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第2話:出会い
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王都を出発する日の朝、空は皮肉なほどに晴れ渡っていました。
私は必要最低限の荷物と、愛用のレンズ研磨機材を馬車に積み込み、城門へと向かいました。
ウィトリア家の工房は国に接収されることになりましたが、私の頭脳と技術までは奪えません。
これからは自分のためにガラスを磨くのです。
そう前向きに考えていた私の前に、見たくない顔が現れました。
「待て、リル!」
王城の衛兵を引き連れたソレイユ王子が、息を切らして立ちはだかったのです。
まだ何か用でしょうか。
私は無表情のまま眼鏡の位置を正しました。
「……何か? これ以上の接触は、双方にとって時間の浪費かと」
「勘違いするな。私は最後に、慈悲を与えに来てやったのだ」
王子は整った顔を歪め、どこか酔いしれたような表情で語り始めました。
「お前を国外追放にするのは、お前のためを思ってのことだ。厳しい環境に身を置けば、そのひねくれた性格も少しは矯正されるだろう。感謝するがいい」
――ああ、なるほど。
自分が悪者になりたくないから、私のための処罰だという体裁を取り繕いたいわけですね。
私はため息をつくのを堪え、冷ややかな視線を彼に向けました。
「私のために、ですか? よくもまあ、そんな不純物だらけの台詞が吐けるものです」
「な、なんだと?」
「その発言を光のスペクトル分析にかけたら、自己保身と傲慢の色しか検出されないでしょうね。貴方の言葉は、曇ったレンズを通したように不鮮明で、聞くに堪えません」
私がぴしゃりと言い放つと、王子の顔が屈辱に歪みました。
反論しようと口を開きかけた時です。
「――そこを退け。邪魔だ」
地響きのような低い声が、あたりの空気を震わせました。
王子の背後から現れたのは、漆黒の馬に跨った一人の男でした。
黒髪に、黒い軍服。
そして何より、人を射殺さんばかりの鋭い三白眼。
その眉間には深い皺が刻まれ、周囲には物理的な温度低下を招きそうなほどの威圧感が漂っています。
「ひっ……!」
王子が情けない声を上げて道を空けました。
衛兵たちが「ま、魔王だ……」「氷の辺境伯ギルバート・オブシディアンだ……」と震え上がっています。
ギルバート・オブシディアン。
王国の北限、獣が跋扈する過酷な地を治める辺境伯。
その冷酷無慈悲な噂は、研究室に籠もりがちな私でも知っています。
彼は馬から降りると、ズカズカと私の方へ歩み寄ってきました。
その目つきは凶悪そのもの。
まるで獲物を定める捕食者のように目を細め、私を睨みつけています。
周囲の空気が凍りつきます。
王子など腰を抜かしてへたり込んでいます。
しかし、彼が私の目前まで迫った時、私はある違和感に気づきました。
(足元がほんの少しおぼつかない? それに、あの眉間の皺……、怒っているのではなく、単に焦点を合わせようとして力んでいるだけでは?)
