捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

文字の大きさ
18 / 40

第18話:徹夜の代償

しおりを挟む
 小鳥のさえずりが爽やかな朝を告げていたが、鏡の前のリディアは絶望の淵に立っていた。

「……嘘でしょう」

 リディアは震える指先で、自分の右頬に触れた。

 そこには、昨日までは存在しなかった小さな赤い吹き出物が鎮座している。
 さらに目の下には薄暗い隈が広がり、肌全体が乾燥して粉を吹いたようにくすんで見えた。

 原因は明白だ。
 昨夜、どうしても気になっていたフレスコ画の顔料分析に熱中し、気づけば東の空が白むまで作業を続けてしまったのだ。
 徹夜明けの代償である。

「うぅ……、こんな顔、ジェラルド様に見せられない……」

 リディアは両手で顔を覆った。

 王宮にいた頃は、徹夜など当たり前で、自分の容姿を気にする余裕などなかった。
 誰に見られるわけでもないし、どうせ「地味な女」と言われていたからだ。

 けれど今は違う。
 あの強面で美しい辺境伯に、少しでも綺麗だと思われたい――そんな欲が出てしまった自分に気づき、リディアはさらに落ち込んだ。

 部屋のノック音に、心臓が跳ね上がる。

「朝食の時間だ、リディア。入るぞ」

「まっ、待ってください! まだ準備が!」

 しかし、ジェラルドは待たなかった。
 扉が開き、長身の彼が入ってくる。
 リディアは慌てて後ろを向き、髪で必死に顔を隠そうとした。

「……妙だな」

 ジェラルドは入り口で立ち止まり、鼻をひくつかせた。

「部屋の空気が淀んでいる。二酸化炭素濃度が高い。……それに君の背中から、負のオーラが立ち昇っているぞ」 

「そ、そんなことありません。ただ、ちょっと……、お化粧のノリが悪くて……」

「こちらを向け」

 低い命令形。
 リディアは観念して、おずおずと振り返った。
 ジェラルドの鋭い視線が、リディアの顔面をスキャンするように走る。

「……眼輪筋の弛緩、角質層の水分不足、そして皮脂分泌の乱れによる炎症。典型的な睡眠不足とホルモンバランスの崩壊だ」

 彼はため息をつき、持っていたトレイをテーブルに置いた。

「昨夜、私が寝た後にこっそりとアトリエに戻ったな? ……君という精密機器は、なぜそうも無理な稼働をしたがる」

「も、申し訳ありません……。どうしても、気になってしまって……」

「謝る暇があるなら、これを飲め」

 彼が指差したのは、鮮やかな緑と赤の二層に分かれた、濃厚なスムージーだった。

「ビタミン爆弾だ」

「ば、爆弾……?」

「領地で採れたケールとほうれん草、そこに抗酸化作用最強のアロエと、ベリー類を凝縮した。……味は保証せんが、効き目は劇薬並みだ」

 リディアはグラスを手に取った。
 ドロリとした液体を口に含む。

 ――酸っぱい!

 強烈な酸味と青臭さが脳天を突き抜け、思わず涙目になる。
 だが、飲んだ直後から胃が熱くなり、血液が勢いよく全身を駆け巡るような感覚があった。

「徹夜によって発生した大量の活性酸素を、抗酸化物質で中和する。さらにビタミンB群が代謝を促し、肌のターンオーバーを強制的に正常化させる」

 ジェラルドは仁王立ちで、リディアが飲み干すのを見守っていた。

「鏡を見て落ち込む前に、内側から修復しろ。……徹夜の代償は、私が帳消しにしてやるから安心しろ」

 その言葉に、リディアの胸がキュンと締め付けられた。
 怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ帳消しにしてやると言い切る頼もしさ。
 リディアは空になったグラスを置き、昨夜のことを思い出した。

 そういえば、昨夜――正確には今朝未明の午前二時頃も、彼は助けに来てくれたのだ。

 アトリエで作業中、静寂を破るようにリディアのお腹が鳴り響いた時のことだ。

 深夜の空腹。
 食べてはいけない時間帯。

 王宮時代なら水を飲んで誤魔化していたが、空腹で集中力が切れかけていたのも事実だった。
 そこに、まるで忍びのように音もなくジェラルドが現れたのだ。

『深夜の空腹は脳のSOSだ。無視するのは虐待に近い』

 彼はそう言って、小さな皿を差し出した。
 乗っていたのは、濃厚な色をしたガトーショコラだった。

『だ、だめですジェラルド様! こんな時間にケーキなんて食べたら、太ってしまいます……!』

 リディアが抗議すると、彼はフッと笑った。

『安心しろ。これは小麦粉もバターも使っていない』

『え?』

『主成分は豆腐だ。甘味は蜂蜜少々、あとは純粋なカカオマスのみ。……どれだけ食べても、君の脂肪にはならん。タンパク質の塊だ』

 恐る恐る口にした豆腐ガトーショコラは、驚くほど濃厚で、しっとりとしていた。
 カカオの香りが鼻に抜け、豆腐の臭みなど微塵もない。
 深夜に甘いものを食べるという背徳感と、それを論理的に許可してくれる安心感。
 あの時、口いっぱいに広がった幸福感は、どんな高級な菓子よりも甘美だった。

