捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

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第17話:硝子の目

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 領地経営が順調に進む中、リディアには新たな悩みがあった。
 それは、完成したばかりの美術館の展示室でのことだ。

「……見えません」

 リディアは眉を下げ、腕組みをして唸っていた。

 目の前には、修復を終えた名画が飾られている。
 保護のためにガラスケースに入れられているのだが、窓からの光や照明がガラス表面に反射し、肝心の絵が見えにくいのだ。
 角度を変えても、自分の顔や背景が映り込んでしまう。

「これでは、鑑賞者は絵ではなく、ガラスに映った自分を見ることになってしまいます。没入感が台無しです」

 隣にいたジェラルドは、ふむ、と顎を撫でた。

「だが、ガラスがなければ湿気や埃、客の飛沫から絵を守れん。保護と鑑賞はトレードオフの関係だ。物理的に仕方がない」

「いいえ、諦めたくありません。……光を反射しない、透明な見えないガラスを作ります」

 リディアは領内のガラス工房に籠もり、実験を開始した。
 彼女が注目したのは、領内の鉱山で副産物として採掘されていた蛍石だった。

「光の反射は、空気とガラスの屈折率の差で起こります。でも、その間に屈折率の低い膜を挟めば、反射を打ち消すことができるはず……」

 リディアは蛍石を粉砕し、特殊な酸で溶かしてコーティング液を作った。

 原理は薄膜干渉。
 シャボン玉の色が変化するように、特定の厚さの膜を作ることで、反射光同士を打ち消し合わせ、透過する光を増やす技術だ。

 数日後。
 リディアは一枚のガラス板をジェラルドの執務室に持ち込んだ。

「ジェラルド様、これをご覧ください」

「ただの木の枠……、か? ガラスが入っていないようだが」

「入っています。触ってみてください」

 ジェラルドが恐る恐る枠の中に手を伸ばすと、指先が硬い感触に触れた。

「……なっ!?」

 彼は目を剥いた。
 確かにそこにガラスがある。
 だが、光の反射が極限まで抑えられているため、まるで空気しかないように錯覚するほどの透明度だった。

「成功です……! これなら、絵画の色をそのまま鑑賞者に届けることができます!」

 リディアが歓声を上げる一方で、ジェラルドの目は鋭く細められ、まったく別の価値を見出していた。
 彼は立ち上がり、棚から古びた単眼鏡を取り出した。

「リディア。このコーティング技術、曲面のレンズにも応用できるか?」

「はい、可能です。眼鏡のレンズなどにも使えると思いますが……」

「眼鏡? ……ふっ、そんな平和な用途だけではないぞ」

 ジェラルドはニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。

「反射光が減るということは、取り込める光の量が増えるということだ。つまり、このコーティングを施した望遠鏡を使えば、夕暮れや月明かり程度の光量でも、遠くの敵を鮮明に視認できる」

 彼は窓際に行き、単眼鏡を構える仕草をした。

「さらに、レンズ表面の反射が消えれば、敵にこちらの位置を悟られずに監視が可能になる。……これは、軍事バランスを覆す神の目だ」

 ジェラルドの動きは早かった。
 すぐにガラス工房を拡張し、美術館用のガラスだけでなく、軍事用・航海用のレンズ製造ラインを構築した。
 反射しないレンズを搭載した高性能望遠鏡は、国境警備隊から注文が殺到し、またたく間に莫大な利益を叩き出した。

 さらに、その技術は領内の灯台にも応用された。
 光の透過率が上がったことで、灯台の光はより遠くまで届くようになり、夜間の海難事故が激減したのだ。

 ある晴れた夜。
 リディアとジェラルドは、屋敷のバルコニーに出ていた。
 そこには、リディアが開発した特殊レンズを使った、巨大な天体望遠鏡が設置されていた。

「覗いてみろ」

 促され、リディアは接眼レンズを覗き込んだ。

「わぁ……!」

 息を呑む美しさだった。
 肉眼では見えない無数の星々が、宝石箱をひっくり返したように煌めいている。
 レンズの曇りも、余計な光の反射も一切ない。
 ただ、深遠な宇宙の姿がそこにあった。

「きれい……。こんなにたくさんの星があったなんて」

「君が作った目のおかげだ」

 ジェラルドが隣に立ち、夜空を見上げた。

「君は、ただ絵画を美しく見せたいと願った。その純粋な探究心が、結果として領地の安全を守り、海を行く船を導き、こうして星空を身近なものにした」

 彼はリディアの肩に手を置き、静かに言った。

「君の美への追求が、我が領地を守る目になったのだ。……誇っていい」

 リディアは望遠鏡から顔を上げ、ジェラルドを見た。
 星明かりの下、彼の強面はいつもより穏やかで、頼もしく見えた。

「私は……、ジェラルド様が、私の知識に別の光を当ててくださったからです。私一人では、ただのガラス拭きで終わっていました」

「謙遜するな。君が提供した素材が良いから、私の加工が活きる」

 ジェラルドはリディアの手を取り、その甲に口づけた。

「君の瞳も、この特製レンズと同じくらいクリアだ。……私には、どんな星よりも眩しく見える」

「……また、そんな……」

 リディアは顔を赤らめ、レンズの調整をするフリをして誤魔化した。
 だが、その口元が嬉しそうに緩んでいるのを、高性能な目を持つ辺境伯が見逃すはずもなかった。

 静寂な夜。
 二人が作り上げた見えないガラスは、二人の未来を明るく、はっきりと映し出していた。
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