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第19話:影の画家たち
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その日、辺境伯邸の前には、まるで敗残兵のような集団が立ち尽くしていた。
王都から到着した乗合馬車から降りてきたのは、十数名の男女。全員が頬こけ、目の下には濃い隈を作り、着ている服は絵具と油で汚れている。
「……おい、リディア」
玄関ホールからその様子を眺めていたジェラルドが、眉間の皺を深くした。
「私が注文したのは有能な職人であって、ゾンビではないはずだが」
「彼らはゾンビではありません。……かつての私と同じ、搾取されていた影たちです」
リディアは痛ましげに彼らを見つめた。
彼らは、王都の有名画家や工房主の下で働かされていた影武者たちだ。
名声は全て師匠のもの。
彼らは安い賃金で、来る日も来る日も師匠の画風を真似て量産することを強いられ、過労と栄養失調で使い潰されていたのだ。
「……ひどい顔色だ。総員、ビタミンB群とタンパク質が欠乏している」
ジェラルドは舌打ちをし、執事に指示を飛ばした。
「直ちに食堂へ案内しろ。消化の良いシチューと、焼きたてのパンを用意させろ。まずはカロリーを充填させなければ、話もできん」
食事を終え、多少なりとも生気を取り戻した職人たちは、大広間に集められた。
だが、彼らの表情はまだ怯えていた。
辺境伯という恐ろしい主人の噂と、結局ここでもまた誰かの影として働かされるのではないかという絶望が、その目に見え隠れしている。
その中の一人、レオという痩せた青年がおずおずと手を挙げた。
「あの……、俺たちは、ここで誰のフリをして描けばいいんですか? 俺は王宮御用達の画家、バロン氏のタッチを完コピできますが……」
他の者たちも頷く。
「私は風景画の巨匠の模写が得意です」
「僕は流行りの宗教画を……」
彼らは自分の名前ではなく、誰の偽物になれるかをアピールし始めた。
それが彼らにとって唯一の生存戦略だったからだ。
「……いいえ」
リディアが静かに遮った。
彼女は彼らの前に進み出ると、レオが持参したポートフォリオを手に取った。
そこには、確かに巨匠バロンの画風そっくりの絵が並んでいる。
「上手ですね。筆致も、色使いも、本物と見分けがつかないほどです」
「はい! 師匠にはコピー技術を重宝されていましたから……」
自嘲気味に笑うレオ。
だが、リディアはページを捲り続け、最後の一枚で手を止めた。
それは、描きかけのスケッチだった。
師匠の真似ではない。
荒々しい筆致で、路地裏の猫を描いた、ただの落書きだ。
「……私は、こちらの絵の方が好きです」
「えっ?」
「師匠の絵を真似ている時、あなたの線は迷っています。似せなきゃいけないというプレッシャーで、線が死んでいる。……でも、この猫の絵には、あなたの魂があります」
リディアは顔を上げ、広間にいる全員を見渡した。
「ここでは、誰かのフリをする必要はありません。あなたたち自身の名前で、あなたたち自身の絵を描いてください」
職人たちがざわめいた。
自分の名前で描く。それは、彼らがとっくに諦めていた夢だった。
「ですが……、俺たちは無名です。自分の名前で描いたって、売れませんよ」
「売れる環境は、私が作る」
重厚な声が響いた。
ジェラルドだ。
彼は腕を組み、威圧感たっぷりに彼らを見下ろした。
「王都の工房主どもは、君たちとの契約書に退職後の競業避止義務や違約金を盛り込んでいただろう? 奴隷契約同然のな」
「は、はい。だから俺たちは逃げられなくて……」
「安心しろ。あの程度の契約書、我が領地の法務部が労働基準法違反と公序良俗違反で全て無効化した」
ジェラルドはニヤリと、凶悪かつ頼もしい笑みを浮かべた。
「さらに、未払い賃金の請求訴訟も起こしておいた。奴らは今頃、君たちが消えたことで納期に追われ、さらに裁判所からの呼び出し状に追われているだろう」