『責任は私が持つ。……食え』

「……リディア? どうした、顔が赤いぞ。スムージーの血行促進効果が出すぎたか?」

 現在に戻り、ジェラルドが心配そうに顔を覗き込んできた。
 リディアは首を横に振った。

「いいえ……。ただ、思い出していたんです」

 昨夜のケーキの味と、今のスムージーの酸っぱさ。
 その両方に込められた、不器用で深い愛情。

 王宮では、誰もがリディアに完璧な成果だけを求めた。
 過程でどれだけ傷つこうが、お腹を空かせようが、肌が荒れようが、誰も気に留めなかった。
 けれど、この人は違う。
 ボロボロになった過程ごと受け止め、修復しようとしてくれる。

(……ああ、私)

 リディアは自分の胸に手を当てた。
 規則正しく打つ鼓動が、今は少し速い。

(この方のことが、好きなんだわ)

 それは、尊敬や感謝の枠を超えた、明確な恋心の自覚だった。
 肌荒れを見られて恥ずかしいと思うのも、深夜の空腹を知られて赤面するのも、すべて恋ゆえのこと。

「……ジェラルド様」

「ん?」

「私、ジェラルド様に健康を管理していただけて、とても幸せです」

 リディアが気持ちを伝えると、ジェラルドは一瞬きょとんとし、それからバッと顔を背けた。

「……ふん。当然だ。私の計算に狂いはない」

 強がりを言っているが、その耳が真っ赤に染まっているのを、リディアは見逃さなかった。

 徹夜明けの肌は最悪だったが、心はこれ以上ないほど満たされていた。
 リディアは自然とこぼれる笑みを隠さずに、彼を見つめ続けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです

有賀冬馬
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」 そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。 社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。 そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。 過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。 そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。 「君が隣にいない宮廷は退屈だ」 これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

崖からポイ捨てされた不運令嬢ですが、銀髪イケメン竜王に『最愛の伴侶』としてスカウトされました!

有賀冬馬
恋愛
不作も天災も、全部わたしのせい!? 「不運な女」と虐げられ、生贄として崖から捨てられたわたし、ミラ。 でも、落ちた先で待っていたのは、まぶしいほど綺麗な銀髪の竜王・アルベルト様でした! 「君がいたから、この国は守られていたんだよ」 えっ、わたしって実はすごい聖女だったの!? 竜宮城で贅沢三昧&溺愛生活スタート! そんな中、わたしを捨てて大ピンチになった元婚約者が「ミラ、戻ってきて!」と泣きついてきて……。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

何もしない公爵夫人ですが、なぜか屋敷がうまく回っています

鷹 綾
恋愛
辺境公爵カーネル・クリスの妻となったフィレ・バーナード。 けれど彼女は、屋敷を仕切ることも、改革を行うことも、声高に意見を述べることもしなかった。 指示を出さない。 判断を奪わない。 必要以上に関わらない。 「何もしない夫人」として、ただ静かにそこにいるだけ。 それなのに―― いつの間にか屋敷は落ち着き、 使用人たちは迷わなくなり、 人は出入りし、戻り、また進んでいくようになる。 誰かに依存しない。 誰かを支配しない。 それでも確かに“安心できる場所”は、彼女の周りに残っていた。 必要とされなくてもいい。 役に立たなくてもいい。 それでも、ここにいていい。 これは、 「何もしない」ことで壊れなかった関係と、 「奪わない」ことで続いていった日常を描く、 静かでやさしい結婚生活の物語。

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

『壁の花』の地味令嬢、『耳が良すぎる』王子殿下に求婚されています〜《本業》に差し支えるのでご遠慮願えますか?〜

水都 ミナト
恋愛
 マリリン・モントワール伯爵令嬢。  実家が運営するモントワール商会は王国随一の大商会で、優秀な兄が二人に、姉が一人いる末っ子令嬢。  地味な外観でパーティには来るものの、いつも壁側で1人静かに佇んでいる。そのため他の令嬢たちからは『地味な壁の花』と小馬鹿にされているのだが、そんな嘲笑をものととせず彼女が壁の花に甘んじているのには理由があった。 「商売において重要なのは『信頼』と『情報』ですから」 ※設定はゆるめ。そこまで腹立たしいキャラも出てきませんのでお気軽にお楽しみください。2万字程の作品です。 ※カクヨム様、なろう様でも公開しています。

無能と婚約破棄された公爵令嬢ですが、冷徹皇帝は有能より“無害”を選ぶそうです

鷹 綾
恋愛
「君は普通だ。……いや、普通以下だ」 王太子にそう言われ、婚約を破棄された公爵令嬢フォウ。 王国でも屈指の有能一族に生まれながら、彼女だけは“平凡”。 兄は天才、妹は可憐で才色兼備、両親も社交界の頂点―― そんな家の中で「普通」は“無能”と同義だった。 王太子が選んだのは、有能で華やかな妹。 だがその裏で、兄は教会を敵に回し、父は未亡人の名誉を踏みにじり、母は国家機密を売り、妹は不貞を重ね、そして王太子は――王を越えようとした。 越えた者から崩れていく。 やがて王太子は廃嫡、公爵家は解体。 ただ一人、何も奪わず、何も越えなかったフォウだけが切り離される。 そんな彼女に手を差し伸べたのは、隣国の若き冷徹皇帝。 「有能は制御が難しい。無害のほうが使える」 駒として選ばれたはずの“無能な令嬢”。 けれど―― 越えなかった彼女こそ、最後まで壊れなかった。

処理中です...