職業病でしょうか。
恐怖よりも先に視覚情報の入力エラーを疑ってしまいました。
彼は私の顔の至近距離まで迫り、恐ろしい形相で少し唸っています。
「……あの、辺境伯様」
「なんだ」
「もしかして、あまり見えていらっしゃらないのでは?」
私が指摘すると、彼の動きがピタリと止まりました。
図星のようです。
私は荷物の中から、検眼用のテストレンズセットを取り出しました。
彼の目の動き、瞬きの回数、そして対象物との距離感から、おおよその数値を計算します。
「失礼します。少し動かないでください」
「な、何を……」
私は彼の目の前に、度数『-6.00D』の凹レンズと、乱視補正用の円柱レンズを重ねてかざしました。
その瞬間でした。
彼の眉間から、険しい皺がすぅっと消えたのです。
見開かれた瞳は、噂通りの三白眼でしたが、そこには夜空のような深い知性が宿っていました。
彼は瞬きを繰り返し、自分の手を見つめ、そして私を見つめ返しました。
「……見える」
彼は震える声で呟きました。
「世界が、輪郭を持っている。木々の葉が一枚ずつ見える。……そして」
彼はレンズ越しに私を凝視しました。
先ほどまでの睨みとは違う、熱のこもった視線。
強面だと思っていたその顔立ちは、皺がなくなると精悍で整ったものでした。
「……美しい」
「はい?」
「俺はこんなに美しい人を睨みつけていたのか……」
呆然と呟く彼に、私は思わず言葉を失いました。
レンズの性能を褒められることはあっても、私自身を「美しい」と評されたことなど、人生で一度もありませんでしたから。
「ええと、辺境伯様? これはあくまで仮のレンズですので、正式な眼鏡を作るには……」
「頼む」
「はい?」
「俺の城に来てくれ。君の技術が必要だ」
彼は私の手を取り、跪きました。
それは求婚のようにも見えましたが、その瞳は真剣そのもので、職人への敬意に満ちていました。
「ずっと探していた。俺のこの呪われた視界を救ってくれる技術者を。偶々こちらにいて……、噂の天才レンズ職人が王都を追われると聞き、居ても立ってもいられず迎えに来たのだ」
迎えに来た。
私の技術を必要として。
ソレイユ王子が「君のため」という欺瞞で私を追い出したのとは対照的に、彼は「君が必要だ」とストレートに告げてきました。
真っ直ぐなその言葉は、私の胸の奥にすとんと落ちました。
「……私の技術料は高いですよ?」
「構わない。俺の全財産を投じても惜しくない」
「ふふ、即決ですね。では、交渉成立です」
私が微笑むと、ギルバート様はレンズ越しに、不慣れな様子で口角を上げようと努力し――そして、少しだけ照れたように顔を背けました。
背後で、ソレイユ王子が「辺境伯がリルごときをスカウトだと!?」と叫んでいましたが、今度こそ完全に無視しました。
こうして私は彼と共に、北の辺境へと旅立つことになったのです。
曇った王都を捨て、クリアな視界が待つ新天地へ……。
私は必要最低限の荷物と、愛用のレンズ研磨機材を馬車に積み込み、城門へと向かいました。
ウィトリア家の工房は国に接収されることになりましたが、私の頭脳と技術までは奪えません。
これからは自分のためにガラスを磨くのです。
そう前向きに考えていた私の前に、見たくない顔が現れました。
「待て、リル!」
王城の衛兵を引き連れたソレイユ王子が、息を切らして立ちはだかったのです。
まだ何か用でしょうか。
私は無表情のまま眼鏡の位置を正しました。
「……何か? これ以上の接触は、双方にとって時間の浪費かと」
「勘違いするな。私は最後に、慈悲を与えに来てやったのだ」
王子は整った顔を歪め、どこか酔いしれたような表情で語り始めました。
「お前を国外追放にするのは、お前のためを思ってのことだ。厳しい環境に身を置けば、そのひねくれた性格も少しは矯正されるだろう。感謝するがいい」
――ああ、なるほど。
自分が悪者になりたくないから、私のための処罰だという体裁を取り繕いたいわけですね。
私はため息をつくのを堪え、冷ややかな視線を彼に向けました。
「私のために、ですか? よくもまあ、そんな不純物だらけの台詞が吐けるものです」
「な、なんだと?」
「その発言を光のスペクトル分析にかけたら、自己保身と傲慢の色しか検出されないでしょうね。貴方の言葉は、曇ったレンズを通したように不鮮明で、聞くに堪えません」
私がぴしゃりと言い放つと、王子の顔が屈辱に歪みました。
反論しようと口を開きかけた時です。
「――そこを退け。邪魔だ」
地響きのような低い声が、あたりの空気を震わせました。
王子の背後から現れたのは、漆黒の馬に跨った一人の男でした。
黒髪に、黒い軍服。
そして何より、人を射殺さんばかりの鋭い三白眼。
その眉間には深い皺が刻まれ、周囲には物理的な温度低下を招きそうなほどの威圧感が漂っています。
「ひっ……!」
王子が情けない声を上げて道を空けました。
衛兵たちが「ま、魔王だ……」「氷の辺境伯ギルバート・オブシディアンだ……」と震え上がっています。
ギルバート・オブシディアン。
王国の北限、獣が跋扈する過酷な地を治める辺境伯。
その冷酷無慈悲な噂は、研究室に籠もりがちな私でも知っています。
彼は馬から降りると、ズカズカと私の方へ歩み寄ってきました。
その目つきは凶悪そのもの。
まるで獲物を定める捕食者のように目を細め、私を睨みつけています。
周囲の空気が凍りつきます。
王子など腰を抜かしてへたり込んでいます。
しかし、彼が私の目前まで迫った時、私はある違和感に気づきました。
(足元がほんの少しおぼつかない? それに、あの眉間の皺……、怒っているのではなく、単に焦点を合わせようとして力んでいるだけでは?)