そう、ジェラルドはただ彼らを保護しただけではない。
王都の搾取構造そのものに、法的なメスを入れたのだ。
「君たちは自由だ。アトリエと画材、そして住居は提供する。その代わり、最高品質の作品を作れ。……君たちの才能を、不当に安売りすることは私が許さん」
その言葉に、レオの目から涙が溢れた。
他の職人たちも、次々と泣き崩れた。
それは、長い長い地下牢から解放され、初めて太陽を見た囚人のような涙だった。
数週間後。
王都の美術界は大混乱に陥っていた。
新作を発表したはずの巨匠たちの絵が、急に下手になったのだ。
デッサンは狂い、色は濁り、かつての輝きは見る影もない。
中身を作っていた影たちが消えたのだから当然だ。
騙されていたパトロンたちは激怒し、王都の工房は次々と信用を失って破産していった。
一方で、辺境伯領は活気に満ちていた。
新設されたアトリエ街には、個性豊かな看板が並び、国中からバイヤーが押し寄せている。
無名の天才たちの楽園、新しい芸術の聖地。
そんな噂が広まり、辺境は今や、王都を凌ぐ文化の発信地となりつつあった。
リディアとジェラルドは、丘の上から活気あるアトリエ街を見下ろしていた。
「……壮観だな。ゾンビだった連中が、今や立派な稼ぎ頭だ」
「ふふ、彼らは元々才能があったんです。ただ、光が当たっていなかっただけで」
「その光を当てたのは君だ、リディア」
ジェラルドは、風に吹かれるリディアの横顔を見つめた。
「君は優れた修復師だが、同時に優れた発掘者でもあるようだな。埋もれていた才能を掘り起こし、磨き上げる」
「ジェラルド様が、環境を整えてくださったおかげです。……私一人では、彼らを守ることはできませんでした」
リディアは、アトリエ街から聞こえる笑い声に耳を傾けた。
かつて孤独だった自分。けれど今は、同じ志を持つ仲間たちがいて、それを支えてくれる最強のパートナーがいる。
「ここが、新しい中心地になりますね」
「ああ。カビ臭い王都など目ではない。……こここそが、美の最前線だ」
ジェラルドの力強い言葉に、リディアは深く頷いた。
王都からやってきたのは人材だけではない。
芸術の未来そのものを、彼らはこの辺境へ移転させたのだ。
王都から到着した乗合馬車から降りてきたのは、十数名の男女。全員が頬こけ、目の下には濃い隈を作り、着ている服は絵具と油で汚れている。
「……おい、リディア」
玄関ホールからその様子を眺めていたジェラルドが、眉間の皺を深くした。
「私が注文したのは有能な職人であって、ゾンビではないはずだが」
「彼らはゾンビではありません。……かつての私と同じ、搾取されていた影たちです」
リディアは痛ましげに彼らを見つめた。
彼らは、王都の有名画家や工房主の下で働かされていた影武者たちだ。
名声は全て師匠のもの。
彼らは安い賃金で、来る日も来る日も師匠の画風を真似て量産することを強いられ、過労と栄養失調で使い潰されていたのだ。
「……ひどい顔色だ。総員、ビタミンB群とタンパク質が欠乏している」
ジェラルドは舌打ちをし、執事に指示を飛ばした。
「直ちに食堂へ案内しろ。消化の良いシチューと、焼きたてのパンを用意させろ。まずはカロリーを充填させなければ、話もできん」
食事を終え、多少なりとも生気を取り戻した職人たちは、大広間に集められた。
だが、彼らの表情はまだ怯えていた。
辺境伯という恐ろしい主人の噂と、結局ここでもまた誰かの影として働かされるのではないかという絶望が、その目に見え隠れしている。
その中の一人、レオという痩せた青年がおずおずと手を挙げた。
「あの……、俺たちは、ここで誰のフリをして描けばいいんですか? 俺は王宮御用達の画家、バロン氏のタッチを完コピできますが……」
他の者たちも頷く。
「私は風景画の巨匠の模写が得意です」
「僕は流行りの宗教画を……」
彼らは自分の名前ではなく、誰の偽物になれるかをアピールし始めた。
それが彼らにとって唯一の生存戦略だったからだ。
「……いいえ」
リディアが静かに遮った。
