捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

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第8話:青の真実

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 領都の外れにあるレンガ造りの建物。
 そこは、辺境伯領直轄の絵画工房である。

 領内で産出される鉱物を画材に加工し、宗教画や肖像画を制作して販売する――はずの場所だ。
 しかし、帳簿上の数字は真っ赤だった。

「……作品は売れているはずなのに、なぜ利益が出ない?」

 ジェラルドが不機嫌そうに呟く。

 視察に同行したリディアは、工房の入り口で足を止めた。
 中からは、職人たちの怒号と、鼻を突く油の臭いが漂ってくる。

「とにかく青が足りないんだ! もっと買ってください!」

「うるさい! 予算は使い切ったと言っただろうが! お前らが無駄遣いするからだ!」

 工房長の男が、若い絵画職人を怒鳴りつけている最中だった。
 ジェラルドとリディアが入っていくと、工房長はあからさまに嫌そうな顔をした後、揉み手をして擦り寄ってきた。

「おお、これは閣下! このような埃っぽい場所へ何のご用で?」

「赤字の原因を精査しに来た。……それと、新しい技術顧問の紹介だ」

 ジェラルドが顎で指し示すと、リディアが一歩前に出て一礼した。
 工房長はリディアの地味な作業着姿を上から下まで眺め、鼻で笑った。

「はあ……、技術顧問、ですか? 王都から来たお嬢ちゃんに、現場の何がわかるんですかねぇ。ここは遊び場じゃありませんよ」

「もちろん遊びではありません。仕事をしに来ました」

 リディアは静かに、しかし毅然と言い返した。
 彼女の視線はすでに、工房の棚に並べられた顔料の瓶と、描きかけのキャンバスに向けられていた。

「帳簿を見せていただけますか?」

「は? 素人が数字を見ても――」

「見せろ」

 ジェラルドの低い声と、子供が泣く威圧的な視線に射抜かれ、工房長はヒッと喉を鳴らして帳簿を差し出した。

 リディアはパラパラとページを捲る。
 そこには、莫大な金額の顔料購入費が記されていた。

「……ウルトラマリンを、毎月三キログラム購入。……信じられない量ですね」

 リディアが呟くと、工房長はここぞとばかりに胸を張った。

「ええ、そうですとも! 我が工房では最高級のウルトラマリンを惜しみなく使っております! 海を越えて運ばれる聖なる青、ラピスラズリを砕いた宝石の粉です。高いのは当然でしょう!」

「確かに、ウルトラマリンは金と同等の価値がある最高級品です」

 リディアは頷き、そして職人が描いていたキャンバスの前に立った。
 そこには、聖母の青いマントが描かれている。

「ですが、この絵に使われている青は、ウルトラマリンではありません」

「な、なにをバカな! 言いがかりだ!」

「いいえ、事実です」

 リディアは懐から小さなガラス瓶を取り出した。中には透明な液体――希塩酸が入っている。
 彼女はパレットに残っていた青い絵具を少量取り、別の皿に移すと、そこに液体を一滴垂らした。

 微かな音を立てて、青い絵具が泡立ち始めた。

「……あ」

 職人の一人が声を上げる。
 リディアは冷静に解説を始めた。

「本物のウルトラマリンは、酸に触れると硫化水素ガスを発生させて色が抜けますが、発泡はしません。酸で激しく発泡して溶けるのは、銅を含んだ鉱物……、アズライト(藍銅鉱)の特徴です」

 リディアは工房長を真っ直ぐに見据えた。

「アズライトも美しい青ですが、価格はウルトラマリンの十分の一以下です。それに、アズライトは粒子が粗く、扱いを間違えると緑色に変色しやすい。……工房長、あなたは最高級品の代金を請求しながら、職人たちには安価な代用品を使わせていたのですね?」

 工房内が静まり返る。

 職人たちが、呆然とした顔で工房長を見る。
 彼らは、自分たちの腕が悪いから良い色が出ないんだと信じ込まされていたのだ。

「ち、違う! それは業者が間違えて……!」

「往生際が悪いぞ」

 ジェラルドの一歩。
 床板が軋むような重圧。
 彼はリディアから帳簿を受け取り、工房長の顔の前に突きつけた。

「業者の選定もお前の権限だ。差額の横領、および領主への虚偽報告。……鉱山での強制労働がお似合いだな」

 工房長が腰を抜かして崩れ落ちると、すぐに衛兵によって引きずり出されていった。

 残されたのは、戸惑う職人たちだけだった。
 リディアは彼らに向き直り、自分の鞄から小瓶を取り出した。
 蓋を開けると、そこには吸い込まれるような、深く、澄み切った青色の粉末が入っていた。

「これが、本物のウルトラマリンです」

 職人たちが息を呑む。
 それは、彼らが今まで使わされていた青とは比べ物にならないほど、高貴な輝きを放っていた。

「この青は、扱いがとても難しい色です。油と混ぜすぎれば黒ずみ、筆運びが遅ければムラになる。……ですが、あなたたちの技術なら、きっとこの青を使いこなせます」

 リディアは微笑み、小瓶を若い職人の手に握らせた。

「青を見れば、その工房の誠実さがわかります。……どうか、この美しい色で、嘘のない絵を描いてください」

 職人の手が震えた。

 それは恐怖ではなく、感動と、職人としての誇りを取り戻した震えだった。
 工房の中に、わっと歓声が上がる。

 「すげえ!」

「これが本物の青か!」

 目を輝かせる男たちの中心で、リディアは控えめだが、満足そうに微笑んでいた。

 その光景を、ジェラルドは少し離れた場所から見つめていた。

 薄暗い工房の中で、リディアの周りだけが光り輝いているように見える。
 知識という武器で不正を断ち、美への敬意で人の心を動かす。

 その姿は、どんな名画よりも彼の目を惹きつけて離さなかった。

「……まったく」

 ジェラルドは胸の奥が熱くなるのを自覚し、苦笑交じりに呟いた。

「最高の青よりも、君の方がよほど得難い至宝ではないか」

 誰にも聞こえない独り言は、工房の熱気の中に溶けていった。

 リディアが振り返り、ジェラルドに向かってにっこりと笑う。

 その笑顔を守るためなら、どんな投資も惜しくはない。
 強面の辺境伯は、密かにそう決意していた。
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