはお忘れなく」 驚愕するアレンを後にし、悠々と去るアナスタシア。 ところが数カ月後、生活に困窮したアレンが、再び彼女のもとへ婚約のやり直しを申し出る。 「呆れたお方ですね。そんな都合のいい話、お受けするわけがないでしょう?」 かつての婚約者の末路に興味もなく、アナスタシアは公爵家の跡取りとして堂々と日々を過ごす。 しかし、王国には彼女を取り巻く新たな陰謀の影が忍び寄っていた。 暗躍する謎の勢力、消える手紙、そして不審な襲撃──。 そんな中、王国軍の若きエリート将校ガブリエルと出会い、アナスタシアは自らの運命に立ち向かう決意を固める。 「私はもう、誰かに振り回されるつもりはありません。この王国の未来も、私自身の未来も、私の手で切り拓きます」 婚約破棄を経て、さらに強く、賢くなった公爵令嬢の痛快ざまぁストーリー! 自らの誇りを貫き、王国を揺るがす陰謀を暴く彼女の華麗なる活躍をお楽しみください。

あなたが恋をしなければ

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで婚約破棄を宣言する第一王子。 よくあるシーンだけど、それが馬鹿王子ではなく、優秀だけど人の機微に疎い王子だったら……。

断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る

黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」 パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。 (ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...