捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

文字の大きさ
9 / 40

第9話:傷ついた器

しおりを挟む
 その日、辺境伯邸の廊下に、耳をつんざくような破壊音が響き渡った。

 リディアが慌てて音のした方へ駆けつけると、そこには青ざめた顔で立ち尽くす若いメイドと、床に散らばった陶器の破片があった。

 それは、この屋敷の玄関ホールに飾られていた、美しい青磁の壺だった。

「も、申し訳ございません! 手が滑って……!」

 メイドは震えながら、破片を拾い集めようとしていた。

 そこへ、低い足音が近づいてきた。
 ジェラルドだ。

「……何事だ」

 彼が姿を現した瞬間、周囲の空気がピリリと張り詰める。
 メイドは「ひっ」と息を呑み、その場に平伏した。

「お、お許しください! 大切な壺を割ってしまいました……!」

「……ふむ」

 ジェラルドは無表情で、粉々になった壺を見下ろした。
 それは先代の辺境伯が収集したコレクションの一つで、かなりの高値がつく品だ。

「形あるものはいつか壊れる。エントロピー増大の法則だ」

 ジェラルドは淡々と言った。

「だが、壊れた器は機能を果たさん。ただの産業廃棄物だ。怪我をする前に片付けろ。代わりの品は倉庫から出させる」

 合理的で、冷徹な判断だった。
 メイドは泣きそうな顔で「はい……、すぐに捨ててまいります」と、箒と塵取りを手に取った。

「待ってください!」

 リディアの声が、その場を制した。
 彼女は小走りで近づくと、メイドの手から塵取りを奪うようにして、破片の前にしゃがみ込んだ。

「捨ててはいけません。……まだ、生きています」

「リディア?」

 ジェラルドが怪訝そうに眉を寄せる。

「君の鑑定眼でも見えるはずだ。それはもう修復不可能なレベルで粉砕している。接着剤で繋ぎ合わせたところで、強度は落ちるし、継ぎ目が目立って美観を損なう。資産価値はゼロだ」

「いいえ、ジェラルド様。……割れたからこそ、生まれる美しさがあります」

 リディアは真剣な眼差しで、散らばった破片を、まるで宝石でも拾うかのように丁寧にハンカチの上に集め始めた。

「私に、この子を預けていただけませんか? 必ず、蘇らせてみせます」

 アトリエに持ち込まれた壺の破片は、大小合わせて三十個以上。
 リディアはそれらをパズルのように組み合わせ、断面をクリーニングし、そして特別な接着剤を調合し始めた。

 使うのは、漆だ。
 強力な接着力を持つ樹液に、小麦粉を混ぜて糊を作る。

 ジェラルドは、腕組みをしてその作業をじっと見ていた。
 彼にとって、効率の悪い作業を見るのは苦痛のはずだが、リディアが筆を動かす姿からは目を離せないようだった。

「……割れ目を隠すのではなく、わざわざ目立たせるのか?」

 リディアが接着した継ぎ目の上に、さらに漆を塗り、その上から金粉を蒔いていくのを見て、ジェラルドが問うた。

「はい。金継ぎという技法です」

 リディアは息を詰めて、金粉を定着させていく。

 青い磁器の肌に、稲妻のような黄金のラインが走る。
 それは、単なるひび割れではなく、新たな景色となって壺に刻まれていく。

「修復とは、新品に戻すことではありません」

 リディアは筆を置き、静かに語り始めた。

「傷も、汚れも、過ごした時間の証として受け入れ、その上で美しく在り続ける手助けをすること。……傷をなかったことにするのではなく、傷ごと愛せるようにすることです」

 彼女は、完成した壺をそっと持ち上げた。

 元の完全無欠な青磁も美しかった。
 だが、黄金の傷跡を纏ったその姿は、一度壊れ、痛みを乗り越えたものだけが持つ、凛とした強さと色気を放っていた。

「……私の人生も、そうありたいと思います。たとえ、誰にも理解されなったとしてもいいんです」

 リディアは自嘲気味に微笑んだ。
 婚約破棄され、実家からも捨てられ、傷物とされた自分。

 けれど、その傷を隠して生きるのではなく、傷さえも自分の歴史として、胸を張って生きたい。
 この壺のように……。

 ジェラルドは、しばらく言葉を発しなかった。
 彼はリディアから壺を受け取り、様々な角度から眺めた。
 そして、壺をテーブルに戻すと、大きな手でリディアの頭をポンと撫でた。

「……美しいな」

「え……?」

「この壺のことだ。……そして、君の哲学もだ」

 ジェラルドの声は、いつになく優しかった。

「誰にも理解されなくていい、だと? ……馬鹿を言うな。君という、難解で美しい最高傑作の絵画を解釈できる専門家が、世界に一人くらいいてもいいはずだ」

「ジェラルド、様……」

「傷があるから価値が下がるなんてことはない。君が乗り越えてきた傷跡は、この金継ぎと同じだ。……私が、その価値を保証する」

 真っ直ぐな瞳で見つめられ、リディアの心臓が大きく跳ねた。
 それは、これまでのどんな褒め言葉よりも、深く魂に響く肯定だった。

「……あ、ありがとうございます」

 涙がこぼれそうになり、リディアは慌てて眼鏡の位置を直して誤魔化した。

「さあ、元に戻しに行こう。あのメイドも、首が繋がって安心するだろう」

 ジェラルドが壺を抱えて歩き出す。
 その背中を見つめながら、リディアは思った。

 もし自分が壊れかけたとしても、この人はきっと、何度でも金継ぎのように繋ぎ止め、新しい価値を見出してくれる。
 そう信じられることが、何よりも嬉しかった。

 玄関ホールに戻された壺は、窓からの光を受け、黄金の継ぎ目を誇らしげに輝かせていた。
 それは、辺境の屋敷に新たな彩りを添える、世界に一つだけの名品となった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』

鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。 だからこそ転生後に誓った―― 「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。 気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。 「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」 ――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。 なぜか気づけば、 ・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変 ・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功 ・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす ・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末 「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」 自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、 “やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。 一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、 実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。 「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」 働かないつもりだった貴族夫人が、 自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。 これは、 何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

厄介払いされてしまいました

たくわん
恋愛
侯爵家の次女エリアーナは、美人の姉ロザリンドと比べられ続け、十八年間冷遇されてきた。 十八歳の誕生日、父から告げられたのは「辺境の老伯爵に嫁げ」という厄介払いの命令。 しかし、絶望しながらも辺境へ向かったエリアーナを待っていたのは――。

仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん
恋愛
 ――仕事で疲れて会えない。  十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。  記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。  そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?

婚約者を奪った妹と縁を切り、辺境領を継いだら勇者一行がついてきました

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

処理中です...