殿下が婚約破棄してくれたおかげで泥船から脱出できました。さて、私がいなくなったあと、そちらは大丈夫なのでしょうか?

水上

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第9話:枯れゆく薔薇園

 アークライト領でのトンネル工事と植林事業が始まってから、二ヶ月が経過しました。

 季節は夏真っ盛り。
 太陽は容赦なく地上を照りつけ、大地から水分を奪っていきます。

 そして、私はとある報告を受けていました。
 その内容はというと……。

 炎天下の王都。
 王太子宮殿の自慢である広大な薔薇園に、悲痛な叫び声が響き渡りました。

「い、嫌ぁぁぁ! 私のピンク・プリンセスがぁぁ!」

 その声の主は、ジェラルド殿下の愛する婚約者、ミア男爵令嬢です。
 彼女は、茶色く変色し、花弁を項垂れさせた薔薇のアーチの前で、へなへなと座り込んでいました。

「どうしたんだ、マイ・エンジェル!」

 執務室から飛び出してきたジェラルド殿下が、慌てて彼女に駆け寄ります。

「ジェラルド様ぁ……、見て、お花が……、お花が死んじゃってるのぉ……」

「なっ……、これは……」

 ジェラルド殿下は絶句しました。

 そこにあるのは、かつての色鮮やかな楽園の姿ではありません。
 葉は乾いて縮れ、茎は痩せ細り、見るも無惨な枯れ木の山と化しています。
 被害は薔薇園だけではありません。
 芝生は黄色く焼け焦げ、自慢の噴水は完全に沈黙していました。

「庭師! 庭師はおらんか!」

 殿下の怒号に、痩せこけた老庭師が震えながら進み出ました。
 彼の手は泥だらけですが、その泥すら乾いています。

「も、申し訳ございません殿下……。井戸の水が、完全に底をつきました」

「底をついただと? 馬鹿な! 予備の貯水槽はどうした!」

「すでに空です。生活用水を優先するため、庭園への散水は一週間前から停止しておりまして……」

「聞いておらんぞ! たかが水だぞ!? 川から引けばいいだろう!」

 庭師は悲しげに首を横に振りました。

「その川の水位が、例年の半分以下なのです。上流からの水量が激減しており、王都への取水制限がかかりました。今は民の飲み水を確保するのが精一杯で、花にやる水など一滴も……」

「そんなぁ……、ひどい……」

 ミアが涙を流してジェラルド殿下の胸に縋り付きます。
 彼女の涙もまた、貴重な水分ですのに。

「お花だって生きているのよ? お水がないなんて可哀想じゃない! なんとかしてよぉ!」

「あ、ああ、分かった。泣かないでおくれ」

 ジェラルド殿下は、愛する女の涙に弱い男です。
 そして、問題の原因を深く考えず、短絡的な解決策に飛びつく男でもあります。

「おい! いますぐ近隣の領地から水を買い集めろ! 金に糸目はつけん、給水車を何十台でも手配して、この薔薇園を復活させるのだ!」

 側近の一人が、青い顔で進言しました。

「で、殿下。しかし現在、水価格は高騰しております。他領も水不足の傾向があり、足元を見た法外な値段をふっかけてきておりまして……」

「うるさい! 王太子の命令だぞ! 予算など予備費から出せばいいだろう!」

「予備費は……、先月の、ミア様主催の、夏の夜会で使い果たしております……」

「チッ、使えない奴らだ!」

 殿下は舌打ちをし、ミアの頭を撫でました。

「心配ない。私にはコネがある。民間の商会を使えばいい。多少高くても、私のサインがあれば後払いでなんとかなるはずだ」

 ああ、殿下。
 貴方はご存じないのですか?
 現在、王都周辺の水資源と物流を牛耳っている有力商会の大半がすでに、とある人物と独占契約を結んでいることを……。

 アークライト辺境伯領。

「……というわけで、ジェラルド殿下は、水を高値掴みしようと躍起になっているようだな」

 レイモンド様が、王都から届いた報告書を読み上げながら、意地の悪い笑みを浮かべました。
 ここは領主館の執務室。
 窓の外からは、涼やかな水音が聞こえてきます。

 私が上流で行った、植林事業と地下水脈の迂回工事は見事に成功していました。
 行き場を失った地下水は、アークライト領の巨大な貯水池へと流れ込み、溢れんばかりの資源となっています。

「計画通りですわね。人間、空気と水はタダだと思いがちですが、欠乏した瞬間にそれがプラチナに変わるのです」

 私は、キンキンに冷えた水をグラスに注ぎました。
 この水を使って、領内では水車を回し、製粉工場や織物工場がフル稼働しています。
 エネルギーコストは実質ゼロ。

「それで、王都の商会たちの動きは?」

「ああ。殿下からの買い注文に対し、各社とも、在庫切れ、または配送遅延と回答している。裏で手を回した通りに」

「よろしいわ。……それで、殿下が頼みの綱とする大手商会、赤船のルーカス殿下は?」

 レイモンド様は、今日一番の笑顔を見せました。

「彼もまた、『残念ながら、当商会の水資源輸送枠は、すでに別の大口顧客で埋まっておりまして』と断りの手紙を送ったそうだ」

「あらあら。その大口顧客というのは?」

「我々、アークライト領だ。我々が生産したミネラルウォーターを、隣国へ輸出するために輸送枠を買い占めているからな」

 私はこらえきれず、クスクスと笑いました。

 皮肉な話です。
 かつて王太子領へと流れていたはずの水が、我が領地でボトリングされ、商品となって高値で取引されている。
 そしてジェラルド殿下は、その水を買うことすらできない。

「さて、喉が乾いてきた頃合いでしょう。そろそろ、次のメニューをお出ししましょうか」

 私は机の上の地図……、王都への鉄道敷設計画図を指でなぞりました。

「水がないなら、列車で運べばいい。……ただし、そのレールのが合えばの話ですが」

 薔薇が枯れるのは悲しいことですが、腐った土壌を入れ替えるには、一度すべてを枯らす必要があるのかもしれません。

 ジェラルド殿下、貴方の喉の渇きは、まだ始まったばかりですわよ……。

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