職業病でしょうか。
恐怖よりも先に視覚情報の入力エラーを疑ってしまいました。
彼は私の顔の至近距離まで迫り、恐ろしい形相で少し唸っています。
「……あの、辺境伯様」
「なんだ」
「もしかして、あまり見えていらっしゃらないのでは?」
私が指摘すると、彼の動きがピタリと止まりました。
図星のようです。
私は荷物の中から、検眼用のテストレンズセットを取り出しました。
彼の目の動き、瞬きの回数、そして対象物との距離感から、おおよその数値を計算します。
「失礼します。少し動かないでください」
「な、何を……」
私は彼の目の前に、度数『-6.00D』の凹レンズと、乱視補正用の円柱レンズを重ねてかざしました。
その瞬間でした。
彼の眉間から、険しい皺がすぅっと消えたのです。
見開かれた瞳は、噂通りの三白眼でしたが、そこには夜空のような深い知性が宿っていました。
彼は瞬きを繰り返し、自分の手を見つめ、そして私を見つめ返しました。
「……見える」
彼は震える声で呟きました。
「世界が、輪郭を持っている。木々の葉が一枚ずつ見える。……そして」
彼はレンズ越しに私を凝視しました。
先ほどまでの睨みとは違う、熱のこもった視線。
強面だと思っていたその顔立ちは、皺がなくなると精悍で整ったものでした。
「……美しい」
「はい?」
「俺はこんなに美しい人を睨みつけていたのか……」
呆然と呟く彼に、私は思わず言葉を失いました。
レンズの性能を褒められることはあっても、私自身を「美しい」と評されたことなど、人生で一度もありませんでしたから。
「ええと、辺境伯様? これはあくまで仮のレンズですので、正式な眼鏡を作るには……」
「頼む」
「はい?」
「俺の城に来てくれ。君の技術が必要だ」
彼は私の手を取り、跪きました。
それは求婚のようにも見えましたが、その瞳は真剣そのもので、職人への敬意に満ちていました。
「ずっと探していた。俺のこの呪われた視界を救ってくれる技術者を。偶々こちらにいて……、噂の天才レンズ職人が王都を追われると聞き、居ても立ってもいられず迎えに来たのだ」
迎えに来た。
私の技術を必要として。
ソレイユ王子が「君のため」という欺瞞で私を追い出したのとは対照的に、彼は「君が必要だ」とストレートに告げてきました。
真っ直ぐなその言葉は、私の胸の奥にすとんと落ちました。
「……私の技術料は高いですよ?」
「構わない。俺の全財産を投じても惜しくない」
「ふふ、即決ですね。では、交渉成立です」
私が微笑むと、ギルバート様はレンズ越しに、不慣れな様子で口角を上げようと努力し――そして、少しだけ照れたように顔を背けました。
背後で、ソレイユ王子が「辺境伯がリルごときをスカウトだと!?」と叫んでいましたが、今度こそ完全に無視しました。
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