彼女は彼らの前に進み出ると、レオが持参したポートフォリオを手に取った。
そこには、確かに巨匠バロンの画風そっくりの絵が並んでいる。
「上手ですね。筆致も、色使いも、本物と見分けがつかないほどです」
「はい! 師匠にはコピー技術を重宝されていましたから……」
自嘲気味に笑うレオ。
だが、リディアはページを捲り続け、最後の一枚で手を止めた。
それは、描きかけのスケッチだった。
師匠の真似ではない。
荒々しい筆致で、路地裏の猫を描いた、ただの落書きだ。
「……私は、こちらの絵の方が好きです」
「えっ?」
「師匠の絵を真似ている時、あなたの線は迷っています。似せなきゃいけないというプレッシャーで、線が死んでいる。……でも、この猫の絵には、あなたの魂があります」
リディアは顔を上げ、広間にいる全員を見渡した。
「ここでは、誰かのフリをする必要はありません。あなたたち自身の名前で、あなたたち自身の絵を描いてください」
職人たちがざわめいた。
自分の名前で描く。それは、彼らがとっくに諦めていた夢だった。
「ですが……、俺たちは無名です。自分の名前で描いたって、売れませんよ」
「売れる環境は、私が作る」
重厚な声が響いた。
ジェラルドだ。
彼は腕を組み、威圧感たっぷりに彼らを見下ろした。
「王都の工房主どもは、君たちとの契約書に退職後の競業避止義務や違約金を盛り込んでいただろう? 奴隷契約同然のな」
「は、はい。だから俺たちは逃げられなくて……」
「安心しろ。あの程度の契約書、我が領地の法務部が労働基準法違反と公序良俗違反で全て無効化した」
ジェラルドはニヤリと、凶悪かつ頼もしい笑みを浮かべた。
「さらに、未払い賃金の請求訴訟も起こしておいた。奴らは今頃、君たちが消えたことで納期に追われ、さらに裁判所からの呼び出し状に追われているだろう」
そう、ジェラルドはただ彼らを保護しただけではない。
王都の搾取構造そのものに、法的なメスを入れたのだ。
「君たちは自由だ。アトリエと画材、そして住居は提供する。その代わり、最高品質の作品を作れ。……君たちの才能を、不当に安売りすることは私が許さん」
その言葉に、レオの目から涙が溢れた。
他の職人たちも、次々と泣き崩れた。
それは、長い長い地下牢から解放され、初めて太陽を見た囚人のような涙だった。
数週間後。
王都の美術界は大混乱に陥っていた。
新作を発表したはずの巨匠たちの絵が、急に下手になったのだ。
デッサンは狂い、色は濁り、かつての輝きは見る影もない。
中身を作っていた影たちが消えたのだから当然だ。
騙されていたパトロンたちは激怒し、王都の工房は次々と信用を失って破産していった。
一方で、辺境伯領は活気に満ちていた。
新設されたアトリエ街には、個性豊かな看板が並び、国中からバイヤーが押し寄せている。
無名の天才たちの楽園、新しい芸術の聖地。
そんな噂が広まり、辺境は今や、王都を凌ぐ文化の発信地となりつつあった。
リディアとジェラルドは、丘の上から活気あるアトリエ街を見下ろしていた。
「……壮観だな。ゾンビだった連中が、今や立派な稼ぎ頭だ」
「ふふ、彼らは元々才能があったんです。ただ、光が当たっていなかっただけで」
「その光を当てたのは君だ、リディア」
ジェラルドは、風に吹かれるリディアの横顔を見つめた。
「君は優れた修復師だが、同時に優れた発掘者でもあるようだな。埋もれていた才能を掘り起こし、磨き上げる」
「ジェラルド様が、環境を整えてくださったおかげです。……私一人では、彼らを守ることはできませんでした」
リディアは、アトリエ街から聞こえる笑い声に耳を傾けた。
かつて孤独だった自分。けれど今は、同じ志を持つ仲間たちがいて、それを支えてくれる最強のパートナーがいる。
「ここが、新しい中心地になりますね」
「ああ。カビ臭い王都など目ではない。……こここそが、美の最前線だ」
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